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ダンバインの記憶をめぐる冒険。 [富野監督関係]




プロローグ

 そもそも、ぼくはどこで勘違いをしたのか。ネットで交流している方から訊かれた時に、ぼくは確かに答えたのだ。

 ダンバインはおもちゃの売り上げ不振などの理由で、バイストン・ウェルで物語を進めるはずが、後半地上編になってしまった、と。

 ところがモノの本を読み直しても、そんな話はどこにも出てこない。
 いわゆる「東京3部作」が予定より前倒しされた、それはいい。

 例えば、LD‐BOXライナーの富野インタビューには


―この作品では、後半で舞台が地上になるのが印象的だったですが、それは最初から予定されていたんですか?

富野 ロボットものであるということは心得てましたから、それは予定していました。ただ、2クールの終わり(第26話)まではバイストン・ウェルだけで話を進める予定だったんですが、地上に出るのが早まってしまったんです。バックするという構造にしてしまったために、多少ゴチャゴチャしてしまったなという印象はあります。

―でも、「東京上空」のエピソードは見応えがありました。

富野 (略・東京上空を)2クールの終わりでやって、そのままバイストン・ウェルには戻らずに、後半ずっとロボットものにする、という太いラインを、最初は予定していたんです。(略)

―後半の舞台が地上になったのは、マーケットに対応してのことではないわけですね。

富野 半分くらいはそういう部分があるかもしれません。でも、けっして妥協の産物ではないということは言えます。(略)


 とあるし、『富野語録』には


 たとえば「東京上空」という話は、最初は3クールの頭(27話くらい)に予定していたんです。それを改善できる最短の話数に持ってきた。それが16、17話です。それでやってみたら、〝ホラ、やっぱりこうして地上の話をはさみこんだ方がバイストン・ウェルがよく見えるじゃないか〟っていう結論が見えてきた。こういう展開が一度あれば、またバイストン・ウェルにもどっていいじゃないか―と思った。


 とある。

 だが、「本当は後半もバイストン・ウェルでやりたかった」という話は出てこない。
 それどころか、「後半ずっとロボットものにする予定だった」と富野は言っているではないか?


「信じられない語り手」

 ぼくの思い違い、で決まりだろうか。
 だが、富野が言っていたから「その通り」とはならない。かの人は「信じられない語り手」でもあるからだ。

 例えばその証左に、上記のLDインタビューでは「後半ずっとロボットものにする予定だった」と言っているのに、『富野語録』91Pには「地上話もこんなに増やす予定はなかった」と語っている。「ロボットもの」と「地上話」はイコールだろう。

 ぼくが小説版と混同している可能性はない。
 なぜなら『リーンの翼』『ガーゼィの翼』は読んでいても、『オーラバトラー戦記』は未読だからだ。混同のしようがない。

 物語の構造から考えると、地上編は必須だ。バイストン・ウェルが地上と表裏一体の世界なら、地上の描写は必要だろうから。

 だが、その描写が東京3部作ではないのか? ラストシーンはともかく、後半全体を地上に持ってくる理由足りえるか。


ぼくは何を持ってして、思い違いをしていたのか?

 視点を変えよう。
 チャムの役割から考えるのはどうか?

 初期段階から後半は地上に出ると決まっていたのなら、「チャムの伝える物語を(地上の人達に)伝えよう」という設定…チャムの役割もまた、初期から決まっていたのではあるまいか。
 逆にチャムの設定が違うものであれば、物語の後半は現実的な要請・外部からの要請で変更した可能性が出てくる。

 ぼくは『聖戦士ダンバイン大全』を取り出した。

 16Pから掲載されている番組開始時の広報用資料には、チャム・ファウの項に


 第三者として、この戦いを傍観し、後世の人々に伝えていくのであろうキャラクター。


 と書かれている。
 チャムは最初から、「語り部」としての役割を与えられていた。
 
 八方塞がり。「ぼくの記憶」はますます不利だ。

 豪の者と違って、ぼくの手持ち資料は少ない。今まで出てきたもの以外では、『聖戦士ダンバインノスタルジア』くらい。『ロマンアルバム』も所有していたはずだが、どこかに行ってしまった。『リーンの翼』に付録されていたダンバインの初期設定メモには、ヒントになるような記述はない。
 
 ネットで、最終話のシナリオダイジェストを読んだこともある。
 アニメとは内容に差異があったが、あのシナリオはそもそも後半を地上に持ってくることが決定してから書かれたものだろう、おそらく…

 これは、もうどうしようもないか、と諦めかけた時、思い付いた。自分の馬鹿さ加減に笑いそうだった。

 そうだ、ネットだ。ネットがあるじゃないか!

Wikipediaの記述

 書籍よりもむしろ、真っ先にネット検索するべきだったかもしれない。
 wikiのダンバインの項目に行くと、すぐに見つかった。これだ。


 放映当時の日本では、まだファンタジー的世界観が一般には浸透していなかったため、前述のような革新的な試みは視聴者になかなか受け容れられず、結局番組後半では路線変更として舞台を現実世界に移すこととなった。
(中略)
 玩具の売上不振を打開するため、ウイング・キャリバーからオーラバトラーへの変形を売りにした新主役メカ・ビルバインの投入と、物語の舞台をバイストン・ウェルから現実世界へと移行させ、派手なロボットバトルを前面に打ち出すことなどが決定した矢先、メインスポンサーであるクローバーが倒産してしまった。
(中略)
 エピソード「東京上空」を可能な限り前倒しにし、オーラマシンが地上に出た時点で終わる予定だった内容を変更した。


 ぼくの思い込みの由来はこれだ。よりによってwikiの記述を記憶していたとは。

 しかも肝心の上記3文に、引用先明記がない。
 ぼくは何故か、本で読んだことは忘れて、斜め読みしたwikiの記述は覚えていたのだろう。

 これ以上の資料が出てきたら別だが、現時点ではwikiが間違い…特に最後の文章は、「エピソード『東京上空』を可能な限り前倒しにし」は明らかに『富野語録』がソースなのに、「オーラマシンが地上に出た時点で終わる予定だった内容」はどこから出てきたのだろう。
 また誤解が生まれそうな書き方になっているが、ビルバインの変形設定も初期段階から存在している。

 そしてここまで来て、新たな疑問が持ち上がる。
 ぼくの誤った記憶は、wikiからのみきたのだろうか? そしてwikiの件の文章を書いた人間は、何を根拠にしたのだろうか?

 しかしこれ以上は、私個人では調べられない。
 新聞広告を出すのが良いだろう…では、クラシカルなミステリー小説だ。

 ネットで広く募ろう。おそらく間違いで決まりなのだろうが…ぼくは文面を考える。


1983年のアニメ『聖戦士ダンバイン』で、「シリーズ後半は本来バイストン・ウェルで展開する予定だった」とのインタビュー記事や設定をご存知の方、内容と掲載誌・サイトを教えてくださいませんか。謝礼無し、感謝のみ。


 そしてぼくは、公開する…




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『アニゲー☆イレブン!』での富野発言文字起こしと、辻さんが語る「富野作品の視聴者ターゲット層がずれる理由」 [富野監督関係]

 発信源は知らないけれども、回って来た「アニオタ文化はエヴァ辺りから」とかのツイートを読むと、もういいやそうですそうですその通りです、となるのですがこんばんは。

 たかだか数十年前の出来事さえこの有様なら、そりゃ800年以上前の鎌倉幕府成立なんて「いいくに作ろう」ではなくなるよね。10年後にはまた変わっているかもしれん。


 キャプ翼やマーズや聖闘士にヒィヒィ言わせていた女性達はぼくの幻だったのか…

 まあ「文化」の規定とか言い出すと面倒だし、そもそもぼくは元ツイートを読んでいないので、ホントにどうでもいいとして。

 富野ファンとしては、「昔からアニメ文化はあった。アニメのファンクラブは『トリトン』から生まれたのだ!」という伝説? を無責任に流布したい気持ちなのですが、さて。

 また1つ、面白いエピソードを見つけました。
 4年前のインタビューなので、富野ファンの皆さんはもう読んでいるのかな?

 あ、面倒なので再度断っておくけれど、記事のマクラとしてネタに使っただけで、ぼくにとってはアニメ文化がいつから始まったかなんてどうでもいいから。アニメ文化なんか無くたっていい。ご意見無用。無用ノ介。


ドラマを積み重ねるタイプの富野作品は…

 今日知った記事なのですが。
 日本SF作家クラブ公認ネットマガジン「SF Prologue Wave」の中で、辻真先さんのインタビューが掲載されています

 その中で、「女子高生が(トリトンの)放映延長を求める血判状を持ってきた」という強烈なエピソードから始まって、辻さんによる富野評が書かれています。

 興味のある方は是非お読みください。

 辻さん、ドラマを積んでいく富野との仕事は、「シジフォスの苦患」と表現している。

 【シーシュポス】(シジフォスのこと。以下、WIKIから引用)

 シーシュポスは神々を二度までも欺いた罰として、タルタロスで巨大な岩を山頂まで上げるよう命じられた(この岩はゼウスが姿を変えたときのものと同じ大きさといわれる)。
 シーシュポスがあと少しで山頂に届くというところまで岩を押し上げると、岩はその重みで底まで転がり落ちてしまい、この苦行が永遠に繰り返される。


 ふふふふ。

 で、この加減を知らないドラマの積み上げが、想定視聴者層とズレる原因だと辻さんは指摘されているわけですが。

 コレ、Gレコ放送より全然前ですよ。

 まあねえ。部分的には正しくもあり、でもその積み重ねがないと富野作品じゃないしなあ。
 納豆って臭いからおいしんでしょ、と同じ…違うか。

 その姿勢だからこそガンダムやイデオンのように、ハイターゲット層を巻き込む作品が生まれたんだろうしね。

 しかしこう考えると、子どもも競うようにガンプラを買っていたファーストって、本当に奇跡の作品だよなあ。

 ブーム当時のぼくは「子ども」だったわけですが、ガンダムに夢中になっていたもんな。
 でも話の内容なんか、ろくすっぽ理解していなかった気がする。正直、「ジオンが地球に独立戦争を仕掛けていた」のを分かっていたのかさえ怪しい。

 でも見ていた。多くのクラスメートも見ていた。何が子どもを惹きつけていたんだろうな?

 MSの格好良さなんだろうか。それとも他の何かか。
 これが分かっていりゃ、次々と「子ども達のブーム」と呼べる第2・第3のガンダムが生まれている訳だが…


富野発言部分文字起こし

 さて、では今日午後11時半から放送されたBS11『アニゲー☆イレブン!』の富野インタビュー部分文字起こしといきましょう。

 今週で7回目となるこの番組で、東京国際映画祭での富野コメントが放送されました。
 番組サイトには「独占コメント」とあります。確かに独占だったけれど…

 そういや。ぼくこの時期、ちょっと情報追うのが嫌になって(たまにある)東京国際映画祭での富野発言は全く知らないんだよな。

 では、いきましょう。以下、文字起こし部分です。


 あのこれも本当にあの、ファンのおかげです。つまり、親子二代がファンになってくれているからこそ、今日こういう形で呼んでいただけました。本当にそういう意味で、心から嬉しく思っております。ありがとうございます。
 アニゲーイレブン、どうもありがとう!


 以上です。予想よりずっと短かった…
 ちなみに最後、富野はちょっとはしゃいでいる感じです。可愛いぜ。
 
 ちなみにこの番組、2週間限定で公式がYOUTUBEにアップしております
 
 嬉しそうな富野を見たい方はリンク先をどうぞ。
 
 繰り返します、2週間限定!


