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『ダイターン3』のコロスについて語ろう。 [富野監督関係]




 えー、毎度ありがとうございます。楽しんでいっていただければ。

 さて。
 昨日は、ツイッターのTLに流れてきた情報にコウフンし、そんなコーフンのままにブログを更新したわけですが、今回は話題を少し派生させたいと思います。

 前回書いた、6月末に発売される湖川友謙さんの『サンライズ作品画集』ですが。
 4月20日午後11時現在、Amazonの画集売れ筋ランキングでは1位になっていますね。

ランキング.png

 ちなみに6位には『安田 朗 ガンダムデザインワークス』の名前があります。
 まだ表紙がありませんが。
 
 『サンライズ作品画集』、アマゾンの商品ページでは


80年代に燦然と輝くロボットアニメ「伝説巨神イデオン」「戦闘メカ ザブングル」「聖戦士ダンバイン」。さらに「無敵鋼人ダイターン3」を含めた、約150点の画稿を掲載。


 とあります。
 イデオン・ザブングル・ダンバインと3作品が並列されており、「さらに」ダイターンと書かれています。
 ダイターンだけ別枠のように書かれているのは、推測するに

 1、1つだけ70年代作品であること。
 2、塩山紀生さんと共同キャラクターデザインであること。

 2つが理由なのかなと、と勝手に考えています。

 ダイターンでは万丈側のキャラを塩山さん、敵側キャラを湖川さん(この作品では小国一郎名)が担当しています。

 塩山さんは当時コロスを見た時の感想を、「ショックで、全身汗吹きましたからね。コロスって、あの当時のアニメにはなかなかいないキャラクターだったでしょ」と振り返っています(『ザンボット3・ダイターン3大全』214P)。

 キャラクター設定集を見ると、コロスには


 ドン・ザウサーの意思を伝達する謎の美少女。
 彼女? も全てが謎であり不明。
 身長は光学計測により1m69cmと判明。

 
 とあります。まあここで、その絵をアップすればいいんでしょうけれど、ぼくはルールを守りたいタチなので…

 設定集には正面・後ろ・横の立ち姿3カット、顔の表情5カットが描かれています。唇の輪郭がなぜか点線だ。

 ちなみにコロスといえば瞳が印象的ですが、これは1977年から約1年間放送された『まんが日本絵巻』の21話「仇討ち哀れ 曽我兄弟」で、湖川さんがハイライトなしで描いた瞳をコロスにも使用したそうです。

 まあちょっと、ぼくには設定通りの「美少女」とは思えないけれど、印象的なキャラクターですよね。コロス(でも湖川さんのイラストで見ると美少女!)

 富野もコロスはお気に入りだったようで、


 富野はコロスに「ゾッコン」で「メロメロ」だったので、「演出家にあるまじき私情」が入ってしまい、最終回は「(コロスを)もち上げて終れればいいのよ」としている。


 とwikiにありますね。


 ところで最後に。
 「コロス」って名前、ぼくは古代ギリシャ語・コーラスの語源から来ていると勝手に思い込んでいるんだけれど、ムックか何かで書かれていないのかなあ。

 wikiの古代ギリシャ語の方の「コロス」には、

コロスは観客に対して、観賞の助けとなる劇の背景や要約を伝え、劇のテーマについて注釈し、観客がどう劇に反応するのが理想的かを教える。また、劇によっては一般大衆の代わりをすることもある。多くの古代ギリシア劇の中で、コロスは主要登場人物が劇中語れなかったこと(たとえば恐怖、秘密とか)を登場人物に代わって代弁する。


 と説明されています

 まあダイターンの劇中で、コロスがコロスの役割を担っているのかは微妙ですが、ドン・ザウサーの代弁者ではあるのは間違いないし…的外れかなあ。




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湖川友謙さんの『サンライズ作品画集』発売、富野監督のコメントもあり! [富野監督関係]




 取り急ぎ要件のみ。

 湖川友謙さんの『サンライズ作品画集』が6月30日に発売されます。
 価格は5292円。

湖川友謙 サンライズ作品画集(仮)

湖川友謙 サンライズ作品画集(仮)

  • 作者: 湖川 友謙
  • 出版社/メーカー: 一迅社
  • 発売日: 2017/06/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



 アマゾンによると、

「伝説巨神イデオン」「戦闘メカ ザブングル」 「聖戦士ダンバイン」。さらに「無敵鋼人ダイターン3」を含めた、約150点の画稿を掲載。

 だそうです。

 アマゾンの商品ページには、富野の「ぼくにとって、湖川の手をとおしたものは、アニメ的でもマンガ的でもなく、 特有の距離と質量をもって存在しているものに映る。」とのコメントも載っています。
 序文に掲載されているようです。

 144ページオールカラーだから、まあこのくらいの値段はするよね。画集だから、紙も上質なの使っているだろうし。

 湖川さんの画稿についてのコメントや、キャリアを振り返るロングインタビューも収録されているそうです。

 


 出版は一迅社。
 こういう書籍を出しています。

なぞって楽しむ おっぱい練習ドリル

なぞって楽しむ おっぱい練習ドリル

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 一迅社
  • 発売日: 2017/03/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



 他にたくさんあるだろ!

 取りあえず情報でした。


 

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やっぱり『ダイターン3』の最終回はいいなあ・加筆修正 [富野監督関係]




 はじめに。この記事は、2010年10月に書いたものに加筆修正したものです。思うところあってのアップだけれど、言葉にすると陳腐になるし、いやらしいので。
 ではどうぞ。



 以前CSフジで入っていた『ダイターン3』は録画しておいて、時間がある時にチョイチョイ見進めていたのだが、先日最終回を見終えた(念のため、もちろん初見ではない)。

 うーん、最終回のハードボイルドっぷりは、やっぱりイイなあ。

 シリーズ全体の出来としてはちょっとアレな感じはあります、正直。

 製作年で見ると『機動戦士ガンダム』と1年しか差がないんだけど、今の目で見ると両作品の間にはそれ以上の差があります。
 ひょっとして『スーパーロボット大戦』シリーズでの厚遇が、『ダイターン3』の評価に下駄をはかせているんじゃないか、という気すらします。

 でもね、やっぱり。

 「ロボット版ルパン三世」のような洒脱な第1話と、大人のテイストに満ちた最終話は、イイよなあ。

  以下、最終話の痺れる点を列挙します。


1、出撃する万丈の後ろ姿を見送るレイカとビューティのセリフ。

 「見納めね」
 「未練よ」

 簡潔なセリフ自体もいいが、「未練よ」を言うのが日頃は頭の軽そうなビューティというのも良い。

 普段の感じから言ったら、セリフの担当が逆な感じしません?


2、力の入っている最終決戦の作画。

 絵の素養が全くないぼくにも、描き手の情熱が伝わってきます。

 突然、背景が白くなる大胆なシーンも。近年のアニメでも同じような処理を見ることがありますが、「この絵を描いたスタッフさんはダイターンに影響を受けたのかなあ」とか考えてしまいます。

 最終回の作画は塩山紀生さんで、なんと作画を1人で担当、動画まで描いています。どういうこった。

 そこら辺の気持ち・流れを『ザンボット3・ダイターン3大全』216ページから引用しましょう。


 (ブログ主注・アニメに本腰を入れるようになった)記念碑的な作品が『ダイターン3』だったんですよ。この最終話の作画を1人でやってから、アニメーションが面白く思えたんです。
 (中略)
 キャラクターを描くことや動かすことじゃなく、キャラクターの気持ちを表現してやればいいってことで、当時はそれなりに体裁よりも勢いや気持ちを大切にしました。最終回の最後の方(万丈対ドン・ザウサー戦)は、鉛筆で線をグワアアアッ! ってやって、万丈の想いを表現してるんです。でも、これを動画の人に渡してもできませんから、いっそ自分でやっちゃえと思って。全部ラフな線で描いて、自分で動画までやっちゃいましたね。
 最初は「もしこの線でラフすぎて見辛いのであれば、きれいにクリンナップして動画に渡してください」っていう指示を入れて回したんですが、富野さんが面白がってくれましてね。セルに色をつけないで、鉛筆のタッチを活かす方向で演出をしてくれたんです。今見ても、このシーンは僕自身のアニメーションに対するエネルギーが見えていますね。

 
 引用以上です。この後、ゼロックス導入によって、あのシーンが可能となったことについて触れています。

 でもこんなエピソードを知らなくても、描いた人の感情や想いが視聴者に伝わってくる名シーンですよね。


3、「ひょっとしたら万丈自身がメガノイドではないのか?」 という疑問を、結局匂わせたまま終える「粋」。

 全部ペラペラ喋ってしまう無粋とは無縁です。

 そして、「まだ○○の説明がされていないじゃないか!」と全てに答えを求めるお子様な視聴者とも、無縁なのです。


4、万丈最後のセリフ「ぼくは、いやだ…」

 謎めいた・よく分からないセリフでありながら、全てを否定する力強さに満ちたセリフ。

 まあ、普通に考えたら「メガノイドであること」の否定なんでしょうが、どこか哀しみや諦観を帯びている鈴置さんの演技ともあいまって、非常に印象深い一言になっています。


5、アッサリとした万丈チームの解散。

 実は、ここがぼくの一番好きなところ。

 ボスである万丈の帰還を待たず、共に闘ってきた戦友とのあまりに淡々とした別れ。

 レイカは「仕方ないでしょ、住む世界が違うんだから」とカンタンに部屋を出て行く。ビューティもそんなレイカに文句を言いつつ、迎えの車に乗り込むと何の感慨も見せずに朝食の心配を始める。

 みんな、宴が終ったことを承知しているのだ。

 その淡々とした、しかししっかりとした解散劇を描く送り手の姿勢は、ファンの妄想に沿う制作者のそれとは対極をなすものです。

 そして、ジメジメしたお涙頂戴とも、一切無縁な別れ。

 本当に大人の演出だな、と思う。

 他の作品の話になってしまうが、『カウボーイ・ビバップ』の終盤にもこのドライさがあれば、もっと名作だったんだがなあと残念に思う。


6、ラストシーン。

 ギャリソンが鍵を掛けて去り、万丈邸は空き家になる。

 夜が空け始めて、日輪がのぼってくる。

 右端の部屋だけ明るいのは、陽が差し込んでいるからなのか、それとも屋敷の主が帰還したのか。

 それも分からぬまま、物語は幕を閉じる。

 しかし消化不良の感は無い。心地良い余韻だけが残る。

 描写の過不足ない、見事なラストシーンだな、と改めて思いました。

 

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『ガンダム Gのレコンギスタ』(Gレコ)全感想まとめ。 [富野監督関係]

プロローグ


 今回のエントリは、これまで書いてきた『ガンダム Gのレコンギスタ』の感想を再掲載したものです。情報系の記事は抜かしたけれど、それでも長い。

 10年以上富野作品関連をメインとしてきたブログを書いてきて、実は「TV放送に合わせて感想記事を書き続ける」体験をしたのは『Gレコ』が初めてでした。毎週更新は挫折したけれど。

 キンゲはぼく、DVD買って見たので…

 非常に面白い体験でした。放送時じゃないと、絶対に書かないような記事もあったし。

 だから一番思い入れのある記事は、「『Gのレコンギスタ』(Gレコ)3話で、なぜアイーダ様は踊りながら出てきたのか?」ですね。

 結果的には大間違いだったわけですが(しかもコメント欄で「ああやって登場するのが彼女にとってはごくごく普通の行動なんだろうと思っておりました」と書いている方までいる)。
 ツイッターでも「坂井さん最近間違い多い」とか「感心したのに」とか書かれたし(笑)。

 でも自分では、書いた内容はそこそこ悪くなかったと今でも思っているし、何より・後からDVDなりBlu-rayなりで全話見て答えを知ったら絶対に書かなかった記事だしね。
 リアルタイムで見ていたからこその記事なので、愛着あります。他にも予想外れている記事あるけれど。

 あと残念なのは、頑張って書いた感想記事より、一番アクセス多かったのが「『Gのレコンギスタ』(Gレコ)を放送する地上波が3局しかないと知って、しばし呆然としたのでした。また「子ども向け」から遠ざかる」だったことですね。

 ケタが1つ違った。コレはつまり、「新作のガンダム始まるのか。どこで放送するんだ?」と検索した方々が辿り着いた記事なのです。
 フフフまさかガンダムともあろうものが、地上波では3局のみとは思いもしなかったであろう。


 では。再掲した記事は時系列です。先行上映とか懐かしいな…




『ガンダム Gのレコンギスタ 特別先行版』で感じた2、3の短い事柄


 当然のように、『ガンダム Gのレコンギスタ 特別先行版』の劇場公開を初日に見まして。
 大まかな感想は、ネタバレをしないように留意しながらツイッターで呟きました。先走りの液でていたらごめん。

 個々において細かいことは沢山言えますが、例えばイデオンを想起させる・繰り返し出てくる描写について、しかしさらに進歩しているよ、などです。

 けれどもそれらのことは、本編の放送が始まってから、少なくともDストアなどでの配信が始まってから語ればいいでしょう。

 とりあえず、最高でした。
 TV版そのままでいいから、全部スクリーンで見たいなあ。やっぱり良くも悪くも違う、スクリーンとTVでは。


 さて、ツイッターで漏れたところで、感じた2、3の短い事柄です。

1、物語の余裕と言うべきか、懐・奥行きが深い。

 富野の中では、もちろんプロットを決めて書き進んでいるはずなのですが。

 例えば3話の途中まで、「ベルリが海賊側になっても」「アイーダがキャピタルに残っても」どちらでも、話が展開すると思いません?

 正直ぼく、ifルートも見てみたい。

 富野で知った言葉で言うと、「フレキシビリティ」のある物語構造だな、と感じました。これは、今回の作品で初めて感じたことです。
 

2、ぼくは以前、「『クンタラには外見に、それと分かるサインがあるのではないか』と夢想して」と書いたけれど、パンフに「その証として額に飾りをつけたり、帽子を被ったりしていた」と書いてあった! 当たった(自賛)。

 ただぼくは、他のクンタラのキャラも証があると思って・そのように書いたけれども、ノレドのみの設定みたいです…


3、ララァ(ラライヤ)・マンディ、ヘルメス(エルメス)の薔薇の設計図、って言葉遊びを、半ば本気で提唱しておこう。
 でも富野、ギャブレット・ギャブレーのように同じ名前のキャラを出しちゃうことすらあるので、まあハズれるよなあ、コレは…


4、ルインは思ったよりいい奴だった。

 設定からは、もっとイヤな奴を想像していたんだけれど…

 でもこの先、どうなるかは富野が舞台あいさつで喋っちゃったんだよね

 具体的な行動は分からないけれど。主人公に対して敵対行動をとるよね。

 で、極端な例をあげれば、ジェリドのようにコロニーに毒ガス注入しようとしたり、鉄仮面のように「命令に従って虐殺する」って人間は、富野アニメにもこれまでいたじゃない?

 富野、最近は言わなくなったけれど、アーレントの言葉を借りれば「悪の陳腐さ」「悪の凡庸さ」ってやつですよね。ぼく読んでないから、あんまりこういうことは書かないほうがボロ出ないんだけれど。

 ただちょっと逡巡は描かれていたけれど、基本はジェリドも鉄仮面も悪役だから、すでに「ジェノサイドをやりそうな」キャラとして出てきてた訳だよね、基本的には。

 で、Gレコの前か? 富野がアーレントアーレント、全体主義、新作はアーレントのために、みたいなこと言ってたの。ROGの頃?

 その設定は今も残っているところがあるはずだから、今回は「仲間だった人が悪役になっていく」展開は、あると思っていたのよ。
 たぶん、多くの富野ファンがね。「誰がマスク被るんだ」的な。

 ただぼくの考えていた、「敵になるキャラ」は。
 富野がアーレントに強い影響を受けていて、ぼくのうっっっっっすい知識で言うと、アーレントっていえば「アイヒマンは、怪物的な悪の権化ではなく、思考の欠如した官僚」論だから、相手への想像力がない、つまらない人間だと思っていたんですよ。

 でも、今回仮面をかぶる人間は、1~3話を見る限り、「あれっ思ったより思考の柔軟性がありそうだし、何よりベルリの心情を汲み取った発言をするじゃん!」ってビックリしたんですよね。

 正直、富野の舞台発言のレポを読むまでは、「コイツが敵になるんじゃないのかな?」とまで思い直したのですが。

 でも、そんな魅力的で優秀な人間さえ飲み込んでいくってところが、全体主義なんですかね。


 アーレント、結局「映画で済まそう」と思っていたのにそれもスルーしちゃったし、1冊だけでも読まないとダメかな…


『Gのレコンギスタ』(Gレコ)1話感想・レビュー・留意点。あと、レクテンが最初にプラモ化されなかった理由を推察する(追記)


 さて、『Gのレコンギスタ』(Gレコ)1話の感想・レビューです。留意しておくべき点なども。

 OPは、まさかの本編映像多かったねー。
 ちょっとガッカリだったけれど、本編では使われなかったカットが採用されたりもしたらしいので、まあいいのかな。

 本編。序盤10分は以前に語っているので、特になし。

 ぼくより、こちらのツイまとめを読んでいただければよろしいのではないでしょうか。

 そういや1つ気になったことがあるんだけれど、この10分でルイン先輩とマニィが付き合っていることが提示されますよね。

 で、富野のインタビューや設定で、ルインがクンタラであることは知っていたけれど、シャア専用ニュースさんの
 「富野由悠季監督最新作『ガンダム Gのレコンギスタ』で使用されている専門用語「クンタラ」をあらためて詳しく説明する」

 を読んでいたら、小杉Pがマニィもクンタラだと仰っているんですよ。

 ええええええ。

 いや勿論、クンタラ同士で付き合う・結婚するような暗黙の差別・風習がある世界だろうってのは、ぼくも想像していましたよ。
 『招かれざる客』的な問題が起きるようなね。


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 でもぼくは、マニィってキャラはそんな因習や偏見関係なく、「ルインっていう人間が好きなの!」みたいな少女だと思っていたんですよね。

 これがもしクンタラ同士なら。
 彼氏がマスクを付けるなら、私は髪を切って戦う、って流れにはすんなり行きそうだな…と。EDを見て。思いました。

 それと、今でも差別されているノレドは、でもベルリにアタックし続けているのは、どうしてだろうなあ…とまで飛躍しました。

 それと、改めて。訓練生達と、色々な人達が混在している宇宙エレベーター内部の描写は、面白いなと感じました。

 訓練している後ろで、乳児をあやしている母親とかいるんだよね。

 
 続いて戦闘シーン。

 「クラウンもケーブルも傷つけずにどうやる?! こうか!」と自問するシーンの背景(キラキラ)は、ちょっと特徴的でしたねー。
 ララァが白鳥になるシーンを思い出したけれど、ぼくは。

 戦闘シーンにはやや似合わないような背景で、そのギャップが面白かったです。

 そして、ネット上でちょっと話題になっている? アイーダの「世界はー!」

 に合わせて、レクテンの四角い顔がアップに映って、

 「四角くないんだから!」は印象深いシーンですね。おそらく視聴者の間では、ブレンの「イエスだね!」と同じような扱いで語られていくのかなあ。

 この「世界は四角くないんだから」については、ぼく、ツイッターで。


(富野が)何かのインタビューで、「それが『世界は四角くない』ってことですか?」「まさしくそうです」みたいなやり取りなかったっけ?
探しても見つからない。俺の気のせい?

 と呟いたけれど、反応なかったので、やっぱり記憶違いだな…


 で、顔を掴まれたG-セルフは、レクテンの腕を激しく殴るのですが。
 ここの作画、おそらくわざと手描きっぽく・ちょっと荒々しく作画されていて、良かったなー。

 その後、ルインとデレンセンが出撃。

 レクテン、複座なんだよね。
 ぼく、メカには全く興味ないので自信ないけれど、MAならともかくMSで複座って珍しくない?

 ここでルインは、「溶接機がビームライフルになる裏マニュアル」と言います。

 これって。作業用具と見せかけて、兵器にもなるってことでしょ。

 つまりさー。キャピタル・ガードから軍隊にしようとする準備が、着実に進行しているってことだよね。

 
 そしてG―セルフはビームサーベルを抜きます。

 刃部分が細い! これは、富野と岡田さんの対談内容を思い出したなー。
 太くて敵からはっきり見えたら兵器じゃない、みたいな。

 で、ビームサーベルを使うことに、戦闘宙域にいる4人が、オーバーリアクションをします。

 ベルリ「なんだってー!」

 どうも、宇宙世紀とはビームサーベルの意味が違うようです。
 この前に、ビームライフルぶっ放しているんだけれど…

 傷つけてはいけないクラウンやワイヤーのそばで、「ビームサーベルのような強力な兵器」を使うのか、って驚きにも見える。 
 この前に、ビームライフルぶっ放しているんだけれど…(再び)


 「スコードっ!」

 これは作品内の宗教からですね。ベルリ、信者なのかな。

 おそらく宗教は既得権益の隠れ蓑・方便になっているはずなので、先々ベルリの行動と信心が一致しなくなりそうだけれど。
 ま、そのためには熱心な信者ではない方が、作劇的には都合良いはず。はたしてどういう設定なのか。

 レクテンのパンチ対G-セルフのビームサーベル。
 また荒々しいタッチで表現されているレクテンの「手」と、かつて富野が望んでいた通りの「斬る瞬間だけ刃が出る」ビームサーベル(これは過去作品でも登場しているけれど)。

 痺れます。

 で、アイーダへの尋問が始まります。

 アイーダもレイハントンも「聞いたような名前」。
 後に「レイハントンコード」って言葉も出てくるし、この世界では有名な人の名前、とかなんでしょうね。

 で、ここで笑っちゃうのは、

 「G―セルフ。あの機体のハッチは、他の人にはあきません」からの、

 アッサリとベルリがあけるシーンですよね。

 これは、
 通販番組の「でも、お高いんでしょう?」とか、
 熱湯風呂に身を乗り出した芸人さんが「押すなよ、押すなよ」とかと同じ、前フリですよね。

 素直に面白かったのと、「ベタだな!」と、「アイーダのポンコツ伝説が始まっている!」と、全てが相まって良かったです。

 そしてもう1つ、見逃せないのは。アイーダの髪の香りに触れるベルリくんですね。

 ま、ぼくがこのシーンで連想したのは、もちろんこの歌ですね。



 ♪くんかくんかくんか

 で、コックピットに座るベルリくんの目に、パネルから光線が向けられます。
 2話で出てくる「アイリスサイン」ですね。
 
 じゃあ、アイリスサインが感知されなかったラライヤは、なぜ冒頭でG-セルフを操縦できていたのか?

 これが、ラライヤの正体につながる伏線ってヤツですね。

 
 ここで1話終り。

 EDについては、2話目感想の時に書こう…


 最後に1話目と関係ないけれど、G-レコ関連でいくつか羅列します。

 稲田徹さん、
「声優を始めてから、初めてじゃなかろうか?
自分が出てない作品を楽しんで観られるのは。」

 とツイートなさっていたG―レコに出演なさるとは! 逆転HRですなあ。中原麻衣さんも出るし、これからも楽しみだ。


 Gーレコの感想が面白いでもツマラナイでも何でも自由だけれど(もちろんぼくは否定するけれど)、「ガンダムらしくない」的な感想言っている人だけは心底ダサイ。バカ。時代遅れ。
 そんな話、20年前のGガンダムで終っているわ。


 次。ツイッターで「レクテン プラモ」と検索かけると、希望している方が結構いらっしゃる。

 まあ最初のプラモ化ラインナップにレクテンが入っていないこと、不満に思う方もいらっしゃるだろうけれど、仕方ないかなー。

 プラモ第1弾の種類数は決まっていて、そして・初動売り上げは絶対に良い数字を出さないとダメだと思うんだよね。
 ターンエーは関連商品の売り上げが芳しくなくて、記録全集の発刊が途中で止まってしまったらしいですから…

 だから、最初から本命リリースしないといけないから、ガンダム2機、セルフとアルケインは決定。
 他のMSに比べると、比較的に「カッコ良さ」が分かりやすいモンテーロも当確。残り1枠、グリモア、カットシー、レクテンの中では、デザインだけで「受け」を考えたらグリモア、ってなるかなあ。

 レクテンの位置づけは、戦闘用MSではなくて、宇宙世紀に置き換えると・ちょっと言い過ぎかもしれないけれどプチ・モビ的な扱いだからね。

 担当の方も、それを第1弾のラインナップには加えられなかったと思うよ。

 ぼくは何回も書いているけれども、ロボットの魅力って「デザイン半分・劇中での描写半分」だと思うんだよね。

 レクテンは、担当者が想像していたより劇中で「ハネた」ってところですね。

 ま、キット化されるでしょう、これは。たぶん。戦闘仕様レクテンのレックスノーが登場控えているので、断言できないけれど…

 
『Gのレコンギスタ』(Gレコ)2話感想・レビュー・留意点。


 G-レコの、7話までの各話タイトルが判明しましたね。
 1話~3話までは

 『謎のモビルスーツ』
 『G-セルフ起動!』
 『モンテーロの圧力』

 「シャア専用ブログ@アクシズ」さんによると、4話~7話は

 『カットシー乱舞』
 『敵はキャピタル・アーミィ』
 『強敵、デレンセン!』
 『マスク部隊の強襲』

 となっております。

 必ず固有名詞(「マスク部隊」もね)が入っているのは、わざとだよね。

 キャラクターに固有名詞を連呼させて・視聴者にその名前を覚えさせるのは基本技術の1つだと思うけれども、サブタイもそんな意図かな。

 ガンダムの時代から「灼熱のアッザム・リーダー」とか、キンゲでも「鉄道王キッズ・ムント」「リオンネッターの悪夢」なんてあったけれども、今回は(今までのところ)全部そうだからな。
 
 OPの歌詞もその意図があるらしいけれども、「分かりやすいように」とはしているんだよなあ。こういうところでは。

 さて。2話目のおさらい、いきましょう。

 冒頭におけるジジイの意味ありげなセリフはスルーしておいて、まずはラライヤが「ボンボン」を無邪気に振るシーンが目をひきました。

 あれ、震えて意味不明なセリフ言うだけのキャラじゃないんだ。

 で、そこに現れた法皇様が、ノレドのフルネームを知っていることが驚きですよね。
 ノレドは一介の少女で、しかもハイソサエティの娘でもなくクンタラなのですから。

 まあぼくは、例えば『赤毛のアン』でプリンスエドワード島に住む人々が全員知り合いのように、人口が少ない舞台なのだろう、と解釈しました。

 それか、ベルリ(運行長官の息子)の周辺にいる少女だから、知っているのか。

 で、警備しているベルリとルインが会話をします。

 ルイン「オマエさ、囚人の塔に入れられている女海賊を助けたいんだろ?」

 おそらく、将来敵になる先輩ですが、ちゃんと他人の心情を汲める・良い人間なんですよね。

 
 ここで母親登場。

 「あら、かり出されたのね」
 肩に手を回されて、ベルリはちょっと嫌な顔をします。


 ぼくのような富野ファンが「いいなあ」って思っちゃうのは、ここらへんの細かい芝居なんだよね。

 思春期の・またはかつて思春期だった男性にとっては、友達や同年代の知人の前で、母親に肩を抱かれたらどんな気持ちになるか、ベルリが何故嫌な表情を見せたのか、説明不要でしょう。

 で、ここでもルインは、ちゃんと顔をそらして、「見ないであげる」んだよ。いい奴じゃん! マスクなんてかぶるな!

 そこへ、キャピタル・ガードの調査部大佐、クンパ・ルシータが現れます。

 劇場で先行上映を見た時に、ぼくは母親とルシータの関係が怪しいな、と思ったんです。

 今回見ると、その理由は。
 ルシータが海賊を捕まえたベルリを褒めたのに対し、母親は「偶然でしょう」と謙遜します。

 その時、左手を右の頬に持っていって、シナを作るは言いすぎだけれど、ポーズを取るんだよね。
 
 この仕草に、「コイツ母親とは言っても、まだ女だな」と感じさせるものがあるんですよ。


 その後、母親は来賓にルシータを紹介しようとします。が、ルシータはそれを無視して法皇の元へ行きます。

 ルシータはキャピタル・アーミィの創設に裏から糸を引いていますが、法皇も1枚噛んでいる、ってことでしょう。


 ポンコツ…否、麗しのアイーダを取り返すため(念のため・ぼくはアイーダ推しだよ)宇宙海賊が登場。

 「いーっ」と驚くノレドの表情、今までの富野ガンダムでは絶対に見られない顔だよなあ。


 海賊MS・グリモアが撃つライフル、実弾のマシンガンとビームライフルを撃ち分けられるタイプかと思っていたけれど、今回見直すとビームの光跡がちょっとおかしいんだよね。

 プラモの仕様を見てみたら、ビームライフルじゃなくて・あれビーム・ワイヤーだな多分。

 メカに乗ったまま運河を飛び越えるベルリとルイン。

 これを見て、後続のマニィも運河を跳びます。

 「女の力でぇー!」

 ここでのマニィの行動は、おそらく後に彼女が何らかの行動を取る際の、説得力とか伏線みたいなものになります。

 彼女が戦うことになっても、「いざとなったら勢いで運河を跳び越えるくらいの度胸のある少女だから、これくらいはするよなあ」と視聴者が思い出すことになるはずのシーンです。

 
 ちなみにおっさんのぼくとしては、ここでザブングルを思い出しました。

 ザブングルではまだ歪だった、『コナン』…と言っても探偵じゃないよ・シュワちゃんの古い映画でもないよ、富野なりの『コナン』の身体性、みたいなものを遂にこんな形で表現したなあ、と感慨深くなりました。

 
 囚人の塔に入るベルリ達。

 アイーダの名を呼ぶベルリに、ノレドがムッとします。
 女性の勘はするどい!

 やがて、ベッドにぶら下がった(おかしな言葉だ)アイーダさん登場。
 (胸元にはおそらく識別標識が付いた)囚人服を着たヒロインです。

 ベットにしがみついたアイーダのお尻目掛けて、ノレドがパチンコを撃ちます。

 このシーンさあ。

 富野のSM趣味が出ている、と感じるのはぼくだけ? いや、出ているよなあ。

 背中がちょっとはだけていて、太腿も見えて、しかも高所から落ちかけている女の尻をパチンコで撃つんだよ。
 ここは間違いなく、エロティシズムを出そうとしているよね。

 富野はGレコについて、インタビューで「アニメ・コミック慣れしている人たちのセクシュアリティーに対する感度、感覚を、全否定する。言い換えれば全肯定する」と言っていたけれど。

 このシーンが念頭にあったのかな。

 ま、ぼくはここ好きです。もうちょっとパチンコを撃っても良かった。S気強し。

 直後の、アイーダのお尻と・ノレドが1つの画面におさまっているレイアウトも面白いけれど。

 
 話は進んで、この後にもう1回、G-セルフの操縦席に取り付こうとする際に、アイーダの素肌(背中)が見えます。

 このシーンについて、ベルリ役の石井マークさんはどこかのインタビューで「ちょっとアイーダの背中が見えちゃったという演技をしたら、富野監督から死ぬかもしれないんだからそんな気持ちにはならない、とダメだしされた」といった趣旨の答えをしていたけれど。
 
 視聴者には、そんな気持ちにさせようとしているシーンだよな。

 
 で、この後、過去作品のモビルスーツが展示されている場所が出てきます。

 ここの感想で、「MSに彩色しておいて欲しかった」って意見をネット上で見かけたけれど、いやいやいや。

 過去作のモビルスーツが白黒なのは、「それくらい歴史が経過している」って設定以上に、もっと意味を感じちゃうけれどね、ぼくは。

 過去のモビルスーツ(作品)なんて、白黒でいいんだよ。Gレコは子ども達に向けた作品なんだからさ。


 Gーセルフを視界にとらえるカーヒル。

 それまで互いに「カーヒル大尉」「アイーダさま・姫様」と呼んでいたのに、出会ったことで2人の呼び名が変わります。

 「アイーダ! 姫様!」 「カーヒル!」

 実際に恋人関係だったかはともかく、2人とも(特にカーヒルが)互いを憎からず思っていたことは、この短いやりとりで分かります。
 まあ、次の回では、もうアイーダ立ち直っているようだけれどね。

 アイーダがハッチにしがみついている事を知らないカーヒルは、グリモア流星拳を放ちます。カーヒル・セイントだけに…(ツイッターでも呟いたのに再び)。

 「仲間を殺すのか!」と勘違いしたベルリくんの感情に反応したように、G-セルフから赤いオーラ的なものが…

 なんだあ、コレは。ひょっとしてサイコミュ持ち?

