「世紀末」は遠くなって(それでもアニメで使われ続けている) [アニメ周辺・時事]
随分と前の話だが、テレビで『ニッポン戦後サブカルチャー史Ⅲ』を見ていた。
ぼくが見た回、テーマは「サブカルチャーが迎えた『世紀末』」。
番組で取り上げられていた主なものは、
90年正月に放送されたNHKの番組「噂だけの世紀末」
イベント「電話網の中の見えないミュージアム」
「ダムタイプ」によるパフォーマンス
岡崎京子さんの表現の変化
根本敬さんや村崎百郎さんの「悪趣味系」、であった。
一般的に世紀末で思い出されるのは五島勉さんの『ノストラダムスの大予言』だろう。
人気が出てシリーズ化されたが、ぼくは随分と後に一冊目だけ読んだ。
『ノストラダムスの大予言』が発行されたのは、ぼくが生まれた年だったのだ。
もう一つ、世紀末といえば平井和正愛読者だったぼくには『幻魔大戦』がすぐ思い浮かぶ。
漫画版や『新幻魔大戦』の連載開始は『ノストラダムスの大予言』よりも早かったが、ぼくが読み始めたのはこれも80年代も終りの頃だったし、思い入れは遥かに小説の方にある。
「ハルマゲドン接近」と世紀末を強くアピールしたのは、りんたろうさんが監督したアニメ映画の方だった。
アニメで世紀末のモチーフ=ハルマゲドンが持ち込まれたのは、70年代後半からだと思う。ハッキリ書けば、『宇宙戦艦ヤマト』からだと思う。
あの舞台は人類がほとんど死に絶えたハルマゲドン後=世紀末後の世界だが、この設定は以後、脈々と受け継がれる。
ファーストガンダムからして、サラリと「総人口の半数を死に至らしめた」とナレーションで述べており、地表に落ちるスペースコロニーのシーンが映し出される。
ガンダムは、ハルマゲドン後の物語である。
ちなみに某社会学者は、『幻魔大戦』までの作品と、それ以降…例えば『ナウシカ』や『北斗の拳』は同じハルマゲドン後を描いていてもその内容・視点が違うと論じているが、ぼくにはあまり興味がわかない。
上記の『ニッポン戦後サブカルチャー史Ⅲ』では、カルチャーにとっての「世紀末」は1995年なのではないかと提示していた。
地下鉄サリン事件と阪神・淡路大震災が起こったからである。
この論には、賛成する人が多いのではないだろうか。
現実が空想に追い付いたか、あるいは凌駕したのだから。
この年はもう一つ、番組では触れられなかったが(趣旨上当たり前)、アニメ的にもエポックメイキングな作品『新世紀エヴァンゲリオン』が登場している。
セカンドインパクトという「ハルマゲドン後」を舞台にした・ヤマト以来脈々と続いているフォーマットで、しかも実際に世紀末直前なのに「新世紀」と銘打った人物は、かなり巧みか皮肉の強い人間であると想像してしまう。
1995年に特別な意味があるとするなら、「新世紀」のネーミングは世紀末ブームの終焉あるいは殿(しんがり)と捉えることもでき、素晴らしいセンスだと思う。
ちなみに80年代最後に作られた富野ガンダム『逆襲のシャア』では、シャアはまだ巨大隕石を落としてハルマゲドンを起こそうとしていた。この感覚は、リアルな大事件を経た当時、すでにちょっと古いと思う。
90年代の『Vガンダム』において、エンジェル・ハイロウで人類を退化させるという、新たな破滅の姿を提示した。
実際に世紀末が過ぎた後にも、アニメの世界では「ハルマゲドン後」の世界を描く作品は続いている。
アニメではなく漫画だが、漫画ランキングサイト「コミラン」の「おすすめ『世紀末漫画』ランキング」を見ると、
上位20作品だけでも
など、21世紀になってから始まった・あるいは21世紀になっても続いている作品が多数ランクインしている。
アニメでは個人的に思い浮かぶのは、『キスダムR』もあるが、やはり『ゼーガペイン』だろう。
それまでの作品のほとんどが、「ハルマゲドン後」の世界であることを起承転結の「起」の部分で提示していたのに対し、ゼーガは「承」の部分で明らかにした。
そのことで作品は一気に加速した。
使いふるされたフォーマットながら、新しい見せ方で作品の魅力が増したと思う。
富野ファンとしては、「結」で明らかにして視聴者をビックリさせた作品もある、とこの文章を続けたい気持ちもあるのだが、やめておこう…
ぼくが見た回、テーマは「サブカルチャーが迎えた『世紀末』」。
番組で取り上げられていた主なものは、