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印象深い富野の対談10選 [富野監督関係]




 お久しぶりです。
 『ガンダム Gのレコンギスタ オフィシャルガイドブック』が発売になりますね。

ガンダム Gのレコンギスタ オフィシャルガイドブック

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  • 出版社/メーカー: 学研パブリッシング
  • 発売日: 2015/09/23
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 もう愚痴は言うまい。ツイッターでいくつか呟いたし。
 ファンにはもう、買うしかないんだから。



 で、このガイドブックの目玉は、帯を見る限り富野・宇野さんの対談のようですが。

 これまで富野は多くの方と対談してきて、ぼくも長いファン歴の間にそのうちの幾つかは読んできました。
 その中で印象深いものを10本、選んでみたいと思います。ぼくには珍しく順位をつけて書いていきます。

 ただし対談集として書籍になっている『教えてください。富野です』『ガンダム世代への提言 富野由悠季対談集Ⅰ~Ⅲ』『戦争と平和』は除外します。これらだけで10埋まっちゃうからね。

 では、いきましょう。



 10位 大塚ギチさんとの対談(1997年月刊ニュータイプ7月号増刊「Newtype mk.Ⅱ」)

 まあ最初から、対談というよりインタビューだけれど…大塚さんの個人的思いや個性が詰まった文章なので入れてしまった。ちなみに最近の吉田豪さん(またインタビューじゃねえか)や、山田玲司さんの『絶望に効くクスリ』も思い浮かんだけれど、これにしました。
 
 この中で富野は「懐古的にかつての『ガンダム』や『イデオン』のことを知っているからやるならばネクストあれ、ネクストこれ、ということにしかならなくて〝新規にやりましょう〟という話にはならないんです」と現状を憂いているのに、翌年には非ガンダム・非バイストン・ウェルの『ブレンパワード』を発表するんだからなあ。

 というか、この時点で絶対に制作進行していたよね。
 インタビュー開始前、富野がカメラマンに露出のとり方などを質問している描写がある。ミクロの世界を撮りたい、と答える富野。

「すごく極端な言い方をするとタンポポの茎を接写したいんだけど露出が拾えないんですよ」
「新しい企画を考えていて(笑)」
「実際に草や昆虫を接写した写真もあるのですが、それとは視点が全然違うので参考にならないのです。ぼくはそれを舞台にしようと思っているから」

 などと言っている。

 この企画って何かなあ。時期的には小説だけれど『どろろんKAGUYA』、あるいはタイムトラベルとタイムパラドックスを取り入れたバイストン・ウェルもの? 
 はたまた明らかになっていない作品か。

 そしてこの植物写真が、ブレンのアラーキーEDに繋がったのか。 
 今の視点で読み返しても面白い記事だった。


 9位 押井守さんとの対談(1993年アニメージュ6月号)

 内容はkaito2198さんのブログで。

 この組み合わせ、珍しいよなー。そして案外(?)会話が噛み合っている。
 内容もさることながら、組み合わせ自体が刺激的。これ、押井監督がどんなテンションで喋っているのか、映像で見てみたかった。

 ちなみにこの対談の中で、押井監督は『逆襲のシャア』を褒めたらしいんだけれど、そこはカットされていますね。


 8位 杉井ギサブローさんとの対談(2006年KINO Vol.02思考としての『ガンダム』)

 両者の方向性の違いがハッキリ分かって、それ故にそれぞれの個性が分かる良い対談だった記憶があるんだけれど…読み返そうと思ったら本が見当たらん。
 この前のダンバインのムックといい、どうしてぼくの家はこう物が行方不明になるのか…


KINO Vol.02 思考としての『ガンダム』

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  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2006/07/25
  • メディア: 大型本



 ちなみにアマゾンの商品ページでは、すごい長く本文を抜粋している。下記のように。

――(中略)――
 ・・・・・・ そこで実を言うと、とても大事な話があります。
 皆さん方の受けてきた教育、皆さん方が20年、もしくは20何年という時間の中で、きっとこういうふうに教えられてきたんじゃないのかなって、僕自身スタジオで若い人たちと接して感じることがあります。
 それは、・・・・・・個性が大事だ、君にはあなたには特別なものがあるんだから、その個性を伸ばすためにお勉強しましょう、がんばりましょう、という教えられ方を、先生や他の大人たちからされてきたんじゃないのかと感じるようになりました。
 僕自身、いくつかの本を読んだ中で、具体的にどなたが書いたかは覚えていませんが、とても納得する話があります。
 普通の人は、個性はないという一節です。
 それをまず皆さん方が自覚していただく方が正しいような気がします。
 それで「自分という個性があるならば」という言い方がありますが・・・・・・。

 まだ続く。これの4倍くらい載っているぞ。


 7位 庵野秀明さんとの対談(1994年アニメージュ7月号)

 内容は「ひびのたわごと」さんから。

 ぼくが知る限りでは、富野と庵野監督の対談はこの時と、あとインタビュアーって形で小黒さん・小川さん・井上さんもいるけれど『逆襲のシャア友の会』(欲しい…)、そしてZガンダムLD-BOXでのライナーの3回かな。
 後者の2つは収録日いっしょらしいけれど。

 アニメージュの対談では、庵野さんが「Vガンダム好きだけれど疑問の箇所もある」スタンスで挑んでいるのが面白い。
 「小さい子どもにはつらかったと思いますよ」
 「作為を感じるんですよ」
 など、庵野さんがバンバン異議を唱えているのが良い。


 6位 永野護さんとの対談(2001年ファイブスター物語アウトライン)

ファイブスター物語アウトライン―永野護

ファイブスター物語アウトライン―永野護

  • 作者: 永野 護
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 2001/12
  • メディア: 大型本



 この対談は、印象深い内容多いんだよなあ。

 その言葉こそ出なかったけれど、クラウドファンディングの話をしたり。

 それに、この対談の中で永野さんが「新しい『Zガンダム』をつくっちゃえばいいんです」と言っているんだよなあ。
 富野は「いいんだけどね、僕は余命いくばくもないのよ?(笑)」とかわしているんだけれど、この4年後には新訳を。

 そして何より印象深いのは、永野さんの富野の鬼子宣言と「僕は富野さんをボロクソに言うけど、でも富野さんをバカにするやつがいたら、僕はマジギレしますよ」。

 富野の下についた人はたくさんいて、影響を公言する人もいるけれど、「息子」と言っているのは永野さんくらいじゃないかなあ(自称・鬼子だけれど)。
 
 永野さん、最近の大河原さんとのトークショーでも、富野の代わりに謝ったらしいけれど。
 ホラ、代わりに謝るって、「身内感」あるでしょ。

 富野ファンとしてはそこらへん、好きなの。


 5位 高橋良輔さんとの対談(2006年ネット番組『オリジナルの肝』)

 この両者は何回か対談しているはず。それに高橋監督が単独で富野について語っていることも多いと思うんだけれど、印象深いのはこれかな。

 『オリジナルの肝』は、高橋監督がホストを務めていた期間限定のネット番組。

 安彦さん、伊藤和典さん、押井監督もゲストで出た。富野出演は第11回目で、劇場版Z(星を継ぐ者)公開前の1ヵ月間配信された。

 「もう見れねーじゃねーか!」って新規ファンの皆さん、さとまるさんが文字起こししています

 思い出を交えつつ作品を語る構成が良いです。富野が水泳しているって初めて知ったのも、この番組じゃなかったかな…

 ちなみに、同じくさとまるさんが紹介している『アニメージュ』1981年12月号(これは珍しくぼくも現物を持っている)も良い。
 大昔…10年以上、このブログの前身のブログにも書いたけれど、このアニメージュの対談通りに劇場版ガンダムを高橋監督が担当し、ダグラムを富野が作ったらどうなっていただろう。
 そんなIFを見たいような、見たくないような。


 4位 上野俊哉さんとの対談『ZZ』ガンダムLD-BOXライナーノート

 ぼく、「富野作品における親子像」と「富野が語る親子像」の乖離に、ものすごく興味があるんだよね。
 いつかその記事を書いたら、このブログ終りでいいなと思っているんだけれど。

 例えばさ、主人公の父親像って、ファンから見ると明らかに実父の影響なのに、富野はそれを否定するでしょ。「嘘だろ?! なんで?」って思っちゃうんだよね。

 で、親子についての言及は、『「ガンダム」の家族論』を抜かせばこの対談が一番迫っているかな。
 というか、『「ガンダム」の家族論』については思うところあるので、

 家族論って。富野って、家族を描くの苦手じゃない? 富野作品に見る「家族」。

 この対談が一番、富野の「家族観」に迫っていると思う。こういう内容だと、インテリゲンチャとの対談も本当にありがたい・感謝の気持ちでいっぱいになります。


 3位 平井和正さんとの対談(1985年『ウルフ対談』)

 平井さんが徳間書店から出した文庫本。
 富野との対談は7~42P。今から思えば、『幻魔大戦』の監督を富野が務める前提の対談だったのかな。

 この対談は今まで紹介したものとは違い、富野の「今日は幻魔シリーズのことを中心にお話をお伺いしたいと思います」で始まります。
 そう、富野が進行役なんです。

 この対談が印象深いのは、このブログでさんざん紹介している・富野の(ガンダムを作るうえで)「ニヒリズムとデカダンスに陥ることを絶対的に拒否する」という言葉が出てくるから。
 富野作品の本質を、これほど的確に・簡潔に射抜いている言葉はないと今でも思う。

 この本、他の対談相手はまだ作家になる前(!)の新井素子さんと難波弘之さん、内田勝さん。
 ちなみにアマゾンでは1円で売っているんだよね。

ウルフ対談―荒野に呼ばわる声を聞け! (徳間文庫)

ウルフ対談―荒野に呼ばわる声を聞け! (徳間文庫)

  • 作者: 平井 和正
  • 出版社/メーカー: 徳間書店
  • 発売日: 1985/07
  • メディア: 文庫



 「幻魔―この暗黒波動」って中見出しから始まって、「ルシフェル」「宇宙意識」みたいな言葉がバンバン出てくるので、平井初心者にはあんまりオススメできないけれど。


 2位 瓦重郎さんとの対談(1997年『CYBER TROOPERS VIRTUAL‐ON REFERENCE SCHEMATIC―電脳戦機バーチャロン副読本』)

 まあ、これですよね。悪い意味で一番印象深いのは。
 ゲーム『電脳戦機バーチャロン』の副読本。同ゲームのプロデューサー瓦重郎さんとの対談。これ、ヒドい内容だよなあ。瓦さんホントに大人だと思う。
 
 あえてリンク貼らないけれど、本そのままの状態で読めます。


 1位 安彦良和さんとの対談(2009年9月号ガンダムエース)

 お互いを認めた者同士の、しかし作品への思いがぶつかるピリピリした対談。
 これがダントツで一番かな。文章間から緊張感が伝わる。

 最初は穏やかにスタートするけれど、途中の

 安彦「富野さん、オリジンは読んでた?」
 富野「これに関してのコメントは、僕には一切できない(後略)」
 安彦「じゃあ終われば言える?」
 富野「いや、言えないかもしれない」

 から始まるやりとりはたまりませんね。富野ファン、いやガンダムファンならこれは読んでおいて損ないと思います。

 
 以上です。
 いやーしかし、今回の記事はリンク貼りまくったな。他人様のふんどしで相撲感あるけれど。
 ひびのたわごと様、シャア専用ブログ@アクシズ 様、TOMINOSUKI / 富野愛好病様、ありがとうございました。無断ですが。大変参考になりました。



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『「アニメージュ」が見つめたTMSアニメ50年の軌跡』に、富野のインタビューが載っているっぽい。 [富野監督関係]

 8月27日に発売された、『「アニメージュ」が見つめたTMSアニメ50年の軌跡』って本なのですが。

 アニメージュのバックナンバーから構成している(らしい・未読だから)本なので、富野が載っていても不思議ではないのですが。
 ただアマゾンの内容紹介を読むと。


 『ルパン三世』『あしたのジョー』『ベルサイユのばら』『名探偵コナン』『弱虫ペダル』――錚々たる人気アニメを生み出してきた制作会社トムス・エンタテインメント(TMS)の制作50周年を記念して、「アニメージュ」のバックナンバーを辿りながら、その軌跡を振り返る1冊。特別付録として2011年に逝去した名匠・出﨑統監督による幻の名作『ゴルゴ13劇場版』(脚本:長坂秀佳/主演:瑳川哲朗/94分)を1本丸ごと収録したDVD付き!


 とあるので、まあ富野は関係ないかな、と。

 富野が参加しているTMS作品って、『侍ジャイアンツ』と『新オバケのQ太郎』(両方とも絵コンテ)くらいのはずだし…


 ただ念のため、ぼくがこのブログで利用しているポンデリンク(amazonアソシエイト画像リンク作成ツール)でこの書籍を検索してみると。

 これらの画像が出てきました。

「アニメージュ」が見つめたTMSアニメ50年の軌跡
「アニメージュ」が見つめたTMSアニメ50年の軌跡
「アニメージュ」が見つめたTMSアニメ50年の軌跡
「アニメージュ」が見つめたTMSアニメ50年の軌跡
「アニメージュ」が見つめたTMSアニメ50年の軌跡
「アニメージュ」が見つめたTMSアニメ50年の軌跡
「アニメージュ」が見つめたTMSアニメ50年の軌跡

 上から3つ目の画像ですよ。6人の顔写真が並んでいるでしょ?
 その一番下が、富野喜幸なんですよ!

 なんかインタビューが収録されているのかなあ。

 ただこの本、DVD付きで5400円なんで、さすがにコレ目当てだけ買うのは…そもそも、富野インタビューが載っているのも確定ではないし。

 掲載されているか否かだけでも、書店で確認しようかな。




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ダンバイン総音楽集発売に関連して2・3の事柄 [富野監督関係]




 さて、このブログを読んでくださっている多くの方はすでに御承知でしょうが、「聖戦士ダンバイン総音楽集」が発売されます

 BGM集のⅠ~Ⅲに、初CD化となる管弦楽組曲「イン・バイストン・ウェル」、それにOVA『New Story of Aura Battler Dunbine』の「PALLADIUM」を収録した4枚組。

 公開されているジャケはBGM集Ⅰのものですが、今回発売されるものはそのままなんですかね?