 カーヒル、あっけなく死亡。

 ビームライフルを撃った後の、反動で後ずさりするG-セルフの足、また手描きっぽい荒いタッチだったなー。あの作画処理、戦闘シーンの迫力が増して好き。

  
 この後、ベルリとアイーダのやり取りがあって、2話は終り。

 EDについては、短く別の項を設けてちょっと話そう。


『Gのレコンギスタ』(Gレコ)3話で、なぜアイーダ様は踊りながら出てきたのか? 


 えー、よろしければ、ひと時お付き合いください。

 ツイッターは色々便利なところがあって、安田朗さんと形部一平さんのGレコ関連ツイートを、まとめた人がいます

 togetter便利。

 
 あと公式ツイッターが、劇中の世界情勢の説明と第1話の流れを説明した図を公開しています
 
 このツイートへのリプやRT数・お気に入り数を見ると、やっぱり一定の需要があるのかなー。こういう説明。

 リプの中には、「1話でG-セルフを海賊が回収したことに気付かなかった」って意見がいくつかあって、これはぼくもでした。
 こんなブログやっているのに、G-セルフが2機あるのか? みたいなことを書いてしまいましたからね

 あのシーン、MSの違い=勢力の違いなんだけれど、事前の知識入れてなかったので・そこが分からず。
 セリフをちゃんと咀嚼したら、分かるっちゃ分かる気もするけれど。


 さて、3話総括の感想は後日に回すとして、この回といえばなんと言っても。

 ジャベリンありがとうね、ではなく。アイーダがくるくる踊りながら出てくるシーンですよね。

 このシーン、「やっぱり富野は意味分からねーな」とか「富野らしいエキセントリックな演出だな」って言っちゃうこともできるんですけれど、アイーダの心情を踏まえた上での演出だと思うですよね。

 ぼくが彼女の魅力、意地っ張りな部分を説明する! このままでは、ヒロインの座が…


 なんだろ。

 例えば『あの夏で待ってる』では、ヒロインのメガネ先輩より、不憫な谷川の方に人気が集まったじゃない?


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 G-レコでもなんだか、健気に頑張っているノレドに人気が集まりそうな気が。

 あかんで。


 で、件のシーンですよ。アイーダ様の踊り。

 その前にまず、アイーダを尋問していたルシータのところに、ベルリが訪問してきた知らせが入ります。

 ベルリの名前を聞いて、彼女は目を閉じてお茶を飲みます。

 これは、落ち着いて、思案しているのです。

 ベルリも尋問を受けに来た。しかし、早朝に。なぜ来たのか?

 彼女はおそらく、ベルリの好意に気付いているのです。
 「自分の様子を心配して見に来たのだ、カーヒルを殺したあの少年が」とアイーダが考えているとすれば、後の行動に矛盾はありません。

 (愛しの)カーヒルを殺した少年の好意や心配は、無下にしたいのです。
 少年の思い通りにはさせたくないのです。

 ベルリは、アイーダがどのような尋問を受けているのか心配で、ルシーパに呼ばれたことをこれ幸いに・我慢しきれず朝早くから訪問しました。

 アイーダはそれを踏まえた上で、

 オマエの心配なんか必要ない、その証拠に尋問も厳しくない、杞憂だ、とベルリに知らしめたいのです。
 その高らかな宣言として、

 優雅に踊って登場するのです。

 尋問と・ものすごくかけ離れている「踊り」をすることにより、ベルリの好意を拒絶しているのです。

 その証拠に、アイーダ様は直後におっしゃっているではありませんか。

 「大佐は紳士でいらしゃいます。ご心配なく」


 裏返せば、「あなたは私を心配して来たんでしょ? でも大佐は紳士でいらっしゃいます(カーヒルを殺したあなたとは違って)」

 この時のアイーダ様の表情と、何より嶋村さんの演技を聞いたら、おそらくぼくの読みは大ハズレはしていないだろう、と自惚れているのですが、いかがでしょう?


 でもアイーダ様の抜けている(魅力的な)ところは、その後結局、拒絶しきれずにベルリくんと言い争いしちゃうところですよね。

 これがアニメのお約束ではない、リアルなツンデレ…


『Gのレコンギスタ』(Gレコ)3話感想・レビュー・留意点。


 関西圏では今、4話が放送されているというのに、ぼくはやっと3話の感想。今回もよろしくお願い致します。

 G-セルフをどこが引き取るか、ベッカー大尉(キャピタル・アーミー)とルシータ大佐(調査部)の間でチョイとしたいざこざが起きます。

 ただ、ベッカー大尉が後で吐き捨てるように、ルシータはキャピタル・アーミー創設の黒幕でもあるので、ちょっとややこしい構図になっています。

 まあ多分、ルシータは軍が発足しても文民統制=シビリアン・コントロールはしっかりしたい、調査部の下にキャピタル・アーミーを位置づけたい思惑がある、と捉えるのが素直な見方かな。

 このシーンではもう1つ、大尉が大佐にタメ口以上の口のきき方をしているので、宇宙世紀の軍ほどには、しっかりとした規律がないのかな、とも想像できます。

 さて続いて、ベッカー大尉がルイン・リーをキャピタル・アーミーに勧誘します。

 ルインがクンタラであることを侮蔑するベッカー。

 わざと相手の劣等感を刺激して、反応を見る。
 圧迫面接に似ている気もしますが、ぼくは映画『アンタッチャブル』での、ショーン・コネリーがアンディ・ガルシアを面接するシーンを思い出しましたね。


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 ショーン・コネリーがわざと侮蔑的なことをアンディ・ガルシアに言って、逆らってくる気骨のある男か試したのでした。

 まあ今回のシーンは逆で、ルインはクンタラであることを差別されても逆上せず、顔面に放たれたベッカーのストレート・パンチをヒョイとかわし、しかも腹部は両手でしっかりガードするのでした。

 この時、驚くマニィと、平静に見守っているデレンセンの対比も良いです。

 
 シャンクに縛り付けられているのに、眠りこけているアイーダ様。姫、案外と神経図太いな…

 港に着き、ルシータにあいさつするベルリ。その肩越しに、連行されるアイーダが見えて、目線で追います。

 「ベル!」

 その細かい動きをすかさず咎めるノレド。
 ベルリ大好きノレドちゃん。

 次の画面、ビグローバー(キャピタル・テリトリィ内にあるキャピタル・タワーの地上施設)の大きさを見せながら、シャンクに乗っているベル&ノレドを描いています。
 
 まあ、ここら辺の大きさ対比は、富野アニメではお馴染みといいますか、十八番といいますか…

 続いて2人は、ビグローバー内にあるウィルミット・ゼナム(ベルの母親)の執務室に行きます。

 この前に、ベルリはノレドに「家に帰りな!」と言い、ノレドは当たり前のようにその言葉を無視して追いかけます。
 そして追ってくるノレド・自分の言葉に反したノレドに、ベルリは何もリアクションを取りません。


 これを「おかしな演出!」と取るか、「それぞれのキャラクターが生きているなあ」と取るか、あなたはどっち?


 さて執務室のカットのしょっぱなに、放送前から話題になっていた「カバの頭の剥製」が見えます。
 このカバは「ウィルの性格を表すために必須」らしいですが、どんな性格なんだ…

 ただファーストカットから描くと言うことは、スタッフ(たぶん富野)はよほどこだわりがあるのでしょう。

 
 「外国のタブー破りのスパイなんかの…」

 ノレドがウィルミットに話しかけます。

 が、このシーンのノレド、ちょっと巨乳になってない? ダブルヒロイン(え? ラライヤって誰?)は巨乳と微乳の対比じゃないのかよ! オマエまで巨乳になってどうするんだ。

 それよりここでの問題は、ウィルミットはノレドの顔を知らなかった、ということ。法皇様はノレドを知っているのに。

 別な方が指摘しているが、ゲル・トリメデストス・ナグ(法皇様)とノレド・ナグ、同じ「ナグ」なのは偶然ではないのか…

 『ザブングル』と『エルガイム』で全く同じ名前のキャラクター(ギャブレット・ギャブレー)を出しちゃった富野作品だから、「ナグ」は偶然の可能性もあると思っていたけれど。

 何らかの関係はあるのかな。前回に続き、この回でもノレドと法皇を挨拶させているし。
 伏線というか、撒き餌というか、まあ何らかの設定を将来明かすための「準備」でしょうか。

 あとこのシーン、本来はベル、ノレド、ウィルミットの3人だけでいいはずなのに、ボディーガードっぽい男を立たせているんだよね。

 ここら辺が情報多いというか、芸の細かいところ。

 一言も発さないのに、「剣呑な男なんだろうな」と一発で分かるキャラデザもさすが。


 「(ノベルを)ベルリがキャピタル・ガードに入ったらプレゼントするつもりなんだけど…」

 ここまで言って、視線を床に落とすノレド。

 これはもう、ノレドは何かを感じ取っている描写なのかな。

 
 軽くケガをしているノレドの手を見たウィルミット、「とがめるといけない」。

 「とがめる」は埼玉方面の方言で、「化膿する」の意味らしいです。

 この時、ベルリが母親の愛情を感じて嬉しそうな表情をするのが印象的です。

 
 次のシーンで、戦艦メガ・ファウナが初登場。
 アメリア軍が宇宙進出のために建造した航宙艦で、海賊部隊の母艦として運用されています。

 そして3話の主人公、クリム・ニックくん(短くして、ニッくん)も初登場!
 ここで流れる・どこかユーモラスなBGM、ニッくん専用の音楽だといいなあ。

 「本国から来た」ってことは、つまり現在で言うと北米から戻ってきて、すぐに南米に出撃するってことですね。

 出撃時に描かれるMSと人物の大きさ対比、ここら辺は本当に富野作品は巧みです。
 これですね。
大きさ対比.JPG

 MSの大きさがなんとなーく分かります。

 さてここで、ニッくんとやり合う艦長のドニエル・トスから、気になる名前が出ます。

 「スルガン総監」

 アイーダの名前はアイーダ・スルガン…同じ姓、娘ですかね。

 
 あれ、これだけ書いたのに、本編まだ7分しか経ってない! スピード上げる。


 ノレドも結局、執務室に泊まりました。

 テーブル上には皿とコップが2組ずつあるから、ベルといっしょに食事を取って、ソファに寝た。
 ベルはどこに寝たのか…

 母親が息子のガールフレンドを、自宅ではないにしろ泊めるってのは特別な感情(大体は悪い感情)があるはずで、だからこそ「ベルリがどこに寝たのか」はしっかり描写して欲しかったと思います。
 

 シャンクに乗ってルシータの元へ行く2人。
 ノレド「あの女を見送った時、好きになったんだろ!」

 ここの寿さん、いいじゃん!

 
 アイーダが踊って登場する理由は、前回書きました。おかげさまで好評いただけたようで…

 しかし前回は囚人服、今回の服もなんだ…?

 姫様にふさわしい服は、いつ与えられるのか。


 次、ラライヤが抱きついて来た時の、ノレド「どした?! どした?」の言い方も好みです。
 いや今回の寿さん、かなり耳に残る。


 ニッくんが南米に向かうまでに、色んな動物が出てきます。

 『イデオン』を思い出す富野ファンもいるでしょうが、今回の方が意味を持っている、と思います。

 何故なら『イデオン』の時は単なる息抜き、それ以上の意味はありませんでした。
 でも今回の動物描写は、「宇宙世紀の疲弊を乗り越えて、自然がかなり回復している、生態系も大丈夫そうだ」というのが伝わってくるからです。

 おいおい、ここでやっとAパート終りか。

 Bパートはまず、キャピタル・アーミーへの参加募集のデカイ幕が目に付きますね。
 アーミー設立の準備が着々と進んでいることも、でも人材がまだ不足していることも分かるからです。

 続いてベルがノレドのお尻を触るシーン。

 残念ながらノレド、今のところだけれど脈ないねー。だってベルリ、「お尻を触っている」ことを全く意識していないんだもん。

 好きな女の子のを触っていたら、あの表情・動作ではないよ。


 それから、モンテーロvsレックスノー。
 やや膝を曲げた姿勢で、モーター音を響かせながら密林地帯を進む緑の機体(レックスノー)を見た時、「ガンダムにボトムズのATが」と思ったのはぼくだけか?

 
 カットシーがやられて、その閃光がG-セルフのコックピットにいるノレドとベルリを照らします。
 この時の作画に、太い・黒い効果線が入ります。

 この描写、アニメ内容のダイナミズムと相乗効果を生み出している気がして、ぼくは好きです。

 「アニメ(絵)を見ているな」って実感もあるし。
 この後の出撃時、朝日に照らされて影が強調されているG-セルフの「顔」もいい。


 デレンセンvsニッくん。

 この戦闘の合間に挟まる、ベルとアイーダのやり取りでしょ。特筆すべきは。

 右から左、上方から下方に向かって「離陸、上昇でしょ!」とベルリ。
 左から右、下方から上方に向かって「分かってますって!」とアイーダ。


 もう「『映像の原則』では」とかは書きません。

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 ただ、このシーンを描きたいがために、ベルを機体から落とそうとしてまでこの位置に立たせたのではないか、と考えてしまいました。

 しかもコックピット位置に立たせていたからこそ、この後ベルとケルベスを会話させることも出来るんだよね。
 ウマイよなあ。

 学生に「ランディング」「車輪、車輪」と促されるケルベスはどーよ、と思いますが…

 
 母親はルシータとの電話で、アメリアにはフォトン・バッテリーを供給しない罰を口にします。
 
 ま、ここら辺が、富野が「子どもに見せたい」ってところの1つでしょ。多分。現実とたやすくリンクさせられるから。

 
 一方、G―セルフはなぜかコックピット開けっ放しで飛行中。

 キャピタル・タワーに傷つけていないことを確認するアイーダのセリフに、ベルはちょっと不愉快な顔をします。
 「オマエラが仕掛けてきたのに、キレイごとを」ってことですよね。

 髪を整えるアイーダ様。可愛いよアイーダ。

  
 そしてリギルド・センチュリー時代の音姫ことハイフン・スタッカートを流しながら排便して終り、と。

 ぼく、女の子3人に囲まれて排便なんて出来ないよ…照れ屋さんだから、いっそのこと漏らしちゃった方が…


 人間は2つのタイプに分けられる。

 好きな女の子の前でも排便できる人間と、我慢したあげく漏らしてしまう最悪の結果を迎える人間だ。


 ぼくは後者ですね。


『Gのレコンギスタ』(Gレコ)4話感想・レビュー。コレ読んで、「Gーレコ分かんない」とはサヨナラだ!


 さて、関西圏では5話が放送された本日、Gレコ4話感想です。

 海賊のアジトに着いたベル。ちょっとクリム・ニック(ニッくん)に悪戯されつつも、G-セルフから降ります。

 ワイヤーを使ってG-セルフから降りてくるアイーダ。

 吉田健一さんは「アイーダが上から降りてくるアオリのカット、描いた。地味だけど難しいのよ。」とツイートなさっていましたが、いやいや、地味どころか・かなり目を引きますよ。

 最後のサービスカットより、こちらにエロティシズムを感じるはずですよ、アニメファンなら。たぶん。

 だって、女性が着替えているところは実際に見られる機会があるかもしれないけれど、巨乳の女の子が降下してくるのを真下から見られるなんて、アニメ特有のアングルでしょ。

 こ・れ・が。2次元ならではの。

 
 で、問題が次のシーンですよね。

 アイーダはベルをチラと一瞥してから、ドニエル艦長に泣き付きます。 ベルの「えっ」というような短い驚きの声も入る。

 ここねー。

 ぼくは最初、ベルに見せ付けるための嘘泣きかな、と思ったんだけれど。

 ただこの後、別なシーンでもアイーダ様は涙ぐむので、本当に泣いているんだろうね。

 泣き虫なんだよ、アイーダは。
 
 まあでも、ベルの前で泣いてやる、って意識は間違いなくあったと思う。

 で、謝るアイーダに対する艦長の言葉が。

 「自分の判断『も』甘かったのです。反省しています。アイーダ様をあてにしすぎました」

 これを素直に言うと、「俺も悪かったかもしれないけれど、カーヒルが甘かったね。アイーダ様も思ったほど役にたたないし」。
 ま、こんなところでしょう。「お辛いでしょう」とか言ってますけれど、内心はめんどくせーなとか、そんなものだと汲み取れます。

 
 続いてキャピタル・アーミーの式典です。

 ベッカー大尉がMSの手の上で演説しています。

 「あのクラウンでは地上監視用の長距離レーダーを運ばせて、第1ナットで使うことにした」

 誇らしげに言っていますが、これは実はナカナカのことです。

 そもそもキャピタル・タワーは宇宙から得た物資を地上に運ぶための存在、つまりは人類全体のために必要な施設なわけですが、それにキャピタル・アーミーは軍事的な意味を持たせようとしているわけです。

 ここでルイン先輩は、来賓席の動きに気をとられて、余所見をしています。
 この描写なー。

 この大事な流れを・余所見なんかしちゃって気にとめないから、マスクをかぶることになっちゃうんだよ、ってのは考えすぎかな。


 デレンセン出撃。聴衆が沢山います。

 ルインに近寄ってきて、しなだれかかりながら話しかけるマニィ。なんかマニィは、1話でぼくが想像していたキャラと違うな…

 
 キャピタル・タワーの運行長官ウィルミット(ベルの母親)と、調査部大佐クンパ・ルシータが会話。

 ウィルミットはどうも、法皇(あるいはスコード教)に忠実なようです。
 しかし、クンパ大佐の方が一枚上手。今回の出撃は、ベル達の救出であることを盾にします。

 前回、ザルみたいな警備+無抵抗でアイーダを逃がしたのは、もちろん策略です。G-セルフの場所を教えたのも、ベルをアイーダがいる場所に呼び出したのも、クンパ大佐だからね。

 軍を動かして、既成事実を作りたいがための策略です。

Gレコツイート1.png

 我ながら口が悪いなー。
 不可解に思った箇所でも、のちに分かる場合があります。
 
 この後のカットシーがエフラグ(ドダイみたいなやつ)に垂直に飛び乗るシーン、「おおっスゴイけど無駄な動き」っていうね。
 パフォーマンスですよね。

 明示されていないけれど、スコード教の教えもあるし、ひょっとしてキャピタル・テリトリィにおいてはこれが初めての「防衛ではない戦闘」じゃないだろうか。

 しかし疑問を持たず、養成学校の生徒達はみんな手を振ったりして見送ります。
 実はここ、見ようによると怖いシーンかも。


 一方次は、食事をしているベルとノレド。

 前回に続いて申し訳ないけれど、ノレドやっぱり乳あるな…貧乳ってのはぼくの思い込みか。

 新鮮な油を使っているから、食材は何か分からないけれどキレイな揚げ物。その丸い揚げ物を、ノレドは正しい箸の持ち方で、しっかり掴んでいます。

 富野ガンダムで、箸出たの初めてかも。


 ベルとドニエル艦長は、互いの情報を探ろうとしているので、会話になりません。
 別の視点で見ると、話に乗ったふりをして情報を引き出すことも出来ない、2人とも「尋問・会話誘導はヘタ」って結論になります。

 アイーダが入ってきて、ドニエルに「(今回の失態を)父には言わせませんから」と言います。

 最初の時もそうですが、この2人、どうにも芝居がかっています。つまり「気の置けない」間柄ではないってことです。

 その証拠が、この時のノレドの表情。
 ノレドはアイーダが嫌いだからだけではなく、三文芝居にしらけているから、あの表情なのです。


 アイーダ「この少年を、海賊の法律で裁きましょう!」

 一緒に見ていたカミさんは、「姫様は情緒不安定なのかな?」と言っていましたが。

 まあメンタルもちょっと不安だけれど(このままだったらぼく、ご高説を垂れながら海賊しているアイーダから→ノレドに転向しちゃうよ、転向派になっちゃうよ)。

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 ここで「海賊の法律で」と言い出したのは、もちろん意趣返しですよ。
 アイーダはキャピタルに捕まっている間、捕虜の正当な権利を要求して、「海賊なのでしょう?」といなされている訳ですから。
 2度も。

 ニッくん登場。ここら辺はいいでしょ。

 ただまあアレだよ、「最初の印象はサイアク」のラブコメパターンでいくと、ニッくんとノレドにフラグ立ったかも知れんで。
 頭の上にハートの旗が見えているかもよ。

 アイーダの回想スタート。
 背景が変わって、モノローグであること・時間の流れが主観的になることが提示されます。

 個人的に、4話で唯一のちょっとした不満は、この「背景変わってモノローグ描写」が3回もあることだなー(戦闘中のニッくんと、ベルの「3面同時!」)。
 ちょっと多くて・くどく感じました。

 ここで、1話の冒頭がもう1度流れるんだけれど、ちょっと古臭い・昔のフィルムに見えるような処理をしているよね。わざと画面に傷まで入れてる。
 この効果、どうやってしているんだろう。スタッフのどなたか、いずれムックとかで説明してくれないかな…

 回想シーン。
 思ったことは、
 
 「カーヒルとの思い出があんな初々しいものなら、この2人ヤッてないね」
 「その2人を見たニッくんの反応、アイーダに好意があるような素振りじゃね?」
 「特にカーヒルは視線を外しているので、ニッくんとの仲はよろしくない」

 くらいかな。

 また泣くアイーダ。4話までに4回泣いておる。泣き虫セシリアより泣き虫じゃね?


 Aパート終了。
 この記事書き始めてから1時間半経過。今午前3時。スピードアップ。

 Bパートスタート。

 カットシー部隊が進む洋上は快晴ですが・その奥、厚い雲の下は雨天になっています。
 その地方の天候を描写しているんだろうね。作画面倒くさそう。

 EDに出てくる金魚鉢が登場。

 ミノフスキー粒子散布、戦闘開始。

 艦長席には、戦闘機のノーズアートみたいな絵が一瞬見えます。
 ドニエル艦長の趣味かな…

 アダム・スミスってキャラの名前はスルーしましょうね。

 アルケインにパックパックが付いていなかったため、アイーダは支援に回ります。
 何もしていないって言うな! アルケインは長距離支援タイプだろうから、艦から援護を、援護を…

 敬礼して出発するベル。

 「あの子…」と呟くアイーダ。の後ろ、全天モニターから見える雲が、いいスピードで動いているんだよね。絵、動くなー。

 さて、ここで覚えておいて下さい。

 戦艦の移動に驚いているのでしょう、カモメが鳴きながら逃げています。
 ♪ハーバーライトが朝日に変わる~

 あ、今のいらねーな。後でこのカモメ、活きてきます。

 
 ニッくん「低空から来るのは、お見通しである!」

 皆さん、こういうキャラクターを何と言うか、ご存知ですね。

 
 そうです、「噛ませ犬」です。
 ニッくんもいずれ「ベルリ、俺はお前の噛ませ犬じゃない」と言い出すかもしれませんが。くだらない洒落はともかく、明らかにベルリを引き立てる役割です。

 自称天才に対し、飛び級している真の天才ベルリくんは「違う! エフラグで来るなら、上からだ!」

 対比により、ベルの読みの正確さが分かる、と。

 ベルはデレンセンに呼びかけますが、ミノフスキー粒子のせいで声が届きません。

 接触回線で会話できるようになりますが、そこにニッくんの邪魔が入ります。戦闘。

 顔だけ振り向いた、敵にトドメを刺すには珍しい構図でデレンセン、
 「チェストー!」

 あ、チェストの意味が分からない人は、ソフトバンクホークスのファンにでも聞いてください。

 カットシーのビームサーベルの刃は、ほとんど見えない! 

 これはおそらく、「秘密兵器」だからです。別に頁を設けて、後日書きます。


 ニッくん撤退。

 ベルはモンテーロのジャベリンをキャッチし、前回見たニッくんの技を真似ます。
 ジャベリンを回転させて、ミサイルを防ぐ!

 「戦うだけか!」とベルが叫んだ直後に。
 今は味方になっている海賊側のグリモアがカットシーを落とす(しかも背後から後頭部を撃ち抜く)のは、このセリフの無力さを表しているんだろう。

 カットシーに囲まれるG-セルフ。

 ベルリ「3面同時!」

 敵の機体は3体だけれど、攻撃は4方向。ビームサーベル×1、脚部のビームサーベル×2、ビームライフル×1。

 「スコードっ!」のかけ声と共に、G-セルフは不思議パワーを出します。
 ぼくはどうしても、トリトンの「オーリハールコーン」を連想してしまう…

 そして、ちょっと謎を解くヒントになりそうなのが、次のシーンです。

カモメ (640x480).jpg

 すぐそばにビームサーベルがあるのに、カモメは優雅に飛んでいるのです。
 野生の鳥も危機を察知できないほどの武器、って描写なのかな、と。

 デレンセンの「あのビームサーベルも何だっていうんだ!」は、これにかかっている、とも思うのですが。

 ただこの作品では「ビームサーベル」が特別な意味を持っているようなので、断言できません…

 それに、確かにカモメは優雅に飛んでいるのですが、近くではミサイルの爆発が起こっているので、激しい戦闘と優雅なカモメ、単なるコントラプンクトなのかなあ。

 
 ニッくんが言う「撤退の判断がいい指揮官は優れている」は、映画版か小説か忘れたけれど、『逆襲のシャア』でもアムロがレズンを評して言っているよね。

 G-セルフにまだ武装・性能がありそうなことがチョイ出しされて、さて次回。

 次はマスク登場。
 この楽しい物語世界、みんなで満喫しましょう。


『Gのレコンギスタ』(Gレコ)5話感想・レビュー。前半編。アイーダと操舵士の女性は何をやっているのか?(予想・女の恋人に慰めてもらっていた)

 ※DVD・Blu-rayで見た方はこの記事「?」でしょうが(いや当時から「当たっている」より花火を打ち上げる気持ちはあったのですが)、本放送バージョンでは該当シーンではもっとスリスリしていたのです。それがパッケージ版では修正されたのです…

 Gレコが始まる前に、「ブログを更新するのは放映直後にしようか、それとも自分の中で咀嚼してから記事にしようか」みたいなことをつらつらと書いたけれど、自分の根性のなさを忘れていた。

 速攻で記事アップなんて無理無理。
 今はまだBS放送から5日遅れくらいですんでいるけれど、その内2~3週遅れになるで。

 さて、5話です。関西圏では、もう今日6話放送だけれど…(コレ毎回書いているな)。


 冒頭、「アーミーカラー」に塗られているクラウン。

 チアガール達が「世界を守れ、キャピタル・アーミー!」とエルフ・ブルックの勇姿を称えています。

 あーあ。あっさりこの状態になっちゃったな。

 前々回の記事で、


 明示されていないけれど、スコード教の教えもあるし、ひょっとしてキャピタル・テリトリィにおいてはこれが初めての「防衛ではない戦闘」じゃないだろうか。
 しかし疑問を持たず、養成学校の生徒達はみんな手を振ったりして見送ります。
 実はここ、見ようによると怖いシーンかも。



 と書いたけれども、随分と「戦争」に近づいてしまいました。

 覚えているでしょうか?
 第4話でマニィは、
 「こんなアーミーになってたなんて知ってた?」、嫌悪感を浮かべた表情で「軍隊だって言うんだよ?」

 と言っていたのです。

 1話跨いでいることで・劇中の時間を少し飛ばしてはいますが、それでも短時間のうちに、彼ら・彼女達は戦争に疑問を持たなくなっています。

 だからこそ今後おそらく、海賊側にいるベルやノレドとは意思の疎通ができなくなるのでしょうが…

 まあここらへんはやはり、富野が数年前に何度も口にしていたハンナ・アーレントの影響で生まれた描写なのかな。


 「裁判でアーレントが見た(ブログ主注・ナチスの)アイヒマンは、怪物的な悪の権化ではけっしてなく、思考の欠如した官僚でした。」「ナチスによって行われた巨悪な犯罪が、悪魔のような人物ではなく、思考の欠如した人間によって担われた、と彼女は考えました。」

 ってことを表現している気がします。

 だからこそ、マスクには「短期間で精神的に強化された、強化人間みたいなもの」という設定を入れないで欲しかったんだけれど。
 「あんなに良かった先輩が、自然に・いつの間にか」って方が良かったなー。

 しかし、富野作品で「平和だった世界がいつの間にか戦争に向かっていく状況」を描いた中では、今回が一番空恐ろしさを感じられて好きです。

 もともと、富野は「状況」に主人公を放り込む手法をとっており、だからこそ初期の作品はほとんど「戦争状態」からスタートしていたわけですが。

 それが『F91』から変わり始めて、『∀』でしっかりと描かれました。

 でも今回のGレコが、一番良いと思います。
 非常にヘタクソな言い方ですが、人物が「変わっていないのに変わっている」からです。

 これは、マニィの功績大です。

 ちなみにマニィ達が「エルフ・ブルックーっ!」と言っている時に、後ろに帽子を目深にかぶった男がいるんだけれど、アイツただのモブかな? 扇動者というか、チアガールを動かしている奴じゃないのかな?

 
 さて、続いてクンパ・ルシータ大佐が登場。やはり食えない男です。

 高度なテクノロジー(MSの設計図?)が記された「ヘルメスの薔薇の設計図」の話を持ち出したジュガン・マインストロン(キャピタル・アーミィ司令官)に対しては、宗教のタブーと予算を出して牽制し、一方ウィルミットには(ウィルミットが来たら、ジュガンは目をそらす!)「あなたの息子救出のため」と押さえつける。

 つまりは、「軍隊は作りたい、しかし調査部の影響下に置く」狙いでしょう。

 場面は海賊側へ。

 神出鬼没なベル、はいいとして、「チュチュミィ」のたった一言でラライヤのキャラがキマッたなー。これは本当、一言のセリフが持つ力だよね。

 巨乳の金髪登場にムッとするノレド。金髪さんの名前がミック・ジャガーと似て蝶なのはスルーしよう。

 やきもちを焼くノレドは可愛い。いかん、またノレドの人気が出てしまう。アイーダ負けちゃうよ。

 それとぼく、Gレコの感想書くたびに「巨乳」って言葉を入れ込んでいる気がするな。イヤだな。ぼく上品な人間なのに…

 
 ベル、色々質問しているのは、敵情視察・スパイのつもりなんでしょう。

 そしてアイーダはベルから顔を逸らしっ放し。
 この2人、本当に距離が縮まるのか?

 
 メガファウナのブリッジで、カーヒルの作戦案を話し出すアイーダ。
 この時、操舵士の女性が、チラッとアイーダを見ています。

 チラ見.JPG
 
 「キャピタルタワーを占領する」ってカーヒルの作戦、占領はいいとして・その後どうするつもりだったんだ。

 さてニッくんがベルに腕を極められた後、今回の一番「?」なシーンがやってきます。
 アイーダと操舵士の女性が寄り添って、2回頭を付け合ったりするのです。

 一緒に見ていたカミさんも、「何の意味? これ」と疑問を持っていましたが。
 アイーダが去り際に、お尻触ろうとしているしね。


 富野は朝日新聞でのGレコに関するインタビューで、次のように話しています。


  「アニメ・コミック慣れしている人たちのセクシュアリティーに対する感度、感覚を、全否定する。言い換えれば全肯定する。ただ、バイセクシュアルとかそういうことを含めて、特別なことみたいには描かない。ごく普通に、さらっとやる。一切、作品の中で説明や解説めいたことはしない」


 まあ「さらっとじゃねーじゃん!」というツッコミはあるでしょうが。

 富野は『∀』でロランを女装させ、御曹司が同性愛者であることを暗示(でもないか)しました。

 そしてGレコでもチアガールの中に「男の娘」を登場させています。

 だから。
 もう1人くらい、性的マイノリティ・ひょっとしたらこの劇世界ではマイノリティじゃないのかもしれないけれど、そんなキャラが登場しても不思議ではないでしょう。

 で、上のキャプ画像です。

 好きな女が、好きな男の話をしているから、操舵士の女の子はアイーダを見てしまった。ってのはどうです?

 では、なぜアイーダが操舵士の横に行ったのか?


 これは簡単。

 にっくきベルがG-セルフに乗ることを艦長が了解して、自分も認めざるを得なかったので(その時のアイーダの表情!)、慰めてもらったんですよ、彼女に。

 アイーダが彼女を親友と思っているのか、それとも「女の恋人」と思っているのかは、「作品の中で説明や解説めいたことはしない」。

 ぼくの好みとしては、後者ですが。

 一応アイーダは女王様になる女なのに、同性とはいえお尻触ろうとしているんだからね。
 それもふざけている流れではなく。

 親密なんですよ。親友とは違う意味の。
 そう考えた方が自然。

 「同性愛カップルの2人」と見れば、あの描写、ちっとも違和感ないでしょ?

