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Gレコのキャラは自由に動く。 [富野監督関係]




キャラクターの行動を規制する要因


 先日、HIGHLAND VIEWさんの「機械仕掛けの王に仕える、命ある暴力装置<ゲームにおける暴力コントロールのアイデアメモ>」という記事を読んで、アニメのキャラクターを縛る様々な要因について考えを巡らせました。

 記事では「プレイヤーが主人の命令で動くゲーム」について書かれていましたが、私の思いは例えば映画やアニメではその「主人」が人物ではなく、様々な世界設定や心情として存在するだろうと脱線していったのです。




 先日このようにツイートしましたが、例えば史実でも明保野亭事件などを知ると、「どうして任務を遂行しただけで腹を詰めねばならんのだ…」と理解しかねてしまいます。
 ここでは、当時の政治状況などが人間の動きを規制して、ドラマ(史実に「ドラマ」というのが適しているか分からないけれど)が生まれるわけです。

 史実でもあり、物語としても消費されている忠臣蔵なども、様々な要因が人物を規制します。

 では富野ガンダムシリーズにおける、「行動を規制するもの」を考えてみましょう。

 例えばミハルは、自分を縛る「スパイ」という枠を超え始めたところが、後の悲劇をさらに強烈に彩るわけです。


そんなに惚れたなら、一緒に行動しちゃえばいいのに


 さて一番の例はアムロとララァです。

密会 アムロとララァ (角川スニーカー文庫)

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 アムロとララァはあれだけ惹かれあっているなら、一緒になってしまえば良いのにと思うわけですが、勿論それではドラマになりません。
 ララァがアムロと一緒になれない理由は「シャアへの恩・愛情」「ジオン軍に属している」、こんな感じでしょうか。

 他に何もないですよね。これがフォウになると、「記憶を取り戻したい」となります。
 フォウはオーガスタ研を嫌っていたくらいの印象がありますから、まあ実はフォウの行動を規制する「主人」は「記憶」しかないと思うんですよ。

 それであのドラマを作っちゃうわけですから、かなりの力業です。

 ここで注目すべき点は、「じゃあアムロやカミーユが、女に寄り添えばいいんじゃないの?」と疑問が沸くわけです。

 どうだろ。

 アムロは「WBクルーとの絆」「シャアに勝ちたい」「連邦軍に属している」。アムロを規制している要因は…こんなもの?

 カミーユに至っては…なりゆきで、ジェリドを殴ったとか。その後もエゥーゴにいた理由って、まあシロッコやハマーンが登場してからは義憤みたいなものも理由になりえるけれど、そんなに明確ではないよな。

 他になんかあったっけ。
 実は主人公の方が、惚れた相手のために鞍替えできそうな感じがしますが、彼らはそれをしないわけです。

 まあ戦争なんで、「一人の突出した戦力が戦局を左右する」なんてのは自惚れで(戦争は数だよ兄貴!)、彼らは身一つで敵に寝返っても良いわけです。

 なにせ異世界では西部のイモにキツイ一言いわれて、最新鋭機と共に鞍替えした聖戦士もいるくらいですからね。
 ところが彼らはそれをしない。特にアムロ。彼はそれこそララァに「なぜあなたはこうも戦えるの? あなたには守るべき人も守るべきものもないというのに」と喝破されているように、戦う確固たる理由がないのでね。

 富野ガンダムでは、色々な縛りから逃げ切れないキャラクターが描かれているわけです。それは例えば、表向きは好きな男のもとへ走ったレコアさんにしても同様です。
 そこで悲劇が生まれます。

 で、案外自由に動けるはずの主人公は、しかし彼女達の傍に行こう(敵陣営に寝返ろう)とはしません。

 もし、アムロがもっと早くララァと出会っていたら、WBをガンダムもろとも脱走した時にジオン軍に寝返っていたかもしれませんね。ララァといっしょにいるために。そしてシャアと三角関係ラブコメ。「出会うのが遅すぎたのよ…」

 ところで富野作品でも、ガンダム以外では自分の感情の赴くままに、なにも縛られることなく行動するキャラクターはいます。

 その筆頭は、『エルガイム』のギャブレット・ギャブレーだと思うのですが。
 (後半の)彼が魅力的に見えるのは、ポセイダル軍も立身出世ももはや関係なく、行動基準が「クワサンのため」と一貫しているからです。