聖戦士ダンバインI BGM集

聖戦士ダンバインI BGM集

  • アーティスト: 坪能克裕,MIO
  • 出版社/メーカー: キングレコード
  • 発売日: 1993/02/05
  • メディア: CD



 ヤフオクはともかく、アマゾンでは中古でバカみたいな値段がついていたので、この発売は良いことです。

 ダンバインの音楽というと、ぼくはやはり真っ先に「とぶ」が思い浮かびますが、BGMの中では「聖戦士たち」が一番印象深いです。音楽を担当しているのは坪能克裕さん。

 ちなみにぼくの手持ちのダンバイン関連の書籍、『聖戦士ダンバイン大全』はともかく『聖戦士ダンバインノスタルジア』にも、坪能さんのコメントは掲載されていません。何かあるのかな。
 シーラ様が表紙のムックも持っていたはずだけれど、どこへ行った…見当たらん。(コメント欄から情報いただきました。このムックには坪能さんの言葉が載っているそうです)

 坪能さんのHPを見ると、専門は現代音楽。
 管弦楽から電子音楽、合唱まで作曲のジャンルは多岐に渡っているようです。

 ぼくは門外漢なので分かりませんが、合唱ではこの曲などを作っていらっしゃるようです。


 さて、ぼくにはダンバイン系の書籍でそのインタビューを見付けられなかった坪能さんですが(強者頼むー)、ご自身のブログで先月頭に、今回の総音楽集が発売することを書かれていました。

 短めの文章ですが、「10日で約70曲を書いた」「作曲家・坪能克裕の原点」など大変興味深いことが書かれています。
 ダンバインファンの方も是非読まれてはいかがでしょう。

 しかし、10日で70曲って…全てのスケジュールがキツキツだったのかなあ。

 当時は当たり前だと思っていたけれど、やっぱり1年間スパンの新作を毎年作っていたって、異常なペースだったんだろうね。


 そして今回のCDには、『New Story of Aura Battler Dunbine』の音楽も収録されると。

 この作品ですぐ思い浮かべるのは「オーラバトラーがハーモニー処理、動かない」であり…
ハーモニーという世界~アニメが名画になる瞬間~

 これには収録されてないよね?(未読)

 あと思い出せることと言えば、「ポロポーズの花の効果すげえ!」と「ショットって案外・純愛だったんだな」ってことくらいで。あと、監督は滝沢さんだったな、と。

 あー。話題逸れるけれど。
 ぼく、基本的にダンバインの話になると「サーバイン強かった」とか「ハイパーオーラ斬りが」とかすぐ言いだす人とは、ちょっとウマがあいませんから、たぶん。そんな技アニメにないわ(原理主義)。

 で、記憶があまりに無いので『New Story of Aura Battler Dunbine』のWIKI見たら、主題歌は辛島美登里さんなのね。

 ある程度の世代の方には、「ああ」って分かる方だろうけれど。

 そこで辛島さんのHPに行くと、「1989年アーティストデビュー」とある。

 おや。
 『New Story of Aura Battler DUNBINE』の発表は1988年。主題歌(しかも2曲)の作詞作曲・歌を担当されているけれど、それはまあナシってことで、という例のヤーツですか。

 アルバイト的感覚でやったお仕事なので、アーティストデビューは『ロゼ』です

 的なやつですか。

 ま、いいけどさ。アニメファンはこういうの、慣れっこだからねー。 

 でも作品ファンとしてはやっぱり、一切語らないより・自身のブログで「原点」とまでおっしゃっていただく方が嬉しいですよね。



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案の定、吉田豪さんの富野監督インタビューは面白かった。 [富野監督関係]




 こんばんわー。

 


 と楽しみにしていた、『キャラクターランドVOL.2』が入荷の遅い北海道でもようやく書店に並び、昨日購入しました。

 本来ならここで・このムックのアフィリを貼っておくところなのですが、痛くもない腹をさぐられても業腹なのでね。やめておきます。
 金が目的なら、こんな能率の悪いブログなんかやるか。本業以外にバイトするわ。

 で。
 ぼくが持っている吉田豪さんの印象といえば、「あなたのファンです、この本を読みました、このグッズも持っています」と笑顔で近づきながら、タブーと思われがちな質問でインタビューイをブスブス刺していく感じなのですが。

 それで答えを引き出すことより、正直ぼくは、質問された相手の反応が楽しみなんですよ。

 相手がその質問で怒ってもいい、凄んでもいい、席を立ってもいい、逆にスンナリ答えてくれても勿論いい。
 吉田さんがきわどい質問をぶつけるガチ感、相手の素の反応が見たい(読みたい)わけです。

 その吉田さんが『トリトン』関係で富野にインタビューするとなれば、当然読みたい話はア・ソ・コですよね。

 ちょっと長くなりますが、2009年1月にぼくが書いた記事を再掲します(正確には3回目だ)。すでに読んでいただいている方は、スルスルっとスルーしてください。


【以下、再掲】
 記事を始める前にまず、参考になるブログを紹介しておきます。
 手塚ファン、アニメ版トリトンファンは必読の、資料的価値が高いブログです。

 http://blog.goo.ne.jp/mcsammy/e/74eae7ddff12129853ef34561a80c477
 http://blog.goo.ne.jp/mcsammy/e/adeec845f339cd2dd51e0b7b6e1946e0

 なお、上記のブログを書かれている真佐美さんはこんな経歴の方です。
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090112-00000559-san-ent

 以下の文章は、真佐美さんのサイトを読んでいるという前提で進んでいきます。
 まあ面倒くさがり屋さんにも、読めるようには書くつもりですが。

 
 さて、大型書店に行くと手塚治虫全集がずらりと並んでいますが、『海のトリトン』の後書きには、アニメ版は私に関係ありません、という主旨の手塚の後書きがあります。

 ササキバラ・ゴウさんが大塚英志さんとの共著『教養としての<まんが・アニメ>』の中でこの1文に触れていて、

 たぶん、当時手塚のもとには「海のトリトン」に関して多くのファンレターが寄せられていたのだろう。しかもその多くは、手塚のまんがではなく、アニメの内容に対するものだったに違いない。
(中略)
 たぶん、見当違いの褒め言葉をたくさん受けたであろう手塚のとまどいが、このコメントには感じられる。

 と書いてあります。
 しかし真佐美さんのブログを読んだ後だと、あのコメントが「とまどい」ではなく、怨念と怒りがこもった短文なのだ、と読めてきます。
 
 話を戻しましょう。『海のトリトン』で、富野ファンとして最も着目すべき点は、「手塚原作を大幅に改変したこと」それ自体にある、というお話です。

 ここからはなるべく、どの資料・記述も疑いながら、なおかつ「ここは信じられるだろう」という箇所を探しつつ、論を進めていきます。

 アニメの初期段階では、企画に手塚が参加していたことは、ほぼ確実です。前述した手塚の後書きと真佐美さんのブログ、それに後に引用している富野の記事もあります。
 そして富野が元虫プロ社員だったことを考えれば、手塚の意思に沿う形で富野が作業を進めていた、という真佐美さんの記事も素直に読めます。 

 さて、途中まで作業を進めていたが、真佐美さんによれば、西崎氏が手塚漫画の権利を全て奪ってしまい、虫プロではアニメをつくることが出来なくなってしまった。

 この真佐美さんの記述は、どこまで信じて良いものか?(コメント欄から情報いただきました。真佐美さんご自身が、後年訂正しています)。
 この時期に関する富野の証言は、あの饒舌な富野にしては、非常に淡白です。
 富野ファン必携の2冊から、その部分の記述を抜いてみましょう。

 『だから僕は…』
 以前に虫プロで作ろうとした十分ほどのフィルムはあったのだが、虫プロ内部にいろいろな問題があって、製作をスタッフルームが請け負うことになったのだという。そのときの虫プロの事情は知らない。
 (中略)
 「テレビ版でやるときは、オリジナルをおこすしかない」
 これは鈴木さんの主張であり、やや遅れて制作に参加した西崎義展プロデューサーの意見でもあった。
 さらに、製作条件として虫プロ関係のアニメーターはつかってはならないという暗黙の約束ごとがあったりして、手塚先生と相談する機会さえあたえられなかった。もしあたえられたとしたら、あのような形でのTV版の『海のトリトン』はなかっただろう。


 『富野由悠季全仕事』
 ―― ところでこの当時(筆者註・71年)、西崎義展さんは虫プロにいらっしゃったのですか。
 富野 そういう社内事情は知りません。
 (中略)
 富野 初めは手塚先生が手塚プロで作るつもりでいて、虫プロに下請けを出すという話もありましたがそれもなくなった。そして虫プロ商事が虫プロと分派したのか、自活していかなくてはいけないということで『海のトリトン』の企画を引き受けたんだけど、結局虫プロ商事も潰れて、スタッフルームだけが残った。で、最終的にプロデュース権というかマルC権を西崎さんが買って、手塚先生から『トリトン』をひっぺがした。 

 『全仕事』の方は、真佐美さんの記述に近いですね。
 ただこの言いようだと、西崎氏が『トリトン』の権利だけを買ったとも誤解されますが。

 富野は当然、自分の漫画の権利を失ってしまった手塚の心中がいかほどのものか、想像できたのではないでしょうか?
  
 真佐美さんのブログによると、西崎氏のやり方に反発して、トリトンの仕事をおりたスタッフもいたようです。しかし富野はチーフディレクターを降りず、そして物語のラストを大幅に改変しました(追記・富野はCDだったのだから、そう簡単に降りることもできなかっただろう)。

 富野ファンのぼくが着目するのは、まさに「富野はチーフディレクターを降りず、そして物語のラストを大幅に改変した」点です。
 ぼくは何も、「手塚を裏切る形になってまで、作品をベストの形にしようとした」などと美談として語るつもりも、また逆に悪く書くつもりもありません。

 もっと生活に密着した問題として、着目したのです。

 つまりこの時期すでに、富野はフリーのコンテマンだったのです。そして今のようなサンライズとの関係が構築されていたわけではありません。

 フリーにとって安定した仕事先の確保は、もっとも重要なことです。
 単純に言ってしまえばフリーの富野には、手塚をとるか、西崎をとるか、という二択がここで提示されました。

 富野は『トリトン』の前年に、手塚プロの『ふしぎなメルモ』の仕事も請けています。
 だから今後も、手塚プロから仕事が来る可能性だって、当然あります。

 しかし西崎氏と手塚の関係を考えれば、トリトンの仕事を続けていれば、手塚プロ・虫プロから仕事が来るとは考えづらいでしょう。

 はたして富野はトリトンの仕事を続け、ラストを(おそらく手塚の意向には合わない)形に変えました。
 西崎氏と共にトリトンの仕事を続けることを覚悟した時点で、富野の中で手塚との(ビジネス上の)関係が切れたことは、まず間違いないと思います。

 クリエイターには転機となる作品があって、富野にとってはやはり、アニメ演出を手がけるきっかけを与えてくれた手塚との縁を切る意気込みで挑んだ『海のトリトン』が最初のターニング・ポイントとなる作品だったのです。
 
 蛇足。
 まだ無名だった唐沢俊一さんがきっかけとなった、アニメ誌上での「ガンダム論争」で、手塚は富野擁護の発言をしたそうですから(文体が伝聞なのは、ぼくは実際にこの論争を読んでいないからです)、手塚は「名前を出すのも嫌」ほどにはトリトン後も富野を嫌っていなかったのでしょうね。  

【以上、再掲終り】

 
 で、こんな関係を踏まえた上での『キャラクターランドVOL.2』ですが。

 結論から言うと、非常に面白いインタビューでした。
 西崎さんについての話も当然あるし、別のところで既出ですが・上記のぼくの記事で書かれているシナリオ改変の意図も説明しています。
 かぐや姫(昔話じゃねーよ、こうせつさん)の扱いに困ったとかBGMへの思いは、初めて読んだような…あと富野はこれまで、『トリトン』を「怪獣物」って言っていることあった?