 少なくとも、操舵士の女性はアイーダに恋愛的好意を持っています。わざわざ描写しているあの視線の動きは、間違いないと思うなー。男性もイケるクチかは分からないけれど。

 アイーダの方は、ちょっと考えづらいけれど…カーヒルカーヒル言ってるからなー。

 まあ先方の好意を承知の上で、甘えているってセンはありそう。


 これで疑問はスッキリしていただけたでしょうか? 当然、ぼくなりの解釈ですが。

 ゆりゆらららも取り入れて、Gレコはますますにぎやかだ。


 さて、話はまだまだ続く。Aパートも終っていない。

 続きは次回に譲りましょう。

 読みたくなくても、読む!


 いや、読んで下さい。土下座。


『Gのレコンギスタ』(Gレコ)5話感想・レビュー。後半編。嶋村侑さんの演技に痺れるの巻。


 さて、5話の後半です。

 ベルのパイロットスーツ・首の部分に付いているウサギのマークに目がいきますね。

 あれを付けたのがノレドだったら、ますます株が上がってしまう。アイーダ派のぼくはいったい…

 偶然会い、見詰め合うアイーダとベル。アイーダの冷たい表情。
 無言でも心情は雄弁です。


 メガファウナの羽のような構造、面白いなー、ユニークだなーと思ったけれど、『リーンの翼』でもあったっけ? 忘れちゃった(愛情ねーな)。

 天才ニッくんに艦の防衛・要するに邪魔だから出てくるなと言われるアイーダ様。
 当然拗ねます。

 メカニックには対艦ライフルの使用を止められるアイーダ様。
 当然言うことを聞きません。

 その視線の先には、コアファイターとG-セルフのセンサー合わせを終えたベルリを捉えます。

 「人助けなどあてにしません!」

 怒った表情が、やっと可愛らしいと言えば可愛らしいシーンか。 「人助けなどあてにしません」って言葉、ちょっとヘンな気もするけれど…戦場だからね!

 上空から迫ってくる3機に、アイーダは「当たれ!」。

 しかし、視聴者には当たる気がしないはずです。

 敵は上空から来ているのに、射撃するアイーダの顔は正面を向いていて、白い効果線も縦ではなく横に流れているから。
 これ、わざとだよなー。

 
 マスク部隊、襲撃。1機と思っていたら、その後ろに複数。古(いにしえ)の戦法、ジェットストリームアタック。

 エルフ・ブルックが変形して、背景色が変わります。
 この演出、アブノーマルカラーって言うんだね

 前にも書いたけれど、個人的にはこの演出、1話につき1回でいいな…くどい。

 で、エルフ・ブルックの変形シーンで、ぼくは『Z』のアッシマー変形を思い出した。

 あの時クワトロさんは変形に驚いたけれど、天才ニッくんは「変形して武器なしでくるとはなぁ!」

 ニッくん余裕だ! 赤い彗星よりスゴイぞ!

 でもミサイルは打ち落とされ、ビームも中和されちゃったぞ?

 なんかこの戦い。
 ニッくんはまた苦戦に陥るし、マスクは決め台詞と共に放った拡散ビームが全くあらぬ方向に飛んでいるし、どうもどちらもイマイチ感が…

 一方、直撃できずにヒスるアイーダ様。『アリア』のギンジだったら、ヒスれば強くなるのにね。

緋弾のアリア 10 (MFコミックス アライブシリーズ)

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 艦長の命令も拒否するアイーダ。使いづれークルーだな。


 ベルが水の球を落とし、浸水しちゃうエルフ・ブルック。

 エルフ・ブルックの強度・機密性に問題があると見るべきか、それほどの威力で水が放出されたと考えるべきか。
 ※追加。コメント欄でご指摘あった通りですね。

 Gレコは、「兵器以外の武器を使う」ってのがテーマの1つなのかね?

 前回でもビームライフルを投げ捨てるシーンがあったし。というか初回からそうだったな…

 でも結局、別な力を使って・例えば謎の超パワーだったり水の珠だったりで敵を撃退するわけで、しかもやっぱり死人は出るわけだし、武器を使わずに戦おうとした瞬間から、矛盾が生まれるわけですよね。

 もちろん制作者側は、それを承知で描いているはずです。
 

 ベルはコアファイターをG-セルフにドッキングさせます。
 パイルダーオン、シュートイン、なんでもいい、子ども向けロボットアニメはやっぱり操縦席がロボットにドッキングだ。挿入するんだ! 男の子は挿入大好き。

 で、はさまっているハッパさん。

 このアイディア、富野は興奮気味に話したそうですが、「機体の外にしがみついている」と誤解した人もネット上では散見するような…

 キャノピーの外、広く言えばコックピットの中ですよね、ハッパさんがいる場所は。
 構造については、安田さん曰く、以下の通りです。


 監督の原案を見たとき、コックピットの中でコア・ファイターのキャノピーが開いているんですよ。これはクレイジーかと思っちゃったんですよ、残念ながら。でも後で考えると、G-セルフに収納されているときはキャノピーを開いてスペースを広くして、脱出するときに閉じればいいんだって意味がわかった。
 
  
 「一撃離脱! 45秒間なら飛べる!」

 このハッパさんの言葉を聞いた時、ファーストの。ガンダムがジャンプでマゼラトップを斬っていく戦法を思い出したのはぼくだけか?

 しかし今回は、同じ描写ではなかった。

 と、その前にベル、(モンテーロの頭を取られて、何が天才パイロットだ)と胸中で愚痴ります。
 でもコレ、アブノーマルカラーで処理する必要あったのかな…背景作画の省略なのかな。

 で、ジャンプした(アイーダ様いわく「飛んだ!」)G-セルフは、敵のビーム攻撃を防ぎ・さらにビームサーベルの刃を伸ばして、一撃でエルフ・ブルックを退けます。

 ここのビームサーベルの描写は、まあ別の回でもすでにあったけれど、「富野の理想とすべきビームサーベルの描写がやっとできたなー」という感じですね。
 斬る時だけ、ビームの刃が見える。

 ちなみにルイン…じゃない、マスクは「あのビーム、伸びたか? あんな性能、調査部のクンパ・ルシータ大佐からも聞いていない」と呟きます。

 ぼく、メカには全く興味がないのであやふやな知識だけれど、確かビームライフルよりサーベルの方が技術力必要なんだよね? ビームを一定の形状で固定しなければならないので。

 「出力を調整してビームサーベルの刃部分を短くしたり長くしたりする」ってのは過去作品で描写があるわけで、つまりこの世界は宇宙世紀より遥かに未来なのに、MSに関する技術は後退しているわけですね。

 さて。

 伝説の英雄、アムロ・レイは何度もガンダムをジャンプさせることで「飛び」、複数の上空の敵を殲滅しました。

 新生の天才、ベルリ・ゼナムは飛行ユニットがないのに大ジャンプで「飛び」、ワンチャンスで上空の新型機を退けました。

 形は違えど、2人とも主人公だ。

 そして陰の主役のナッパさん。コメディリリーフとして活躍しました。

 まあハッパさん危ないなーって気もするけれど、戦場だからホラ、戦艦にいても死ぬ時は死ぬから…特に今回の状況だと危険度はあまり変わらない気もするし。

 飛行ユニットがないのに飛んだベルに刺激されたのか、アイーダ様のアルケインもやっと滑空して、G-セルフをキャッチします。

 今回の裏ストーリーは、明らかに「うまくいかないアイーダ」を描くことにあるので、まあここが唯一プラスのシーンかなあ。アイーダ様にとっては。

 そして今回、一番シビれたのが、アイーダ様がベルにお礼を言うシーン。

 安彦さんが昔、「富野さんのキャラは腹芸をする、セリフと本音が違う」みたいなことを言っていたけれど、このシーンもその代表例みたいなものです。

 そしてこのシーンはやっぱりねー、嶋村さんですよ。シロウトのぼくが言うのもナンですが、素晴らしいのは。

 礼をしているのに、それが「仕事」として言っていることが、ちゃんと伝わってくる!
 誰だ、「声優にスキルっているの?」とか抜かした人間と、抜かした某金持ちにそんなバカな話を吹き込んだ元オタクは。

 アイーダ様は仕事として言っているんだ・女王として自分の気持ちを押し殺しているんだ、ってのが言葉から伝わってくるのは、ホントに「いやープロの声優だな、耳福(眼福みたいな感じ)だな」と思いましたよ。

 ここは、笑顔が張り付いたようなアイーダ様の表情作画も、素晴らしいのですが。

 最後のアイーダ様が泣くシーン、「余計、なくてもアイーダの気持ちが伝わる」または「やっぱりアイーダはこんな気持ちだったんだ」と思った人は、大勢いらっしゃると思います。

 その功績は「仮面(本当のマスクのことじゃないよ)をかぶっていることが視聴者に伝わる作画」と、「無理して言っていることが分かる嶋村さんの演技」、そしてこの直後のアイーダ様の表情にあると思います。

 まだ続く、嶋村さんの絶妙演技と卓越の絵。 
 ぼくオッサンだから、神演技とか神作画なんて言葉は使わないよ。今ここで使ったら、スゴイ楽だけれど…

 ベルリ「ぼくらだって死にたくありませんから。おあいこでしょ?」

 アイーダ 「おあいこ? そうですね…」
 そしてこの表情!
おあいこ?.JPG
 
 「そうですね」の部分が小声になり、ちょっと早口になるんですよね。

 早口にしないと、自分の気持ちがこぼれそうになるから。


 これはねー。ホントいい。
 
 アニメ好きで良かったなー、と実感できるシーン。こういう演技を聞けたり、言葉より雄弁な表情を絵で見たりできるから、アニメって見る価値あるよな。

 もちろんカーヒルを失ったアイーダにしてみれば、全然「おあいこ」じゃないんですよ。

 1・2話のアイーダ様なら、ここで感情を爆発させていたかもね。
 でも成長しているんです。

 ヒロイン、三日会わざれば刮目して見よ!
 
 このシーンが素晴らしいから、後の泣きながらの「自分の気持ちの説明」がいらないんじゃね? と思えちゃうんだよね。
 まあここら辺は、親切なんですよ、Gレコは。ニヤニヤ。

 ちなみに「泣きながら好きな男の名前を呟いて、それでも女王たらんとする」アイーダを見ていると、面白い髪型をした異世界の女王様を思い出しちゃうくらいには富野作品好き。

 この後、ベル、ノレド、ラライヤの3人がハンバーガーと野菜スティックなどを食べていますが、これ多分アレです、富野作品史上最もおいしそうな食事です。

 ハンバーガーを食べたベルは、指を舐めています。
 指を舐めるほどおいしそうな食事が、富野作品に出てくるなんてね! ハンバーガーだけれど… 


『Gのレコンギスタ』(Gレコ)6話感想・レビュー。カバは縄張り意識が強い。だから母子が断絶する予感。


 これまでは、時系列で追っていく方式で記事を書いていましたが、今回は気になったところをピックアップする方式にしたいと思います。
 同じ書き方では飽きるのでね。

 あ、視聴済みの方対象です。ネタバレありですよ。


 EDで示唆されていた通り、カーヒルに続いてデレンセンも、ベルに腕を組まれてどこか(っていうかあの世)へ連れて行かれた訳ですが。
 こう考えるとED、やっぱりいろいろイイよね。


 6話で最大の話題? 賛否両論? になったのは、まあG-セルフVSデレンセンのエルフ・ブル戦の、例のシーンですよね。

 おおまかな経緯と、「本来こうだったんじゃないか」ってのは、kaito2198さんの「『ガンダム Gのレコンギスタ』第6話「強敵、デレンセン!」の欠番カットについて」を読んでらもらえればOKとして。

 やっぱり分かりづらかったかなー。

 ぼくはエルフ・ブル、初見では「急に壊れている状態になっている」なんて思いもしないから、「変形したのか?」と思ったんだけれど。

 ただそれより問題に感じたのは、リンク先のOPと繋げた映像でも解決していないけれど、描写なしに両機の位置が変わっていることだよね。

 G-セルフ視点で書くと。
 最初に背後からエルフ・ブルのビームが飛んできて、それを吸収。だからベルリもコックピットの中で後ろを見る。

 こんな感じ。
 エルフ・ブル→Gセルフ。

 ところが次のシーンでは、

 Gセルフ→エルフ・ブル。

 これは、分からないよー。え? ってなっちゃった。

 ちょっとやっぱり、残念だったかな。


 あともう1つ分からないところ、これは完全にぼくの理解力の問題だけれど。
 デレンセン出撃時に、彼の行動を描くことでナットの内部構造を見せてくれたけれど、ぼくにはちょっと複雑でした…

 ファンブックかムックが出たら、構造載せてほしい。

 
 それと脇役で気になったのは、操舵士のステアですね。

 このキャラについては、「ひびのたわごと」さんが書いています

 力強い声が、操舵ってポジションと合っていて、はまっているよな。富野の言っていた面白い声の人、「傑出したバイプレイヤーが誕生する」って、ステアでビンゴかなー。
 
 コレがまた、ピッタリのセリフをあてがっているしね。

 「ファイヤ、ファイヤ、ファイヤ!」の声に合わせて、メガファウナの側面エンジンがボンッ、ボンッ、ボンッと同じリズムで火を噴く描写は、軽く震えてしまいました。

 ラスト近くの「ヨーソロー!」は、聞いた時におまえが舵をとれィ! って歌が脳裏をよぎるの俺だけかな。ファンじゃないけれど。オマエが決めろオマエが決めろ。
 あの13分以上 ある歌な

 あと、メガファウナのクルーからベルリ信頼されているなー。

 「あてにしているぞ、少年」
 「キャピタル・ガードのガキならできそうだけれど」
 「貴様の腕は了解だ」

 居場所を築きつつある…

 で、ですよ。

 ここまでの話題がアペリティフとアラカルト。これからがメイン。

 今回一番思ったことは、「母親のウィルミットとベルリ、断絶するかもな」って予兆を読み取ったこと。
 重い展開イヤだから、杞憂ならいいけれど。

 以前、唐沢俊一さんが「どんなロボットアニメでも、主人公達は戦争の中心にいて描かれている。それはガンダムでも例外ではない」みたいなことを書かれていたはずで。

 つまりは「戦争の行方に影響を及ぼせる位置に、主人公達はいる」「主人公達の行動が、物語中の戦いの行方を左右する」って指摘だったと思うんだけれど。

 まあ今はイボルブとかあるから、この指摘が全てに当てはまるとは思わないけれど、富野アニメには有効な指摘だよね(唐沢さんだからといって、毛嫌いしないように)。

 で、今回のGレコは、その傾向がさらに強い。

 ベルリが海賊側に行った・キャピタル側に言わせれば「連れさられた」ことが、戦局に大きく影響している。
 キャピタル側はまさにそれを口実に、武力を拡大しているわけだからね。

 アムロやカミーユ、ジュドーもウッソも、戦争の「重要な1つのピース」で、それぞれの戦争に大きな影響を与えた。でもやっぱり、必要だけれど、大きなジグソーパズルのピースの1つだ。

 でも今回の主人公・ベルは、ピースというより事態の中心にいる。彼を中心に、事態が動いているように見える。

 で、ベルリの行動からまともに影響を受けている1人が、母親のウィルミット・ゼナムです。

 今回の6話は、彼女の職場(と言っていいのか)での立場が、徐々に失われていることを繰り返し描いている。

 序盤。
 多数のカットシーを見て、「なんでこんなことになるんです」。

 自分の管轄であるはずのキャピタル・タワーに、軍隊が我が物顔で駐留している。
 それは軍隊への嫌悪というより、自分の権力が及ばない物があることへの忌避でしょう。

 だから、直後のジュガン(アーミィの司令官)へのセリフは、

 例えば「キャピタル・アーミィは何をやろうとしているのです」
 ではなく、
 「キャピタル・タワーで何をやろうとしているのです」になるんですよね。

 彼女は運行長官、タワーに関してはおそらく実務のトップでしょうから、自分の頭上で話が進んでいくのが我慢ならないのです。

 エルフ・ブルの発進を聞いて、ウィルミットは「はあ? 冗談でしょ!」と何処か・後から判明するけれどコントロール・ルームに走っていきます。

 で、デレンセンやベッカーと会話をします。

 「そちらのアンダーナットは、軍事基地になってしまっているじゃないですか」

 繰り返し書いておきます。
 これは、ウイルミットはハト派だとか、そんな問題ではありません。彼女にとってアーミィは、自分の場所であるタワーにいるのに、コントロールできない目障りな異物なのです。

 デレンセン「長官殿! ご子息は必ず取り返して見せますから!」

 そこに、ジュガンがモニターに現れます。「キャピタル・アーミィのやることに!」。音声が途切れます。

 アーミィってキャピタル・ガードがスライドして結成されているから、管轄どうなっているんだろうね?

 運行長官には口を出させない。でもあくまで「キャピタル・タワーの防衛」が名目なら、「キャミタル・テリトリィの軍隊」でもないのかな。首相のビルギーズはまだ姿見せないしね。
 
 もしそうなら、文民統制できてないじゃん。だからこそ、クンパ・ルシータは調査部が重石になろう、としている気配もあるけれど。

 画面に戻ります。
 音声オフになりますが、ウィルミットとジュガンは口論を続けています。
 
 で、結局ウィルミットは負けます。「デレンセン大尉、よろしくお願い致します」。

 敗北です。完全な敗北。

 さて、そこで、ですよ。

 「地球の財産」であるキャピタル・タワーの運行長官にまで上り詰めた女性が、自分の息子を口実に職権を侵害され、地位が有名無実化し始めている。
 状況は勝手に進んでいる。

 この時、ウィルミットが「母親」よりキャリアウーマンとしての自分を優先させたら、息子をどう思うか?

 飛び級するほどの自慢の息子だったのに、今は息子を盾に・クンパにもジュガンにも押し切られている。

 ここでぼくが思い出すのは、「ウィルの性格を表すために必須」だという、運行長官の部屋に飾られていた「カバの頭の剥製」です。

 カバは気性が非常に荒く、縄張り意識が強い動物だそうです

 縄張り意識が強い。

 ウィルミットは、ベルリの手の傷を心配したことがありましたね。「とがめるといけない」なんて方言まで使わせた、印象深いシーンです。

 『Vガンダム』を見ている方は、思い出してください。

 カテジナさんも最初は優しいお姉さんで、ウッソに「怖い人にだけはならいないでね」とか言っていたんですよ。

 もちろんウィルミットが、カテ公ほどおかしくなちゃうとは思わないけれど、母子の関係は断絶するかもね。

 ベルはベルで「母さんは、キャピタル・アーミィのことを知らなすぎです!」なんて言っている。

 母親はアーミィの現状なんか承知で、でもオマエが海賊側にいるから・強硬派に抗せないんだよ。

 「とがめるといけない」なんて母親の優しさを見せたの、前フリの気がするんだよなあ。悲劇への。


 あと、デザート気分で・いくつかを短く。

 艦長のドニエル、ひょっとして艦長としての技量は低いんじゃね? 
 彼のメインの仕事は、アイーダのお目付け役ではなかろうか。


 デレンセンの最後の言葉、「ベルリ生徒か…」は良かった。
 彼はアーミィに所属していても、心根はガードの教官だった、ってことだよね。


 ニッくんの「私には、無駄死にというチョイスはないんだ!」
 名セリフだな。
 後々の伏線にならなきゃいいけれど…

 そして大気圏突入するG-セルフが火の鳥に包まれて!
 おそらく富野にとって最後のTVシリーズ、手塚へのオマージュを表現したと邪推していいでしょうか! 富野さん。

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 さて最後。

 ついに、アイーダ様がベルリを気遣った。

 ベルリが知人を殺したことを、悟っていますね、アイーダ様は。まあもとはキャピタルの生徒なんだから。

 横目でベルの表情を見るアイーダ様。
 その後、部屋まで様子を見に来ます。

 彼女は勿論、大切な人間を失った悲しみを知っています。
 しかもベルは、自分で殺したのです。

 アイーダにはその悲しみが理解できる。だから、ベルを気遣うこともできる。

 皮肉なことに。人の死が、2人の距離を少しだけ縮めたのでした。


『Gのレコンギスタ』(Gレコ)をより楽しむための極めて簡易なテクスト① マスク先輩はこれまでのマスクキャラと違い、そして富野監督の分身である


 さて、それでは講座を始めましょう。わずか10分もかからずに読み終えて、よりGレコを楽しめる話です。

 富野アニメには、これまでにもマスクキャラが登場してきました。
 その系譜を羅列して見ましょう。


 プリンス・シャーキン(悪魔の王子)

 シャア・アズナブル(ジオン・ダイクンの忘れ形見)

 バーン・バニングス(騎士団長。「私は騎士の出のはずだー!」)

 鉄仮面(クロスボーン・バンガード総帥の娘婿)

 バロン・マクシミリアン(元ノヴィス・ノア艦長)
 

 これ、皆さん社会的…まあシャーキンの社会的地位ってなんだ、って話もありますが、ある程度の地位を持っている人物が、何かの理由で仮面を付けている訳です。

 加藤典洋さんは『言語表現法講義』の中で、 村上龍さんの『トパーズ』を評して次のように書いています。219ページからですね。

 
 この小説は一九八八年に刊行されたのですが、それまで、日本の小説というと、主人公がある穴ぼこのなかにいる、いわば「うらみつらみ」のネクラの小説か、何もそういうものはなくて平地に逆にこんもりと山を築く「こういうことをすると気分がいい」ネアカの小説か、どちらかでした。言ってみれば、中国人に間違われて怒るのはよくない、という小説か、アメリカ人に間違われてうれしかった、という小説かの、どちらかだったのです。そして、そこで小説は、この穴を埋め、また山を築く「砂」にあたっていて、穴を埋める砂は「中国人に間違われて怒るのはよくない」というルサンチマン型の青い砂、山を築く砂は「アメリカ人に間違われてうれしい」というプラス添加型のピンクの砂でした。
 ところが、この『トパーズ』では、この穴ぼこのなかに、ピンクの砂がつまっているのです。


 えー、いかがですか。

 ぼくは、この見方をもっと簡素化させて、アニメや漫画にも適用させています。

 つまり「砂の色」はひとまず横に置いて、穴ぼこにいるタイプは「喪失と回復」、山を築くタイプは「上昇」として作品全体やキャラクターを見ているんですね。

 例えば何年もの間、この「喪失と回復」を見事に繰り返していたのは『NARUTO』です。『ドラゴンボール』は「上昇」タイプですね。

 富野作品も、生み出されるキャラクターも、まあ「喪失」のタイプです。

 そして初期作品のシャーキンはともかく、これまでの仮面キャラは、素顔を隠すことで高い所から下の場所に移動・喪失したか、あるいは高い場所のままに居続けた・喪失状態を継続していた訳です。

 こうですね。

キャスバル


シャア→→

カロッゾ→→鉄仮面
アノーア→→バロン

バーン



黒騎士(いずれ再び↑を目指す)


 彼ら、彼女らは、元々それなりの地位にいたのが、マスクを付けて横滑りになるか、下がっていったわけですね。

 少し口幅ったいですが、「仮面」は「失ったもの」の象徴です。

 逆に言うと、シャアやバーンが仮面を取る時は、つまり望みが達成した時、です。
 ザビ家を打倒したら、ショウを倒したら、彼らはマスクが必要なくなる訳ですね。

 鉄仮面が「失ったもの」は「弱い心」であり、バロンは息子であるため、彼・彼女達が仮面を外すのは、状況が許しませんが…

 ところがGレコのマスク大尉はこうです。





マスク(上に行くぞ)


 ルインはもともと上昇志向が強かったキャラクターなのですが、彼は「何かを失って」マスクを付けた訳ではありません。
 あえて言えばクンタラの生まれであること、つまりはオリジン、あ、安彦ガンダムのことではないですよ。原罪です。

 生まれた時から失っている、ということは言えなくもありません。

 でもルインは、下からのスタートで、仮面を付けることで上を目指すんですよ。これは富野作品に今までいなかったキャラクターです。

 そもそも、コレは誤解を招くかもしれませんが、富野監督の視点が「下層」に向くというのは、非常に珍しいことです。

 富野作品って、基本的には「選ばれた人間達」の物語なんですよ。
 これは富野監督が大河劇を描いている以上、言い換えればある世界の歴史を描いている以上、どうしようもない特性でもあるのですが。

 勿論、ゲストやモブレベルでは、色々な人物が出てきます。ミハルとかね。ククルス・ドアンとか。

 でもやっぱり、天才やニュータイプ、聖戦士、革命を起こす戦士、国を代表する人物達の物語なんです。
 ガンダムで言えばカイやランバ・ラル、ハヤトも、普通の人間じゃないんですよ。彼らは歴史の中心にいる人達なんですよ。

 富野監督の視点が上に向いている、ってのはですね。
 
 これはまあ、例えばインテリゲンチャの大島渚が最下層の人物達を撮り続けたのと、逆のことだと思います。他にも例えばイマヘイの『赤い殺意』は、小林信彦さんが「監督が東北地方の底辺の女に固執するのは、<エリートの底辺趣味>ではないかという気きもする」と指摘していますが。

 富野監督はこの逆です。監督はよく、「勉強できなかった」と言っていますが、その思いが視線を上に向かせているのだろうと推察しています。

 だから今回、「クンタラ」という最下層の人物を設定して、さらにそのルインに仮面を付けさせて、上を目指そうとさせるのは、新しい視点でビックリしました。

 このビックリは、「ここまで、ルインに自分を素直に投影させるのか」のビックリです。

 ファンの方には周知の事実でしょう。富野監督は「アニメ業界は社会的地位が低かった」と再三言っています。

 実例として資料を提示しましょう。

 2009年のゲーム開発者のためのイベント「CEDEC」
 「私はずっと、映画業界の中では“最下層”と呼ばれたアニメーション映画の世界で仕事をしながら、いつか現在の自分のような立場に立てるようにずっと努力してきた」

 同じ年のSIGGRAPH Asia 2009
 「それでも、ここしかないと思うなら、それを信じてコツコツやるしかない。テレビアニメを始めたとき、それは最下層の職業だった。30年,40年生きられるだなんて、思っていなかった」

 週刊大衆の2012年1月9・16日号インタビュー
 「僕自身にとっては、テレビアニメの仕事は、いってしまえば最下層の仕事だったわけです。それでも、コツコツまめにやっていれば、なんとかなった」 

 ちょっと時代が前後しますが、電撃PLAYSTATIONの2007年9月14日号付録
 「昔のアニメにおいてロボットものは最下層のジャンルで、今現在も「サザエさん」や「ドラえもん」に勝てるロボットアニメは存在しません。でも、廃れることもなければ、なくなることもない」

 随分と「最下層」と言っていますね。枚挙に暇はありません。他にも探せば、いくらでもあると思います。

 インフェリオリティーコンプレックス、劣等感ですよねコレは。それをバネにして、富野監督は日本アニメを代表する監督にまでなったわけですね。

 あ、話が少し逸れますが、インフェリオリティーコンプレックスをコンプレックスと言うのは、非常に良くない略し方ですね。シュペリオリティーコンプレックスはどう略すんだ?
 こんな略し方が蔓延するから、攻殻機動隊SAC放映時に「スタンドアローンの劣等感…?」などとあらぬ方向に向かう人が出てきてしまうんですね。

 話を戻しましょう。

 クンタラという最下層の人達を設定した時、そしてルインというキャラを生み出した時に、富野監督が彼を意図的に自分の分身としたかは分かりません。

 しかし意識的・無意識に関わらず、ルインは富野監督本人が強く投影されたキャラクターになりました。
 下の立場から、自分のいる場所で頑張って上に行こうとする姿勢は、富野監督そのままです。

 第7話「マスク部隊の強襲」で、「キャピタルタワーを支配するまでになる」に違和感を持った人は多いと思います。

 かく言う私も、「え、クンタラへの差別をなくすだけじゃなく、そこまでいっちゃうの?」と思いました。

 しかしマスク=富野監督と考えている今なら、あのセリフは不思議でもなんでもありません。「アニメ界くらいではトップになる」なんて、いかにも言いそうではありませんか?

 インタビューなどで富野監督のパーソナリティーを把握している人は、むしろしっくりくるのではないでしょうか。

 こう考えると、マスク大尉に愛着が沸いてきませんか?


 さてここからは余談です。

 では、そのマスクを毎回打ち負かす天才くんは、誰とダブるだろうか?
 
 コケティッシュな雰囲気のあるバララ・ペオールは、チョキとして見ることはできないか?


 優れた作品は、多様な視点から楽しめますね。

 今日の講義はここまでです。ご清聴ありがとうございました。


『Gレコ』話題の10話で感じた特色。漫画でコメディーだ!


 さて、今回の記事は。
 今更感ありますが、荒木さんコンテ・演出で話題になった10話についてです。

 の前に。

 ご存知の方もいると思いますが、亜手さん(@ate507)による労苦の結晶を、微力ながら紹介しておきます。

 亜手さんは『Gレコ』1~3話の、放送版とソフト版の違いをまとめました。

 ソフト版第1話変更箇所まとめ

 ソフト版第2話変更箇所まとめ

 ソフト版第3話変更箇所まとめ


 変更点、多いな…

 変更意図が分かるところから、ぼくなどには理由不明の箇所まで、様々ですね。

 1話で、ノレドがラライヤを2度見する変更は嬉しい。なにせ、母親役を務めることになるんだからな、この後。

 シャンクのライトの光は随分気にしたみたいですね。2話ではそこ関連が全部修正入っている。

 あと、3話放映時に1部の人が指摘していた、先行上映版にはあって・放映時には消えていたクラウンが復活したところね。
 ぼくはもちろん、放映時に気付かなかったけれど。

 あそこ、印象深かった人もいるようで、ぼくのフォロー数を絞っているTL上でも、確か「クラウンなくなった」って呟いていた方が2~3人いたはず。

 このまとめ、興味深いのでファンの方は必見です。


 さて、10話の話題にいきましょう。

 15話まで見終えた今から振り返ると、冒頭から「おっ」と思う箇所があります。
 以下の会話。

クンパ「(前略)あなたは法皇を人質に、海賊船でザンクト・ポルトに上がるつもりになったのでしょう?」

グシオン「想像のしすぎです」

 15話まで見終えた現在から言うと、想像のしすぎじゃなかった。「海賊船」ではなかったけれど。


 「宇宙から落ちてきた」というだけで、キャピタルから身柄を要求されるラライヤ。理不尽ラライヤ。

 この前からケルベスさんが仲間になって、いよいよ各陣営の複雑さが増してきます。

 まあ『Z』で、「同じ地球連邦なのにエゥーゴとティターンズに分かれていて、さらにシロッコやハマーンがいて分かりづらい」との批判があったくらいですからね。

 その点、『Gレコ』はさらに今後入り乱れるので、ここは批判が集まるところかもね。
 10話以降の話になるけれど、正直ぼくも・もうちょっとスッキリさせてくれ、とは思わないでもありません。各陣営が一枚岩じゃないのは当たり前、ってのも分かるけれども。

 さて次のシーン。
 MSの手の平の上で、演説をする首相のビルギーズ・シバ。

 しかし演説の途中でシバが乗っているMSの手が下がり、変わってタカ派のベッカーが「上がってくる」訳ですから、ここの意味は明白です。
 軍は完全に政治のコントロールから離れている、と。

 ここら辺は直接的、分かりやすすぎるくらいです。

 「男の娘」に見初められるMS・ウーシァ(あのシーン、それともベッカーに狙いをつけたのか?)