90年正月に放送されたNHKの番組「噂だけの世紀末」
イベント「電話網の中の見えないミュージアム」
「ダムタイプ」によるパフォーマンス
岡崎京子さんの表現の変化
根本敬さんや村崎百郎さんの「悪趣味系」、であった。
一般的に世紀末で思い出されるのは五島勉さんの『ノストラダムスの大予言』だろう。
人気が出てシリーズ化されたが、ぼくは随分と後に一冊目だけ読んだ。
『ノストラダムスの大予言』が発行されたのは、ぼくが生まれた年だったのだ。
もう一つ、世紀末といえば平井和正愛読者だったぼくには『幻魔大戦』がすぐ思い浮かぶ。
漫画版や『新幻魔大戦』の連載開始は『ノストラダムスの大予言』よりも早かったが、ぼくが読み始めたのはこれも80年代も終りの頃だったし、思い入れは遥かに小説の方にある。
「ハルマゲドン接近」と世紀末を強くアピールしたのは、りんたろうさんが監督したアニメ映画の方だった。
アニメで世紀末のモチーフ=ハルマゲドンが持ち込まれたのは、70年代後半からだと思う。ハッキリ書けば、『宇宙戦艦ヤマト』からだと思う。
あの舞台は人類がほとんど死に絶えたハルマゲドン後=世紀末後の世界だが、この設定は以後、脈々と受け継がれる。
ファーストガンダムからして、サラリと「総人口の半数を死に至らしめた」とナレーションで述べており、地表に落ちるスペースコロニーのシーンが映し出される。
ガンダムは、ハルマゲドン後の物語である。
ちなみに某社会学者は、『幻魔大戦』までの作品と、それ以降…例えば『ナウシカ』や『北斗の拳』は同じハルマゲドン後を描いていてもその内容・視点が違うと論じているが、ぼくにはあまり興味がわかない。
上記の『ニッポン戦後サブカルチャー史Ⅲ』では、カルチャーにとっての「世紀末」は1995年なのではないかと提示していた。
地下鉄サリン事件と阪神・淡路大震災が起こったからである。
この論には、賛成する人が多いのではないだろうか。
現実が空想に追い付いたか、あるいは凌駕したのだから。
この年はもう一つ、番組では触れられなかったが(趣旨上当たり前)、アニメ的にもエポックメイキングな作品『新世紀エヴァンゲリオン』が登場している。
セカンドインパクトという「ハルマゲドン後」を舞台にした・ヤマト以来脈々と続いているフォーマットで、しかも実際に世紀末直前なのに「新世紀」と銘打った人物は、かなり巧みか皮肉の強い人間であると想像してしまう。
1995年に特別な意味があるとするなら、「新世紀」のネーミングは世紀末ブームの終焉あるいは殿(しんがり)と捉えることもでき、素晴らしいセンスだと思う。
ちなみに80年代最後に作られた富野ガンダム『逆襲のシャア』では、シャアはまだ巨大隕石を落としてハルマゲドンを起こそうとしていた。この感覚は、リアルな大事件を経た当時、すでにちょっと古いと思う。
90年代の『Vガンダム』において、エンジェル・ハイロウで人類を退化させるという、新たな破滅の姿を提示した。
実際に世紀末が過ぎた後にも、アニメの世界では「ハルマゲドン後」の世界を描く作品は続いている。
アニメではなく漫画だが、漫画ランキングサイト「コミラン」の「おすすめ『世紀末漫画』ランキング」を見ると、
上位20作品だけでも
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- メディア: コミック
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- メディア: コミック
など、21世紀になってから始まった・あるいは21世紀になっても続いている作品が多数ランクインしている。
アニメでは個人的に思い浮かぶのは、『キスダムR』もあるが、やはり『ゼーガペイン』だろう。
それまでの作品のほとんどが、「ハルマゲドン後」の世界であることを起承転結の「起」の部分で提示していたのに対し、ゼーガは「承」の部分で明らかにした。
そのことで作品は一気に加速した。
使いふるされたフォーマットながら、新しい見せ方で作品の魅力が増したと思う。
富野ファンとしては、「結」で明らかにして視聴者をビックリさせた作品もある、とこの文章を続けたい気持ちもあるのだが、やめておこう…
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