 最近ではちょっとナリを潜めていた感のある自作批判も、「Gレコ惨敗」とまた始まっているし。まだ終ってないでしょ、Gレコ。

 そして吉田さん、「当然、やしきたかじんさんの起用もキングレコードの選択だったわけですね」と話の流れでシラっと質問する。
 あっ、トリトンのインタビューなのに、そこに。笑ってしまった。

 たかじんさんといえば、


 ほんとに「ライリー…」にはまいりましたよ
 “黒歴史“ではなくなっていた!? やしきたかじんが抱えた『ガンダム』への葛藤


 ですよね。吉田さん、絶対知ってて質問ぶつけているよなー。

 インタビューの後半は、シナリオ合議制の否定とか、それより何より女性アニメファンへのヒドイ偏見とか、とても首肯できる内容ではないんだけれど、まあそこも含めて面白かったです。

 富野ファンなら、1400円払ってもいいと思います。

 ちなみにこのムック自体は、富野インタビューだけを楽しみに買ったんだけれど、押井監督の『東京無国籍少女』のインタビューが載っていてぼくとしてはお得でした。



 いやー、インタビュアーいわく映画前半は「観客を寝かしにかかって」、しかも『ニューティフル・ドリーマー』『アヴァロン』『イノセンス』ともシンクロするんでしょ。

 いつものやつじゃん。いつものアレでしょ。やばいよなー。

 これは覚悟をもって見ないと。


 あ、そうだ。最後に。

 ぼく、吉田豪さんがインタビュー時の裏話を聞く・読むのが好きなので(『いいとも』最終回より全然前の時、爆笑問題にダウンタウンの質問をしたら空気が変わったって話は笑った)、富野話も「TOKYOBREAKING NEWS」か「たまむすび」で、期待してますぜ。 



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萌え系アニメを見ながらぼんやりGレコのことを考えていた。 [富野監督関係]

 お久しぶりです。あなたに遭うなんて。ロシナンテ。バルタザールどこへ行く。

 ヒドイぞコレは。
 歌詞→似た言葉→ロバ繋がり。不安になって説明しちゃったよ。

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 さて。ぼくはいい年ぶっこいてアニメを・特に1話は手当たり次第に見ています。
 HDに溜まっているものを潰していくので、リアルタイムではなくかなり遅れているのですが。ヤマトとか東京ESPとかまだ未見だったり。

 で、見ていても、Gレコのことを頭の片隅で考えていたりすることもあったりなかったりして(広川太一郎さん風)。

 例えば。これが『城下町のタンデライオン』2話を見たときのツイート。
 




 次にコレが『ダンまち』連続で見ていた時のツイート。



 意図的に書かなかったけれど、コレは当然Gレコとの比較で呟いていたわけで。

 富野の萌えアニメに対するコメントは、kaito2198さんがまとめているので読んでもらうとして。

 あ、上記2作品が萌えアニメか否かみたいな反論は、鬱陶しいので勘弁してください。ぼくにはそう見えるってことです。
 
 蛇足・より道ですが、ダンまちは大変面白かったですよ。女の子を可愛く描いているのはもちろん、戦闘シーンにも力が入っていて二度おいしい感ありました。
 それに比べて、戦闘的要素がタイトルになっているあの作品ときたら…(以下略)
 
 閑話休題。
 まあ想像するに、Gレコはもちろん今後の富野作品でもおそらく「声優さんのオーバー気味な演技込みで」「頬を赤らめたり」「照れて口ごもったり・逆に早口になったりする」演出は、ないと思うんですよ。

 ファンであるぼくは、そこにリアルさだったり・一筋縄ではいかないキャラ描写を見出して、うう気持ちいい…もっと…もっと…となるわけですが。

 しかしその一方で、パターンと言えばパターンかもしれない描写でも、それゆえに分かりやすくて力があって、娯楽作品としてコレでいいんだよな、という気持ちもあります。一視聴者としては。
 ストレートに伝わる力強さがあるよな、と。

 特に上記ツイートにあるタンデライオンの画面ブレは、心情が分かりやすくて面白い演出だな、と楽しめたし。
 ダンまちのあざとい(悪くはない)スキンシップ描写も、「GレコではMSでSEXの暗喩までしたのに、どうしてキャラでは素っ気無いんだ」と考えがいっちゃうしね。

 いや、分かっているのよ。ないものねだりのI Want Youもっともっとってことは。



 でもそう考えちゃうくらい、Gレコのキャラって魅力的なんだよね。
 肝心のアイーダさま以外は…

 ファンの欲目かもしれないけれど、ラライヤやノレドが回数重ねるごとに増していく魅力を思うと、「もっと人気がハネても良くね?」と思っちゃうんだよね。

 だからこそさー。ありもしない描写、を夢想してしまうわけなんです。

 ちなみにちょっと話からズレちゃうけれど、ぼくの好みは。


 例えば、えーと。マクロスFとか、最近のラブコメだとなんだ。ニセコイとか。
 この理論にバッチリ当てはまると思うんだけれど。

 アイーダ…いや、結局アイーダの話になっちゃうんだよな。
 というのも、富野がどこかのインタビューで言っていたようだけれど、Gレコのアキレス腱ってアイーダ(とベルの関係性)だと思うから。

 だからもし新作があるのだとしたら、2人の関係にズームアップしたGレコ版『密会』を希望しているの。
 おじさんのノスタルジーじゃないんだよ。

 むしろぼくは、過去作の焼き直し作品がリリースされ続けることにも、そしてそれが人気らしいことにも、孤独を感じているんだからね。もういいよ。


 おまけ。
 マッシュナーさんはセクシーショットが流出したけれど、ここで中の人のセクシーショットを見てみましょう。
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 あのくらい流出しても、全然恥ずかしくないぞ!(クリックしても拡大しない、商品ページにいくだけだよ)


 

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Gレコは「ロードムービー」ではなかったな、ぼくにとっては。ではロードムービー感あふれるロボットアニメ3選は。 [富野監督関係]





 どうも。お久しぶりです。
 もう少しGレコのことを書こう。

 今日はいつも以上に、「ぼくにとっては」って話になりますよ。


 放映直前に、富野はGレコについて次のように語っていました。

 「これ(ブログ主注・宇宙エレベーターのこと)は一種の交通手段なんです。そして交通手段にするためには、目的地に何かがなければいけない。つまりこれはロードムービーなんだということに気付いたんです」。(映画.com ニュース2014年8月23日より

 「これはコンテをやって初めて気がついたんだけど、『G-レコ』ってロードピクチャーなんですよ。地球から月、そして金星へと主人公たちがほぼ一直線に旅をして帰ってくる物語。ただのロードピクチャーだからこそ楽しくつくらなければいけない」。( 月刊ニュータイプ2014年9月号

 で、実はロードムービー(ピクチャーでもいいんだけれど)には、厳密には定義って無いようなんだよね。
 面白いんだよ、「ロードムービー」をネット上の辞書で調べると。以下、列記。


【デジタル大辞泉】
 主人公が旅を続けるなかで変貌し、自分を発見するという筋立ての映画。
 
【大辞林 第三版】
 主人公が作中で旅や放浪をしながら,さまざまな出来事に遭遇したり変化していくさまを描いた映画。

【日本大百科全書(ニッポニカ)】
 主人公が自宅や故郷を離れ、各地を旅しながら、旅の過程で成長や変貌(へんぼう)を遂げていく映画。陸路による移動が物語展開の基線をなすが、こうした物語形式の源には、『オデュッセイア』など、西欧の古代叙事詩がある。陸路をいくプロットは映画初期から採用されていたが、確固たるジャンルとして認識され、形成されていくのは、自動車社会が到来し、若者文化が興隆する第二次世界大戦後以降である。口火を切ったのは、『イージー・ライダー』(デニス・ホッパー、1969年)や『俺たちに明日はない』(アーサー・ペン、1967年)などのアメリカのニュー・シネマだった。日本でこの用語が普及し始めるのは、ドイツのビム・ベンダース監督作品が公開されるようになってからである。『まわり道』(1975)、『さすらい』(1976)、『パリ・テキサス』(1984)など、彼の作品には旅をモチーフとしたものが多く、そのスタイルを表現するために用いられるようになった。日本映画にも『幸せの黄色いハンカチ』(山田洋次、1977年)など、ロード・ムービーとよぶにふさわしい作品が生まれている。

【ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典】
 陸路による移動が物語展開の基線を成す映画。アメリカ映画『イージー・ライダー』 (1969年) などがこれに該当するが,確固とした用語ではない。日本で急速に用いられ始めたのは,ドイツの W.ベンダース監督作品が公開されてからで,『まわり道』 (75年) や『さすらい』 (76年) など,彼の作品には旅をモチーフとしたものが多く,その特徴を表現するために使われるようになった。

 
 どうですか、ちょっと面白いでしょう。
 ブリタニカには「確固とした用語ではない」と明記されていますね。

 だから、確固としたラインが無い言葉なので。例えば。
 英Total Film誌が2012年に発表した「史上最高のロードムービー50本」を見ても。

 「『俺たちに明日はない』は傑作犯罪映画だし青春映画でもあるけれども、ロードムービーって言われるとなー」って気がしちゃうのは、ぼくだけですかね?


 では、ですよ。ぼくにとっての「ロードムービー」の絶対条件は。

 「道程でドラマが起こる」ってこと。コレ、絶対。「目的地に着いてから」ではなく、「道程で」ドラマがあること。
 これを満たしているのが、ぼくの思う「ロードムービー」。

 それともう1つ。
 コレは絶対じゃないんだけれど、できれば「物語の序盤で目的地が明示される」。


 さて。このぼくの視点でいくと、Gレコってどうしてもロードムービーに見えないんですよ。

 まず一番の要因は、道程での描写がほとんどないこと。まああの、マラソンくらいかな。思い出す道程での出来事って。

 後はね、これぼくの「2」の条件にも重なってくるんだけれど、アイーダ様(あとベルリも)が思い付き・思い立ったが吉日・弾丸娘の勢いで行動するので、コマ切れに目的地が提示されるんだよね。
 最初から「金星に行く!」って言ってくれれば、もっとロードムービー感あったんだけれど。

 Gレコは、
「宇宙からの脅威の話を確かめるため、キャピタル・テリトリィに行こう」
「次はザンクト・ポルト」
「アイーダ様、真実を確かめるため月を指さす」
「アイーダ様、レイハントン家とドレット家の争いの原因がヘルメス財団にあるのならと、財団のあるビーナス・グロゥブに行ってみることを決意」

 こう、目的地を小出しにされると…
 しかも実際には、確かに「道程」での出来事ではあるんだけれど、ザンクト・ポルトに着いて1つの出来事、月に着いてまた出来事、金星に着いて出来事と、どうも「旅の途中での話」な感じがしないんですよ。
 目的地に着いてからの物語、って感じがする。

 これなら例えば、クルー同士でいさかいがあったり、主人公が「旅」から離脱したり、様々なドラマが移動中で生まれている初代ガンダムやイデオンの方が、ロードムービー感あったなー。
 「2」の条件は満たしてないけれど。

 これについては、氷川さんが藤津さんとの対談で面白い指摘をしています。


 今回、「ロードムービー、旅ものにする」と語っていますね。もともと富野さんの作品は、ホワイトベースのように「グランドホテルがロードムービーする」というシステムが秀逸なんです。ゲストが来るときは大きな船がグランドホテルとして出迎えるし、それが動けばロードムービーになる。ドラマづくりに便利な構造をしています。

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 グランドホテル方式(ホテルのような一つの大きな場所に様々な人間模様を持った人々が集まって、そこから物語が展開する)と、ロードムービーの複合ってのは、さすがの見立てですね。

 実際・富野作品に限らず、都合良く異星人などが東京・日本ばかり襲ってきた大昔の作品ならともかく、ロボットアニメにはこの要素が生まれますよね。

 
 その上で。

 じゃあ、ぼくが思う「ロードムービーなロボットアニメ」は。
 3つ上げると。Gレコは入らないなー。

 バイファム(カチュアー、もといカサハラー!)、モスピーダ、そしてキンゲ。

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 3作とも「目的地」ではなく「道程」の描写がメインでドラマが生まれているし、しかもククト星・レフレックスポイント・ヤーパンと目的地が序盤で明示されている。

 まあウィキ見ると、モスピーダはスタッフが西部劇目指していたみたいだけれど。でもホラ、OPで旅に出るがいい、と歌っているし(最初5秒ピー音あり)。




 ロードムービーの映画ならね・もう、1位は絶対不動だろうし、あとはベンダース…そんなに面白いランキングにはならないでしょ? ぼくはあんまり見てないから、『或る夜の出来事』と『イントゥ・ザ・ワイルド 』かな。

 だからアニメで。
 皆さんが「ロードムービー」で思い出すアニメはなんですか?