 ケルベスに「お礼のステップ」をする姫。
 ベルリ「お礼ができる人だったんだ…!」

 会話の中では、メガファウナは宇宙に上がれる、宇宙からの脅威、など今後の展開の伏線も出てきます。
 
 もし『Gレコ』の会話を批判するなら、「繋がってない」「意味分からない」程度ではなく、せめて「説明的過ぎる」「伏線が露骨」くらいにはしてほしいものだね。ニヤニヤ。

 さてここで、高トルクパックが登場します。

 公式HPには、「高機動・近接戦闘用のバックパック」とあります。キャピタル・アーミィが建造したものです。
 10話.png

 車のトルクと同じ意味だと考えると、加速力が強まるバックパックってことですね。

 ダッシュ力があるということなので。
 まあだから、本来なら平原とか砂漠とか、遮蔽物のない地形でこそ本領を発揮するバックパックだと思います。

 劇中に入り込んで言うなら、「密林地帯での戦闘が想定されるのに、高トルクパック付けるハッパさん大丈夫?」となるし、

 「引いて」言うなら、「この場面設定で、高トルクパックの性能・戦闘をああ見せてくれたのはスゴイな」となるわけです。

 『ビートマガジン』1月号の富野×荒木さん対談で、荒木さんが


 (富野からの演出オーダーは)「沢山ありました。具体的なところで言えば、劇空間を芝居の都合で平らにしたり、広くしたりしないということです。例えば、木が立っていてそれが芝居を見せる上で邪魔だったとしても、それを利用した形での芝居作りを心掛けるというか、演出家の都合で舞台を平たんにしないように言われたことが印象に残っています」


 と語っていましたが、この「木が立っていて」が実例なら、この戦闘シーンのことじゃないかなあ。
 「見せ方」としても、高トルクパックと密林地帯って相性悪かったと思います。それをあそこまで楽しく…


 この後、出撃前のウーシァが、ジュガンの喝で「コケる」シーンがあります。背後からライトを当てている構図も面白かったのですが…

 実はこの10話、ぼくが「今までの富野作品の中でベスト回ではなかろうか」と思える点があります。
 それが今回の記事のタイトルにした「特色」の1つ目。

 それは、えーと。
 「笑える」まではいかないけれど、最後のワニに襲われそうになるベッカーのシーンといい、今までで一番コメディーシーンで「にやけられる」な、という点です。

 富野作品では例えばダイターンやザブングルがコメディー寄りの作品だとは思うんだけれど、じゃあニヤニヤできましたか、と聞かれると・少なくともぼくにはできなかった。

 富野はかつてコメディーシーンについて、次のように語っています。

 
 「やっぱり喜劇の真骨頂と言ったら、チャップリンのようなね、シリアスにやってるんだけどユーモラスで笑えるものですよ。ユーモアとかギャグは、シリアスがベースにないとできない、絶対に笑えないはずなんです」(『ザンボット3・ダイターン3大全』106ページより) 


 この言葉は『Gレコ』全体に通用するけれど、この10話は特に際立っているな、と思います。

 その要因が富野脚本なのか・荒木さんのコンテ及び演出なのか、ぼくには分かりません。が、もちろんどちらの要素もあってでしょうが、荒木さんの要因が大きければ良いな、とは思っています。

 新しいスタッフの力でさらに富野作品の魅力が増すって素晴らしいじゃないですか。

 
 で、もう1つ。

 もはや光源が不明な逆行の中で手を結び・腕を上げるキャピタル・ガードのMSや、
 落とされるアルケインを見て「ハッパさーん!」と叫びながら振り返るベルリ(効果線あり!)や、
 ネットでも話題になっていたドラゴンボールのような戦闘シーンなど。

 ぼくはどうも、上記のシーンにはアニメというより、漫画の文脈を感じるんですよね。

 ありもしない「原作漫画」のコマを忠実にアニメ化した感じがするんですよ、見ていて。
 ドドーンとかズバッとか(ダサイな)、オノマトペが脳裏に浮かんでくるほどなんですよ。

 それが、ぼくにとっての大きな「10話の特色」の2つ目です。

 あの「ドラゴンボール」な戦闘シーンとか、ホントに漫画の息吹を感じるんだよな。あれだけ動いているのに。もちろん、悪く言っている訳じゃないよ。
 むしろ、あの外連味は好き。多少のリアリティーを犠牲にしていいと思っているくらいだから、ぼくは。

 例えばさー。

 その前に、アルケインは対艦ライフルが木に引っ掛かって、捕まっちゃうでしょ。

 その時には「密林の狭さ」ってリアリティを出しているのに、その後のGセルフは木々の存在なんかないように、高速で動くんだよね。高トルクパックはちゃんと木の上を飛んでいるけれど。

 そのリアリティの飛ばし方って、連続して動くアニメーションっていうより・コマで区切ることができる漫画の文法のように思えるんだよなー。

 これ、共感されないか?

 まあいいや。コメディーに関しては、共感していただける富野ファンもいらっしゃるのでは。



 さて、本編であと気になった箇所は。


 ベッカー達出撃時の、チアガール「海賊船をやっつけろー!」は、相変わらず怖いところです。

 やっつける、って敵を殺すってことなんだけれど、それを明るく言わせちゃうところが、『Gレコ』の怖いところなんだよね。

 この「怖さ」は今後、主人公のベルリにも伝染します。

 
 あと、アイーダさまファンは今回も楽しむことが出来ます。

 さっきも少し書いた通り。
 アルケインが対艦ライフルを持っている=支援用なのは、「アイーダを最前線に立たせたくない」という父親の意図がこもっているはずなのですが。

 姫はでかい対艦ライフルを持って、密林地帯に入っちゃうから!

 敵に襲われエアバックが出て、またブサイクな顔になるわけですが、それでも可愛いよアイーダさま。

 
 あと、『Gレコ』で頻出する演出、背景色が変わるアブノーマル・カラーね。
 今回はいつもと色合いが違った・明るかったですね。これも目新しかったです。

 
 ベルの「恋を知ったんだ、誰が死ぬものか!」は、印象深いセリフですね。さらっと(ハッパさんに)告白。

 でもその恋、インセスト・タブーかもしれないけれどね! 
 あと、まあロボットアニメのお約束で言えば、「むしろ死んじゃうかも」って気がしますから、ちょっとメタ的な面白さもある。モエラー!
 

 最後、感動的な音楽のもと、アルケインを背負って「母だって許してくれる帰る場所=メガファウナ」に帰艦するGセルフ。
 この描写は、2人の関係をそのまま表しています。言うまでもなく。

 ベルリはアイーダを背負うように、サポートして今後の冒険を続けるわけです。

 今回の10話は、前評判に違わぬ内容で、とても楽しめました。


ベルリは辛かったり嘘をつく時・つまりは自分の感情を押し殺す時に、目を閉じるっぽい。


 どうも。昨日の日中に引き続き更新。連日更新は珍しい、ぼくにとっては。

 あのー。
 第16話、「ベルリの戦争」。ベルとアイーダさまの出生が判明する、大事な回で。

 ベルリがこの表情をしますよね。

1.JPG
「なんかの冗談…じゃないみたい」

 目を閉じている表情。ぼく、この絵を見て、「ゴルゴ13の女性キャラって、笑った時にこの目になることがあるよなー」と思ったのですが。

 いや、それはどうでもいいんだけれど。
 

 この回ではもう1度、目を閉じます。コレですね。
2.JPG
「ベルリは、人殺しの汚名をかぶることになったんですよ」

 上のシーンは、好きな女性が姉だったと判明するシーンであり、下はその女性に「恋人を殺された」と指をさしてまで言われる場面ですね。

 弟の感情は汲まないね、姫…

 「キャラが目を閉じている絵」には、場面によって色んな意味があると思うんですけれど。

 ベルの場合は。

 上記のシーンでは、好きな女性が姉であれば当然動揺するし、「恋人を殺された」って言われれば「オマエを助けるためだろ」と反論したいわけですが、ベルは自分の感情を押し殺しているわけですよね。
 
 で、今日、第20話「フレームのある宇宙」を見たのですが。
 またこの「目」が出てきた。

3.JPG
「姉さんが心配してくれるなんて」

 アイーダさまに完全に弟扱いされ、まあアイーダはベルの気持ちを察した上でワザとやってんじゃねーの? って気がしないでもないのですが、ともかく「弟」として接されて、この目をしたわけです。

 ノレドやマニィは「ベルは受け入れている」と思っているようですが、ベルはコックピットの中では1人「姉だなんて!」と運命に文句を言っているわけで、全然消化し切れてないと思うんですよね。

 つまり、アイーダを「姉さん」と呼ぶのはかなり意識的に・無理して呼んでいるわけで、自分の心には嘘をついて…は言い過ぎでも、努力して呼んでいるわけです。

 だから、この「目」になる、目を閉じているのではと。

 ベルが目を閉じている時は、嘘をついたり、自分の感情を殺している時の・作画上のサインだと考えているのですが、どうでしょうね?

 特に、まあカーヒルを殺したことを責められている表情は通常の作画だとしても、「笑顔で目を閉じている」時は、この説当たっているんじゃないかなと思うのですが。

 ちなみにどちらの回も、キャラ作監は柴田淳さん(ついついジーパン・松田優作を連想してしまう世代)。

 全く詳しくないけれど、柴田さんの絵の特長なんだろうか。またはGレコに参加するのに際して、意図的にやっているのか。
 それともぼくのうがち過ぎかな…


『Gのレコンギスタ』(Gレコ)をより楽しむための極めて簡易なテクスト② 『Gレコ』の男女関係は、原則さえ分かればスッキリ見える


 さっそく講座を始めましょう。わずか10分もかからずに読み終えて、よりGレコを楽しめる話です。

 Gレコには、何組かの男女ペアが登場しますね。

 その中で、クリムとミック。マスクとバララ。さらに最近出てきたマッシュナーとロックパイ。

 このペアは、「女が男をおだてて動かす」という点では、共通しています。
 参考文献としては、こちらの「女いろいろ万華鏡」をお読み下さい。

 さて、ここでですね。
 彼・彼女らの関係性を、「恋愛」という視点で見ると、ちょっとややこしくなる場合があります。

 えー、バララはマスクのことが好きなのか? とか、マッシュナーは単にロックパイをたらしこんでいるだけではないか? とか、男はバカだから鼻の下を伸ばしているけれど、女性の心情が良く分からない、という点もあるわけです。

 もちろん、キャラのここら辺の心情を忖度するのも、ファンの楽しみの1つです。

 しかしですね、中には「コイツラはカップルなのか?」「関係性がよく分からねーよ」と不満に思う方もいらっしゃるかもしれません。

 そんな方々に、女性キャラの行動の意味がスッキリと把握できる、「原則」をお伝えいたします。

 これは映像全般の原則ではありません、「富野監督が考える男女関係の原則」です。

 キャラの恋愛感情は取りあえず横に置いておき、この原則をメガネにして男女ペアを見ると、理解しやすいかと思います。

 では、答えを伝えましょう。ちょっと長いですが、答え部分を富野監督の著書『「ガンダム」の家族論』87-88ページから引用します。


「ガンダム」の家族論 (ワニブックスPLUS新書)

「ガンダム」の家族論 (ワニブックスPLUS新書)

  • 作者: 富野 由悠季
  • 出版社/メーカー: ワニブックス
  • 発売日: 2011/04/15
  • メディア: 新書





 (熱帯雨林地方の民俗・集落のドキュメンタリー番組を見て)
 番組を見てまず印象に残ったのは、とにかく村の男たちが働かないということ。ほんとうにどうしようもないときだけ最低限働いて、あとはごろごろと時間を過ごしている。

 原始時代も、きっとこのようなかたちで人間は暮らしていたのだろう。

 原始時代、人間のグループが女中心となっていたのは容易に想像がつく。人間のような子育てに手間のかかる動物の場合、母子の関係が深いから当然といえる。そこは母性だけでできた世界だ。

 その場合、男はどこにいたのだろうか。

 きっと女が種付け用に自分たちの近くで放し飼いしている存在だったのだろう。村を維持するために子供が必要になった時にだけ、「ちょっと手伝って」と呼ばれて、子供を産むために協力させられていたのではないだろうか。ドキュメンタリーで男たちがいざというときまでなかなか働かなかったように。それが男の最も原始的な姿であったろう。

 そして、そんなある時、女たちは男をもっと有効に使うことを考えた。

 なにしろ男たちはたまに働くか、種付けの時しか役になっていないのだ。そこで女たちが子育てで忙しい代わりに、となりの集落との交渉事などを任せるようにしたのだ。

 男はバカな生き物だ。女たちのおだてに乗せられて、しっかりととなりの集落に行って、とにもかくにも交渉事をまとめたのだろう。もしかすると中には、交渉ついでにとなりの集落の女に手を出す男もいたかもしれない。

 やがて女どもは「そうか、政治・外交を男どもにやらせれば、私たちは一番大事な子育てに集中できる」と考えるようになった。そこでさらに、女たちは男たちが守るものとして「血統」や「家系」というような概念を創作してあてがい、白黒をつけてルールを守らせる役目を男たちに任せていった。そこで生まれたのが父性なのだ。
 


 以上です。これが、富野監督が考える母性・父性であり、その上でかつて生まれた男女関係の考察です。

 この考えを先の男女ペアに当てはめると、スッキリと捉えられませんか。

 女性は恋愛感情より先に、
 いやその人物が「自分の男になるかもしれない」候補であるほど働かせたいし、「仲間・部下として役にたってほしい」と思っても、やっぱり働かせるんですよ。

 富野監督の中では、それが「当たり前」の女性の役割なんです。

 唯一違うのは、Gレコの女性キャラは子育てせずに、自分達も戦っているところですが。
 でも、自分がおだてて動かないような男では、将来その男と子どもを設けることもできない、と考えるのが今回の富野監督が描く女性キャラなんです。また、部下や同僚としても、男はそそのかして働かせる存在なんです。

 バララやミックがパートナーを愛してようがいまいが、結論は同じです。
 「そそのかして働かせる」んです。

 もう1つ、この「見方」を適用すると、違う意味が生じる場面を紹介しましょう。

 第14話の「宇宙、モビルスーツ戦」で、アイーダがベルリをおだてて、戦わせようとするシーンがあるでしょう?

 ベルリはそのアイーダの言葉に、「おだてには乗りません…!」と拒否するそぶりを見せます。

 しかし同席していたノレドが、「男をやれって言われてんだろ、 嬉しがってやりな!」とダメ押しします。

 ノレドの恋心を考慮すると、ちょっと複雑になりかねないシーンです。
 が、上記の「原則」で見ると、ノレドの行動は非常に分かりやすくなりませんか?

 ノレドがそれこそベルリを自分の男だと考えているなら、女に尻を叩かれているのに拒否するような男は、父性が育っていない・「使えない男」なんですよ。

 だからストレートに、「男をやれって言われてんだろ、 嬉しがってやりな!」と言うわけです。

 このセリフは、Gレコ世界における男女関係を明確に示しています。
 女におだてられているのに、動かないのは「男じゃない」んですよ。男はまんまと調子に乗って、働いてこそ「ナンボ」なのです。

 ここで気になることが1つ。
 じゃあ、「男をやる気にさせる立場を得られない女性」はどうするか、どうなるか?

 それはマニィの行動がいずれ、教えてくれることでしょう。


 いかがでしたか。理解の一助になれば幸いです。

 今日の講義はここまでです。ご清聴ありがとうございました。


Gレコが(再び)面白くなってきた。


 どうも。お久しぶりです。

 Gレコ感想がしばらく空いてしまったのは、仕事が忙しかったりインフルエンザにかかって寝込んでしまったりと色々あるのですが、正直、「Gレコどうだろう?」って思っていたのも要因の1つです。

 もちろんゴミ掃除とか面白いエピソードはあったけれども、展開が速くて・ややダイジェスト版を見ているような錯覚に陥る。
 あと、どうしても思ってしまうのは、もう少しキャラクターの感情のうねりみたいなものが見たい。特にベルの。

 そんなちょっとスッキリしない気持ちもあって。
 無理してブログ記事を書くことはしないようにしているので、放置していました。

 もちろんアレですよ、お金を頂ければどうしようもないアニメも褒めちぎりますし、その逆もしますが。仕事くれ。
 ブログは、趣味なのでね。

 でも。
 再び「おっ、Gレコいいぞ」と思った…と言うか、驚く描写が第20話「フレームのある宇宙」で出てきました。

 「人間爆弾」という単語が出てきた時です。

 えっ、今更?! 富野、人間爆弾なんて『キングゲイナー』でその案を出してきたスタッフに「もうこういうのはいい!」って怒ったんだよね?

 いや、本当は「主人公たちが旅をしてると、道いっぱいに首だけ出した人間が埋められていて、その人達が『哀れな俺たちを踏まないでくれ』と一斉に大合唱する」案だったんですけれど。

 なんか人間爆弾って単語を聞いた時に、「ぼくと言えば人間爆弾でしょ」的な・ちょっとしたファン向けのサービス精神を勝手に感じちゃいました。

 今更富野が本気で人間爆弾をやる気なんてないわけで、だから当然「花が咲く」みたいなオチが用意されていたわけだし。
 
 そこで敢えて「人間爆弾」なんて言葉を使ったのは。
 なんかGレコって、集大成と言うか、まあファンサービス旺盛だよな、と感じた次第で。

 他にも、15話で「ニュータイプ」って言葉が出てきたのは、視聴者サービスだったとレコンラジオ7話で話がありました。

 また、序盤で良く出てきた動物の描写もね。ぼくは『ガンダム』や『イデオン』を思い出していたけれど、同じくレコンラジオの8話で、富野はファーストガンダムを意識して入れているだろうと小杉Pが言っていたし。もっともこの描写には、地球が復活してきた明示の意味もあるけれども。

 さらにさあ、ひびのたわごとさんが指摘していたように、以前自分が「漫画でこんな難しい単語出すなよ!」と言っていた「ムタチオン」なんて使ったり。
 この言葉を脚本に書いた時、絶対に手塚=『来るべき世界』が頭にあったと思うんだよね。

 そんなところまで含めて、ファンサービス旺盛だし・全部ブチ込んでいるなって気がしたんだよね。


 あともう1つビックリしたのが、200歳って年齢のキャラクターが出てきたことだよね。

 冷凍睡眠していた月の女王を除けば、少なくとも映像の富野ガンダムでは、人の寿命内でみんな死んでいた・生きていたわけじゃない? それが共通ルール、設定だったよね。

 それが突然、200歳なんて常識を超えたキャラが登場するなんて…

 そして、立派に見えるけれど、中身の体はああだったわけじゃない?
 最初は20センチくらいの人で、着ぐるみを操っている設定だったらしいけれど。日本を舞台にしたハリウッド映画で、なんか似たようなの見たぞ…

 でさあ。あのー。

 あの体については、一瞬見せるだけで説明なしに終るでしょ。
 でも、200歳なんてこれまでの世界観に反するような設定を作ってまでも、あのキャラをああいう体で見せたかったわけですよ。

 ぼくのネットまわりの富野好きの人達は明言しないようにしているから、なぜなら面倒くせーバカが沸いてくるから、なのでぼくも書かないけれども。

 フォトン・バッテリーが何を示していて、ヘルメス財団が何を象徴しているかと考えれば、まあラ・グーは人ではなく現実にある某会社の象徴と考えればね、ぼくはスッキリ納得できました。あの設定の意味が。ヘルメス財団とイコールでしょ、たぶん。
 こうまでして富野、描きたかったんだな、と。


 最後にもう1つ、久々に「コレだよコレ!」と思ったのは。

 マニィとノレドの会話。

 記憶だけで書くから細かい違いあったらスミマセンだけれど、

ノレド「(操縦を)あのマスクから教わったの?」

マニィ「まさか」


 ああ、こういう芝居ホントいいよなあ。何が「まさか」だよ。
 教えてもらっていたんだよ。

 マニィは親友にも嘘をつく程だから、この後にマスクの元へ直行するのも理解できるし、バララがアッサリとマスクを諦めるのも腑に落ちる。
 バララも、マニィがマスクからMSの操縦を教わっていた、特別な女だと前々から分かっていたから、2人から目を逸らすあの運動? しているシーンに繋がるわけですよね。


 こういう、「一筋縄ではいかない」芝居を見たかったんだよなー。

 Gレコもあと4話。
 盛り上がってまいりました。

 あと1か月弱、楽しもうね。

「一所懸命」自分のもとに帰って来たマニィに、マスクを外せなかったマスクはホントに不甲斐ない男だと思わない?


 さて、関西圏の人達はすでに23話「ニュータイプの音」を見ている訳で、関東組も今日深夜には見られるのですが…
 BS組のぼくは、土曜深夜まで待たなければなりませぬ。

 そんな訳で、23話を見てしまう前に、もういっちょ22話の感想を。ラストシーンですよ。

 MSを操縦できるようになり、オマケにMSを入手して、マスクの元へ戻るマニィ。その顔はまるで満艦飾マコちゃんだ!(その前に「満艦飾!」って台詞もあるし…)


Febri (フェブリ) Vol.21

Febri (フェブリ) Vol.21

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 一迅社
  • 発売日: 2014/02/10
  • メディア: 雑誌



 コックピットの中で、マニィは喜びをにじませながら叫びます。

 「ルイン! ルイン・リー!」

 味方だと識別してもらうために、光信号を入力します。

 ところが、マスクか自分の名前を入力すればいいものを、ルイン・リーと入力するマニィ。恋は盲目、人の目を濁らせるのか。

 いやいや、マニィの頭の中は「ルイン・リーの元に帰って来た」ことで一杯なのでしょう。
 だからこそ、「マスクー! 光信号を読んで下さい!」の台詞も、マスクではなくルインと呼んで欲しかったんだけれど…

 光信号の意味を解したマスクは 「あの機体、圧倒的な味方となります」と言います。

 マスク=ルインと知っているのはマニィだけのはずで、つまり光信号の主はマニィと分かったはずです。
 が、マスクは「あのパイロットは味方です」と「人」を主題にするのではなく、「あの機体、圧倒的な味方となります」とメカを中心にします。

 ここら辺、2人のズレだよなー。

 この回はベルリママの反応もそうなんだけれど、地球圏にいて「受け入れる」立場の人の再会時の反応が、帰って来たキャラが望んでいるそれとは違うんだよね。
 もっともマニィは、そんなマスクの反応なんて知る由もありませんが…

 バララが(おそらくわざと)ヘルメットをマスクの方に流して、近寄ってきます。

 バララの質問に対し、「フルムーンシップの存在を知れば信じるさ」とマスクは答えます。

 次のシーンですよ!

 バララはマスクが持っていた自身のヘルメットを取り、「すいません」
 マスクは「あ?」

 たった一言なのに、急に距離ができる中原麻衣さんも、すごくバカっぽい・女心を理解していない佐藤さんの演技も、本当に素晴らしい。

 ぼくまた、「声優にスキルいるの?」って言った成金を揶揄する?

 いや、もういいや。「すいません」「あ?」はホントに巧みで、何回も聞き返しちゃったよ。
 気付かなかった人は、是非もう1度聞いてみては? 声優ってすごい。

 で、ここ、もう1ついいのがさー。

 マスクの顔がすごくヌケている。口をポカンと空けていて。
 当然わざと口を空けている以外にも、顔がちょっといつもと違っていて。作画が乱れているのか、わざとなのか、絵心のないぼくには分からないけれど。

 まあでも、良い効果になっています。

 この後、マスクは機体に近づいて、「凄いものだ…」

 オマエ、中に入っているパイロットのことを気にしろよ!
 

 そして、マニィがコックピットから姿を現します。

 「一人なのか?!」

 「いっしょけんめい練習しましたから、一人です!」

 この台詞さー。あやひーさん、「う」を言ってないよね。
 つまり「一生懸命」ではなくて、「一所懸命」って言ったんですよ、マニィは。

 そうに違いない。そう思い込んで話を進めます。違っても知らん。

 「一所懸命」と「一生懸命」について、放送文化研究所のHPでは次のように説明しています


 「一所懸命」[イッショケンメイ]は、「昔、武士が賜った『一か所』の領地を命がけで守り、それを生活の頼りにして生きたこと」に由来したことばです。これが「物事を命がけでやる」という意味に転じて、文字のほうも「一生懸命」[イッショーケンメイ]とも書かれるようになりました。今では、「一所懸命」よりも「一生懸命」と表記・表現される場合が多くなっています。
 多くの辞書が今も両方を見出し語として載せていますが、新聞社や雑誌社では、外部からの寄稿などを除いて「一生懸命」に統一しているところが多いようです。放送でも「一生懸命」を使っています。
 

 メガファウナにいても、結局はルインの元へ戻ったマニィ。
 そのマニィには、「一生懸命」よりも・一か所の領地を守って生活の頼りにしている「一所懸命」の方が、ピッタリだと思いませんか。

 一所懸命なんです、マニィは。

 彼女は自分の命を危険にさらしてまで、マスクではなくルインの名前で光信号を打ったんだよ。
 マスクではなく、ルインの元に戻って来たんだよ。

 だったらさー。

 「先輩! ルイン・リー!」と歓喜して飛び込んでくる女の子を、マスクを外して・ルインとして受け止めてやれよ。

 なんでマスク付けっぱなしで、マスクとして抱きしめているんだオマエは。

 シャアのように素顔を隠さねばならぬ理由もなし、外せ外せそんなもの。
 女と抱擁したって、周囲は誰も見てなかっただろ。マスク外しても誰も注目しないかもよ。

 いや、ちょっと人目が気になっても、外せ!

 涙を流すマニィに対して、マスクで表情を伺えないマスクは(ややこしいな)、ちょっと不釣り合いに感じたんだよね。ぼくは。

 まあこのシーンはアレですよ。

 チャップリンの『街の灯』のラストシーンと同じ。チャップリンの正体が盲目だった少女にも分かって、ハッピーエンドに見えるシーン。



 でも某映画評論家によると(もったいぶっているのではなく、誰か忘れちゃった)花の位置が非常に画面的に不安定で。2人の将来が安泰ではないことも暗示できるような、視聴者に一抹の不安を抱かせる「花の位置」なんだって。

 素直に涙を流しているマニィと、マスクを付けたままのマスクを見た時、この『街の灯』の解説を思い出してしまったんだよなあ。

 幸せになれよ、マニィ。MSに乗ってはしゃぐなよ。


 蛇足。

 アイーダ様は、想像していたより達者な包丁使いだった。

 家庭的な女王様なのだ!


『Gのレコンギスタ』(Gレコ)のマスクは、トム・リプリーにもシャルルにもならなかった。


 さて、Gレコが最終回を迎えました。

 ラストから数話は、物語世界に引き込まれっぱなしでした。
 ブログのネタはたくさん。書きたいことが色々ある。意欲はある。気力はない。

 全体的な感想としては。これ、同好の士から反感買うかもしれないけれども。

 富野ファンのぼくとしては大満足、でも他人に薦めることはしない、です。

 どうしても、ぼくの目からすると「富野監督の集大成」って要素が上積みされるし。それにイデオン以降、やっぱり富野作品には納豆とかくさや的な要素があるじゃない? 好きな人にはたまらない味だけれど、的な。

 Gレコにもやっぱりその要素はあるので、お薦めはしません。ぼくとオマエは味の好みが違うからね。

 あ、ファーストよもう1度的な「ぼくのGれこ」を考えた人はホラ、ORIGINあるから。おめでとう。
 ちなみにぼくも劇場でORIGIN見ました。ズブの素人の感想ですが、「安彦さんの絵をアニメでここまで再現するのは・もの凄いことなのではないだろうか」と思いました。

 あと。『Gレコ』の感想はもちろん人それぞれですが。
 例えば、

 ノレドはこれからどうなるんだよ、とか
 ベルとアイーダは結局姉妹なのか・違うのか、とか
 各陣営は今後どうしていくのか、とか

 「何も結末が提示されていないじゃないか!」との批判には、「どうしてそんなに答えを求めるんだ、テストでもあるまいし」と思います。
 粋じゃないね。まあベルとアイーダに関しては、ぼくも本当は答えが知りたくてかなり痩せ我慢していますが…
 
 
 さて。ココからが本番。

 マスクをつけた当初はネタにされていた感もあるルイン先輩ですが、ラスト数話で俄然主役の座に躍り出てきました。

 その原因は詰まるところ・マニィとの関係改善であり、そしてベルリと戦う理由が「俺は恵まれていない、奴は恵まれている」点にあったと思います。

 そりゃ生まれも育ちも良くて特進の天才よりは、生まれがクンタラで何とかその劣等感を埋めようとするけれど・いつもその天才に邪魔される人間の方に感情移入しやすいよね。

 「恵まれない主人公(もうマスクを主人公にしちゃった)の側に、全ての面で恵まれた人物がいる」ってのは、富野アニメはともかく、映画では何本かの傑作を生み出しています。

 で、それらの映画の主人公は、運命に抵抗を試みても結局は破滅的な最期を迎えるわけですよ。

 ぼくが真っ先に思いつくのが、アラン・ドロンの『太陽がいっぱい』=トム・リプリーですね。

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 そしてもう1作、もっと「恵まれた者と・恵まれていない者」の差が徹底的なのが、シャブロルの『いとこ同士』です。


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 あらすじはWiki から


 田舎で母親に育てられたシャルル(ジェラール・ブラン)は大学で法学を学ぶため、パリに住む従兄のポール(ジャン=クロード・ブリアリ)のアパルトマンに移り住む。
 ポールは女たらしの遊び人であり、アパルトマンに訪れた女が彼の子供を身ごもったことを話すと、ポールは女に金をわたし、中絶を命じて追い払う。
 パリ見物に誘われたシャルルは、とあるクラブで出会った美女フローランス(ジュリエット・メニエル)に恋をする。翌日行われたパーティーでシャルルはフローランスと心を通わせることになる。さらにその翌日、シャルルはフローランスとデートの約束を取り付けるが、互いに時間を取り違えてしまう。
 フローランスはポールのアパルトマンでシャルルを待つうちに、ポールに生真面目なシャルルとの恋は上手くはずがないと説得され、電撃的にポールに惹かれてしまう。シャルルが帰宅すると、フローランスとポールは同棲を始めることにしたと話す。


 Wiki ではここまでだけれど、女を奪われたシャルルは勉学に打ち込みます。が、学校の試験には落ちてしまう。でも遊びっぱなしのポールは合格するんだよね。

 そして…ってことなんだけれど、シャルルはただポールより劣っているだけで、どんどん不幸になって最期は最悪の結末を迎えるんですよね。大瀧詠一の曲とは逆ですよ。

 ぼくはこの2作を見ているので、マスクも最悪の結末を迎えるだろうな、と思っていました。終盤はキャラクターがバタバタ死んでいたし。

 ところが、ですよ。

 彼は真のパートナーとしてのマニィを得て、大気圏を突破し、ベルと対決しても生き残り、ラストではマニィと新しい人生を始めた。

 これは正直ビックリすると同時に、安堵感も覚えました。
 
 レコンラジオ最終回によると富野監督は今回、「『皆殺しの富野』にはならないように」と留意していたそうです。その割には随分と死にましたが…
 もしこの方針がなければ、マスクは死んでいたかもしれません。

 でもマスクは生き残りました。

 これで良かったと思います。
 自分の生まれや境遇や才能に負けて、その結論としての破滅・死は、生きる甲斐がなさすぎるじゃないですか。

 『太陽がいっぱい』のトム・リプリーは欲と嫉妬に負けて、殺人を犯し、しかし露見しました。
 『いとこ同士』のシャルルは全ての面で勝る従兄に打ちのめされ、しかしその従兄を殺すことにすら失敗して生涯を終えました。

 でも、マスクは。ベルに勝つことは出来なくても、生き残りました。世界を回って、しかも隣にはマニィがいます。

 『Gレコ』という作品には、この結末・というか「これから」が相応しいのではないでしょうか。
 
 なにせ『Gレコ』は元気のG! なのですから。簡単に死んでたまるか。 


富野作品において『Gの閃光』ほど、本編の印象を支えたEDはないのでは?


 今回はED『Gの閃光』の話を。

 まあ富野(井荻麟)作詞の歌といえば、スゴく頑張っている方がいらっしゃるのでアレなんですが。アレってなんだ。

 気が引ける。

 いや、ぼくが書きたいのは作詞の内容ではなくて、存在感というか、Gレコ視聴の印象に『Gの閃光』が与えた影響についてですよ。

 『Gの閃光』ほど、視聴者の印象を支えたEDは無かったんじゃないでしょうか、富野作品の中で。

 EDって、まあ富野作品以外のアニメでもそうだと思うんだけれど、作品の世界観の補強だったり、ちょっと余韻を残す役割だったり、だと思うんですよね。
 あと最近ではキャラを立てるための、つまりはキャラソンだったり。

 富野作品のEDではおそらく、ファンからは『コスモスに君と』『乾いた大地』なんかが評価高いと思うのですが。
 ぼくも作品感が良く出ていて好きです。

 でも『Gの閃光』って、もうちょっとこう、ガッツリと作品の中心に噛みこんで来ている印象ありません?