 そして、ついには富野ガンダムでも。
 縛りがなく行動するキャラ達が作品世界の中でポンポン自由に跳ねていたのが、『Gレコ』だったわけです。

『Gレコ』は新しい富野ガンダムキャラを提示した


 この記事を書く前、頭の中でここまでの内容をぼんやりと考えていた時に、真っ先に思い浮かんだGレコのキャラはリンゴくんのことでした。

 アイツ、捕虜になった先で女に惚れて、そのまま積極的に(ラライヤを守るため)戦闘に参加しおって…




 こんな呟きをした後で、改めて考えてみると、あ・リンゴだけじゃねえや。

 そもそも主人公が海賊女に一目惚れして(髪の匂いハアハア)、クラスメートも母親の立場も考えずに、キャピタル・ガードをぶっちぎったんだった。

 もともと、事前知識を意図的に入れていなかった私だけでしょうか。
 Gレコ1話目を見終えた時に、「このままアイーダは海賊からキャピタル側に寝返るだろう」と思っていたのは。今までの富野ガンダムのパターンなら、そうなっていたはずです。

 カツもサラを追いかけてティターンズに寝返ることはしなかったし、あの女! あの女!
 ハサウェイはクェスを取り戻そうとしたけれど、ネオ・ジオンに入隊してまでクェスを守ろうとはしなかった。

 ところがベルリくんは、アイーダにくっついてそのまま海賊の仲間になってしまった。もっとも本人は当初、戻る気があったみたいだけれど…

 そしてベルだけじゃない。ノレドも当たり前のようにベルにくっ付いて動くし、マニィはキャピタル→海賊→キャピタルとUターン就職ですよ。いや、就職じゃないけれど。親友より愛しい男。

 ケルベスもいつの間にかシレっと海賊側にいる。 

 ジット団だって「ビーナス・グロゥブ」全体の意思は無視してレコンギスタ始めるし、戦いが終ったら命のやりとりしたはずのメガファウナの一行と仲良く旅に出ているし・クンちゃん妊娠しているし、オマエラ自由だな! 色んなものに縛られて意中の相手といっしょになれず・悲劇にもてあそばれて死んでいった富野キャラ達に謝れ!

 と、まあそれは冗談だが、彼らは戦時にも関わらず「自分の意思」で動く。これは戦いを描いたドラマにおいて、非常に特殊なことだと思います。

 そしてその描写の原因は、例えば「この時代ではそういう行動が自然なのだ」「現在の軍隊とは性格が違うのだろう」などと考えるより、ぼくは「こう描きたかったのだろう、もう運命でも規範でもそれこそ主人(上司)でもなんでもいい、それらに嫌々従って死ぬキャラクターとは別な物語を見せたかったのだろう」と推察するのが好みです。

 実はそこが、今までのパターンではないので視聴者の感情移入を損ねている要因な気もしますが、でも余りあるGレコ特有の魅力となっています。

 軍や人とのしがらみなんか関係なく、自分達で行動を選択する。そして邁進する。

 そのキャラクター達を精一杯追いかけているのが、Gレコです。鷹は自由に。



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ハリーラット

毎度楽しく読ませてもらっております。

嫌々従って死ぬ…という一文に、「社畜」の二文字がフッとよぎってしまいました。ジョークだろうと思いつつもTwitterなどで自称しているのを見掛けるとモヤっとしてしまったりするのですが。

何となくそういう空気に窮屈さを感じている人達には、この自由さ・縛られなさが心地良さを感じさせてくれる作品に仕上がっているのかもしれませんね。
by ハリーラット (2016-07-18 14:12) 

坂井哲也

ハリーラットさん、コメントありがとうございます。

「社会人になった方が漫画が面白い」という意見をどこかで見たのを思い出しました。Gレコのキャラクターの魅力の1つも、自由に行動しているところにあると思います。社会人だからなおさらそう見える…(監督がメインターゲットにしていた子ども達にどう映るかも興味ありますが)

by 坂井哲也 (2016-07-18 19:33) 

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