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富野作品において『Gの閃光』ほど、本編の印象を支えたEDはないのでは? [富野監督関係]





 さてさて、久しぶりに情報系ではなくGレコの話でもしようかな、と。

 今回はED『Gの閃光』の話を。



 まあ富野(井荻麟)作詞の歌といえば、スゴく頑張っている方がいらっしゃるのでアレなんですが。アレってなんだ。

 気が引ける。

 いや、ぼくが書きたいのは作詞の内容ではなくて、存在感というか、Gレコ視聴の印象に『Gの閃光』が与えた影響についてですよ。

 『Gの閃光』ほど、視聴者の印象を支えたEDは無かったんじゃないでしょうか、富野作品の中で。

 EDって、まあ富野作品以外のアニメでもそうだと思うんだけれど、作品の世界観の補強だったり、ちょっと余韻を残す役割だったり、だと思うんですよね。
 あと最近ではキャラを立てるための、つまりはキャラソンだったり。

 富野作品のEDではおそらく、ファンからは『コスモスに君と』『乾いた大地』なんかが評価高いと思うのですが。
 ぼくも作品感が良く出ていて好きです。

 でも『Gの閃光』って、もうちょっとこう、ガッツリと作品の中心に噛みこんで来ている印象ありません?

 例えば、ちょっと「この回どうだろう?」って思ったり、何か暗い方向に話が流れたり、もっと言えばキャラが死んじゃったり、「うわあ各陣営が混ざって分からなくなってきたぞ」となっても(監督が単純と言っても、「単純」に考えても3陣営×2はある)、

 本編終った後に『Gの閃光』が流れて、みんなラインダンスしたら。あ、デレンセンとカーヒルはちょっといないけれど。
 『Gの閃光』が始まったら。


 元気のGで、つかめプライドで、つかめサクセスで。


 言葉悪いけれど、本編のイメージがちょっと誤魔化されるというかね。もしEDが他の曲だったら、Gレコの印象も評判もガラリと(悪い方に)違っていたかもしれない。

 でも『Gの閃光』聞くと、ポジティブになるし、作品全体の印象すら変えている。

 縁の下の力持ち、ではなくてもっと顔出して、作品を支えていると思うんだよね。敢えて言うと、「EDのくせに」。
 作品の中央で、「エイヤッ」と全体を支えているんですよ。ぼくの中の『Gの閃光』は。

 さらに歌っているハセガワさんが、もともと仮歌だけの予定だった、と知っていると。 
 つかめプライド、つかめサクセスって歌っちゃうとさあ。

 それは心に響くじゃない、当然。もともとの力に、プラスアルファがあるじゃない。

 この歌が本当にそんな歌詞を実現させちゃうかも、いや実現しろって応援したくなるでしょ。

 だから何かもう、アニメ本編も歌手も巻きこんでホントいい歌だと思うのよ、『Gの閃光』。


 前に、アニメ紅白歌合戦的な番組で。
 福山さんがキンゲ歌うと、MCさんも出演者もみんなモンキーダンスしていたのが印象深かったけれど。確か女性MCは喜屋武さんだったかな。

 今回、Gレコではイベントでも打ち上げでもラインダンスなさったようで。

 でも、『Gの閃光』はEDだよ! こんなに盛り上がって1つになって元気になれるEDは稀有なのでは。

 「元気のG」ってかなり印象の強い言葉だと思う。
 その理由って公式サイトに掲載された富野直筆のコメントもあるけれど、やっぱりこの歌の力が大きいでしょう。
 
 だって冷静に考えたら、よく意味分からないでしょ? 「元気のG」って。頭文字? そしてGのレコンギスタ~だよ。何だよレコン「ギ」スタ。

 でもOK。

 ガンダムは「ニュータイプ」、∀は「黒歴史」って言葉を生みだした。

 一般までは広がらないけれど…ファンにとっては、Gレコには「元気のG」があるんだ!

 ツイッター上では今、デレンセンやカーヒルを加えたラインダンスの創作絵が回ってきている。

 そうさせたくなるのは、あの絵・演出もいいけれど、歌の力が大きいと思います。

 ぼくもこんな文章書いちゃっている。社会人なのに。おっさんなのに。しかも文章書く仕事しているっていうのに。

 みんなを動かす。『Gの閃光』。

 元気のGだ!



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「ブレンパワード スパイラルブック」の発売まであと1か月! そしてダンバインのBlu-rayも来た。 [富野監督関係]





 前回の記事更新から2週間経つけれど、またもや情報のみ。

 以前から再販が決定していた「ブレンパワード スパイラルブック」、ぼくは持っているので記憶から忘却していたけれど、発売は5月23日に決定してたんだね。

 ブレンパワード スパイラルブック

 昔より千円ほど高くなっているけれど、持っていない富野ファンには朗報のはず。ブレン、関連本少ないし…

 それにこのムックに限ったことじゃないけれど、ヤフオクでバカみたいな高値になっているのは腹立たしかったので、この再販は良かったのではないでしょうか。
 この期に及んでも、4月21日現在、1万2千円即決で売りに出している人いるよ。1か月後には2700円で買えるってーの。

 そしてもう1つ。これ。


聖戦士ダンバイン [Blu-ray]

聖戦士ダンバイン [Blu-ray]

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 パチンコダンバインは、これと連動していたのかなあ。無関係じゃないよなー。

 ※追記  ダンバインBlu-rayの情報、4年以上前から登録されていた




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Gレコ(Gのレコンギスタ)のオリジナルサウンドトラック、中のCDジャケはベルリ、アイーダ様、マスク [富野監督関係]

 今回は情報のみ。

 4月15日に発売されるCD「『ガンダム Gのレコンギスタ』オリジナルサウンドトラック」。

 CD3枚組ですが、各ジャケはこんな感じのようです(クリックしてもアマゾンに行くだけです)。

TVアニメ ガンダム Gのレコンギスタ オリジナルサウンドトラック


 ライナーの表紙の色、派手だね。



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「得意気に使うことで逆に頭悪そうに見える」用語を、Gレコ(Gのレコンギスタ)に置き換えて遊んでみる。 [富野監督関係]

 お遊びの記事です。

 元ネタとなる言葉及び文章は、ウィキからとっています。カッコ内が元になっている言葉・リンク先です。

 では、どうぞ。50音順です。


出でざる飛行形態のアルケイン(見えざるピンクのユニコーン)

 出でざる飛行形態のアルケイン(いでざるひこうけいたいのアルケイン)は、設定厨を風刺したパロディカルトにおけるMSであり、「アニメ本編に出ていないのに飛行形態が存在している」という象徴的なアルケインの形をとっている。
 その特徴は設定への固執性に関するいくつかの矛盾を皮肉っている点にあり、アニメ本編のみから論ずるべきとする者や、富野懐疑論者が使用する修辞的な例証として作られた。


カーヒルの選択(カルネアデスの板) 

 カーヒルの選択(カーヒルのせんたく)は、海賊部隊のカーヒル・セイントがとったといわれる行動。
 舞台はリギルド・センチュリーの地球。カーヒルが宇宙から降りてきたMSを鹵獲しようとした。するとMSのコックピットから、パイロットが落下した。しかし、パイロットを助ければMSを鹵獲できないと考えたカーヒルは、パイロットを無視した。
 その後、カーヒルは当初の目的を果たしたため、罪に問われなかった。


キャピタル・アーミィ実験(スタンフォード監獄実験)

 キャピタル・アーミィ実験(キャピタル・アーミィじっけん)とは、リギルド・センチュリーのキャピタル・アーミィで行われた、大掛かりな心理学の実験である。研究史の観点からは、ヘルメスの薔薇の設計図の実験(ピアニ・カルータ実験)のバリエーションとも考えられている。
 キャピタル・アーミィを舞台にして、普通の人が特殊な肩書きや地位を与えられると、その役割に合わせて行動してしまう事を証明しようとした実験が行われた。男女の学生1人ずつ(男性被験者はルイン・リー、女性被験者はマニィ・アンバサダ)を選び、男性には軍人・女性にはその恋人の役割を与えた。
 その結果、わずかな時間で男性被験者はより軍人らしく、女性被験者はその男性優先の行動をとるようになるという事が証明された。
 軍人役の青年は指示以上の戦果を求め、当初は戸惑っていた恋人役の女性も、最終的には人殺しを厭わなくなった。 実験の結果、元々の性格とは関係なく役割を与えられただけでそのような状態に陥ってしまう「非個人化」が証明された。


サラマンドラの法則(ハインリッヒの法則) 

 サラマンドラの法則(サラマンドラのほうそく)は、労働災害における経験則の1つである。
 重大事故の背後には科学技術への過度な信頼が存在するというもの。


ザンクト・ポルトの箱(シュレーディンガーの猫) 

 ザンクト・ポルトの箱(ザンクト・ポルトのはこ)とは、物語分岐を突く思考実験。
 まず、多くの人が入る蓋のある箱(例えばエレベーター)を用意して、この中に主人公側のキャラクターを入れる。
 箱の中には味方側の他に、敵対する陣営のキャラクターも入れる。
 もし箱の中で口論になれば、両陣営はますます敵対する。しかし同じく会話によって、共通の敵に対応するために手を組むかもしれない。一定時間経過後、果たしてキャラクター達は敵対したままか仲間になっているか。箱の中には両方の可能性が存在している。
 我々は物語鑑賞の経験上、敵対状態が継続する場合と仲間になる場合という2つの状態を認識することができるが、このような重なりあった状態を認識することはない。これが大きな問題となるのは、例え実際の結果がどうであれそれは既に出た結果であり、本当に知りたいことである重なりあった状態ではないため、結果そのものには意味がなく、検証のしようがないということである。


デスマーチ(デスマーチ) 

 デスマーチとは、戦場での無謀な攻撃や突撃といった、クルーに極端な負荷を強い、成功する可能性がとても低い作戦、およびこれに参加させられている状況を主に指す。
 クルー全員が死に向かう過酷な状況で行進する、という意味で「デスマーチ」と呼ばれる。
 リギルド・センチュリーでは特に、マッシュナーが指揮して撃墜されたクノッソスの最終局面を指す。


ヘルメスの薔薇の設計図の実験(ピアニ・カルータ実験)(ミルグラム実験) 

 ヘルメスの薔薇の設計図の実験(ヘルメスのばらのせっけいずのじっけん)とは、技術進歩が硬直した世界における、人間の戦力増強への欲望を実験したものである。俗称としてピアニ・カルータ実験(ピアニ・カルータテスト)とも呼ばれる。
 ヘルメス財団の一員だったピアニ・カルータによって行われた壮大な実験。遥かに進歩している軍事技術を提供した場合、人間はそれを使用するか、それとも従来のタブーに従うか心理状況を実験したものである。
 ピアニ・カルータはビーナス・グロゥブから地球に逃亡して「クンパ・ルシータ」の偽名を名乗り、キャピタル・ガードの調査部大佐として暮らしていた。彼は高度なテクノロジーが記されたデータ「ヘルメスの薔薇の設計図」を地球圏へもたらした。
 はたしてこのことによりMS・宇宙戦艦の技術は目覚ましく発展し、戦場も拡大した。しかし多くの戦争犯罪を実行した戦犯たちは、そもそも特殊な人物であったのか。「高度な軍事テクノロジーがもたらされた条件下では、誰でも残虐行為を犯す可能性があるのではないか」という疑問が提起された。
 ピアニ・カルータ自身は、ある程度の戦争状態は想定して実験を始めたが、やがて状況は彼のコントロール下を逸脱した。
 最終的な結果は、平凡な市民が、一定の条件下では、冷酷で非人道的な行為を行うことを証明するものであった。この実験から、かかる現象をヘルメス効果とも呼ぶ。


ムタチオンの体(テセウスの船) 

 ムタチオンの体(ムタチオンのからだ)はパラドックスの1つであり、ムタチオンのパラドックスとも呼ばれる。ある物体(オブジェクト)の構成要素(部品)が置き換えられたとき、基本的に同じである(同一性=アイデンティティ)と言えるのか、という問題である。
 このパラドックスには、以下のような具体例が挙げられる。

 金星のムタチオンは人類の突然変異体であり、筋肉補強用のボディスーツに身を包んでいる。また寿命は200歳と、一般の人間とは大きく異なる。

 この事実は、論理的な問題から哲学者らにとって恰好の議論の的となった。すなわち、ある者はムタチオンはもはや同じ人間とは言えないとし、別の者は同じだと主張したのである。
 また、ここから派生する問題として、彼らがレコンギスタして地球に住みついた場合、彼らは「地球人」なのか、という疑問が生じる。


ユグドラシル問題(トロッコ問題) 

 ユグドラシル問題(ユグドラシルもんだい)は「ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?」という倫理学の思考実験。人間がどのように道徳的ジレンマを解決するかの手がかりとなると考えられており、道徳心理学、神経倫理学では重要な論題として扱われている。
 リギルド・センチュリーにおいて、以下のような事態が発生した。