 例えば、ちょっと「この回どうだろう?」って思ったり、何か暗い方向に話が流れたり、もっと言えばキャラが死んじゃったり、「うわあ各陣営が混ざって分からなくなってきたぞ」となっても(監督が単純と言っても、「単純」に考えても3陣営×2はある)、

 本編終った後に『Gの閃光』が流れて、みんなラインダンスしたら。あ、デレンセンとカーヒルはちょっといないけれど。
 『Gの閃光』が始まったら。


 元気のGで、つかめプライドで、つかめサクセスで。


 言葉悪いけれど、本編のイメージがちょっと誤魔化されるというかね。もしEDが他の曲だったら、Gレコの印象も評判もガラリと(悪い方に)違っていたかもしれない。

 でも『Gの閃光』聞くと、ポジティブになるし、作品全体の印象すら変えている。

 縁の下の力持ち、ではなくてもっと顔出して、作品を支えていると思うんだよね。敢えて言うと、「EDのくせに」。
 作品の中央で、「エイヤッ」と全体を支えているんですよ。ぼくの中の『Gの閃光』は。

 さらに歌っているハセガワさんが、もともと仮歌だけの予定だった、と知っていると。 
 つかめプライド、つかめサクセスって歌っちゃうとさあ。

 それは心に響くじゃない、当然。もともとの力に、プラスアルファがあるじゃない。

 この歌が本当にそんな歌詞を実現させちゃうかも、いや実現しろって応援したくなるでしょ。

 だから何かもう、アニメ本編も歌手も巻きこんでホントいい歌だと思うのよ、『Gの閃光』。


 前に、アニメ紅白歌合戦的な番組で。
 福山さんがキンゲ歌うと、MCさんも出演者もみんなモンキーダンスしていたのが印象深かったけれど。確か女性MCは喜屋武さんだったかな。

 今回、Gレコではイベントでも打ち上げでもラインダンスなさったようで。

 でも、『Gの閃光』はEDだよ! こんなに盛り上がって1つになって元気になれるEDは稀有なのでは。

 「元気のG」ってかなり印象の強い言葉だと思う。
 その理由って公式サイトに掲載された富野直筆のコメントもあるけれど、やっぱりこの歌の力が大きいでしょう。
 
 だって冷静に考えたら、よく意味分からないでしょ? 「元気のG」って。頭文字? そしてGのレコンギスタ~だよ。何だよレコン「ギ」スタ。

 でもOK。

 ガンダムは「ニュータイプ」、∀は「黒歴史」って言葉を生みだした。

 一般までは広がらないけれど…ファンにとっては、Gレコには「元気のG」があるんだ!

 ツイッター上では今、デレンセンやカーヒルを加えたラインダンスの創作絵が回ってきている。

 そうさせたくなるのは、あの絵・演出もいいけれど、歌の力が大きいと思います。

 ぼくもこんな文章書いちゃっている。社会人なのに。おっさんなのに。しかも文章書く仕事しているっていうのに。

 みんなを動かす。『Gの閃光』。

 元気のGだ!


『Gのレコンギスタ』(Gレコ)24話感想・レビュー。シリアスの中にユーモアある描写が紛れ込む絶妙な回。


 さて。本当は「ベルリは天才ゆえに周囲の人を不幸にさせる」(主にマスク)って記事を書きたいんだけれど、これには他作品のエグザンプルを示さないと説得力が生まれなくて。
 でもぼくには映画『アマデウス』くらいしか思い浮かばなくて。

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 ハチクロとか読んでいたら、関連付けて記事にできたかしら。誰か書いてくれ。

 さて、24話について・どうして書きたかったかと言うと。
 シリアスとユーモラスな部分が同居している、職人技の腕をコレデモカと見せ付ける回だなあ、と思ったもので。

 まず冒頭、バララが衆目の前でマニィを褒めて、しかし耳元では「私はいっぱい良い思いをさせてもらったから、大事にするんだよ」と囁くところが、もう「うわっ」っとなるじゃないですか。

 しかもこのシーン、クン・スーンはバララをちょっと睨み付けているんだよね。自分達のMSを無視して・マニィの活躍だけを褒めるのが気に食わないのか、それとも女の言葉の裏を読んでいるのか。

 そしてユグドラシルに搭乗したら、「あの小娘をなぐり飛ばして、マスクに嫌われるのもイヤだが、何もできない女だと思われるのはもっとイヤだ!」ですよ、バララ。もう女って分からない。

 この複雑さに富野好きは震えちゃうんです。簡単に心情や内面を説明できる人間(キャラ)なんて存在するか!

 一方、マスクとマニィは軽くイチャつく。
 
 マニィは「ベルリと友達になってください!」とマスクにお願いします。それなのに次回では、ベルを殺そうとするんですよ。女って分からない!

 マスクは「ベルは権力者になる」と仲直りを拒否します。
 偏見だなーとも思いますが、でもマスクの立場からすると・キャピタルタワーの運営長官の息子とアメリア軍総監の娘が結びついているって、脅威ではあるんですよね。

 で、ここで例の。カバカーリーとユグドラシルの追いかけっこ? ですよ。

 「しつこい」と思った方もいるでしょうが。ぼくも少し思ったけれど。
 でも8秒ほどの描写なんですよね、アレ。

 おそらく他の様々な描写が圧縮されているため、「え、ここでこんなに尺を使うの?」感が生まれるのだと思います。

 まあユーモラスな場面ですよ。

 マスクとベルリの和解の芽が無くなった緊張する場面の後に、このシーン。
 緊張と緩和なんでしょ、「お笑い」の秘訣は。よく知らんけれど。

 でさー。この次、あえて書くまでもないんだけれど。

 ユグドラシルの進行先にカシーバ・ミコシの絵が入ってきて、逆にカバカーリーは薄くなっていく、この場面変換の繋ぎはホント自然に見ちゃうけれど、すごいよな。テクだよなー。

 カシーバ・ミコシの中ではノレドが法皇様に金星の様子を話している。やはり「ナグ」同士。設定はどうした。

 この後はクリムとミックの新MSや、月勢力の様子、アメリア軍の思惑などがギュウギュウに詰められて語られる。

 勿論その中でも。
 もうツバメ(マルC・平塚雷鳥)のことしか考えていないマッシュナーとか、ミック「サラマンドラには、耐熱フィルムのコーティングをしてもらいましたから」などの伏線がしっかり張られている。法皇様がないがしろにされているのも、短い描写で分かる。

 また、クンパが「戦争をしたがる地球人というのは、腐りきっている」と心の中で呟きますが、「オマエは戦争を望んでいたんだろ!」とツッコミたくなります。

 クンパ、アーミィ「僕らが求めた戦争だ!」
 ジット一団「戦争を知らない子供たち

 
 場面がメガファウナ側へ。

 顔のパックをしているステア。コックピットで大きなおにぎりを食べているラライヤ(口はしにご飯つぶ付けている!)。
 この回、ここらへんの「息抜き」描写が絶妙なんだよね。

 そしてアルケインがフルドレス装備。
 話跳んじゃうけれど、もう先に言っちゃう。

 このさー。「ドレス」を付けた機体で、アイーダは父親の死を目撃しちゃうわけじゃない?

 スルガンの立場からすると、「ドレスを身にまとった娘を前に」死ぬんだよね。

 安いドラマかもしれないけれど、好きよ。そういうの。
 恥ずかしがらずに書いちゃうと、鋼鉄のウエディングドレスを着た娘が傍にいて、死ぬにしても・総監少しは良かったよね、って。

 姫様もこの後、「フルドレスって、眩しいんだから!」って言うし。娘が眩しい花嫁姿になったんだから。

 さて話を戻して、メガファウナ勢の出撃前。

 ベルリ「長距離からの狙撃なんて、パイロットを殺すだけですから」

 これを今後、バララがするわけです。

 そして。
 アイーダさまからついに、ベルリへお許しの言葉が出ます。



 カーヒル大尉のことは、もう、あなた「は」忘れていいわ。 
 
 
 くう。さすが姫様。「カーヒル大尉のことは、忘れていいわ」とは言わない。

 まあベルも元気なフリしただけかもしれないけれど、この後2人で見合って微笑むシーンもあるし、ここが完全な和解の描写なのかな。

 メガファウナ艦内、ステアはなんで自分の髪の毛の匂い嗅いでいるんだ? 癖? 長いことシャワー浴びれてないのかな。

 で、ユグドラシルの樹木ビームによる大量虐殺が始まります。

 この戦闘シーン、富野ガンダムで「ビームが破られます」なんてセリフを聞くとはね。笑っちゃったよ。パリーン。

 この次々と人が死んでいく戦闘シーンにおいても、ラライヤにおいてかれちゃうリンゴくんなんて、和めるシーンを一瞬挟んでいる。
 こういうところです、この回が好きな理由。

 ユグドラシルに突っ込むアルケイン。姫様のバイザーに、テンダービームが写り込んでいる! この描き込み、痺れるね。

 で、ユグドラシル撃墜。
 脱出ポッドが排出されたけれど、爆発に巻き込まれたので・バララは死んだものだと思っていたら。

 富野がインタビューで、「24話でバララを生き延びさせているのは」とか言っているし。

 ええええ。じゃあアレン・ブレディも生きていると思っていいですか?

 あとさー。

 ユグドラシルが爆発を始めた状態になってから、アイーダパパが死ぬって、なんかこう、どうみんな? 意地悪いよね。この描写。
 戦闘真っ盛りの時に殺してあげればいいのに。

 しかもアイーダさまは「お父様は本当に停戦を信じていた…」って泣くんだよ。

 いやいや、お父様は艦隊戦の指示出しているし。長期的には騙し討ちする気だったよ? 

 なんだコレ。人間が分かり合えるなんて幻想だ! 親子の間でさえ。

 しかしこの回、シリアス一辺倒になっていなくて、本当に好みの回です。


Gレコは「ロードムービー」ではなかったな、ぼくにとっては。ではロードムービー感あふれるロボットアニメ3選は。


 今日はいつも以上に、「ぼくにとっては」って話になりますよ。


 放映直前に、富野はGレコについて次のように語っていました。

 「これ(ブログ主注・宇宙エレベーターのこと)は一種の交通手段なんです。そして交通手段にするためには、目的地に何かがなければいけない。つまりこれはロードムービーなんだということに気付いたんです」。(映画.com ニュース2014年8月23日より

 「これはコンテをやって初めて気がついたんだけど、『G-レコ』ってロードピクチャーなんですよ。地球から月、そして金星へと主人公たちがほぼ一直線に旅をして帰ってくる物語。ただのロードピクチャーだからこそ楽しくつくらなければいけない」。( 月刊ニュータイプ2014年9月号

 で、実はロードムービー(ピクチャーでもいいんだけれど)には、厳密には定義って無いようなんだよね。
 面白いんだよ、「ロードムービー」をネット上の辞書で調べると。以下、列記。


【デジタル大辞泉】
 主人公が旅を続けるなかで変貌し、自分を発見するという筋立ての映画。
 
【大辞林 第三版】
 主人公が作中で旅や放浪をしながら,さまざまな出来事に遭遇したり変化していくさまを描いた映画。

【日本大百科全書(ニッポニカ)】
 主人公が自宅や故郷を離れ、各地を旅しながら、旅の過程で成長や変貌(へんぼう)を遂げていく映画。陸路による移動が物語展開の基線をなすが、こうした物語形式の源には、『オデュッセイア』など、西欧の古代叙事詩がある。陸路をいくプロットは映画初期から採用されていたが、確固たるジャンルとして認識され、形成されていくのは、自動車社会が到来し、若者文化が興隆する第二次世界大戦後以降である。口火を切ったのは、『イージー・ライダー』(デニス・ホッパー、1969年)や『俺たちに明日はない』(アーサー・ペン、1967年)などのアメリカのニュー・シネマだった。日本でこの用語が普及し始めるのは、ドイツのビム・ベンダース監督作品が公開されるようになってからである。『まわり道』(1975)、『さすらい』(1976)、『パリ・テキサス』(1984)など、彼の作品には旅をモチーフとしたものが多く、そのスタイルを表現するために用いられるようになった。日本映画にも『幸せの黄色いハンカチ』(山田洋次、1977年)など、ロード・ムービーとよぶにふさわしい作品が生まれている。

【ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典】
 陸路による移動が物語展開の基線を成す映画。アメリカ映画『イージー・ライダー』 (1969年) などがこれに該当するが,確固とした用語ではない。日本で急速に用いられ始めたのは,ドイツの W.ベンダース監督作品が公開されてからで,『まわり道』 (75年) や『さすらい』 (76年) など,彼の作品には旅をモチーフとしたものが多く,その特徴を表現するために使われるようになった。

 
 どうですか、ちょっと面白いでしょう。
 ブリタニカには「確固とした用語ではない」と明記されていますね。

 だから、確固としたラインが無い言葉なので。例えば。
 英Total Film誌が2012年に発表した「史上最高のロードムービー50本」を見ても。

 「『俺たちに明日はない』は傑作犯罪映画だし青春映画でもあるけれども、ロードムービーって言われるとなー」って気がしちゃうのは、ぼくだけですかね?


 では、ですよ。ぼくにとっての「ロードムービー」の絶対条件は。

 「道程でドラマが起こる」ってこと。コレ、絶対。「目的地に着いてから」ではなく、「道程で」ドラマがあること。
 これを満たしているのが、ぼくの思う「ロードムービー」。

 それともう1つ。
 コレは絶対じゃないんだけれど、できれば「物語の序盤で目的地が明示される」。


 さて。このぼくの視点でいくと、Gレコってどうしてもロードムービーに見えないんですよ。

 まず一番の要因は、道程での描写がほとんどないこと。まああの、マラソンくらいかな。思い出す道程での出来事って。

 後はね、これぼくの「2」の条件にも重なってくるんだけれど、アイーダ様(あとベルリも)が思い付き・思い立ったが吉日・弾丸娘の勢いで行動するので、コマ切れに目的地が提示されるんだよね。
 最初から「金星に行く!」って言ってくれれば、もっとロードムービー感あったんだけれど。

 Gレコは、
「宇宙からの脅威の話を確かめるため、キャピタル・テリトリィに行こう」
「次はザンクト・ポルト」
「アイーダ様、真実を確かめるため月を指さす」
「アイーダ様、レイハントン家とドレット家の争いの原因がヘルメス財団にあるのならと、財団のあるビーナス・グロゥブに行ってみることを決意」

 こう、目的地を小出しにされると…
 しかも実際には、確かに「道程」での出来事ではあるんだけれど、ザンクト・ポルトに着いて1つの出来事、月に着いてまた出来事、金星に着いて出来事と、どうも「旅の途中での話」な感じがしないんですよ。
 目的地に着いてからの物語、って感じがする。

 これなら例えば、クルー同士でいさかいがあったり、主人公が「旅」から離脱したり、様々なドラマが移動中で生まれている初代ガンダムやイデオンの方が、ロードムービー感あったなー。
 「2」の条件は満たしてないけれど。

 これについては、氷川さんが藤津さんとの対談で面白い指摘をしています。


 今回、「ロードムービー、旅ものにする」と語っていますね。もともと富野さんの作品は、ホワイトベースのように「グランドホテルがロードムービーする」というシステムが秀逸なんです。ゲストが来るときは大きな船がグランドホテルとして出迎えるし、それが動けばロードムービーになる。ドラマづくりに便利な構造をしています。

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 グランドホテル方式(ホテルのような一つの大きな場所に様々な人間模様を持った人々が集まって、そこから物語が展開する)と、ロードムービーの複合ってのは、さすがの見立てですね。

 実際・富野作品に限らず、都合良く異星人などが東京・日本ばかり襲ってきた大昔の作品ならともかく、ロボットアニメにはこの要素が生まれますよね。

 
 その上で。

 じゃあ、ぼくが思う「ロードムービーなロボットアニメ」は。
 3つ上げると。Gレコは入らないなー。

 バイファム(カチュアー、もといカサハラー!)、モスピーダ、そしてキンゲ。


萌え系アニメを見ながらぼんやりGレコのことを考えていた。


 さて。ぼくはいい年ぶっこいてアニメを・特に1話は手当たり次第に見ています。
 HDに溜まっているものを潰していくので、リアルタイムではなくかなり遅れているのですが。ヤマトとか東京ESPとかまだ未見だったり。

 で、見ていても、Gレコのことを頭の片隅で考えていたりすることもあったりなかったりして(広川太一郎さん風)。

 例えば。これが『城下町のタンデライオン』2話を見たときのツイート。
 




 次にコレが『ダンまち』連続で見ていた時のツイート。



 意図的に書かなかったけれど、コレは当然Gレコとの比較で呟いていたわけで。

 富野の萌えアニメに対するコメントは、kaito2198さんがまとめているので読んでもらうとして。

 あ、上記2作品が萌えアニメか否かみたいな反論は、鬱陶しいので勘弁してください。ぼくにはそう見えるってことです。
 
 蛇足・より道ですが、ダンまちは大変面白かったですよ。女の子を可愛く描いているのはもちろん、戦闘シーンにも力が入っていて二度おいしい感ありました。
 それに比べて、戦闘的要素がタイトルになっているあの作品ときたら…(以下略)
 
 閑話休題。
 まあ想像するに、Gレコはもちろん今後の富野作品でもおそらく「声優さんのオーバー気味な演技込みで」「頬を赤らめたり」「照れて口ごもったり・逆に早口になったりする」演出は、ないと思うんですよ。

 ファンであるぼくは、そこにリアルさだったり・一筋縄ではいかないキャラ描写を見出して、うう気持ちいい…もっと…もっと…となるわけですが。

 しかしその一方で、パターンと言えばパターンかもしれない描写でも、それゆえに分かりやすくて力があって、娯楽作品としてコレでいいんだよな、という気持ちもあります。一視聴者としては。
 ストレートに伝わる力強さがあるよな、と。

 特に上記ツイートにあるタンデライオンの画面ブレは、心情が分かりやすくて面白い演出だな、と楽しめたし。
 ダンまちのあざとい(悪くはない)スキンシップ描写も、「GレコではMSでSEXの暗喩までしたのに、どうしてキャラでは素っ気無いんだ」と考えがいっちゃうしね。

 いや、分かっているのよ。ないものねだりのI Want Youもっともっとってことは。

 でもそう考えちゃうくらい、Gレコのキャラって魅力的なんだよね。
 肝心のアイーダさま以外は…

 ファンの欲目かもしれないけれど、ラライヤやノレドが回数重ねるごとに増していく魅力を思うと、「もっと人気がハネても良くね?」と思っちゃうんだよね。

 だからこそさー。ありもしない描写、を夢想してしまうわけなんです。

 ちなみにちょっと話からズレちゃうけれど、ぼくの好みは。


 例えば、えーと。マクロスFとか、最近のラブコメだとなんだ。ニセコイとか。
 この理論にバッチリ当てはまると思うんだけれど。

 アイーダ…いや、結局アイーダの話になっちゃうんだよな。
 というのも、富野がどこかのインタビューで言っていたようだけれど、Gレコのアキレス腱ってアイーダ(とベルの関係性)だと思うから。

 だからもし新作があるのだとしたら、2人の関係にズームアップしたGレコ版『密会』を希望しているの。
 おじさんのノスタルジーじゃないんだよ。

 むしろぼくは、過去作の焼き直し作品がリリースされ続けることにも、そしてそれが人気らしいことにも、孤独を感じているんだからね。もういいよ。


 おまけ。
 マッシュナーさんはセクシーショットが流出したけれど、ここで中の人のセクシーショットを見てみましょう。
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 あのくらい流出しても、全然恥ずかしくないぞ!(クリックしても拡大しない、商品ページにいくだけだよ)


Gレコ・純粋恋愛批判


 語りたいことはまだまだあります。今回はそんな中の1つ。タイトルはシャレ? なんで、あまり深く考えないでください。

 Gレコが始まる前。
 アイーダとベルリが姉弟設定で・そして韓国ドラマの要素も取り入れていると事前に知っていて、しかもベルリがアイーダに一目惚れする展開を見たら、この2人の恋愛関係がどのように進展するのか非常に興味がありました。

 「恋愛」を中心に展開を考えると、普通だったら「姉弟だった」と分かった所から、物語は本格的に動き出すはずじゃないですか。
 そこからが本当のドラマのスタートですよ、普通なら。

 姉弟でも愛を貫き・2人で逃避行か。お互い好きでも泣く泣く別れるのか。実は姉弟ではないことが分かってハッピーエンドなのか。
 どのゴールにも辿り着けます。

 ところがGレコは、本来ならドラマが始まる「姉弟だった」と判明した所で、2人の恋愛関係は終るんですよ。

 しかも、ベルリの一方通行。アイーダにいたってはベルリからの想いに気付かないまま。
 実は、恋愛ドラマが始まってすらいない。

 勝手にベルリの中で始まって・終っている。これは恋愛ドラマと呼べるのだろうか。

 そもそも、設定を思い直してほしい。
 

 めぞん一刻直撃世代としては、

 「恋敵は決して劣化することのない、むしろ美化されていく死者」というだけでワクワクするし、



 しかも「自分の大事な存在を殺した人間を愛せるか」というのは一本の映画になるほどのテーマだし、

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 姉と弟の恋愛関係なんて、深刻にも・アニメ界ではライトにも扱えるインセクトタブーも取り入れているし、

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 しかも「憧れの年上のお姉さんと、活発な女友達」なんてラブコメにはおあつらえ向きな三角関係(カーヒルを入れたら四角関係)まで用意されていながら。


 2人のラブコメ的展開がこうまでハネずに、姉弟と分かった時点で終了するなんてことがあるでしょうか。
 いや、実際にそうなったのですが。

 これは、職人技で設定はてんこ盛りにしたけれど、いざストーリーが始まると制作者の興味が別な方向に向かったので放り投げられてしまったのでしょうか。

 断っておきたいのは、見た方にはもちろんお分かりでしょうが、Gレコで魅力的な恋愛関係が描かれていないわけではありません。

 バララとマニィとマスクの三角関係は描かれていたし、
 無邪気なラライヤと・リンゴとケルベスは短い描写ながらも面白かったし、
 天才とミックは最終的に良い感じのカップルになったし、
 妊娠したクンはいるし、サブキャラの恋愛事情は結構魅力豊かに描かれているんです。

 何故設定がお膳立てされているのに、一番重要なキャラクターであるベルリとアイーダだけは尻すぼみになってしまったのか。

 富野本人は、「自分がアイーダはカーヒルと寝たと勘違いしていたから、キャラが沈んでしまった」みたいなことを言っていたけれど、それが原因なのでしょうか。
 ネットで「富野は処女厨」とか書いているのも見かけたけれど、アホか。
 かつて、主人公とライバルの心を死ぬまで縛り続ける「永遠の女性」を、売春婦に設定した人間のどこが処女厨なんだ。

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 ベルリとアイーダの恋愛展開が尻すぼみになったのは、他に理由があるのではないでしょうか。

 現実的な問題としては、ベルリにカーヒルを殺させた時点で、この2人の恋愛的展開は放棄されたと考えるべきでしょう。

 先ほど「1本の映画になるほどのテーマ」と書きましたが、逆に言うと、本線の話は別にあるのに・26話程度で収められる話ではないのです。「自分の大事な存在を殺した人間を愛せるか」というテーマは。

 そもそもGレコの世界では、これだけ要素が揃っているのに、ラブコメディ的な恋愛はほぼ許されない世界です(だからリンゴとケルベス偉い)。

 Gレコ世界の「愛」の大半は、ちっとも美しくなければコメディにもならない。

 マニィはマスクへの愛が故にベルリ(親友の想い人)を殺そうとするし、バララは嫉妬も手伝ってユグドラシルで大量虐殺。
 マッシュナーは愛のためにおかしくなって、同僚を道連れにしてしまう無茶な行動。

 そもそもアイーダが大好きなカーヒルだってアイツ、良い男ではないでしょ。いや、ルックスではなく。
 落下するラライヤは放っておいて、機体を回収する男だよ。ぼくが考えるカーヒルって、自分のステップアップのために、アイーダをたらし込んだ下衆な野心家です。
 アイーダの地位を目当てに、その愛を利用している男ですよ。
 
 だからこそ主人公のベルリは、恋愛からは切り離される。
 それでこその富野作品の新たな主人公です。「愛のために戦う」なんて、視聴者はそんなもんで心動かされますか? ニヤニヤ。

 10話で「恋を知ったんだ、誰が死ぬもんか!」と叫んだ少年は、しかし物語中盤の16話でアイーダとの姉弟の関係を知り、恋愛感情から切り離される。

 まだ10話もあるのに…姉萌えの展開なんか、もうない。

 恋愛感情から切り離されたベルリは・だから最終回で、アルケインやダハックといっしょではなく単機で大気圏に突入して、マスク・マニィのカップルと戦う。

 そして最後はノレドといっしょではなく、独りで旅に出る。

 彼は、恋愛が素晴らしいことばかりではないGレコ世界の人間なので、独りで大人となる旅に向かうのです。

 そして同時に、ラストシーンにおける・憑き物が落ちたかのようなマニィとマスクの2人の姿は、Gレコ世界の変容です。
 「恋愛が素晴らしいことばかりではなかった」Gレコの世界でも、戦争が終れば恋愛を肯定的にとらえられる世界へと変わる、そのアイコンとして2人の姿は映し出されるのです。


Gレコ・実践血縁批判(アイーダとベルリは姉弟じゃない説)


 前回に引き続き今回もタイトルはシャレ? なんで、あまり深く考えないでください。あと1つは何批判にしよう? タイトルだけ真似て読んだこともねーのに。

 さて、Gレコにおいてアイーダとベルリは姉弟ということになっていますが、ぼくは全話を見た上で「ひょっとして姉弟ではないのでは?」と思っています。いました。どっち?

 ツイッターで呟いたところ、僅かながら同意してくれる方もいたので心強くもなりました。

 そこで何故ぼくがアイーダとベルリは姉弟ではないと思うのか、その要因を列挙し、さらにはその反駁も(つまりは姉弟である、という論拠)も自分で挙げていきます。
 面倒なことするな、我ながら…

 まず正直に告白しておくと、「Gレコ・純粋恋愛批判」でも書いたのですが、ぼくはもともと放送前に情報が小出しにされていた段階から、「この2人は始めは姉弟だと互いに認識しているけれども、やがて恋愛感情が生まれて、そして血縁関係があるのか・ないのか悩んだりしてドラマが生まれるのだろう」と考えていました。

 さて実際に放送が始まって、ぼくが「やっぱり姉弟じゃないな!」と思った回は、他ならぬ姉弟であることが判明した第16話「ベルリの戦争」の時です。

 この時、写真が3枚出てきます。1つは「1枚だけ残されていた」とミラジが説明し、ロルッカが差し出す写真。あと2枚は、アイーダが古い記憶を呼び覚まして見付ける写真です。

 見てください。

写真1
写真1.jpg
写真2
写真2.jpg

 1枚目の写真はレイハントン夫妻が写っています。髪の色が同じで面影もあり、母親とアイーダが実の親子であることは明白です。

 問題は重なっている2、3枚目の写真。
 上の写真は家族の写真ですが、子どもはアイーダしか写っていません。下の写真は全体が見えないので分かりませんが、構図をみるとアイーダだけが写っているように推測できます。

 なぜベルリが写った写真がないのでしょう?
 この疑問は物語内で考えるのではなく、制作陣の立場になって考えたいのです。

 「家族の写真」を登場させるなら、ベルリを含めた4人の肖像で良いはずです。わざわざ3人であることには、意味があるのでは…

 またアイーダはこの写真を見つけたことからも分かるように、生家に覚えがあるのですが、ベルリは全く記憶がありません。
 子ども用のベッドを見て、「あれ、僕が使っていたんですか?」と言っているくらいです(ロルッカがあそこから落ちていた、と答えている)。

 この回の後、2人は姉弟であることを受け入れて話が進む訳ですが、もう1つ、やはり血縁関係に疑義がでてくる回が終盤にあります。

 それが第23話「ニュータイプの音」で、アイーダやベルリ達と、グシオンが対面する場面。

 その時、グシオンは下記のように独りごちます(こちらのサイトを参考にさせていただきました)。

「ニューアークの育児園にいたアイーダの履歴は…」
「なぜ姉弟だと信じているのだ? アイーダは」

 つまり、少なくともグシオンは姉弟ではない、と思っているのです。

 この後は2人の関係を揺るがすような提示はなく、姉弟のままで話は進み、終ります。

 では整理して、ぼくが「姉弟ではない」と思う理由と、考え得るそれへの反論を挙げましょう。

 1、レイハントン家の写真に、ベルリが写っていない。
 反論・ベルリが生まれる前の写真で、ベルリが写っている写真は全て失われているのではないか?
 再反論・先に書いたように、問題は「なぜスタッフがベルリを含めた写真にしなかったのか」にある。そこには意図があるはず。

 さらに考えられる反論は「ベルリが生まれてすぐ、集合写真を撮る間も無いくらいの時にレイハントン家に危機が訪れたことを暗示するためにベルリが写っていない」くらいでしょうか。


 2、グシオンが「なぜ姉弟だと信じているのだ? アイーダは」と言った。
 反論・グシオンはレイハントン家の事を知らないだけ。身元を隠して地球に亡命したのだから、グシオンが知らないのは当然。

 実はこの反論、yahoo知恵袋で「アイーダとベルリは姉弟じゃないんですか?」と質問している人がいて、それへの答えに書かれているのものです。
 回答者は2人いて、その内の1人はノレドのことを「レノド」って再三書いているので、まあアレなんですが…

 勿論、このアンサーは成り立ちます。育児園の経歴は当然偽装だから、グシオンは知らないのだと。

 ロルッカは、子ども2人をクンパ(ピアニ・カルータ)が捨て子として処理したなどと気軽に言っていますが、当然クンパは運を天に任せたわけではなく、身元を隠しつつ一方はアメリア軍最高責任者、もう一方はキャピタル・タワー運行長官というハイソサエティの家庭に行くよう手筈したと推測できます。

 ぼくは読んでないけれど、wikiのグシオンの項目を見ると、プロデューサーがこのような旨を言っているようだし。

 まあぼくは身元を隠して預けるより、クンパが信頼できる養子先としてグシオン家とゼナム家を選び、由緒ある身分を打ち明けて託した方が子どもの安全性は高まる・とすんなり得心できるんだけれども。

 例のグシオンのセリフも、

 (アイーダはどこで自分の出生を調べたのだろう?)
 「ニューアークの育児園にいたアイーダの履歴は…(本当のことは書いていないはずだ)」

 と解釈もできちゃうんだよね。

 3、ロルッカの話によればベルリも乳児の時にはこの館で暮らしており、そしてアイーダは「写真の保管場所」を覚えているくらいの年齢まで暮らしていた。つまり2人はいっしょに暮らしていたはずなのに、アイーダは弟の存在すら知らない様子だった。

 これは…考えようによっては、制作時の単純なミスって気もするけれど。

  
 では逆に、姉弟であると思われる理由は。

 1、そもそも初期設定では双子だったんだよ? その後、姉弟の設定になったんだから。
 反論・答えは出来得る限り、本編のアニメの中から得るべきでは?

 2、Gセルフを扱えるのが証拠。例のペンダントもある。
 反論・ラライヤもGセルフを扱えるんだけれど…。あとペンダントは幼少の頃に受け取ったんだろうね。「2人が幼少の頃に一時期、一緒にいたかもしれない可能性」は否定しません。むしろ有り得る。
 ※コメント欄でご指摘いただいた通り、「幼少の頃に受け取った」はぼくの勘違いですね。2人を認識すると、排出される仕組みだったのかな。

 3、アイリスサインは?
 反論・アイリスサインって、良く分からない。「アイリスサインが2つも出ている」とカーヒルが言ったわけだけれども、アイリスサインがもし言葉通り虹彩による識別だとしたら・同じものが2つあったら困るんだよね、例え姉弟でも。肉親でも違うからこそ、識別に利用できるわけだし。

 4、ロルッカやミラジが姉弟だと言った。
 反論・うん。劇中では、だからこそアイーダもベルリも血縁関係を信じたわけなんだが。問題は、彼らがいわゆる「信頼できない語り手」である可能性はないのか、ってことなんですよ。
 物語の中でも、彼らの言葉以外に2人が姉弟である証拠は何1つない。

 ロルッカやミラジの仲間だったフラミニアは実はジット団の仲間だったわけだが、彼らの言葉もそのまま額面通りに受け取っていいのか。視聴者をミスリードするための「信頼できない語り手」である可能性もあるんですよ。

 そもそも、アイーダとベルリを見つけたいからGセルフに仕掛けをしたって、どういうことだよ。
 2人が偶然Gセルフに接触する可能性なんて、ほぼゼロだろ。そんなミラクルが起きた? 2人ともGセルフに?

 あれ、これ設定批判になっているか? やめよう。

 ※コメントから指摘いただいて追加
 5、マラソン回で、フラミニアが何かのデータを見ながら「やっぱり姉弟(きょうだい)?」と呟いている。

 おそらく健康診断にかこつけて独自に調査していて、確認されたってことかなあ。


 では結論として、アイーダとベルリは姉弟か、否か。

 ぼくは否定派だったのだが、書いているうちにちょっと変わってきた…タイトルに偽りアリな気持ちになってきた。
 ぼくが考える可能性は4つ。競馬のように書くと、

 【本命】深読みしすぎ。そのまま、姉弟である。

 【大穴】あの写真はやはり伏線だった! 語らぬが花、明示はしないが姉弟ではない。

 【無印】ベルリはアイーダのクローンである。

 ぼくは以前こんなツイートをしました。



 しかも、最終回でアッサリとノレドを置き去りにしたことも、「クローンだからちょっと人情味に欠けるのかな」と説明が付くし。ま、冗談だけれども。

 で、4つめの答え。

 【対抗】当初は「姉弟ではない」設定があったが、結局は「姉弟」になった。しかし「姉弟ではない」設定時の残滓が完成フィルムに散見されてしまった。

 陳腐な「ぼくのかんがえたGれこせってい」を出して反論するよりも(もういじってやるなよ、俺)、ファンの方がよほど良い反論を書ける訳ですが・ちょっといまだにこのリンク先様からぼくのブログに足を運んでくれる方がいらっしゃるのだが。
 バカを見に来たのかバカを見に来たのか。

 話ずれた。ぼくがGレコを批判するとしたら。

 その1つは、構想・本格スタートまでに時間がありすぎたせいか、ところどころに没設定の残滓があって、それがファンを惑わせることですね。
 
 代表例は、教皇様とノレドが同じナグ姓であることなんですが。

 初期設定では孫と祖父でも、それが物語に全く生かされず明示もされないなら、どちらかの名前は変えるべきだし、多くのファンが引っ掛かった会話シーンも削除すべきだと思うんですよね。

 ノイズでしかない。なのに、フィルムには残っている。
 ベルリとアイーダの姉弟問題も、この類はあり得るかもと思っています。

 もし普通に姉弟なら、映画版があるなら例の写真を直して欲しいな、と思います。
 
 ヒーローとヒロインに恋愛要素がないのはツマラナイし、かと言って尺が限られた映画で「2人の続きが、知りたい」いやそれよりも「青空をー越えてー」の方が的確か、そんな恋愛を・メインテーマならともかく添え物としては扱えないと思うので、ワンチャンスないかなあ。
 アイーダとベルリが他人で結ばれる展開。


Gレコのキャラは自由に動く。


 先日、HIGHLAND VIEWさんの「機械仕掛けの王に仕える、命ある暴力装置<ゲームにおける暴力コントロールのアイデアメモ>」という記事を読んで、アニメのキャラクターを縛る様々な要因について考えを巡らせました。

 記事では「プレイヤーが主人の命令で動くゲーム」について書かれていましたが、私の思いは例えば映画やアニメではその「主人」が人物ではなく、様々な世界設定や心情として存在するだろうと脱線していったのです。




 先日このようにツイートしましたが、例えば史実でも明保野亭事件などを知ると、「どうして任務を遂行しただけで腹を詰めねばならんのだ…」と理解しかねてしまいます。
 ここでは、当時の政治状況などが人間の動きを規制して、ドラマ(史実に「ドラマ」というのが適しているか分からないけれど)が生まれるわけです。

 史実でもあり、物語としても消費されている忠臣蔵なども、様々な要因が人物を規制します。

 では富野ガンダムシリーズにおける、「行動を規制するもの」を考えてみましょう。

 例えばミハルは、自分を縛る「スパイ」という枠を超え始めたところが、後の悲劇をさらに強烈に彩るわけです。

 さて一番の例はアムロとララァです。

密会 アムロとララァ (角川スニーカー文庫)

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 アムロとララァはあれだけ惹かれあっているなら、一緒になってしまえば良いのにと思うわけですが、勿論それではドラマになりません。
 ララァがアムロと一緒になれない理由は「シャアへの恩・愛情」「ジオン軍に属している」、こんな感じでしょうか。

 他に何もないですよね。これがフォウになると、「記憶を取り戻したい」となります。
 フォウはオーガスタ研を嫌っていたくらいの印象がありますから、まあ実はフォウの行動を規制する「主人」は「記憶」しかないと思うんですよ。

 それであのドラマを作っちゃうわけですから、かなりの力業です。

 ここで注目すべき点は、「じゃあアムロやカミーユが、女に寄り添えばいいんじゃないの?」と疑問が沸くわけです。

 どうだろ。

 アムロは「WBクルーとの絆」「シャアに勝ちたい」「連邦軍に属している」。アムロを規制している要因は…こんなもの?

 カミーユに至っては…なりゆきで、ジェリドを殴ったとか。その後もエゥーゴにいた理由って、まあシロッコやハマーンが登場してからは義憤みたいなものも理由になりえるけれど、そんなに明確ではないよな。

 他になんかあったっけ。
 実は主人公の方が、惚れた相手のために鞍替えできそうな感じがしますが、彼らはそれをしないわけです。

 まあ戦争なんで、「一人の突出した戦力が戦局を左右する」なんてのは自惚れで(戦争は数だよ兄貴!)、彼らは身一つで敵に寝返っても良いわけです。

 なにせ異世界では西部のイモにキツイ一言いわれて、最新鋭機と共に鞍替えした聖戦士もいるくらいですからね。
 ところが彼らはそれをしない。特にアムロ。彼はそれこそララァに「なぜあなたはこうも戦えるの? あなたには守るべき人も守るべきものもないというのに」と喝破されているように、戦う確固たる理由がないのでね。

 富野ガンダムでは、色々な縛りから逃げ切れないキャラクターが描かれているわけです。それは例えば、表向きは好きな男のもとへ走ったレコアさんにしても同様です。
 そこで悲劇が生まれます。

 で、案外自由に動けるはずの主人公は、しかし彼女達の傍に行こう(敵陣営に寝返ろう)とはしません。

 もし、アムロがもっと早くララァと出会っていたら、WBをガンダムもろとも脱走した時にジオン軍に寝返っていたかもしれませんね。ララァといっしょにいるために。そしてシャアと三角関係ラブコメ。「出会うのが遅すぎたのよ…」

 ところで富野作品でも、ガンダム以外では自分の感情の赴くままに、なにも縛られることなく行動するキャラクターはいます。

 その筆頭は、『エルガイム』のギャブレット・ギャブレーだと思うのですが。
 (後半の)彼が魅力的に見えるのは、ポセイダル軍も立身出世ももはや関係なく、行動基準が「クワサンのため」と一貫しているからです。

 そして、ついには富野ガンダムでも。
 縛りがなく行動するキャラ達が作品世界の中でポンポン自由に跳ねていたのが、『Gレコ』だったわけです。

 この記事を書く前、頭の中でここまでの内容をぼんやりと考えていた時に、真っ先に思い浮かんだGレコのキャラはリンゴくんのことでした。

 アイツ、捕虜になった先で女に惚れて、そのまま積極的に(ラライヤを守るため)戦闘に参加しおって…




 こんな呟きをした後で、改めて考えてみると、あ・リンゴだけじゃねえや。

 そもそも主人公が海賊女に一目惚れして(髪の匂いハアハア)、クラスメートも母親の立場も考えずに、キャピタル・ガードをぶっちぎったんだった。

 もともと、事前知識を意図的に入れていなかった私だけでしょうか。
 Gレコ1話目を見終えた時に、「このままアイーダは海賊からキャピタル側に寝返るだろう」と思っていたのは。今までの富野ガンダムのパターンなら、そうなっていたはずです。

 カツもサラを追いかけてティターンズに寝返ることはしなかったし、あの女! あの女!
 ハサウェイはクェスを取り戻そうとしたけれど、ネオ・ジオンに入隊してまでクェスを守ろうとはしなかった。

 ところがベルリくんは、アイーダにくっついてそのまま海賊の仲間になってしまった。もっとも本人は当初、戻る気があったみたいだけれど…

 そしてベルだけじゃない。ノレドも当たり前のようにベルにくっ付いて動くし、マニィはキャピタル→海賊→キャピタルとUターン就職ですよ。いや、就職じゃないけれど。親友より愛しい男。

 ケルベスもいつの間にかシレっと海賊側にいる。 

 ジット団だって「ビーナス・グロゥブ」全体の意思は無視してレコンギスタ始めるし、戦いが終ったら命のやりとりしたはずのメガファウナの一行と仲良く旅に出ているし・クンちゃん妊娠しているし、オマエラ自由だな! 色んなものに縛られて意中の相手といっしょになれず・悲劇にもてあそばれて死んでいった富野キャラ達に謝れ!

 と、まあそれは冗談だが、彼らは戦時にも関わらず「自分の意思」で動く。これは戦いを描いたドラマにおいて、非常に特殊なことだと思います。

 そしてその描写の原因は、例えば「この時代ではそういう行動が自然なのだ」「現在の軍隊とは性格が違うのだろう」などと考えるより、ぼくは「こう描きたかったのだろう、もう運命でも規範でもそれこそ主人(上司)でもなんでもいい、それらに嫌々従って死ぬキャラクターとは別な物語を見せたかったのだろう」と推察するのが好みです。

 実はそこが、今までのパターンではないので視聴者の感情移入を損ねている要因な気もしますが、でも余りあるGレコ特有の魅力となっています。

 軍や人とのしがらみなんか関係なく、自分達で行動を選択する。そして邁進する。

 そのキャラクター達を精一杯追いかけているのが、Gレコです。鷹は自由に。

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『富野に訊け!! 怒りの赤篇』の発売前に。軽い予習を [富野監督関係]

 発売がアナウンスされてはいたものの、その後はAmazonでも商品情報が出ていなかった『富野に訊け!! 怒りの赤篇』。

 このたびやっと各ニュースサイトなどで情報が流れ、アマゾンからも注文できるようになったのは皆さんご存知かと思います。


富野に訊け!! 〈怒りの赤〉篇

富野に訊け!! 〈怒りの赤〉篇

  • 作者: 富野由悠季
  • 出版社/メーカー: 徳間書店
  • 発売日: 2017/02/21
  • メディア: 単行本



 さてそれらの情報によると、ゲスト篇には声優の久保田未夢さんとアニメコラムニストの小新井涼さんが登場するそうです。

 久保田さんはi☆Risのメンバーです。

 i☆Ris、芹澤さんしか知らないや…まあおっさんとしてはグループ名知っているだけで良しですが。

 久保田さんの相談は2015年の『アニメージュ』に掲載。
 「食べ物の好き嫌いが多くて困っている」という久保田さんの相談に、富野が「わがまま」と一刀両断する回ですね。

 もう1人のゲストである小新井さんは、恥ずかしながら私は不勉強でお名前御存じなかったので、ググってみたら毎週アニメ100本見ている人かー。

 そういうことやっているタレントさん? がいらっしゃるのは知っていて、大変だなと思ってた。その方か。




 さて、スペシャル対談は荒木哲郎監督です。

 現在判明している中では、読者からの相談内容の流れから、荒木監督がアンチツイートについて語っています。
 悩んだ荒木監督は結局、「ネットの意見から自分を遠ざける」を選択したようです。

 これはかつてタモリさんが語っていたぼくの好きな言葉があって、まさにその実践だと思いました。

 タモリさんは『笑っていいとも!』で、同じような悩みを持っていたゲストの久保ミツロウさんに対して以下の金言を贈りました


 (TVに)「出るなら見るな。見るなら出るな」。

 
 まあ著名人には、コレが一番なんでしょうね。

 で、対談の続きでは。荒木監督の発言を受けて。
 富野もウッカリと劇場版Zへの酷評をネットで最近見てしまい、「だから興行収入はああだったのか…」と思ってしまったそうです。

 ちなみにwikiを見ると、全てキネ旬ソースで興行収入は『星を継ぐ者』8億6000万、『恋人たち』6億、『星の鼓動は愛』4億9000万円だったそうです。


 最後は5億切るくらいか…

 アニメだとマクロスFの『虚空歌姫 〜イツワリノウタヒメ〜』で6億5000万円、まどマギの『始まりの物語』5億9000万円、『永遠の物語』で5億7000万円(叛逆は20億超)。

 まあ深夜アニメのタイトルでは2億台とかけっこうあるけれどね。
 シリーズ重ねるごとにどんどん成績落ちているから、富野は納得できないよな。

 富野ガンダムで言うと『逆襲』は11億6000万円。
 ネットでは『∀』は0.5億円って情報があるけれど、コレって『地球光』『月光蝶』合わせた数字…? ハコも上映日数もかなり限定されていたけれど、に・してもだな。

 さて以上です。
 後は発売日を待つだけですね。
 
 
 ところで今回の『富野に訊け!!』のネット記事・ぼくが確認したものはどれも、最後に掲載されているマルCが「Yoshiyuki Tomino & Others 2017」になっている。
 こういう場合って作者名+出版社名だと思っていた。

 

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『エルガイム』の企画段階とラストシーン [富野監督関係]




 33年前の2月4日は放送開始日ということで、ツイッターではエルガイムの話題がこの日前後にハッシュタグ付きで散見されました。

 ぼくのイメージでエルガイムは、当初は若手が自由に作っていたけれど、そのうちに富野が本格的に介入してシリアスに傾き・後半は富野の意識が『Z』に向いてパワーダウンしていく、という印象がありました。

 富野の視線が後半『Z』に向いていたのは永野さんが後年何回か言っていましたね。

 というか富野本人が、『アニメック』85年5月号のインタビューで、「エルガイムの後半については、にっちもさっちもいかない状態だったんです。はっきりいって、『今度のガンダムをどうしようか?』で頭が一杯でしたし、時間的な制約もありましたから帳尻合わせをするだけで手一杯だったんです」と明言しているし。

 ぼくの中で『ザブングル』とごっちゃになっているけれど、富野は早期から『エルガイム』に関わっていたはずです。

 イメージから永野さんだと勘違いしている方もいるかもしれませんが、「ヘビーメタル」と名付けたのは富野ですし。
 下の画像をご覧あれ。

L-GIM1「ヘビーメタルの名付け親は富野」.jpg

 しかし同時に『エルガイム』は、例えば『ガンダム』や『イデオン』のように、原案から富野が立ち上げたものではありません。

 ここで異なる2つの話を、関係者のインタビューから拾ってみましょう。


LD-BOXライナーでの永野さんインタビュー

 (前略)で、話を『エルガイム』に戻すと、入社3か月めになって植田さんから『バイファム』の後番組の企画を考えてくれという話が来たんです。

(中略)さすがに初めての大きな仕事だったんで、自宅に帰ってガシガシガシガシと設定を作り始めたわけです。

 そうしたら、エルガイムとかバッシュとかオージェの最初のデザインは、みな5分くらいで、何もないところからどんどん出来ちゃった。それが自分でも結構いいなって思えるものだったので、さっそく植田さんや山浦さんに見せたら「これで行きましょう」ということになったんです。それからサンライズの設定制作の大曽根君が一人ついてくれて、一緒に設定や大まかなストーリーをまとめていきました。それが『グレイオン』と呼ばれていた『エルガイム』の最初の企画――内容は全然違いますけれど
(中略)

 実際の制作は、その年の夏――放送開始の半年くらい前から始まったんだけど、そのあたりで富野監督が入ってきて、これを『ダンバイン』の後番組にしたいと(笑)。「うわぁ」なんて思いながら、その時点でストーリー作りは監督に任せて、僕はデザインに専念したわけです。

 引用は以上です。
 ちなみに「グレイオン」でググると、上位表示されるpixiv百科事典ではMK-IIの別名と書かれていますが、多くのロボットアニメがそうであるように主役機名=作品名だったのでしょう。

 では、もう1つのインタビューです。


『重戦機エルガイム大全』での渡邊さんインタビュー

 この前の『聖戦士ダンバイン』(83年)で脚本をやっていた時に、「今度は原作ものをやってみたいので、小説を書いてくれないか」と声をかけられたのが最初だったんです。自分でも温めていた企画がありましたし、じゃあやってみようと。準備期間も1年くらいあったんだけど、企画を出してみたら『ダンバイン』の後にやってくれと言われてね。それが『重戦機エルガイム』になったわけです(同書140Pから)

 以上です。
 このインタビューでは、富野からペンタゴナワールドという舞台設定と、リリス・ファウの登場だけは要望があったと書かれています。

 まあ同時期に進んでいた永野さんの企画と、渡邊さんの企画を融合させたのかな…
 永野さんは「設定や大まかなストーリーをまとめた」っておっしゃっているけれど、ストーリーを受け持った渡邊さんや富野がそれを生かしたのか、それとも埋没したのか…

 それと永野さんが依頼された『バイファムの後番組』は存在しません。バイファム終了後の番組枠はアニメではなかったので…スタッフで見ると、『超力ロボ ガラット』が後番と呼べなくもないけれど。

 
ちなみにラストは…


 企画の始まりも気になりますが、『エルガイム』と言えばなんといってもラストです。

 当初の案では、キャオが放射能を浴びて死んでしまうはずだったのは、ファンの間では有名だと思います(でも渡邊さんは、本当は核兵器を出したくなかったらしい)。
 また原案では、オリビーの回復が示す希望的なシーンがあったとも聞きます。

 ところで富野は、ラストについてこのように言っています。


 男立ちをした最終回で決めていたことがあります。世界の統合を果たした後のダバは、権力にも何にも欲がないから、まだ誰かさんと一緒にどこかに行くということだけはキチッと予定してたのです。(『重戦機エルガイム大全』17Pより)


 ダバだって所詮一人の兵隊でしかなかったと考えていき、そのことをはっきり見せようとすると、ああいう結果になるという程度のことでしかない。その辺を僕の立場で考えていった時に、最低はああいう描き方でやるしかないっていうことです。
 (中略)
 ですから、ラストシーンと言うことについては一番初めに頭にあって作ったシリーズだということです。(『富野語録』P110~111)


 当時見ていた子どもとしては、なんか釈然としないものを感じるラストシーンだったけれども。
 だからこそ胸に残っている、とも言えるんだよなあ。

 でも対談で「あのラストはねえ…」って感じだった川村さんと本田さん好きです。
 ぼくは前半のコメディタッチが好きだったので、スカッとさせて欲しかったんだよね。ラストも、やっぱり。エンターテイメントを望んでいるんだ!


 そういや最後に。この前ツイッターで。




 とツイートしましたが、この答えはエルガイムでした。
 
 反応ゼロだったけれど。
 ツイッターはやめ時だろうか…




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『君の名は。』の大ヒットを見るにつけ、Gレコのベルリの恋愛行動ではダメだったんだと思う。 [富野監督関係]

 皆さんどうも。
 前回は慌ててアップした記事だったので、しつこいようですが改めて。

 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。もう2月だけれど。

 昨年のアニメ界隈も色々なニュースがありましたが、その1つに『君の名は。』の大ヒットがありました。

 作画や音楽面は別にして、ストーリーの肝としては「運命の人はいる」「愛が起こす奇跡」な訳です。分かってはいたのですが、新海監督がインタビューで言明している記事を見かけました。

 「運命の人はいる、ということを伝えたかった」


 さて話の矛先は変わって、いつだ…先々月? もっと前? に放送されたNHKラジオでの文化講演会・富野講師回。

 この中で富野は

 大衆の欲望を表現したもの(作品)がヒットする、マーケットを意識することが必要

 と指摘し、「嫉妬心を持って」例に上げたのが『シン・ゴジラ』と『君の名は。』、特に後者だったわけです。

 さてぼくはGレコと『君の名は。』、この両作品を思うに。

 『君の名は。』の「運命の人はいる」(直接出会っていないのにドラマが始まっている!)ストーリーが多くの人の心を捉えて大ヒットした現実を見るにつけ、

 Gレコの「初めて恋を知ったんだ!」と主人公が叫んだのに・姉だと知った途端に諦めて、しかもずっと側にいた少女も置いてきぼりにしていくのは、「大衆」が望むニーズじゃないのかな、と。

 改めて思いましてね。
 あくまで恋愛面だけの話ですが。

 そもそも富野作品における恋愛って・意外とベタと言うべきか、初期・中期は「敵味方」だったり三角関係だったり「シンデレラ・フォウ」だったりするわけです。
 まあぼくの中では、ファーストにおけるブライトとミライの関係は特別で、かなり繊細でリアルで好きなのですが。

 それが『V』では(それまでも例えばアムロの母に見え隠れしていた)剥き出しの男女関係が濃厚に匂いたち・甘甘しい恋愛なんかオデロのそれだけを徒花のように残してむしろグロテスクなイメージの恋愛が描写されたわけですが、

 ブレンではジョナサンにその残滓を纏わせつつも勇をはじめカナンやヒンギスなどでストレートな男女の恋愛が描かれ、
 ついにはキンゲでの主人公からヒロインへの告白に繋がった訳です。

 やはり周囲に魅力的な異性がいつつも(シンシア! アデット先生!)、ヒーローとヒロインが接近する、それが一番支持を得るのかな、と。

 なのに。どうしたGレコでは。むしろ敵側のマスク、マニィ、バララは感情移入しやすいのに。

 大衆は運命的恋愛を求めているんだ! 運命絶対黙示録!

 あれ。この話どこに来たんだ…

 つまりは、『君の名は。』の大ヒットを見るにつけ、あのベルリの恋愛における行動ではダメだったかもしれないなあ、と思うわけです。

 ただここで制作側が「大衆」を否定すると・少なくともぼくはそいつを攻撃対象にするわけで、大衆を否定する「娯楽」ってなんだよ。衰退しやがれ。

 富野の素晴らしいところは、大衆を低く見つつも「しかしそこに受け入れられなければならない」と向かうところですよなあ。

 まあ、じゃあベルリの恋愛がアイーダやノレドともっと王道を歩んでいたら、Gレコがスマッシュヒットしたかと言うと、アレなんですがね。分からないですが。

 勿論ぼくはファンだから、「あの展開だからこそいいんだ」「あのラストでもいいんだ」って言うことはできますよ。実際、そう思っている面もあるしね。

 でもね。って気持ちもあるのです。正直。
 
 

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オクテ男子のための恋愛ゼミナール

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『クリエーターたちのDNA〜ニッポンアニメ100年史〜』の富野インタビュー部分文字起こし [富野監督関係]

 ご存じの方も多いでしょうが、現在NHKでは『ベスト・アニメ100』『ベスト・アニソン100』なる企画をやっております。

 今年は日本初と言われるアニメ=下川凹天(へこてん)が『芋川椋三玄関番之巻』を制作してからちょうど100年。
 私がその歴史をサッとまとめた『さらうアニメ史 日本でのアニメの誕生~2010年』で、「あと4年で、日本にアニメが生まれて100年になる。せめてそれまでは生きて、アニメを楽しんでいたいね。」と書きましたが・その4年が経ったんだ。
 速い…速くなる一方じゃないか!

 さてこの企画の第1弾番組『視聴者投票スタート! アニメ100人くらいに聞きました』は1月に放送されました。

 また現在「ベスト・アニメ100」「ベスト・アニソン100」のアンケートを取っていて、途中経過も掲載されています

 このテのアンケートで○○がない、やり直し! と言っても不毛なのですが、それは百も承知でドラえもんがないとはね。
 「2017年のアニメファンのベスト100」なら納得だけれど、100年を総括する企画の結果で…まあでも、こうなっちゃうよなあ。

 さて、この企画の第2弾番組『クリエーターたちのDNA〜ニッポンアニメ100年史〜』は本日・1月28日に放送されました。
 小田部さん、笹川さん、杉井さん、サトジュンさんなどがインタビューに答えていますが、当然…うん、当然富野もインタビューされております。

 以下、文字起こしです。ではどうぞ。


(Na)(アトムを始めた当時)現場は活気と混乱に満ちていたといいます。後にガンダムを生み出す富野由悠季さんはアトムの制作に参加しキャリアをスタートさせました。

 「その時にリミテッドアニメという言い方は、まあよくも発明したよなっていうくらい、映画的に考えると・許しがたい、発想だった。

 だけども、週1ペースで漫画映画を作っていくならこれしかないだろうなっていうのは本能的に分かったし、それでたまたま就職させてくれたんで、…鉄腕アトムの制作現場にいきなり入っちゃった。

 何が起こったかっていうと、やれシナリオが足らないしやれコンテが足らない。
 それでどういう風に、アニメーターに仕事をばらまくか、みたいなことを知っちゃって、これをこなしていかないと要するに3か月後に穴が開く、っていうような現場をドドドドドって見るっていうことがぼくの経験でしたんで、アニメのなんたらかんたらを考えるようになったのはそれこそ…それこそ(笑)40過ぎてからですね」

 前半は1度これで終り。
 その後、庵野さんや押井さん、長井さん、荒木さんなどのコメントが出て。

 ちなみに荒木さんは、またGレコでの「お前演出の都合で木引っこ抜いたろ」の富野話をしていました。それを受ける形で富野再登場。

(Na)「自ら与えた影響を、当の富野さんはどう思っているのか聞いてみました」

「ぼくにとっては、…まず、あの巨大ロボットって寸法を、人物っていうキャラクター? をあのワンショットでとらえるのはとっっても面倒くさいんですよ。メカがでかすぎるから。

 その一体感を持たせる、持たせて、物語を作るっていうそのスケール感とか、物語とえー人物の行動様式と乗り物つまり兵器、の関係性をどういう風に作っていくかというのが制作的な本当に肝になっていて、それを今の後発部隊の若い人達はそこを考えないであるものとしてこなしちゃっているという所が、正直…羨ましいなっていうのはそういう、うん、きっ基礎を確立するっていうところをやってなくてパーンってきちゃっているから、ホントにあいつら楽しているよねっていう感じはあります(笑)。」

 以上です。今回は珍しく、放送して即アップした!


 

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(117)教養としての10年代アニメ

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ショートアニメーション メイキング講座  ~吉邉尚希works by CLIP STUDIO PAINT EX

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ダンバインのマーベルは最初、コケティッシュな少女だったんだなあ。 [富野監督関係]

 さて、お久しぶりです。

 入院前は、アニマックスで放送されていたHDダンバインの感想でもつらつら書こうとも思っていたのですが、もう全部忘れちゃったな。
 退院・自宅療養・仕事復帰とバタバタしている間にダンバインの放送も終っちゃったし。

 まだショウがドレイク陣営にいた頃。敵味方だったショウとマーベルが、森で遭遇するシーン。

 ダーナ・オシーからマーベルが降りる時、それに合わせて画面が上から下に動くんですよね。
 現在のアニメでは、「カメラ」を意識させる演出ってよく見かけるけれど。

 この時代からあったんだな、と再認識したり。

 ダンバインの序盤見て強く思うのは、マーベルのキャラクターって最初はこうだったんだ、っていうね。

 色気でショウを自分の陣営に誘おうとする、コケティッシュな少女だよなあ。

 見ながらちょっとメモっておいたスマホのノートパッドを見ると、

 「私はニーが好きよ」

 「ショウの頬にキスまでして『あてにしているわ、聖戦士さん』とおだてておいて6話」

 と書いてある。俺は何を書こうとしていたんだ。そして6話に何があったんだ。忘れてしまった。

 メモはまだ続く。

 「そのままニーの所へ行って『あなたも板についてきたわね。心配事があるのに顔も出さず、キャプテンの役割を見事に果たしているわ』」

 「今はリムルを心配することよりも早く親父と合流することさ」

 最後のはニーのセリフだ。
 これをメモったのはアレだな、マーベルの関心が少しショウに移り始めたのを感じたニーが、マーベルに気を寄せるところかな。

 いっしょに見ていたカミさんが「なんだコイツは」とニーに怒っていたな。

 ぼくのマーベル像ってあれなんですよ、まだHD版は見てないけれど(『東京上空』前で止まっている)。

 シーラと謁見した時。
 シーラが「女武者ぶりは聞いておりましたが、こんなに優しい方とは思いませんでした」と声をかけると、マーベルは「ありがとうございます」って言いながらちょっと微妙な顔をするんだよね。

 「女武者」っていう言葉から想起されるイメージと、違うものを望んでいるわけじゃない、その表情って。いわゆる女性らしいって言われた方が、嬉しい少女なんだよマーベル18歳は。

 座禅組んで精神統一はかる真面目さがあったり、まあそういうところがチャームだと思うですよね。あと唇。

 だから序盤を見返すと、マーベルのキャラクター像は作り手側でもちょっと変遷しているな、と思う。

 最初から、「真面目で恋愛にも慣れていない少女が、それでも無理矢理色気を使って、ショウを自分の陣営に引き込もうとする」って描写だったら、もっともっと魅力的なキャラクターになっていたかもしれないね。


 さて、マクラはこのくらいにして、今回は『新潮』に掲載された手塚のエロ絵スケッチについて書こうと思っていたんだが、長くなってしまった。

 これについては新しく頁を起こそう。




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手塚治虫はやっぱり、富野も参加したあの座談会で怒っていた [富野監督関係]




 さて、どうも。今回は短く。

 先週火曜13日、YAHOOニュースに「手塚治虫が宮崎駿をライバル視!? ジブリ・鈴木敏夫が語る二人の素顔」という記事が掲載されていました。ついさっき(18日)見つけた…

 この記事の中で鈴木さんは、かつて『アニメージュ』で手塚や富野を招いた座談会でのエピソードを語っています。


「美形キャラが流行っているという話題になって。主人公じゃないんだけれど脇にカッコイイのがいると作品に幅が出ていいんですよ、という話をしたら、手塚先生が『実にくだらんことが流行っているんだね。なげかわしいよ、君!』と怒ってね。」


 この座談会って、アニメージュ1979年1月号掲載のものですよね。鈴木さんが「のちに『機動戦士ガンダム』を作る富野由悠季さんとか」と言っているので、つまりはガンダム前ってことだし。

 座談会の内容については、「ひびのたわごと」さんが紹介しております

 ぼく前さあ、ツイッターでどなたかと「この座談会の時、手塚は怒っていたんじゃないか」ってお話しなかったっけ? それか、なんかこんな内容の記事が他にも出たんだっけ…

 もう自分の記憶に自信がない…

 雑誌に掲載された座談会では大手塚、「今後おおいに参考にしましょう(笑)」とか温厚に笑っているような感じになっているけれどね。
 やっぱり怒っていたのか。

 しかしこのエピソード、オチまで含めて・手塚らしくて好ましいですね。
 で・結局、『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』で美形キャラのために呼んだスタッフはどなただったんだろうか?