(a)キャピタル・アーミィの巨大MAユグドラシルが、アメリア軍とドレット艦隊に甚大な被害を与え始めた。このままでは両軍から多大な死者が出る。

そしてG-セルフのパイロット、ベルリ・ゼナムは以下の状況に置かれていた。

(1) この時ベルリは戦闘空域にいた。

 ベルリがユグドラシルを落とせば、大勢の人が確実に助かる。しかしその結果、大勢の代わりにユグドラシルのパイロットが確実に死ぬ。
 ベルリはユグドラシルを撃墜すべきか?
 なおこの思考実験の場合、ベルリは中立な立場に置くことにする(実際にはベルリはアメリア軍に所属しているが、ドレット艦隊とは誤解から戦闘状態に入っていた)。
 また軍略的な責任は問われず、道徳的な見解だけが問題にされている。

 あなたは道徳的に見て「許される」か、「許されない」かで答えるものとする。
 つまり単純に「大勢を助ける為に他の1人を殺してもよいか」という問題である。功利主義に基づくなら1人を犠牲にして大勢を助けるべきである。しかし義務論に従えば、何もするべきではない。



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『Gのレコンギスタ』(Gレコ)のマスクは、トム・リプリーにもシャルルにもならなかった。 [富野監督関係]

 さて、Gレコが最終回を迎えました。

 ラストから数話は、物語世界に引き込まれっぱなしでした。
 ブログのネタはたくさん。書きたいことが色々ある。意欲はある。気力はない。

 全体的な感想としては。これ、同好の士から反感買うかもしれないけれども。

 富野ファンのぼくとしては大満足、でも他人に薦めることはしない、です。

 どうしても、ぼくの目からすると「富野監督の集大成」って要素が上積みされるし。それにイデオン以降、やっぱり富野作品には納豆とかくさや的な要素があるじゃない? 好きな人にはたまらない味だけれど、的な。

 Gレコにもやっぱりその要素はあるので、お薦めはしません。ぼくとオマエは味の好みが違うからね。

 あ、ファーストよもう1度的な「ぼくのGれこ」を考えた人はホラ、ORIGINあるから。おめでとう。
 ちなみにぼくも劇場でORIGIN見ました。ズブの素人の感想ですが、「安彦さんの絵をアニメでここまで再現するのは・もの凄いことなのではないだろうか」と思いました。

 あと。『Gレコ』の感想はもちろん人それぞれですが。
 例えば、

 ノレドはこれからどうなるんだよ、とか
 ベルとアイーダは結局姉妹なのか・違うのか、とか
 各陣営は今後どうしていくのか、とか

 「何も結末が提示されていないじゃないか!」との批判には、「どうしてそんなに答えを求めるんだ、テストでもあるまいし」と思います。
 粋じゃないね。まあベルとアイーダに関しては、ぼくも本当は答えが知りたくてかなり痩せ我慢していますが…
 
 
 さて。ココからが本番。

 マスクをつけた当初はネタにされていた感もあるルイン先輩ですが、ラスト数話で俄然主役の座に躍り出てきました。

 その原因は詰まるところ・マニィとの関係改善であり、そしてベルリと戦う理由が「俺は恵まれていない、奴は恵まれている」点にあったと思います。

 そりゃ生まれも育ちも良くて特進の天才よりは、生まれがクンタラで何とかその劣等感を埋めようとするけれど・いつもその天才に邪魔される人間の方に感情移入しやすいよね。

 「恵まれない主人公(もうマスクを主人公にしちゃった)の側に、全ての面で恵まれた人物がいる」ってのは、富野アニメはともかく、映画では何本かの傑作を生み出しています。

 で、それらの映画の主人公は、運命に抵抗を試みても結局は破滅的な最期を迎えるわけですよ。

 ぼくが真っ先に思いつくのが、アラン・ドロンの『太陽がいっぱい』ですね。

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 あらすじは長いけれど、Wikiから以下の通り。改行はした。
 結末まで話すから、ネタバレ嫌な人は注意してね。


 トム・リプリーは悪友フィリップを彼の父親から謝礼金5000ドルで雇われてアメリカから連れ戻しに来た。放蕩息子であるフィリップは父の元へ戻る気はなく、親の金でイタリアを遊び回る。
 父親に帰国を断ったので、約束を果たせず謝礼金を受けることが出来なくなったトムは手持ち金がなくなる。フィリップの金目当てに彼と行動を共にするが、トム自身やフィリップの恋人マルジュに対してフィリップが時折見せる傍若無人な態度に怒りが増す。そしていつしかフィリップから疎まれるようになった。
 やがてヨットで沖合に出てマルジュが作った料理を3人で食事する。テーブルにはマスカットや洋梨が盛られたフルーツ皿、魚のムニエルにレモンを絞り、フィリップは魚を指を使って小骨を丁寧に取りながら食べていて、昔話になる。
 トムが「親父さんには嫌われていた。身分が違うから。それが今では信用されている。頭がいいからさ、貧しいわりに」というと、フィリップは「上品ぶるのは下品な奴のすることだ。魚はナイフで切るもんじゃない。ナイフの持ち方が間違っている。こうやって持つんだ。ほら。君のために言ってるんだぞ」(石原千麻訳)という。その後小細工を弄してマルジュを下船させてから、トムはついに船上でフィリップを殺害し、死体をロープで縛って海に捨てた。
 港に戻った後にトムはフィリップになりすまして彼の財産を手に入れようと画策し、彼の身分証明書の写真を自分のものに変えて粘土で押印して偽造し、彼のサインをソックリ真似るためスライドで彼の筆跡を壁に拡大して白い紙に練習し、彼の声色を真似てフィリップになりすましていく。そしてフィリップに会いたがるマルジュにタイプで打った手紙を渡す。
 フィリップの友人で、利子で食っているというフレディの訪問を受け、トムがフィリップになりすましてるのを見破られたため、布袋尊の置物で撲殺する。フレディの死体を捨てる際に「君を殺したのはフィリップさ、僕じゃないよ」と語る。
 フレディ殺しをフィリップが行い、そして自殺したように見せかけてマルジュの心を傷つけ、やがてトムはマルジュと結ばれた。そしてヨットを売り払うことにしてヨットの売却でマルジュが港に向かい、イスキアの浜辺でトムは一人極上のカクテルを飲みながら「太陽がいっぱいで最高の気分さ」と完全犯罪に酔いしれる。
 売却のためにヨットが陸に引き揚げられる。マルジュが立ち会い、そしてヨットの舳先から一本のロープが見えて水面に繋がり、次第に水面上に上がってくる…その時悲鳴が…。太陽がいっぱいの浜辺でベンチに休むトムを呼ぶ声がして、トムはその声の方に歩いていった。

 ついでにこれがラストシーン。ニーノ・ロータ、音楽の使われ方不満だったんだね…有名な音楽だけれど。


 結局フィリップの死体が上がってきて、悪事は露見するわけです。

 そしてもう1作、もっと「恵まれた者と・恵まれていない者」の差が徹底的なのが、シャブロルの『いとこ同士』です。


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 あらすじは同じくWiki から


 田舎で母親に育てられたシャルル(ジェラール・ブラン)は大学で法学を学ぶため、パリに住む従兄のポール(ジャン=クロード・ブリアリ)のアパルトマンに移り住む。
 ポールは女たらしの遊び人であり、アパルトマンに訪れた女が彼の子供を身ごもったことを話すと、ポールは女に金をわたし、中絶を命じて追い払う。
 パリ見物に誘われたシャルルは、とあるクラブで出会った美女フローランス(ジュリエット・メニエル)に恋をする。翌日行われたパーティーでシャルルはフローランスと心を通わせることになる。さらにその翌日、シャルルはフローランスとデートの約束を取り付けるが、互いに時間を取り違えてしまう。
 フローランスはポールのアパルトマンでシャルルを待つうちに、ポールに生真面目なシャルルとの恋は上手くはずがないと説得され、電撃的にポールに惹かれてしまう。シャルルが帰宅すると、フローランスとポールは同棲を始めることにしたと話す。


 Wiki ではここまでだけれど、女を奪われたシャルルは勉学に打ち込みます。が、学校の試験には落ちてしまう。でも遊びっぱなしのポールは合格するんだよね。

 そして…ってことなんだけれど、シャルルはただポールより劣っているだけで、どんどん不幸になって最期は最悪の結末を迎えるんですよね。大瀧詠一の曲とは逆ですよ。


 ぼくはこの2作を見ているので、マスクも最悪の結末を迎えるだろうな、と思っていました。終盤はキャラクターがバタバタ死んでいたし。

 ところが、ですよ。

 彼は真のパートナーとしてのマニィを得て、大気圏を突破し、ベルと対決しても生き残り、ラストではマニィと新しい人生を始めた。

 これは正直ビックリすると同時に、安堵感も覚えました。
 
 レコンラジオ最終回によると富野監督は今回、「『皆殺しの富野』にはならないように」と留意していたそうです。その割には随分と死にましたが…
 もしこの方針がなければ、マスクは死んでいたかもしれません。

 でもマスクは生き残りました。

 これで良かったと思います。
 自分の生まれや境遇や才能に負けて、その結論としての破滅・死は、生きる甲斐がなさすぎるじゃないですか。

 『太陽がいっぱい』のトム・リプリーは欲と嫉妬に負けて、殺人を犯し、しかし露見しました。
 『いとこ同士』のシャルルは全ての面で勝る従兄に打ちのめされ、しかしその従兄を殺すことにすら失敗して生涯を終えました。

 でも、マスクは。ベルに勝つことは出来なくても、生き残りました。世界を回って、しかも隣にはマニィがいます。

 『Gレコ』という作品には、この結末・というか「これから」が相応しいのではないでしょうか。
 
 なにせ『Gレコ』は元気のG! なのですから。簡単に死んでたまるか。 



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富野が演出で参加している『さすらいの太陽』がCSで放送、Vガン関連の富野ネガティブ発言を振り返ってみる、など。 [富野監督関係]

 こんばんは。

 いよいよ今週、『Gレコ』最終回ですね。10年続いたアニスパも終るし。サヨナラだけが人生だ。

 さて前回ブログを更新してから・たった10日かしか経っていないのに、色々なことがありました。

 まず「ひびのたわごと」さんによる、手塚治虫は本当に「ヤマト」に嫉妬して泣いたのか?という記事。

 ぼくのツイートがちょっと関連していたこともあり、この記事自体も、そして後日記者さん本人から訂正があったことも、大変興味深かったです。

 座談会中、手塚が泣いたことに関しては。
 『ヤマト』への思いもあるだろうけれど、何よりそれを作ったのが因縁深い西崎であるわけで…それ込みの涙ですよね、おそらく。

 また富野が『ヤマト』を「太平洋戦争への懐古趣味」と批判したことは、驚きでした。富野は『ヤマト』について色々言っているけれど、この視点から言及したのは初めてじゃないかなあ。
 映画版も含めての批判かな。

 ちなみにぼく自身は、「アニメ好きなら見ておかなければ」と初代ヤマトを頑張って見たけれど、辛かったです。色々。
 「こんなこともあろうかと」。

 そして最もビックリしたのが、ジオン軍を日本軍になぞらえた文章を、富野が了解していたことだね。

 まあ「ひびのたわごと」さんでも指摘されているように、「あくまでも記者の『ジオン軍の捉え方』を富野が是認した」だけだからね。
 捉え方はご自由に、ってことなんだろう。

 ちなみにジオンの独立戦争について、富野自身はかつてアメリカの歴史に見立てて次のように語っています。


 宇宙に移民した人と地球に残った人の対立項が一番分かりやすかった。これはぼくの勝手な想像じゃなくて、アメリカの新大陸が出来てヨーロッパ人がアメリカ大陸に行った時に、要するにヨーロッパと独立戦争しなくちゃいけなかった。
 独立戦争した後で独立宣言しながら、今度はアメリカ合衆国内で南北戦争が起こった。つまり市民戦争が起こった。というようなことを考えた時に、新しい勢力が生まれた時に、そこに20世紀までで言えば必ずと言っていいほど戦争状態っていうものが起こるというのがあったのでそれをもらっただけ。(アニマックス「UC宇宙の記憶」)



 さて次の話題。

 『Vガンダム』のBlu-ray Boxが出るねー。
 おじさん、毎月LDを買っていた昔を思い出したよ…

 機動戦士Vガンダム Blu-ray Box I

 Vガンと言えば、富野の覚えがよろしくない子どもとして有名で、DVD-BOXの発売時には「このDVDは、見られたものではないので買ってはいけません!!」の名言を生み出しましたが。
 今回は「何がダメなのか探してください」 でしたね。