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富野監督は誰をライバルにして、「勝ち負け」を挑んできたか。 [富野監督関係]




 えー、毎度のお運びありがとうございます。
 今回もチョイとお付き合いいただければ。

 今週の日曜は名古屋で富野講演会があった訳ですが、札幌在住で手元不如意なぼくは当然行ける訳もなく、昼間から酒を飲んで気を紛らわせていました。
 悔しいからツイッターは見ずに、ベーコンエッグ(卵2個)で発泡酒を飲み、カップ麺の油そばを食べながらチューハイを飲んでいましたね、ええ。

 さて行った方達のレポートを後から読むと、今回の講演会では『シン・ゴジラ』や『君の名は。』をライバル視する発言をしたそうで、これはファンには嬉しいことです。

 仮想敵を想定するのは、富野が自分の中にモチベーションを作る手法の1つだからね。
 かつて富野は「仮想敵」から自分の作品を生み出す方法を、次のように語っています


SM物のフィギュアを例にとりましょう。「出来のいいSMフィギュアが欲しいんだよね」と言われたとき「SMフィギュアなんて嫌だな」と思えば「SMフィギュアを潰すようなアイデアは何か」と考えます。つまり、「なんとなくつくる」のではなく、カウンターを出していくように考えるのです。


 どうですか。今話題の映画を見て嫉妬する、まだ創作意欲ありますな、と。

 それにホラ、師である手塚直系の匂いもするじゃない。「ぼくにもあれくらいは描けるんです」的な。

 さてそんな訳で、どんな訳か分からんけれど、今まで富野がどんな人・作品をライバル視したのか、さっと思い出せる範囲だけで振り返ってみました。どうぞ。


宇宙戦艦ヤマト

だから、僕はガンダムの企画をはじめたとき、ロボット物を使ってでも、ヤマトをおとしてみせると意図したものだ。それは、氏を(ブログ主注・ヤマトの西崎義展プロデューサーのこと)ライバルに足りる人物だと正当に評価していたからである。それゆえ、現在にいたるまで、ヤマトの観客動員に歯がたたなかったことを口惜しく思っている。(『だから僕は…』280P)

それからガンダムを作るきっかけですが、以前にも少し話したんですけど、本音はただ一つです。ごたいそうなものじゃなくてね、「ヤマトをつぶせ!」これです、他にありません。(『富野語録』54P)


永井豪アニメ

ターゲットは、『マジンガーZ』と『ゲッターロボ』をおとすことである。(『だから僕は…』288P)


スピルバーグ、ルーカス、ハリウッド

そしてできるできないは別として、ハリウッドに勝つという意識を持ったうえでも仕事を実践して見せる。そうすれば僕が勝てなくても、その姿勢を継いでくれる人が出てきてくれるだろうと思っています。つまりハリウッドになんか勝てるわけがないというような馬鹿を集めるのはやめようというところに話をもっていきたいし、そういう認識論を広めていきたいと思っています。(『ガンダム者』340P)

ファーストガンダムの映画公開の半年前に、映画「スター・ウォーズ」の公開があったんですよ。それですごくヒットした。だから、「スター・ウォーズを越えるか全滅か」っていう2つの選択しか僕の頭になくて、このガンダム人気が30年続くって言う形での予想はしなかった。
(中略)
だからあと20年待てばワールドワイドになるかな(笑)。スター・ウォーズつぶせるかなと。今それ言っちゃだめっしょ。(読売新聞YOMIURI ONLINEポップスタイルBLOG「豪華ガンダム鼎談を開催!」

で、僕は、今でもスピルバーグになりたいと思ってます。でも65から始めても間に合わない(笑)。(Cut2007年11月号

「打倒『アバター』くらいはいきたい」(産経ニュース


宮崎駿

そして2番目の本音ですが、やっぱりこれは越えられなかった。コナンには勝てなかったね、かすめもしなかった。こりゃくやしい、ありゃくやしいですよ! いつの日か打倒コナンをやりとげたいです……。(『富野語録』56P)

オスカーをとっているスタジオジブリの宮崎駿監督のように、僕がなれなかったのはなぜか? 彼とは同年齢なのですが、「彼は作家であり、僕は作家ではなかった」。つまり、「能力の差であるということを現在になって認めざるを得ない」ということがとても悔しいことではあります。(ITmedia ビジネスオンライン通信「宮崎駿は作家であり、僕は作家でなかった」)

(ブログ主注・『風立ちぬ』について)今回も「同じ年の先輩に一手先んじられた」という感覚はあります。というのも、宮崎さんが描いた技術と社会の関係性というテーマは、僕が「G-レコ」で描こうとしているテーマと重複している部分があって、その点では徹底的に負けています。完全に負けです。(SPA!14年9月2日号


その他アニメ・監督

いま『キングゲイナー』が目指している、あの作品を越えるぞ、あれは潰すぞという仮想敵の作品が一つあります。それは『クレヨンしんちゃん』です。だから、目標値はものすごく高いです。この辺は本当に真面目にわかってくれるのかな……。(『オーバーマンキングゲイナーイントロダクション』66~67P)

改めて「細田は倒すべき敵だ」と分かるから、そりゃ嬉しい。(アニメイトタイムズ「富野由悠季さん&細田守さんが『イデオン』を語る」

僕のような年齢でアニメを見た時、キャラクター作りでは『魔法少女まどかマギカ』には勝てないなっていうプレッシャーはあるんですよ。(Gレコ公式サイト

「ワンピースの尾田栄一郎に憧れる。あんなに次々ストーリーを展開させて……」(映画.com ニュース


 さっと思い出したのは以上です。中には悲しくなるのもあるな。オコルサマはなんだったんだ…

 ところで最後に、有名な「僕は不幸な人間です。 ルーカスとスピルバーグに負けたから」って、出典どこだっけ。
 グーグル検索すると、はじめにぼくの・このサイトがヒットするんだけれど。でも当時のぼくは最低限のルールさえ守っていなくて、出典を書いてないんだよな…

 ちなみにこのセリフは『ガンダム者』の中でもインタビュアーがあげているので、疑似記憶ではないはず。
 分かる方教えてください。

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ライバル

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戦国時代のライバル三大対決 (くもんのまんが 歴史がもっとよくわかる)

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ロメオがライバル 2 (ビッグ コミックス)

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ダンバインHD化に伴う富野監督×市川紗椰さん特別対談番組、一部文字起こし [富野監督関係]




 9月2日にアニマックスで放送された、富野監督と市川紗椰さんの対談特別番組の、前半文字起こしです。

 対談ちょっと・本編映像タップリの番組かなと思っていたのですが、予測は外れて対談タップリの内容でした。

 ですので、はじめは全部文字起こしする気もあったのですが、疲れてしまいました。前半パートだけで2時間以上かかったから…誰に頼まれたわけでもないのに、もう嫌だ…

 興味のある方は、アニマックスに加入するのが良いかと。5日(月曜)からは、アニマックスオンデマンドでこの対談の「完全版」が配信されるし(今回の文字起こし部分だけでも、おそらくカットされて話が完全に繋がらないところがある)。

 アンテナ買って、場合によっては隙間ケーブル買って、自分で取り付けるんだ!



 さて、では前半部分の文字起こしです。中見出しは、実際に画面テロップに出たものです。

 すみません、疲れたので読み直していません。誤字脱字は勘弁してください。あと、よく市川さんの「うーん」って言葉を書いているけれども、コレは別に不満や異議のある言葉ではなくて相槌です。
 


市川「皆さんこんばんは。市川紗椰です。そして富野さんよろしくお願いします、はじめまして」

富野「こんばんは」

市川「今日は本当お忙しい中ありがとうございます」

富野「いえいえ、あの」

市川「はい」

富野「うん、今日市川さんに会えるんでとてもあのー、嬉しがって来ました。富野由悠季と申します」

市川「いえいえ。そんな恐縮です。そんなお気遣いいただきなく」

聖戦士ダンバインHDリマスター化


市川「先程あの、HDリマスターをご覧いただだいて、率直の感想からお聞きしてもいいですか」

富野「いえ、あのー…現場の人間はああいうもの見るのとても嫌です。してえーと、昔の16ミリの映写の性能」

市川「うんうん」

富野「と、今の性能が違うわけだから、」

市川「はい、ええ」

富野「あのー俗に言うデジタル技術も使われている部分があって、映写自体が」

市川「うんうん」

富野「フィルムの画像を言ってしまえば」

市川「はい」

富野「良くしちゃっている部分があると」

市川「うーんうん」

富野「汚い部分とか手抜きの部分がいっぱい見えてくるようになるので」

市川「ええ」

富野「もっとボケた画像でなければ困るんだよっていうのがホントのところ」

市川「あ、ちょっと粗っぽい感じを残した方がいいということ…」

富野「ところがそれがね、うかつなことが言えなくて、粗っぽく残すとどうなるかって言うと、ただ荒れるだけっていう問題があって」

市川「うんうん」

富野「むしろクリアに見せる方が今のデジタルっていうのが得意かもしれないという部分もあるし」

市川「はい」

富野「それからやはりその、画面の解像度によってなんて言うのかなァ…ボケてる部分が曖昧になっていいということもあるし、それからあのー、一生懸命考えてみなくちゃいけないという部分で、実を言うと視聴者の想像力を言ってしまえば刺激している部分があったりするんで」

市川「そうですよね」

富野「いいのが」

市川「はい」

富野「ここまで綺麗に見せられちゃうと、そのやっぱりあの、手直しをしたいところしか見えてこなくなるっていうのが」

市川「ほおー」

富野「ぼくなんかつまり作っている立場ですから」

市川「はいはい」

富野「だけど逆に言うと、今度は良いところもあって」

市川「うん勿論はい」

富野「あ、やはり当時のアニメーターとか当時の背景マンっていうのはこういうところでこういうふうに頑張ってっていうのが」

市川「うーん」

富野「も、やっぱり掘り起こして見えている部分があるから、どっちを取るかなという話ですね」


市川紗椰が語るダンバインの魅力


富野「教えてほしいんです」

市川「はい」

富野「どういうきっかけで」

市川「きっかけで」

富野「で、知るようになったのんですか」

市川「もともとですか?」

富野「うん」

市川「あのー私小学校中学校アメリカに住んでいたんですけれども、あのー、リアルタイムでガンダムウィングの放送が始まったんですよ。英語版で。それを見て、すごくハマって」

富野「うん」

市川「そこからもう、あらゆるロボものをもう漁るように見るようになって」

富野「だけど、アメリカに見る、どうやって見るんですか」

市川「あのー、まあ、日本に毎年」

富野「ああそうか」

市川「来ているのでその時に色々探して。その中の1つだったんですけど。結構自分の中でインパクトが大きくて。ダンバインが」

富野「ダンバインと出会ったのっていつくらいの時なわけ」

市川「えー中学の…1年とか2年くらい…」

富野「1年…でしょ。そうするとその頃の、女の子が」

市川「はい」

富野「ダンバインみたいな、っていうのでは」

市川「はい」

富野「どういう部分がなんて言うのかな、惹かれたっていうか好きになったっていうか、えっと思った?」

市川「あの、やっぱりその、最初、まあいろんなロボットものを見てた中でやっぱり異色じゃないですか」

富野「うん。はい」

市川「で、あの最初にまああの、その現代から異世界に」

富野「はい」

市川「行くっていうところがまず」

富野「うん」

市川「もう簡単にそのまま」

富野「うんうん勿論」

市川「つられて巻き込まれるんですけど、で、そのずっとあの…割と一番ハマったところが、そのー現実世界に地上に戻るところがものすごく自分の中で引っかかって…。あのずっと……なんだろ、一番異世界にいるのに見た作品の中で一番リアルに感じたんですよ。リアリティーが。悲惨さだったりとか、その1回その世界からリアルに行くからこそ結構グっときたのがあるんですよね。
こういうものって、あるかもしれないと思えるところが、結構好きでした。うん…中学生にとっては」

富野「いや、今それ、ふと思ったのはアメリカの文化圏?」

市川「うんうん」

富野「日本?」

市川「はい」

富野「日本という文化圏というのは、日本を地上だとしたらアメリカの方が」

市川「はい」

富野「バイストン・ウェルでしょ」

市川「ああ…まあ世界観としては。近いかもしれないですけど」

富野「文化圏の違い?」

市川「はい」

富野「が持ってる感覚論から出てくる言葉だな、っていうのは」

市川「ああ…」

富野「ちょっとあの感じましたし、国内しか知らなくってダンバインを見ていた子と、明らかに違う何か」

市川「ああでも」

富野「あったんだろうな」

市川「そこはもう1つの点が、あのー結構まあ、勿論アメリカとか西洋ファンタジーのものってやっぱりありふれてて」

富野「あああります」

市川「ダンバインもその中の1つなんですけど、聖戦士ってまあholy warriorですよね。そういう宗教観がどういうところにあるんだろうとか、そういう風に見ていたりとか、してたのも、あのー。でも意外と、あるようでないようなっていうところが割と私も面白かったんですけれどね」

富野「はいはい」

市川「どこらへん。そういうのって何かあったりするんですか…聖戦士っていういまだにちょっと気になるんですけど」

富野「日本人、つまりぼくはなんだかんだ言っててもやっぱり仏教圏の人間なんだと思っていた時に、仏教圏の人間から考えた時の聖戦士論っていうのは無い、無いに近いんですよ」

市川「はい」

富野「そして、じゃあその西洋ファンタジーでは聖戦士って考えた時になんなんだろうかなあって言った時に、ハリーポッターの世界…ああロード・オブ・リング(ママ)あたりなんですけども」

市川「はい」

富野「以後のところであれだけ聞こえてくれば」

市川「ああ…」

富野「少しは考えるんだけれども、じゃあそこでの聖戦士論っていうのをうかつに触ると、どこに行くかっていうと、結局まさにロード・オブ・リングのあそこにいっちゃって」

市川「はい」

富野「アーサー王は出てこないまでも、アーサー王に願掛け(感化? 聞き取れず)していった時に何が起こるかっていうと結局キリストの文化圏に対してズッって行くわけね」

市川「そうですね」

富野「それだけは絶対にしない」

市川「うんうん」

富野「その、holyとかなんなんだっていった時に、…ダンバインをやっている時に、この問題だけはあの意識してたから」

市川「ああ」

富野「考えるのをやめたのね」

市川「うんうんうん」

富野「だからその部分を突き進むっていう気はなかったし、あともう1つ。今度はあの…ぼくの年代の仏教徒ではないんだけども、仏教文化に浸っていた人間からうかつにその部分を触ってその、西洋ファンタジーに対して」

市川「うーん」

富野「失礼があっちゃいけないとも思ったので」

市川「ああ」

富野「触わらなかったっていう意識はあります」

市川「うーん」

富野「っていうのは、勉強もしてなくって」

市川「はい」

富野「そこには触るなっていう」

市川「うんうんうん」

富野「部分が、ホントにあったからです」

市川「はい」

富野「さらにだから、この歳になって最近ちょっとそういうことを知るようになってくると、やっぱりうかつに触ってなくて良かったなって。歯が立たない」

市川「勝手な中学生としては割とその、例えばそのショウが、ま、バイク」

富野「はい」

市川「とかで、それはもしかしたら死んだとして、死後の世界でっていうふうに見てた中で1回リアルに行くので、それで全部崩れたのが良かったんですよね。自分の中で。なんか割とそういう目で見れるんだけどそうじゃないってなると結局バイストン・ウェルって夢の世界ってところに戻って」

富野「はい」

市川「で、その夢の世界って誰もが持ってて『あるかも』っていうところが、割と刺さりました」

富野「不承不承やっている部分があったわけ」

市川「はい」

富野「で、不承不承やったから、部分があったんで、今市川さんが言ってくれた部分?」

市川「うんうん」

富野「そこまでは吹っ切れなかったのね」

市川「ああ、ああ、ああ」

富野「だからなんとなく、後半ああいう形になったんですよっていうのはやっぱり作業論の中でなんとなくやっただけのことである」

市川「うんうん。ネタ的に」

富野「あればあるほど、あのー聖戦士ってなんなの、地上にいた人が聖戦士、バイストン・ウェルにいた聖戦士ってなんなのっていうふうなちょっと曖昧なんですよねって。そりゃ曖昧だよって。作り手が何も考えてないんだからっていう」

市川「ああ、ああ」

富野「いう、言い方もしますし、しておきますし。それからあの今言った通り、じゃあこれから作り直せるかって言った時に、やはり、改めて」

市川「うん」

富野「今のキリスト文化圏の持っている問題ってのが分かってくると、そう簡単には触れない」

市川「でもやっぱり色んな要素があって、そういう例えば、しかもメタ的な作業所をそうしなきゃという制限があったからと、もともとのやっぱり富野さんの意思とかそれは全部合わせって出来たからこそ、たぶん私みたいな人が勝手に色んな考えが入れられるんですよね」

富野「うん、あのー、あの、勿論そうだと思います。だから」

市川「余地ができるというか」

富野「地上界と、バイストン・ウェルっていう、うーん、ホント海と陸の間にある」

市川「うんうん、はい」

富野「ええ、うまい設定だよねと(笑)」

市川「うんうん(笑)」

富野「思っていると、やっぱりその部分だけ、以上のことはしないようにするっていうことで、言ってしまえば、ダンバインやっている頃ならロード・オブ・ザ・リングっていう日本語がなくて、」

市川「はい。うんうん」

富野「日本語がなくて、指輪物語なんていう」

市川「指輪物語。はい」

富野「指輪物語をそのまま持ってくるようなことはとにかく、とにかく排除する」

市川「はい。あ、でもやっぱりそういう、作る、あのバイストン・ウェルの世界観を作られる時にやっぱり意識とかあったんですか」

富野「それはもう、うかつに読むと」

市川「うん」

富野「コピーが始まる」

市川「うんうん」

富野「だから、それはもう」

市川「あ、はい」

富野「それはね、かなり必死です」

市川「うんうん」

富野「だけれども、実を言うと、こちらの方が本物なんだから、読めばいただけるものがあるんだろうなと思う」

市川「うーん」

富野「ホントに思うんです」

市川「はい」

富野「けども作り始めたらそれは絶対にしません」


 以上です。

 ※関連記事 市川紗椰さんがTV番組で「ラストが衝撃せつな過ぎるアニメ」として『ザンボット3』と『イデオン』を紹介

 ※追加。
 こちらのブログさんが、全て文字起こしなさいました。ぼくのように泣き言も書かず、熱意のある方は違いますね。




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「吉田豪さんが安彦さんにインタビュー」「富野×市川さん対談のためにアニマックスと契約したけれど、さて他に何を見よう?」 [富野監督関係]

 どうも。毎度のお運びありがとうございます。

 先日TLを見ていたら、ラジオ「たまむすび」で安彦さんが取り上げられたことを知りました。

 「スペシャルウィークでもないのに、安彦さんゲストで来たの?」と思って調べてみたら、プロインタビュアー吉田豪さんが出演するコーナー「その筋の話」で・安彦さんにインタビューした時の話がテーマだったのです。

 「その筋の話」は、公式HPによると


有名無名を問わず、何かのジャンルに特化した人をゲストに招いて“その筋の話”をきいていく、ゲストコーナー


 で、吉田さんは月1回出演しています。

 毎回、誰かを取材した時の話をするのですが、吉田さんは『キャラクターランド Vol.8』で安彦さんにインタビューしたんですね。
キャラクターランド Vol.8: HYPER HOBBY presents (HYPER MOOK)
 吉田さんは以前、同誌で富野へのインタビューもしていて、このブログで紹介した時には最後にぼく


吉田豪さんのインタビュー時の裏話を聞く・読むのが好きなので、富野話も「TOKYOBREAKING NEWS」か「たまむすび」で、期待してますぜ。


 と書いたけれど、確かこの時ホントに「たまむすび」の「その筋の話」で富野の話もしたんじゃなかったかなあ(まだ小林さんの頃…)。

 今回の「その筋の話」でも、安彦さんの西崎さんとの思い出など、面白い話がありました。元気になるクスリをスタッフに配っていたとか。わはははは。どんなクスリだったのか。

 富野との話もあって。
 興味深かったのは、『Z』で富野が安彦さんとのチャンネルを絶った、そこで安彦さんの怒りが富野ではなく・神輿を担いだアニメ誌に向かうのが興味深かったですね。

 あ、そっちに行くんだって、って言うね。

 この回は、Podcast…じゃなかった、会員登録すれば「TBSラジオCLOUD」で8月12日まで聞けます。


 さて、もう1つ話題。

 このブログを読んでくださっている大半の方はご存知でしょう。
 アニマックスでは9月、特別番組「緊急ニュース!富野由悠季と市川紗椰『聖戦士ダンバイン』HD化計画を語る 」が放送されるわけですが。

 市川さんと言えば、「土曜プレミアム・有名人が初めて話します! とっておきランキング~ここでしか聞けない話」というTV番組で、「ラストが衝撃せつな過ぎるアニメ」として『ザンボット3』『School Days』『イデオン』を紹介し、自宅にはダンバインのフィギュアを飾っているタレントさんですが。

 まあ帰国子女で美女でインテリだったら、富野もニコニコで話が弾んだでしょう。

 ぼくのイメージする富野は美女にもインテリにも弱いのでね。あ、市川さんがインテリゲンチャかどうかなんて、面倒くさい話は結構です。ニュース番組を担当しているんだからインテリに決まっている!

 この対談がネットニュースになった時の「海外に住んでいたからこその視点で、そういう風に説明してくれた人は初めて。本当にありがとう」っていう富野のコメントだけでね。
 ああ、って。ぼくの中ではちょっと微妙なニュアンスだけれど。長年のファンには冷たいけれど、美女には優しい的な。ふふふ。

 現在ぼくはアニマックスとは契約していないのですが、ラッキーなことにスカパーから・オマエに特典として来月好きなチャンネルを無料で見せてやるよとの旨のメールが来たので、これ幸いとばかりにアニマックスを選択しました。

 正直なところ、今まで何回か特定の番組(ほぼガンダム関連)目当てにアニマックスと契約したことあるのですが、その目当ての番組以外に食指が動くコンテンツが無くて、結局すぐ解約するんですよね…

 富野×市川さん対談の番組と、HD化の効果を見たいからダンバインはちょろっと見るとして。
 あとは何か興味が引かれる作品が放送されるのだろうか?

 公式HPには9月放送の新作が載っていて。

上記2作以外には
『逆転裁判』
『ギルティクラウン』
『サイボーグ009VSデビルマン』
庵野版『キューティーハニー』
『RE:キューティーハニー』
深キョン版『ヤッターマン』
『学戦都市アスタリスク』
『アルスラーン戦記』
『血界戦線』
『名探偵ホームズ』
『続 夏目友人帳』
『シドニアの騎士』
などなど。

 『名探偵ホームズ』は好きだけれど数年前に全話見返したし、ドレとは言わないけれど数話で挫折した作品もあるし…

 最近富野を連想してしまうあの方の作品は1話目で挫折、アレはジャンルとしてはミステリーなんだろうけれど頭が悪すぎて1事件で終了…

 あっ、『サイボーグ009VSデビルマン』は見よう。
 「どうして70年代の匂いがするものをこのご時世に?」と思ったまま未見だった。
 
 そのくらいかな…HDに録画したまま放置している番組が十数時間分溜まっているし。

 しかし市川さんとの対談は何分番組なんだろう?

 作品紹介やHD化を説明するパートもあるだろうから、30分は欲しいな。




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Gレコのキャラは自由に動く。 [富野監督関係]




キャラクターの行動を規制する要因


 先日、HIGHLAND VIEWさんの「機械仕掛けの王に仕える、命ある暴力装置<ゲームにおける暴力コントロールのアイデアメモ>」という記事を読んで、アニメのキャラクターを縛る様々な要因について考えを巡らせました。

 記事では「プレイヤーが主人の命令で動くゲーム」について書かれていましたが、私の思いは例えば映画やアニメではその「主人」が人物ではなく、様々な世界設定や心情として存在するだろうと脱線していったのです。




 先日このようにツイートしましたが、例えば史実でも明保野亭事件などを知ると、「どうして任務を遂行しただけで腹を詰めねばならんのだ…」と理解しかねてしまいます。
 ここでは、当時の政治状況などが人間の動きを規制して、ドラマ(史実に「ドラマ」というのが適しているか分からないけれど)が生まれるわけです。

 史実でもあり、物語としても消費されている忠臣蔵なども、様々な要因が人物を規制します。

 では富野ガンダムシリーズにおける、「行動を規制するもの」を考えてみましょう。

 例えばミハルは、自分を縛る「スパイ」という枠を超え始めたところが、後の悲劇をさらに強烈に彩るわけです。


そんなに惚れたなら、一緒に行動しちゃえばいいのに


 さて一番の例はアムロとララァです。

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 アムロとララァはあれだけ惹かれあっているなら、一緒になってしまえば良いのにと思うわけですが、勿論それではドラマになりません。
 ララァがアムロと一緒になれない理由は「シャアへの恩・愛情」「ジオン軍に属している」、こんな感じでしょうか。

 他に何もないですよね。これがフォウになると、「記憶を取り戻したい」となります。
 フォウはオーガスタ研を嫌っていたくらいの印象がありますから、まあ実はフォウの行動を規制する「主人」は「記憶」しかないと思うんですよ。

 それであのドラマを作っちゃうわけですから、かなりの力業です。

 ここで注目すべき点は、「じゃあアムロやカミーユが、女に寄り添えばいいんじゃないの?」と疑問が沸くわけです。

 どうだろ。

 アムロは「WBクルーとの絆」「シャアに勝ちたい」「連邦軍に属している」。アムロを規制している要因は…こんなもの?

 カミーユに至っては…なりゆきで、ジェリドを殴ったとか。その後もエゥーゴにいた理由って、まあシロッコやハマーンが登場してからは義憤みたいなものも理由になりえるけれど、そんなに明確ではないよな。

 他になんかあったっけ。
 実は主人公の方が、惚れた相手のために鞍替えできそうな感じがしますが、彼らはそれをしないわけです。

 まあ戦争なんで、「一人の突出した戦力が戦局を左右する」なんてのは自惚れで(戦争は数だよ兄貴!)、彼らは身一つで敵に寝返っても良いわけです。

 なにせ異世界では西部のイモにキツイ一言いわれて、最新鋭機と共に鞍替えした聖戦士もいるくらいですからね。
 ところが彼らはそれをしない。特にアムロ。彼はそれこそララァに「なぜあなたはこうも戦えるの? あなたには守るべき人も守るべきものもないというのに」と喝破されているように、戦う確固たる理由がないのでね。

 富野ガンダムでは、色々な縛りから逃げ切れないキャラクターが描かれているわけです。それは例えば、表向きは好きな男のもとへ走ったレコアさんにしても同様です。
 そこで悲劇が生まれます。

 で、案外自由に動けるはずの主人公は、しかし彼女達の傍に行こう(敵陣営に寝返ろう)とはしません。

 もし、アムロがもっと早くララァと出会っていたら、WBをガンダムもろとも脱走した時にジオン軍に寝返っていたかもしれませんね。ララァといっしょにいるために。そしてシャアと三角関係ラブコメ。「出会うのが遅すぎたのよ…」

 ところで富野作品でも、ガンダム以外では自分の感情の赴くままに、なにも縛られることなく行動するキャラクターはいます。

 その筆頭は、『エルガイム』のギャブレット・ギャブレーだと思うのですが。
 (後半の)彼が魅力的に見えるのは、ポセイダル軍も立身出世ももはや関係なく、行動基準が「クワサンのため」と一貫しているからです。

 そして、ついには富野ガンダムでも。
 縛りがなく行動するキャラ達が作品世界の中でポンポン自由に跳ねていたのが、『Gレコ』だったわけです。

『Gレコ』は新しい富野ガンダムキャラを提示した


 この記事を書く前、頭の中でここまでの内容をぼんやりと考えていた時に、真っ先に思い浮かんだGレコのキャラはリンゴくんのことでした。

 アイツ、捕虜になった先で女に惚れて、そのまま積極的に(ラライヤを守るため)戦闘に参加しおって…




 こんな呟きをした後で、改めて考えてみると、あ・リンゴだけじゃねえや。

 そもそも主人公が海賊女に一目惚れして(髪の匂いハアハア)、クラスメートも母親の立場も考えずに、キャピタル・ガードをぶっちぎったんだった。

 もともと、事前知識を意図的に入れていなかった私だけでしょうか。
 Gレコ1話目を見終えた時に、「このままアイーダは海賊からキャピタル側に寝返るだろう」と思っていたのは。今までの富野ガンダムのパターンなら、そうなっていたはずです。

 カツもサラを追いかけてティターンズに寝返ることはしなかったし、あの女! あの女!
 ハサウェイはクェスを取り戻そうとしたけれど、ネオ・ジオンに入隊してまでクェスを守ろうとはしなかった。

 ところがベルリくんは、アイーダにくっついてそのまま海賊の仲間になってしまった。もっとも本人は当初、戻る気があったみたいだけれど…

 そしてベルだけじゃない。ノレドも当たり前のようにベルにくっ付いて動くし、マニィはキャピタル→海賊→キャピタルとUターン就職ですよ。いや、就職じゃないけれど。親友より愛しい男。

 ケルベスもいつの間にかシレっと海賊側にいる。 

 ジット団だって「ビーナス・グロゥブ」全体の意思は無視してレコンギスタ始めるし、戦いが終ったら命のやりとりしたはずのメガファウナの一行と仲良く旅に出ているし・クンちゃん妊娠しているし、オマエラ自由だな! 色んなものに縛られて意中の相手といっしょになれず・悲劇にもてあそばれて死んでいった富野キャラ達に謝れ!

 と、まあそれは冗談だが、彼らは戦時にも関わらず「自分の意思」で動く。これは戦いを描いたドラマにおいて、非常に特殊なことだと思います。

 そしてその描写の原因は、例えば「この時代ではそういう行動が自然なのだ」「現在の軍隊とは性格が違うのだろう」などと考えるより、ぼくは「こう描きたかったのだろう、もう運命でも規範でもそれこそ主人(上司)でもなんでもいい、それらに嫌々従って死ぬキャラクターとは別な物語を見せたかったのだろう」と推察するのが好みです。

 実はそこが、今までのパターンではないので視聴者の感情移入を損ねている要因な気もしますが、でも余りあるGレコ特有の魅力となっています。

 軍や人とのしがらみなんか関係なく、自分達で行動を選択する。そして邁進する。

 そのキャラクター達を精一杯追いかけているのが、Gレコです。鷹は自由に。



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Gレコ・実践血縁批判(アイーダとベルリは姉弟じゃない説) [富野監督関係]




 どうも。久しぶりです。

 今回の記事は、前々回の「Gレコ・純粋恋愛批判」とシリーズみたいなところあるので・あやふやな言い方だけれど、未読の方は是非読んでいただけると嬉しいです。

 今回もタイトルはシャレ? なんで、あまり深く考えないでください。あと1つは何批判にしよう? タイトルだけ真似て読んだこともねーのに。

 さて、Gレコにおいてアイーダとベルリは姉弟ということになっていますが、ぼくは全話を見た上で「ひょっとして姉弟ではないのでは?」と思っています。いました。どっち?

 ツイッターで呟いたところ、僅かながら同意してくれる方もいたので心強くもなりました。

 そこで何故ぼくがアイーダとベルリは姉弟ではないと思うのか、その要因を列挙し、さらにはその反駁も(つまりは姉弟である、という論拠)も自分で挙げていきます。
 面倒なことするな、我ながら…

 まず正直に告白しておくと、「Gレコ・純粋恋愛批判」でも書いたのですが、ぼくはもともと放送前に情報が小出しにされていた段階から、「この2人は始めは姉弟だと互いに認識しているけれども、やがて恋愛感情が生まれて、そして血縁関係があるのか・ないのか悩んだりしてドラマが生まれるのだろう」と考えていました。

 さて実際に放送が始まって、ぼくが「やっぱり姉弟じゃないな!」と思った回は、他ならぬ姉弟であることが判明した第16話「ベルリの戦争」の時です。

 この時、写真が3枚出てきます。1つは「1枚だけ残されていた」とミラジが説明し、ロルッカが差し出す写真。あと2枚は、アイーダが古い記憶を呼び覚まして見付ける写真です。

 見てください。

写真1
写真1.jpg
写真2
写真2.jpg

 1枚目の写真はレイハントン夫妻が写っています。髪の色が同じで面影もあり、母親とアイーダが実の親子であることは明白です。

 問題は重なっている2、3枚目の写真。
 上の写真は家族の写真ですが、子どもはアイーダしか写っていません。下の写真は全体が見えないので分かりませんが、構図をみるとアイーダだけが写っているように推測できます。

 なぜベルリが写った写真がないのでしょう?
 この疑問は物語内で考えるのではなく、制作陣の立場になって考えたいのです。

 「家族の写真」を登場させるなら、ベルリを含めた4人の肖像で良いはずです。わざわざ3人であることには、意味があるのでは…

 またアイーダはこの写真を見つけたことからも分かるように、生家に覚えがあるのですが、ベルリは全く記憶がありません。
 子ども用のベッドを見て、「あれ、僕が使っていたんですか?」と言っているくらいです(ロルッカがあそこから落ちていた、と答えている)。

 この回の後、2人は姉弟であることを受け入れて話が進む訳ですが、もう1つ、やはり血縁関係に疑義がでてくる回が終盤にあります。

 それが第23話「ニュータイプの音」で、アイーダやベルリ達と、グシオンが対面する場面。

 その時、グシオンは下記のように独りごちます(こちらのサイトを参考にさせていただきました)。

「ニューアークの育児園にいたアイーダの履歴は…」
「なぜ姉弟だと信じているのだ? アイーダは」

 つまり、少なくともグシオンは姉弟ではない、と思っているのです。

 この後は2人の関係を揺るがすような提示はなく、姉弟のままで話は進み、終ります。

 では整理して、ぼくが「姉弟ではない」と思う理由と、考え得るそれへの反論を挙げましょう。

 1、レイハントン家の写真に、ベルリが写っていない。
 反論・ベルリが生まれる前の写真で、ベルリが写っている写真は全て失われているのではないか?
 再反論・先に書いたように、問題は「なぜスタッフがベルリを含めた写真にしなかったのか」にある。そこには意図があるはず。

 さらに考えられる反論は「ベルリが生まれてすぐ、集合写真を撮る間も無いくらいの時にレイハントン家に危機が訪れたことを暗示するためにベルリが写っていない」くらいでしょうか。


 2、グシオンが「なぜ姉弟だと信じているのだ? アイーダは」と言った。
 反論・グシオンはレイハントン家の事を知らないだけ。身元を隠して地球に亡命したのだから、グシオンが知らないのは当然。

 実はこの反論、yahoo知恵袋で「アイーダとベルリは姉弟じゃないんですか?」と質問している人がいて、それへの答えに書かれているのものです。
 回答者は2人いて、その内の1人はノレドのことを「レノド」って再三書いているので、まあアレなんですが…

 勿論、このアンサーは成り立ちます。育児園の経歴は当然偽装だから、グシオンは知らないのだと。

 ロルッカは、子ども2人をクンパ(ピアニ・カルータ)が捨て子として処理したなどと気軽に言っていますが、当然クンパは運を天に任せたわけではなく、身元を隠しつつ一方はアメリア軍最高責任者、もう一方はキャピタル・タワー運行長官というハイソサエティの家庭に行くよう手筈したと推測できます。

 ぼくは読んでないけれど、wikiのグシオンの項目を見ると、プロデューサーがこのような旨を言っているようだし。

 まあぼくは身元を隠して預けるより、クンパが信頼できる養子先としてグシオン家とゼナム家を選び、由緒ある身分を打ち明けて託した方が子どもの安全性は高まる・とすんなり得心できるんだけれども。

 例のグシオンのセリフも、

 (アイーダはどこで自分の出生を調べたのだろう?)
 「ニューアークの育児園にいたアイーダの履歴は…(本当のことは書いていないはずだ)」

 と解釈もできちゃうんだよね。

 3、ロルッカの話によればベルリも乳児の時にはこの館で暮らしており、そしてアイーダは「写真の保管場所」を覚えているくらいの年齢まで暮らしていた。つまり2人はいっしょに暮らしていたはずなのに、アイーダは弟の存在すら知らない様子だった。

 これは…考えようによっては、制作時の単純なミスって気もするけれど。

  
 では逆に、姉弟であると思われる理由は。

 1、そもそも初期設定では双子だったんだよ? その後、姉弟の設定になったんだから。
 反論・答えは出来得る限り、本編のアニメの中から得るべきでは?

 2、Gセルフを扱えるのが証拠。例のペンダントもある。
 反論・ラライヤもGセルフを扱えるんだけれど…。あとペンダントは幼少の頃に受け取ったんだろうね。「2人が幼少の頃に一時期、一緒にいたかもしれない可能性」は否定しません。むしろ有り得る。
 ※コメント欄でご指摘いただいた通り、「幼少の頃に受け取った」はぼくの勘違いですね。2人を認識すると、排出される仕組みだったのかな。

 3、アイリスサインは?
 反論・アイリスサインって、良く分からない。「アイリスサインが2つも出ている」とカーヒルが言ったわけだけれども、アイリスサインがもし言葉通り虹彩による識別だとしたら・同じものが2つあったら困るんだよね、例え姉弟でも。肉親でも違うからこそ、識別に利用できるわけだし。

 4、ロルッカやミラジが姉弟だと言った。
 反論・うん。劇中では、だからこそアイーダもベルリも血縁関係を信じたわけなんだが。問題は、彼らがいわゆる「信頼できない語り手」である可能性はないのか、ってことなんですよ。
 物語の中でも、彼らの言葉以外に2人が姉弟である証拠は何1つない。

 ロルッカやミラジの仲間だったフラミニアは実はジット団の仲間だったわけだが、彼らの言葉もそのまま額面通りに受け取っていいのか。視聴者をミスリードするための「信頼できない語り手」である可能性もあるんですよ。

 そもそも、アイーダとベルリを見つけたいからGセルフに仕掛けをしたって、どういうことだよ。
 2人が偶然Gセルフに接触する可能性なんて、ほぼゼロだろ。そんなミラクルが起きた? 2人ともGセルフに?

 あれ、これ設定批判になっているか? やめよう。

 ※コメントから指摘いただいて追加
 5、マラソン回で、フラミニアが何かのデータを見ながら「やっぱり姉弟(きょうだい)?」と呟いている。

 おそらく健康診断にかこつけて独自に調査していて、確認されたってことかなあ。


 では結論として、アイーダとベルリは姉弟か、否か。

 ぼくは否定派だったのだが、書いているうちにちょっと変わってきた…タイトルに偽りアリな気持ちになってきた。
 ぼくが考える可能性は4つ。競馬のように書くと、

 【本命】深読みしすぎ。そのまま、姉弟である。

 【大穴】あの写真はやはり伏線だった! 語らぬが花、明示はしないが姉弟ではない。

 【無印】ベルリはアイーダのクローンである。

 ぼくは以前こんなツイートをしました。



 しかも、最終回でアッサリとノレドを置き去りにしたことも、「クローンだからちょっと人情味に欠けるのかな」と説明が付くし。ま、冗談だけれども。

 で、4つめの答え。

 【対抗】当初は「姉弟ではない」設定があったが、結局は「姉弟」になった。しかし「姉弟ではない」設定時の残滓が完成フィルムに散見されてしまった。

 陳腐な「ぼくのかんがえたGれこせってい」を出して反論するよりも(もういじってやるなよ、俺)、ファンの方がよほど良い反論を書ける訳ですが・ちょっといまだにこのリンク先様からぼくのブログに足を運んでくれる方がいらっしゃるのだが。
 バカを見に来たのかバカを見に来たのか。

 話ずれた。ぼくがGレコを批判するとしたら。

 その1つは、構想・本格スタートまでに時間がありすぎたせいか、ところどころに没設定の残滓があって、それがファンを惑わせることですね。
 
 代表例は、教皇様とノレドが同じナグ姓であることなんですが。

 初期設定では孫と祖父でも、それが物語に全く生かされず明示もされないなら、どちらかの名前は変えるべきだし、多くのファンが引っ掛かった会話シーンも削除すべきだと思うんですよね。

 ノイズでしかない。なのに、フィルムには残っている。
 ベルリとアイーダの姉弟問題も、この類はあり得るかもと思っています。

 もし普通に姉弟なら、映画版があるなら例の写真を直して欲しいな、と思います。
 
 ヒーローとヒロインに恋愛要素がないのはツマラナイし、かと言って尺が限られた映画で「2人の続きが、知りたい」いやそれよりも「青空をー越えてー」の方が的確か、そんな恋愛を・メインテーマならともかく添え物としては扱えないと思うので、ワンチャンスないかなあ。
 アイーダとベルリが他人で結ばれる展開。




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市川紗椰さんがTV番組で「ラストが衝撃せつな過ぎるアニメ」として『ザンボット3』と『イデオン』を紹介 [富野監督関係]




 どうも。今日…日付が変わっているから昨日か、昨日の22時頃。

 録画している映画かアニメでも見るか、と思いつつもTVをザッピングしていると。

 フジで「土曜プレミアム・有名人が初めて話します! とっておきランキング~ここでしか聞けない話」というのが放送されていて。
 
 なんとなくリモコンの番組説明ボタンを押すと、市川紗椰さんが「ラストが衝撃せつな過ぎるアニメ」を紹介する、とあったんですよ。

 市川さん。
市川紗椰/夜が明けたら
市川紗椰/夜が明けたら
 市川さんと言えば、時おりTVで紹介される自宅の写真には、ダンバインの1/24フィギュアがバッチリ映っているし
 確かマーベルのコスプレもしていたはずだし。ハマーンのコスプレもしているし。

 これは、富野作品が紹介されるだろうと思って録画しました。

 ご本人はブログで「衝撃エンディングのアニメトップ3」と書いていたけれど、番組では「ラストが衝撃せつな過ぎるアニメランキング」でしたね。

 「衝撃」と「衝撃せつな過ぎる」じゃニュアンスが違うけれど、ま、そこら辺はお遊び番組だろうからガバガバでいいでしょう。

 ぼくは見る前に、


 と予想しましたが、結果は。

 3位『ザンボット3』

 2位『School Days』

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 1位『イデオン』

 でした。

 ザンボットの紹介は「嫌われた合体ロボの切なすぎる結末?!」。

 市川さんが最初に「皆さんガンダムはよく知っていると思うんですけど、ガンダムと同じ監督の、富野さんがガンダムの2年前に作ったロボアニメでございます」と紹介。

 テロップも出ました、がコレですよ。

IMG_20160403_023531.jpg
 (当時)もなく、「喜幸」のまま。知らない人が、ザンボットのクレジットから抜いたのかな…

 放送では神ファミリーが宇宙人であること、そして地球人から迫害されること、ラストには関係ないから人間爆弾はスルーされて、最後次々と死んでいくこと・ラスボスがコンピューターであることが紹介されていました。

 紹介している時の市川さん、ちょっと涙ぐんでいたよな?

 スタジオの反応は良かったです。

 市川さんが「皆殺しの富野」と紹介して、MCの加藤浩次さんが「これ(で)3位ですか…」と。

 で、2位が『School Days』で、これがもっとも切なすぎるというか、「怖い」感じでスタジオ受けが良かったですね。特に男性陣の。

 ぼくは『School Days』見ていないけれど、ダイジェストで紹介しやすそうだし・実際物語が把握しやすかったし。

 だから逆に、「アニメ史上最多死者?!」と紹介されたイデオンは、ややスタジオ受け悪かったです。

 ほら、ガンダム以降に言えることだけれど、あらすじを魅力的に伝えるって、案外難しいんだよね。富野作品って。
 いいところはあのシーンのあれこれ、あのキャラクターのあれこれと、細部になるのよ。ダイジェストで魅力を伝えるのは難しいの。

 だからイデオン紹介後は、

 加藤さん「さっきの三角関係見ているから」
 竹山さん「なんでSchool Daysが2位だったのか? 完全にあれが1位だろ」
 といったものでした。

 市川さんは、イデオン登場はアニメにとっては歴史的なものなので敬意を込めて1位にしました、みたいなことを言っていました。

 まあイデオンの何が切ないかといえば、打ち切られて「イデが発動した」が切ないのです。でもそのおかげで発動篇が生み出されたので、結果オーライなんですが。

 イデオンは短い尺の説明では、魅力を紹介しきれないので、あの反応もちょっと仕方ないかな。

 今回の市川さんの紹介を通じて、何人かでもザンボットやイデオンの魅力に触れてくれると嬉しいですね。


※関連記事
坂井真紀さん、イデオンを絶賛
フジの笠井アナ、イデオンを語る



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Gレコ・純粋恋愛批判 [富野監督関係]




 どうも。Gレコ放映終了してからもう1年たつのか…

 語りたいことはまだまだあります。今回はそんな中の1つ。タイトルはシャレ? なんで、あまり深く考えないでください。

 Gレコが始まる前。
 アイーダとベルリが姉弟設定で・そして韓国ドラマの要素も取り入れていると事前に知っていて、しかもベルリがアイーダに一目惚れする展開を見たら、この2人の恋愛関係がどのように進展するのか非常に興味がありました。

 「恋愛」を中心に展開を考えると、普通だったら「姉弟だった」と分かった所から、物語は本格的に動き出すはずじゃないですか。
 そこからが本当のドラマのスタートですよ、普通なら。

 姉弟でも愛を貫き・2人で逃避行か。お互い好きでも泣く泣く別れるのか。実は姉弟ではないことが分かってハッピーエンドなのか。
 どのゴールにも辿り着けます。

 ところがGレコは、本来ならドラマが始まる「姉弟だった」と判明した所で、2人の恋愛関係は終るんですよ。

 しかも、ベルリの一方通行。アイーダにいたってはベルリからの想いに気付かないまま。
 実は、恋愛ドラマが始まってすらいない。

 勝手にベルリの中で始まって・終っている。これは恋愛ドラマと呼べるのだろうか。

 そもそも、設定を思い直してほしい。
 

 めぞん一刻直撃世代としては、

 「恋敵は決して劣化することのない、むしろ美化されていく死者」というだけでワクワクするし、



 しかも「自分の大事な存在を殺した人間を愛せるか」というのは一本の映画になるほどのテーマだし、

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 姉と弟の恋愛関係なんて、深刻にも・アニメ界ではライトにも扱えるインセクトタブーも取り入れているし、

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 しかも「憧れの年上のお姉さんと、活発な女友達」なんてラブコメにはおあつらえ向きな三角関係(カーヒルを入れたら四角関係)まで用意されていながら。


 2人のラブコメ的展開がこうまでハネずに、姉弟と分かった時点で終了するなんてことがあるでしょうか。
 いや、実際にそうなったのですが。

 これは、職人技で設定はてんこ盛りにしたけれど、いざストーリーが始まると制作者の興味が別な方向に向かったので放り投げられてしまったのでしょうか。

 断っておきたいのは、見た方にはもちろんお分かりでしょうが、Gレコで魅力的な恋愛関係が描かれていないわけではありません。

 バララとマニィとマスクの三角関係は描かれていたし、
 無邪気なラライヤと・リンゴとケルベスは短い描写ながらも面白かったし、
 天才とミックは最終的に良い感じのカップルになったし、
 妊娠したクンはいるし、サブキャラの恋愛事情は結構魅力豊かに描かれているんです。

 何故設定がお膳立てされているのに、一番重要なキャラクターであるベルリとアイーダだけは尻すぼみになってしまったのか。

 富野本人は、「自分がアイーダはカーヒルと寝たと勘違いしていたから、キャラが沈んでしまった」みたいなことを言っていたけれど、それが原因なのでしょうか。
 ネットで「富野は処女厨」とか書いているのも見かけたけれど、アホか。
 かつて、主人公とライバルの心を死ぬまで縛り続ける「永遠の女性」を、売春婦に設定した人間のどこが処女厨なんだ。

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 ベルリとアイーダの恋愛展開が尻すぼみになったのは、他に理由があるのではないでしょうか。

 現実的な問題としては、ベルリにカーヒルを殺させた時点で、この2人の恋愛的展開は放棄されたと考えるべきでしょう。

 先ほど「1本の映画になるほどのテーマ」と書きましたが、逆に言うと、本線の話は別にあるのに・26話程度で収められる話ではないのです。「自分の大事な存在を殺した人間を愛せるか」というテーマは。

 そもそもGレコの世界では、これだけ要素が揃っているのに、ラブコメディ的な恋愛はほぼ許されない世界です(だからリンゴとケルベス偉い)。

 Gレコ世界の「愛」の大半は、ちっとも美しくなければコメディにもならない。

 マニィはマスクへの愛が故にベルリ(親友の想い人)を殺そうとするし、バララは嫉妬も手伝ってユグドラシルで大量虐殺。
 マッシュナーは愛のためにおかしくなって、同僚を道連れにしてしまう無茶な行動。

 そもそもアイーダが大好きなカーヒルだってアイツ、良い男ではないでしょ。いや、ルックスではなく。
 落下するラライヤは放っておいて、機体を回収する男だよ。ぼくが考えるカーヒルって、自分のステップアップのために、アイーダをたらし込んだ下衆な野心家です。
 アイーダの地位を目当てに、その愛を利用している男ですよ。
 
 だからこそ主人公のベルリは、恋愛からは切り離される。
 それでこその富野作品の新たな主人公です。「愛のために戦う」なんて、視聴者はそんなもんで心動かされますか? ニヤニヤ。

 10話で「恋を知ったんだ、誰が死ぬもんか!」と叫んだ少年は、しかし物語中盤の16話でアイーダとの姉弟の関係を知り、恋愛感情から切り離される。

 まだ10話もあるのに…姉萌えの展開なんか、もうない。

 恋愛感情から切り離されたベルリは・だから最終回で、アルケインやダハックといっしょではなく単機で大気圏に突入して、マスク・マニィのカップルと戦う。

 そして最後はノレドといっしょではなく、独りで旅に出る。

 彼は、恋愛が素晴らしいことばかりではないGレコ世界の人間なので、独りで大人となる旅に向かうのです。

 そして同時に、ラストシーンにおける・憑き物が落ちたかのようなマニィとマスクの2人の姿は、Gレコ世界の変容です。
 「恋愛が素晴らしいことばかりではなかった」Gレコの世界でも、戦争が終れば恋愛を肯定的にとらえられる世界へと変わる、そのアイコンとして2人の姿は映し出されるのです。



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機動戦士ガンダムの分類説「ククルス・ドアン系、大地に立つ系」 [富野監督関係]

ククルス・ドアン系、大地に立つ系
 
 ククルス・ドアン系、大地に立つ系とは、各々『機動戦士ガンダム』における分類である。

概要

 ガンダムの全43巻において、ククルス・ドアン系とは全15巻の総称である。残りの28巻を大地に立つ系と呼ぶ。

 以下の巻がククルス・ドアン系に含まれるとされる。
 第3話敵の補給艦を叩け
 第4話ルナツー脱出作戦
 第7話コアファイター脱出せよ
 第8話戦場は荒野
 第11話イセリナ、恋のあと
 第14話時間よ、とまれ
 第15話ククルス・ドアンの島
 第18話灼熱のアッザム・リーダー
 第19話ランバ・ラル特攻!
 第22話マ・クベ包囲網を破れ!
 第27話女スパイ潜入!
 第28話大西洋、血に染めて
 第30話小さな防衛線
 第31話ザンジバル、追撃!
 第39話ニュータイプ、シャリア・ブル

 ククルス・ドアン系の巻は、大地に立つ系の巻と比べて一般的に以下のような特徴があるとされている。

 1、物語が本筋に及ぼす影響が限られたものであり、さらに宇宙世紀の歴史と絡まないという短編的・別伝的性格を持つこと。

 2、レギュラー人物以外の描かれている主要な対象が、大地に立つ系で描かれている人物達より身分の低い人間であること。

 3、完全には一致しないものの、その大部分が初期案より後に足された物語であること。

 大地に立つ系の巻は以下である。
 第1話ガンダム大地に立つ!!
 第2話ガンダム破壊命令
 第5話大気圏突入
 第6話ガルマ出撃す
 第9話翔べ! ガンダム
 第10話ガルマ散る
 第12話ジオンの脅威
 第13話再会、母よ…
 第16話セイラ出撃
 第17話アムロ脱走
 第20話死闘! ホワイト・ベース
 第21話激闘は憎しみ深く
 第23話マチルダ救出作戦
 第24話迫撃! トリプル・ドム
 第25話オデッサの激戦
 第26話復活のシャア
 第29話ジャブローに散る!
 第32話強行突破作戦
 第33話コンスコン強襲
 第34話宿命の出会い
 第35話ソロモン攻略戦
 第36話恐怖! 機動ビグ・ザム
 第37話テキサスの攻防
 第38話再会、シャアとセイラ
 第40話エルメスのララァ
 第41話光る宇宙
 第42話宇宙要塞ア・バオア・クー
 第43話脱出


類似の概念

 内容は論者によってさまざまに異なることも多いものの、類似の概念が古くからいくつか唱えられている。以下に主なものを示す。

 1、「マチルダ救出作戦」と「迫撃! トリプル・ドム」とがククルス・ドアン系に入る。

 2、前半(21巻まで)の分類。

 3、必ずしも巻単位で分かれるわけではない。

 4、21巻までをさらに2分割してa系、b系、29巻までをc系、以降をd系としている。


ククルス・ドアン系の学説史

 ガンダムをククルス・ドアン系15巻と大地に立つ系28巻に分けた時に、両者の間には主要ゲストキャラの色合いが異なる。

 ◎大地に立つ系で登場するのはザビ家の人間やレビルなど身分の高い人間か、ララァのようにアムロに深く関わるキャラクターであり、ククルス・ドアン系で関係を持つのはドアンやミハルなど身分が低かったり物語の中心にいない人物であるというように明確に分かれている。
 
 ◎ククルス・ドアン系の作画や演出は素朴であり、大地に立つ系の描写は深みがある。

 といった違いが認められ、両者の間には、

 ◎ククルス・ドアン系の巻を取り除いて大地に立つ系の巻だけを繋げても話が終る矛盾のない物語を構成している。

 ◎大地に立つ系の巻で起こった出来事はククルス・ドアン系の巻に反映しているが、逆に、ククルス・ドアン系の巻で起こった出来事は大地に立つ系の巻に反映していない。

 ◎登場人物は若干の例外を除き、大地に立つ系の登場人物とククルス・ドアン系の登場人物に明確に分けることができ、大地に立つ系の登場人物は、大地に立つ系とククルス・ドアン系のどちらの巻にも登場するのに対して、ククルス・ドアン系の登場人物はククルス・ドアン系の巻にしか登場しない。

 ◎「ククルス・ドアンの島」と「セイラ出撃」、「大西洋、血に染めて」と「ジャブローに散る!」などククルス・ドアン系から大地に立つ系の巻に切り替わる部分や、逆に、大地に立つ系の巻からククルス・ドアン系の巻に切り替わる部分の描写に不自然な点が多い。

 といった関係が認められる。

 「ククルス・ドアン系、大地に立つ系」の提唱者達は、これらのさまざまな現象は、『ガンダム』はまず『「原」ガンダム』とでも呼びうる大地に立つ系の巻だけからなる部分が作られ、その後にククルス・ドアン系の巻が作られて年表に従って大地に立つ系の巻の間に挿入されたと考えると説明できるとした。

 これ以後、下記のように、「ククルス・ドアン系が後で挿入された」とする点については賛否が分かれたものの、ガンダムがククルス・ドアン系と大地に立つ系という質的な差異が存在する2つの部分から構成されることは広く承認されるようになった。


成立論に関連する「ククルス・ドアン系」に肯定的な諸説

 この説が登場したのに前後して、同説に対してはそのまま認める立場とともに、以下のような説を大筋で認めながらも何らかの修正を加える立場がいくつか現れた。

 ◎現在の『ガンダム』にはない巻の存在を想定し、それによって説にあった「ククルス・ドアン系の巻」と「大地に立つ系の巻」の「ずれ」を解消し、「本来の『ククルス・ドアン系』があり、大地に立つ系に対して挿入されたものである」としてガンダムの中に失われた巻の存在を想定する説。

 ◎ガンダムは「長編的な物語」と「短編的な物語」とに分ける事ができ、まず長編的な物語が書かれた後に短編的な物語が書かれて長編的な物語の間に挿入されていったとし、挿入は必ずしも巻単位ではないとする説。

 ◎後期のククルス・ドアン系を挿入後、その大部分が再び削られたとする説。


成立論に関連する「ククルス・ドアン系」に否定的な諸説

 これに対して、以下のような形で否定的にとらえる以下のような説も存在する。

 ◎カイがミハルについて言及する一節があるなど、ククルス・ドアン系の人物が大地に立つ系の巻に現れるといった点もあり、説の主張の根拠の事実認識に誤りがあり、「説にあるような形での大地に立つ系とククルス・ドアン系というような二つの系統は明確な形では存在しない」とする説や、両系の間に質的な違いが存在することを認めつつも成立論的な観点からこのような現象を理解するのは誤りであり、あくまで構想論的な観点から考察するべきであるとする見解も以下のように数多く唱えられた。

 ◎両系に質的な違いが存在することを認めつつも、登場人物の偏りや巻ごとの描写の違いなどは構想論上あるいはスタッフの違いの問題として考えるべきであり、かつそれで説明できるとする説。

 ◎両系の間に質的な違いが存在することを認め、さらにこの問題を構想論の観点から説明しきれるかどうかという問題についても未解決であるとしても、成立の経緯についての何らの証拠もないままで成立論に向かい、「ククルス・ドアン系の後記挿入」という成立過程を導くのは「気ままな空想」に過ぎないとする説。




後記

 ひょっとしてお気付きの方もいるかも知れませんが、以上の文章はこの説のパロディです。元文章はリンク先のwikiから。
 ですので、的外れ…真面目な指摘はご免こうむります。でも結構うまいことリンクしてない?

 あ。あと、こちらのまとめを読んだ時に、
「打ち切りになって良かった。これ以上続けると繰り返しになってしまう。今日のミハルの話みたいなのをまた作らないといけない」
「ククルス・ドアン大好きなんですよ。『ククルス・ドアンの法則』と言ってます。連続ドラマで必ずククルス・ドアンみたいな緩い回を作ります」
 との会話を読んで思いつきました。レポ・まとめに感謝。




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富野講演の演題が「自分の個性を信じる」! 今までの「個性」に関する発言を振り返る [富野監督関係]




4月に開かれる「富野流仕事術」の告知を見てビックリ

 先日、ツイッターのTLをぼんやり眺めていたら、こんなツイートを見つけました。


 講演かあ、どうせ札幌在住の貧乏人であるところのぼくには関係ない…「富野流仕事術~自分の個性を信じる」…ええっ?! 個性を信じる?

 慌ててリンク先のサイトを見ました。

 嘘だろ…なんだこの演題は。

 ファンの方ならご存知でしょうが、富野は「個性」というものに非常に懐疑的です。

 ぼくは「富野作品ファン」であり、「富野ファン」ではあまりないので、書籍やインタビューでの言葉を100%受け入れることはありません。この姿勢は富野以外の、お気に入りの作家やタレントに対しても同じです。

 ですが勿論、「これは慧眼、その通りだ」と思う発言もあって、「オマエ程度に個性やセンスがあると思うな」論もその1つでした。
 それを言っている富野本人が、(低い自己評価とは裏腹に)個性溢れているってトコロもオツなのですが…

 その富野が「個性を信じる」とは如何なることか。
 これまで何回も、「個性」への無批判な信奉を否定していたはず。
 
 そこでちょっと、富野が「個性」について語っているものを、ネット上から探して並べてみました。書物はもう、どこに何を書いているのか忘却の彼方なので…ネット上からのみ。


「個性の否定」を羅列してみた

 自我を持てとか個性を大切にしようと言われていましたけど、ほとんどウソ八百です。
 個性を大事にした時代なんて、そんなにありません。
 個性が維持されている地域は、文化が入っていない地域です。(『富野由悠季のコーヒーブレイク』1999年1月11日

 実を言うと今大学なんかで話をしてるのは、僕そのことしか話をしてない。自分に技術とか個性があるなんて思うな。思ってりゃもう20歳までで売れてるよ。売れてないってことはボンクラなんだからお互いに。ボンクラが他のボンクラに勝とうと思ったらどうするかって少し勉強するしかない。(『オリジナルの肝』2005年5月

 皆さん方の受けてきた教育、皆さん方が20年、もしくは20何年という時間の中で、きっとこういうふうに教えられてきたんじゃないのかなって、僕自身スタジオで若い人たちと接して感じることがあります。
 それは、・・・・・・個性が大事だ、君にはあなたには特別なものがあるんだから、その個性を伸ばすためにお勉強しましょう、がんばりましょう、という教えられ方を、先生や他の大人たちからされてきたんじゃないのかと感じるようになりました。
 僕自身、いくつかの本を読んだ中で、具体的にどなたが書いたかは覚えていませんが、とても納得する話があります。
 普通の人は、個性はないという一節です。
 それをまず皆さん方が自覚していただく方が正しいような気がします。
(中略)
 15歳までに一所懸命努力をしてきた顔が見えています。
 そういう顔を持っていないおまえらが才能あるはずがないじゃないか、個性があるわけがないじゃないか、そういう自覚がないから、なんとなく勉強すればなんとかなるというふうに思っちゃうのですから、いくら勉強してもダメなんです。(KINO Vol.02 思考としての『ガンダム』2006年7月

 例えば個性という問題です。皆さんはおそらく小中学校時代に、あなたらしく君らしく頑張ろう、勉強しようと言われてきたと思います。あなたの個性は得難いものだから大事にしましょう、大事にして育てばきっといいことあるよと、うそをつかれ、教育されてきましたよね?
 大人になって気づくのは、俺に特に個性なんてあるわけねえじゃんということ。はっきり言って、個性も能力もない。(『ITmediaニュース』2009年9月「僕にとってゲームは悪」だが……富野由悠季氏、ゲーム開発者を鼓舞

 自分の個性は、信じるな。自分の個性を、はじめに信じちゃったら、それで、一本線でダーッと行くじゃないですか。(ラジオ『Growing Reed』2009年10月25日)

 「自分には特別な個性や能力がある」などとは思わないで下さい。(『アニメージュ』2010年5月号富野に訊け!!

 でもさ、誰にもない自分だけに固有の価値なんてものを持ってるのは、それこそ尾田栄一郎ぐらいだよ。あのくらいの才能がないと、絶対にグーンと行かない。この20~30年の義務教育で“みんなには個性がある”という教え方をしてきたらしいんで。僕を含め、固有の能力のあるヤツなんてほとんどいないんです(『R25』2012年4月5日ロングインタビュー富野由悠季

 日本の民主主義教育は、誰でも権利を主張していい、誰でも個性があると教えてきちゃった。本当に個性があったらブランド品なんて買わないよね、流行を追ったりしないでしょ。(対談石川智晶VS富野由悠季・日時不明
 ※「個性があったらブランド買わない」は、書籍『富野に訊け!』の中にもありますね。

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 あと、この情報もいただきました。


 「そんな凡人が、自分の“好き”という思いだけで作ったものは作品とは言えません」と続くやつですね。


考えが変わるのは誰にでもあることだが

 どうでしょうか。リンク先の皆様に感謝。

 他にも探せば、たくさん出てくると思います。確か、詩人のランボーは何歳だかにデビューして、でも個性がない自分は…みたいな話もなかったっけ。

 考えの変化に伴い、意見が変わることは誰にでもあることです。珍しくも、責められるべきことでもありません。

 ただ、富野は個性尊重を長年否定していたので、今回の演題「自分の個性を信じる」にはやはりビックリしました。
 自分に個性はない、だからこそ・どう勝負するか、まあ勉強しろってことなんだけれども、富野が繰り返してきた趣旨だったはずです。

 それが今回の講話ではどうなるのでしょうか。

 出だしで「今回のテーマは『自分の個性を信じる』ですが、あなた達に個性があるとは思わないでください」とくるのか、それともホントに考えが変わったのか、興味津々です。

 ぼくは行けませんが、参加できる方は羨ましい。さてどちらに転がるか。

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Gレコの遥か前にも、富野は「コロニーでの洪水」を描こうとしていた [富野監督関係]




1月も終りかけですが、今年もよろしくお願いします


 さて、2か月以上ぶりの更新か…

 本年もよろしくお願いいたします。

 本来はね。
 まあ仕事柄、年末のブログ更新は無理だとしても、年明けには昨年の総括とか、何よりGレコの・自分にとってのまとめとか、書きたいけれども。

 酒飲みたいとか。仕事で原稿書いてんのにブログまで手が回らないとか。アニメ見るとか。色々言い訳して。

 とりあえず、本年の1本目はお茶をチャチャっと濁すような記事を。


 えー、Gレコには、コロニー=シー・デスクでの水中戦闘シーン、そして洪水(まあ便宜上「洪水」と表現しておく)・海水流出が描かれていました。

 水中での戦闘シーンは、これまでの富野アニメにも描かれていましたが、それは「戦闘場面のバリエーションの1つ」以外の意味はなかったと思います。
 そしてその舞台は、地球でした。

 富野以外のガンダムは見たこと無いから・例えばSEEDとか00とか知らないけれど、富野ガンダムにおいては、コロニーにおける「空気」の描写はあっても、「水」の描写は無かった。
 空気と同じくらい大事なものなのに。

 ∀では「月面の運河」が登場して、そこでの戦闘描写がありました。
 そしてGレコでついに、コロニーでの水中戦が描かれました。

 これはまあ、こじつけようと思えば「コロニーの実現化に否定的な富野が、難問の1つとして水害を提示したのではあるまいか」とか、それっぽいことは書けます。

 書けますが、ぼくが思うのは、もっと単純で。
 基本的に人間が住むのに適していない宇宙・そこに浮いているコロニーの中で、生命誕生の象徴でもあるような「水」を描写するコントラストが魅力なのではないかと思います。

 実際、Gレコでの宇宙空間に水が噴出する画面は、それだけで意味が生じるように感じました。

 さて、ここで本題です。

 平成も27年になって富野ガンダムに登場した「コロニーでの洪水」ですが、実は25年も前に表現される可能性がありました。

 下のコンテを見てください。

img6.jpg

 このコンテじゃあ…知らない人は、何のガンダムか分からないか…?

 これ、初期段階のF91のストーリーボードです。

 F91の初期段階のストーリーボードでは、コロニー内の戦闘は雨の中で行われ、しかも洪水が起きる予定だったのです。
 
 完成したフィルムは、皆さんの知っている結果ですが。
 跡形も無い。

 洪水、しかもわざわざ雨の中での戦闘とは、富野の中に当時から「コロニーでの水描写」に強い思いがあったのでしょう。


 F91の次のVガンでは描かれることなく、結局Gレコにて実現することになります。


 しかし、コロニーを盾にする主人公、その結果として水が宇宙に流れる大惨事が発生、それを自分の責任とは言え自らの命と引き換えに収束させる敵キャラ。

 不思議なアニメだよなあ、Gレコって。

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