 ハハハハハ、痺れるねー。

 では、生みの親による・実子批判を羅列しましょう。


1、1993年11月発売 LD1巻ライナーノートより(まだTV放送中です) 。

 Vガンダムは、ぽくにとって、何年ぶりかのTVの仕事であったために、肩に力が入りすぎたという反省がある。それに、自分の年齢を隠したいという意識が直結して、ますます厄介なものを抱えこんでしまったと自覚している。
 こう書いてしまうのも、このVTRが発売されている現在も、作品の制作とオンエアは続行しているから、直接的な痛みをともなう反省となっているのだ。
 だから、毎週、フイルムの最終チェックと納品チェックをかねた試写は、憂鬱な行事になっている。


2、1994年7月号アニメージュより。

 (庵野監督の、対談企画は放映中にやるべき、という発言に対して)だけど『Vガンダム』に関してはしょうがないとも思っています。本当にごった煮になってしまって、よくわからないシリーズになっちゃったから。手紙も少ないし、視聴率も上がらないし……。


3、2004年発行『それがVガンダムだ』より

 分裂症寸前を自覚して生きようとしたら、カラッポの理が走る。カラッポの知が走る。
 それがVガンだ。


4、2010年発行『GUNDAMぴあ』より

 たとえば「Vガンダム」は端的で、スポンサーの要求に対して、僕が全面降伏してしまったんです。


5、2011年発行『「ガンダム」の家族論』より

 病気になる直前に作っていた『Vガンダム』は確かに、病気へと内向していく力が過剰にこもってしまった作品だった。
 僕が作品を取り巻く状況に怒り、その鬱憤晴らしを作品の中でやっていた部分もあった。そこに、公はなかった。
 今でも『Vガンダム』については、〝病気〟になる作品だから、あまり見てほしくないと思っている。


6、2013年8月NHKラジオ「渋谷アニメランド」文字起こしより。

 (Vガンの話を振られて)そういうことで言えば、この作品に関しては本当に嫌な思い出しかなくて(会場笑)、あの、まさに、えーとフリーのアニメ制作者というか、原作者、の立場にたっていても、スポンサーにそう言われたらそのように作るしかなかったっていう典型的な作品ですから。
 と言いながら、いや、それが味なんですよねって言うバカも現れるわけで、困ったなあっていう風に本当に、あのいまだに、あの自分の中でいまだにおさまらない。

 
 どうですか。ここまで自分の作った作品を嫌うとは。

 鬱に向かっていた時期でもあるはずなので、それも含めて思い出したくないのでしょうね。


 ソフト関連で言えばもう1つ、嬉しいニュースがありました。

 Gレコ5巻Blu-rayには、昨年12月に新宿ピカデリーで行われたスペシャル上映イベントのトークショー が「完全収録」されるそうですね。

 これは嬉しい。表紙のラライヤ可愛い! というか、正気になってからの福井さんの声がすごく可愛い! 福井さんの声を。声をもっと!(変質者現る)

 ガンダム Gのレコンギスタ 5(特装限定版) [Blu-ray]

 しかしアマゾンの商品説明を見ると・このトークショー、DVDには未収録っぽいよね。
 DVD冷遇され過ぎ…容量の問題なのか?


 さて次の話題。

 日本で初めて芸能界を描いたアイドルアニメ(らしい)『さすらいの太陽』が4月から、CSの火曜ポップスチャンネルで放送されます。

 ファンの間では、富野が「斧谷喜幸」の名前で演出参加していることが有名ですが。
 虫プロのHPによると、安彦さんも「女の描き方を習う」ために作画設定で参加しているんだね。
 ちなみにこのHPには


現在の「けいおん!」等に代表される音楽系アニメの礎を築いた作品


 と書かれているけれど。ふふふふ。それはどうなんだ。

 藤圭子をモデルにしているから、『アイドル伝説えり子』のような実在のタレントを主人公にした作品の礎となった、とは言えるのかね。
  
 『さすらいの太陽』は過去にも他のCSチャンネルやGYAOで放送されていたみたいだけれど、一応のアナウンスでした。

 ぼく自身見ていないし、そこまで見る気はない(信者失格でいいです)作品を紹介するのはどうかと思うけれど。


 長くなりましたが、最後に。

 ぼく、勘違いしていたかも。Gレコ始まる時に発表された、下記のフレーズですよ。


宇宙世紀を乗り越えた、リギルド・センチュリー
ベルリ…、ベル
私たちは生き永らえたの
だから未来を豊かにする
あなたならそれができる
ベル、立ちなさい
私と――…ベル!


 これねえ。

 「宇宙世紀を乗り越えた」ってあるから、放送開始前は「2人はUCの人間だったけれど、冷凍睡眠か何かでRCまで生き延びたのかな?」とちょっと考えてみたり。

 放送始まってからは、「レイハントン家の生き残りだから、それを示したキャッチフレーズなのかな?」と思って。

 しかし今は、「まさかメインキャラはほぼ全員死んで2人だけ残る、最終回を明示したフレーズじゃなかろうな? 朽ち果てたダグラム的な…」とモヤモヤしている。杞憂に終ったら嬉しい。 


 さてGレコBS組のぼくは、今週土曜だなー。

 土曜は9時からアニスパ最終回聞いて(最後に2人キスしろ)、そしてGレコ最終回。オタクな週末ですな。

 ベルリとアイーダのその後は明示されず、ノレドは出産して産科医(CV井荻翼)が「元気な男の子ですよ」と告げる…
 そんな最終回を夢想したり。想像するのは自由、その楽しみな時間もあと僅かだ。

 まあ子どもに未来を託す(イデオン)は大人の敗北、母性に救いを求める(ザンボット)は男性による女性の過大評価だと思うので、あまり好きじゃないのですが。

 ラストが好きな富野作品はダイターン、Vガン、。この上位3作品にGレコが食い込むか、楽しみに終末を待とう。


 木曜に見られる関西圏の人も、イベント上映に参加できる人も、ぼくのように土曜まで待たなければならない人も、みんな最終回を楽しもう!



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「一所懸命」自分のもとに帰って来たマニィに、マスクを外せなかったマスクはホントに不甲斐ない男だと思わない? [富野監督関係]

 さて、関西圏の人達はすでに23話「ニュータイプの音」を見ている訳で、関東組も今日深夜には見られるのですが…
 BS組のぼくは、土曜深夜まで待たなければなりませぬ。

 そんな訳で、23話を見てしまう前に、もういっちょ22話の感想を。ラストシーンですよ。

 MSを操縦できるようになり、オマケにMSを入手して、マスクの元へ戻るマニィ。その顔はまるで満艦飾マコちゃんだ!(その前に「満艦飾!」って台詞もあるし…)


Febri (フェブリ) Vol.21

Febri (フェブリ) Vol.21

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  • 出版社/メーカー: 一迅社
  • 発売日: 2014/02/10
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 コックピットの中で、マニィは喜びをにじませながら叫びます。

 「ルイン! ルイン・リー!」

 味方だと識別してもらうために、光信号を入力します。

 ところが、マスクか自分の名前を入力すればいいものを、ルイン・リーと入力するマニィ。恋は盲目、人の目を濁らせるのか。

 いやいや、マニィの頭の中は「ルイン・リーの元に帰って来た」ことで一杯なのでしょう。
 だからこそ、「マスクー! 光信号を読んで下さい!」の台詞も、マスクではなくルインと呼んで欲しかったんだけれど…

 光信号の意味を解したマスクは 「あの機体、圧倒的な味方となります」と言います。

 マスク=ルインと知っているのはマニィだけのはずで、つまり光信号の主はマニィと分かったはずです。
 が、マスクは「あのパイロットは味方です」と「人」を主題にするのではなく、「あの機体、圧倒的な味方となります」とメカを中心にします。

 ここら辺、2人のズレだよなー。

 この回はベルリママの反応もそうなんだけれど、地球圏にいて「受け入れる」立場の人の再会時の反応が、帰って来たキャラが望んでいるそれとは違うんだよね。
 もっともマニィは、そんなマスクの反応なんて知る由もありませんが…

 バララが(おそらくわざと)ヘルメットをマスクの方に流して、近寄ってきます。

 バララの質問に対し、「フルムーンシップの存在を知れば信じるさ」とマスクは答えます。

 次のシーンですよ!

 バララはマスクが持っていた自身のヘルメットを取り、「すいません」
 マスクは「あ?」

 たった一言なのに、急に距離ができる中原麻衣さんも、すごくバカっぽい・女心を理解していない佐藤さんの演技も、本当に素晴らしい。

 ぼくまた、「声優にスキルいるの?」って言った成金を揶揄する?

 いや、もういいや。「すいません」「あ?」はホントに巧みで、何回も聞き返しちゃったよ。
 気付かなかった人は、是非もう1度聞いてみては? 声優ってすごい。

 で、ここ、もう1ついいのがさー。

 マスクの顔がすごくヌケている。口をポカンと空けていて。
 当然わざと口を空けている以外にも、顔がちょっといつもと違っていて。作画が乱れているのか、わざとなのか、絵心のないぼくには分からないけれど。

 まあでも、良い効果になっています。

 この後、マスクは機体に近づいて、「凄いものだ…」

 オマエ、中に入っているパイロットのことを気にしろよ!
 

 そして、マニィがコックピットから姿を現します。

 「一人なのか?!」

 「いっしょけんめい練習しましたから、一人です!」

 この台詞さー。あやひーさん、「う」を言ってないよね。
 つまり「一生懸命」ではなくて、「一所懸命」って言ったんですよ、マニィは。

 そうに違いない。そう思い込んで話を進めます。違っても知らん。

 「一所懸命」と「一生懸命」について、放送文化研究所のHPでは次のように説明しています


 「一所懸命」[イッショケンメイ]は、「昔、武士が賜った『一か所』の領地を命がけで守り、それを生活の頼りにして生きたこと」に由来したことばです。これが「物事を命がけでやる」という意味に転じて、文字のほうも「一生懸命」[イッショーケンメイ]とも書かれるようになりました。今では、「一所懸命」よりも「一生懸命」と表記・表現される場合が多くなっています。
 多くの辞書が今も両方を見出し語として載せていますが、新聞社や雑誌社では、外部からの寄稿などを除いて「一生懸命」に統一しているところが多いようです。放送でも「一生懸命」を使っています。
 

 メガファウナにいても、結局はルインの元へ戻ったマニィ。
 そのマニィには、「一生懸命」よりも・一か所の領地を守って生活の頼りにしている「一所懸命」の方が、ピッタリだと思いませんか。

 一所懸命なんです、マニィは。

 彼女は自分の命を危険にさらしてまで、マスクではなくルインの名前で光信号を打ったんだよ。
 マスクではなく、ルインの元に戻って来たんだよ。

 だったらさー。

 「先輩! ルイン・リー!」と歓喜して飛び込んでくる女の子を、マスクを外して・ルインとして受け止めてやれよ。

 なんでマスク付けっぱなしで、マスクとして抱きしめているんだオマエは。

 シャアのように素顔を隠さねばならぬ理由もなし、外せ外せそんなもの。
 女と抱擁したって、周囲は誰も見てなかっただろ。マスク外しても誰も注目しないかもよ。

 いや、ちょっと人目が気になっても、外せ!

 涙を流すマニィに対して、マスクで表情を伺えないマスクは(ややこしいな)、ちょっと不釣り合いに感じたんだよね。ぼくは。

 まあこのシーンはアレですよ。

 チャップリンの『街の灯』のラストシーンと同じ。チャップリンの正体が盲目だった少女にも分かって、ハッピーエンドに見えるシーン。



 でも某映画評論家によると(もったいぶっているのではなく、誰か忘れちゃった)花の位置が非常に画面的に不安定で。2人の将来が安泰ではないことも暗示できるような、視聴者に一抹の不安を抱かせる「花の位置」なんだって。

 素直に涙を流しているマニィと、マスクを付けたままのマスクを見た時、この『街の灯』の解説を思い出してしまったんだよなあ。

 幸せになれよ、マニィ。MSに乗ってはしゃぐなよ。


 蛇足。

 アイーダ様は、想像していたより達者な包丁使いだった。

 家庭的な女王様なのだ!


 

富野を知るにはこれを買え


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Gレコが(再び)面白くなってきた。 [富野監督関係]

 どうも。お久しぶりです。

 Gレコ感想がしばらく空いてしまったのは、仕事が忙しかったりインフルエンザにかかって寝込んでしまったりと色々あるのですが、正直、「Gレコどうだろう?」って思っていたのも要因の1つです。

 もちろんゴミ掃除とか面白いエピソードはあったけれども、展開が速くて・ややダイジェスト版を見ているような錯覚に陥る。
 あと、どうしても思ってしまうのは、もう少しキャラクターの感情のうねりみたいなものが見たい。特にベルの。

 そんなちょっとスッキリしない気持ちもあって。
 無理してブログ記事を書くことはしないようにしているので、放置していました。

 もちろんアレですよ、お金を頂ければどうしようもないアニメも褒めちぎりますし、その逆もしますが。仕事くれ。
 ブログは、趣味なのでね。

 でも。
 再び「おっ、Gレコいいぞ」と思った…と言うか、驚く描写が第20話「フレームのある宇宙」で出てきました。

 「人間爆弾」という単語が出てきた時です。

 えっ、今更?! 富野、人間爆弾なんて『キングゲイナー』でその案を出してきたスタッフに「もうこういうのはいい!」って怒ったんだよね?

 いや、本当は「主人公たちが旅をしてると、道いっぱいに首だけ出した人間が埋められていて、その人達が『哀れな俺たちを踏まないでくれ』と一斉に大合唱する」案だったんですけれど。

 なんか人間爆弾って単語を聞いた時に、「ぼくと言えば人間爆弾でしょ」的な・ちょっとしたファン向けのサービス精神を勝手に感じちゃいました。

 今更富野が本気で人間爆弾をやる気なんてないわけで、だから当然「花が咲く」みたいなオチが用意されていたわけだし。
 
 そこで敢えて「人間爆弾」なんて言葉を使ったのは。
 なんかGレコって、集大成と言うか、まあファンサービス旺盛だよな、と感じた次第で。

 他にも、15話で「ニュータイプ」って言葉が出てきたのは、視聴者サービスだったとレコンラジオ7話で話がありました。

 また、序盤で良く出てきた動物の描写もね。ぼくは『ガンダム』や『イデオン』を思い出していたけれど、同じくレコンラジオの8話で、富野はファーストガンダムを意識して入れているだろうと小杉Pが言っていたし。もっともこの描写には、地球が復活してきた明示の意味もあるけれども。

 さらにさあ、ひびのたわごとさんが指摘していたように、以前自分が「漫画でこんな難しい単語出すなよ!」と言っていた「ムタチオン」なんて使ったり。
 この言葉を脚本に書いた時、絶対に手塚=『来るべき世界』が頭にあったと思うんだよね。

 そんなところまで含めて、ファンサービス旺盛だし・全部ブチ込んでいるなって気がしたんだよね。


 あともう1つビックリしたのが、200歳って年齢のキャラクターが出てきたことだよね。

 冷凍睡眠していた月の女王を除けば、少なくとも映像の富野ガンダムでは、人の寿命内でみんな死んでいた・生きていたわけじゃない? それが共通ルール、設定だったよね。

 それが突然、200歳なんて常識を超えたキャラが登場するなんて…

 そして、立派に見えるけれど、中身の体はああだったわけじゃない?
 最初は20センチくらいの人で、着ぐるみを操っている設定だったらしいけれど。日本を舞台にしたハリウッド映画で、なんか似たようなの見たぞ…

 でさあ。あのー。

 あの体については、一瞬見せるだけで説明なしに終るでしょ。
 でも、200歳なんてこれまでの世界観に反するような設定を作ってまでも、あのキャラをああいう体で見せたかったわけですよ。

 ぼくのネットまわりの富野好きの人達は明言しないようにしているから、なぜなら面倒くせーバカが沸いてくるから、なのでぼくも書かないけれども。

  フォトン・バッテリーが何を示していて、ヘルメス財団が何を象徴しているかと考えれば、まあラ・グーは人ではなく現実にある某会社の象徴と考えればね、ぼくはスッキリ納得できました。あの設定の意味が。ヘルメス財団とイコールでしょ、たぶん。
 こうまでして富野、描きたかったんだな、と。


 最後にもう1つ、久々に「コレだよコレ!」と思ったのは。

 マニィとノレドの会話。

 記憶だけで書くから細かい違いあったらスミマセンだけれど、

ノレド「(操縦を)あのマスクから教わったの?」

マニィ「まさか」


 ああ、こういう芝居ホントいいよなあ。何が「まさか」だよ。
 教えてもらっていたんだよ。

 マニィは親友にも嘘をつく程だから、この後にマスクの元へ直行するのも理解できるし、バララがアッサリとマスクを諦めるのも腑に落ちる。
 バララも、マニィがマスクからMSの操縦を教わっていた、特別な女だと前々から分かっていたから、2人から目を逸らすあの運動? しているシーンに繋がるわけですよね。


 こういう、「一筋縄ではいかない」芝居を見たかったんだよなー。

 Gレコもあと4話。
 盛り上がってまいりました。

 あと1か月弱、楽しもうね。

 

富野を知るにはこれを買え


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ベルリは辛かったり嘘をつく時・つまりは自分の感情を押し殺す時に、目を閉じるっぽい。 [富野監督関係]





 どうも。昨日の日中に引き続き更新。連日更新は珍しい、ぼくにとっては。

 あのー。
 第16話、「ベルリの戦争」。ベルとアイーダさまの出生が判明する、大事な回で。

 ベルリがこの表情をしますよね。

1.JPG
「なんかの冗談…じゃないみたい」

 目を閉じている表情。ぼく、この絵を見て、「ゴルゴ13の女性キャラって、笑った時にこの目になることがあるよなー」と思ったのですが。

 いや、それはどうでもいいんだけれど。
 

 この回ではもう1度、目を閉じます。コレですね。
2.JPG
「ベルリは、人殺しの汚名をかぶることになったんですよ」

 上のシーンは、好きな女性が姉だったと判明するシーンであり、下はその女性に「恋人を殺された」と指をさしてまで言われる場面ですね。

 弟の感情は汲まないね、姫…

 「キャラが目を閉じている絵」には、場面によって色んな意味があると思うんですけれど。

 ベルの場合は。

 上記のシーンでは、好きな女性が姉であれば当然動揺するし、「恋人を殺された」って言われれば「オマエを助けるためだろ」と反論したいわけですが、ベルは自分の感情を押し殺しているわけですよね。
 
 で、今日、第20話「フレームのある宇宙」を見たのですが。
 またこの「目」が出てきた。

3.JPG
「姉さんが心配してくれるなんて」

 アイーダさまに完全に弟扱いされ、まあアイーダはベルの気持ちを察した上でワザとやってんじゃねーの? って気がしないでもないのですが、ともかく「弟」として接されて、この目をしたわけです。

 ノレドやマニィは「ベルは受け入れている」と思っているようですが、ベルはコックピットの中では1人「姉だなんて!」と運命に文句を言っているわけで、全然消化し切れてないと思うんですよね。

 つまり、アイーダを「姉さん」と呼ぶのはかなり意識的に・無理して呼んでいるわけで、自分の心には嘘をついて…は言い過ぎでも、努力して呼んでいるわけです。

 だから、この「目」になる、目を閉じているのではと。

 ベルが目を閉じている時は、嘘をついたり、自分の感情を殺している時の・作画上のサインだと考えているのですが、どうでしょうね?

 特に、まあカーヒルを殺したことを責められている表情は通常の作画だとしても、「笑顔で目を閉じている」時は、この説当たっているんじゃないかなと思うのですが。

 ちなみにどちらの回も、キャラ作監は柴田淳さん(ついついジーパン・松田優作を連想してしまう世代)。

 全く詳しくないけれど、柴田さんの絵の特長なんだろうか。またはGレコに参加するのに際して、意図的にやっているのか。
 それともぼくのうがち過ぎかな…



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『Gのレコンギスタ』(Gレコ)をより楽しむための極めて簡易なテクスト② 『Gレコ』の男女関係は、原則さえ分かればスッキリ見える [富野監督関係]





 はい、お久しぶりです。さっそく講座を始めましょう。わずか10分もかからずに読み終えて、よりGレコを楽しめる話です。

 Gレコには、何組かの男女ペアが登場しますね。

 その中で、クリムとミック。マスクとバララ。さらに最近出てきたマッシュナーとロックパイ。

 このペアは、「女が男をおだてて動かす」という点では、共通しています。
 参考文献としては、こちらの「女いろいろ万華鏡」をお読み下さい。

 さて、ここでですね。
 彼・彼女らの関係性を、「恋愛」という視点で見ると、ちょっとややこしくなる場合があります。

 えー、バララはマスクのことが好きなのか? とか、マッシュナーは単にロックパイをたらしこんでいるだけではないか? とか、男はバカだから鼻の下を伸ばしているけれど、女性の心情が良く分からない、という点もあるわけです。

 もちろん、キャラのここら辺の心情を忖度するのも、ファンの楽しみの1つです。

 しかしですね、中には「コイツラはカップルなのか?」「関係性がよく分からねーよ」と不満に思う方もいらっしゃるかもしれません。

 そんな方々に、女性キャラの行動の意味がスッキリと把握できる、「原則」をお伝えいたします。

 これは映像全般の原則ではありません、「富野監督が考える男女関係の原則」です。

 キャラの恋愛感情は取りあえず横に置いておき、この原則をメガネにして男女ペアを見ると、理解しやすいかと思います。

 では、答えを伝えましょう。ちょっと長いですが、答え部分を富野監督の著書『「ガンダム」の家族論』87-88ページから引用します。


「ガンダム」の家族論 (ワニブックスPLUS新書)

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  • 作者: 富野 由悠季
  • 出版社/メーカー: ワニブックス
  • 発売日: 2011/04/15
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 (熱帯雨林地方の民俗・集落のドキュメンタリー番組を見て)
 番組を見てまず印象に残ったのは、とにかく村の男たちが働かないということ。ほんとうにどうしようもないときだけ最低限働いて、あとはごろごろと時間を過ごしている。

 原始時代も、きっとこのようなかたちで人間は暮らしていたのだろう。

 原始時代、人間のグループが女中心となっていたのは容易に想像がつく。人間のような子育てに手間のかかる動物の場合、母子の関係が深いから当然といえる。そこは母性だけでできた世界だ。

 その場合、男はどこにいたのだろうか。

 きっと女が種付け用に自分たちの近くで放し飼いしている存在だったのだろう。村を維持するために子供が必要になった時にだけ、「ちょっと手伝って」と呼ばれて、子供を産むために協力させられていたのではないだろうか。ドキュメンタリーで男たちがいざというときまでなかなか働かなかったように。それが男の最も原始的な姿であったろう。

 そして、そんなある時、女たちは男をもっと有効に使うことを考えた。

 なにしろ男たちはたまに働くか、種付けの時しか役になっていないのだ。そこで女たちが子育てで忙しい代わりに、となりの集落との交渉事などを任せるようにしたのだ。

 男はバカな生き物だ。女たちのおだてに乗せられて、しっかりととなりの集落に行って、とにもかくにも交渉事をまとめたのだろう。もしかすると中には、交渉ついでにとなりの集落の女に手を出す男もいたかもしれない。

 やがて女どもは「そうか、政治・外交を男どもにやらせれば、私たちは一番大事な子育てに集中できる」と考えるようになった。そこでさらに、女たちは男たちが守るものとして「血統」や「家系」というような概念を創作してあてがい、白黒をつけてルールを守らせる役目を男たちに任せていった。そこで生まれたのが父性なのだ。
 


 以上です。これが、富野監督が考える母性・父性であり、その上でかつて生まれた男女関係の考察です。

 この考えを先の男女ペアに当てはめると、スッキリと捉えられませんか。

 女性は恋愛感情より先に、
 いやその人物が「自分の男になるかもしれない」候補であるほど働かせたいし、「仲間・部下として役にたってほしい」と思っても、やっぱり働かせるんですよ。

 富野監督の中では、それが「当たり前」の女性の役割なんです。

 唯一違うのは、Gレコの女性キャラは子育てせずに、自分達も戦っているところですが。
 でも、自分がおだてて動かないような男では、将来その男と子どもを設けることもできない、と考えるのが今回の富野監督が描く女性キャラなんです。また、部下や同僚としても、男はそそのかして働かせる存在なんです。

 バララやミックがパートナーを愛してようがいまいが、結論は同じです。
 「そそのかして働かせる」んです。

 もう1つ、この「見方」を適用すると、違う意味が生じる場面を紹介しましょう。

 第14話の「宇宙、モビルスーツ戦」で、アイーダがベルリをおだてて、戦わせようとするシーンがあるでしょう?

 ベルリはそのアイーダの言葉に、「おだてには乗りません…!」と拒否するそぶりを見せます。

 しかし同席していたノレドが、「男をやれって言われてんだろ、 嬉しがってやりな!」とダメ押しします。

 ノレドの恋心を考慮すると、ちょっと複雑になりかねないシーンです。
 が、上記の「原則」で見ると、ノレドの行動は非常に分かりやすくなりませんか?

 ノレドがそれこそベルリを自分の男だと考えているなら、女に尻を叩かれているのに拒否するような男は、父性が育っていない・「使えない男」なんですよ。

 だからストレートに、「男をやれって言われてんだろ、 嬉しがってやりな!」と言うわけです。

 このセリフは、Gレコ世界における男女関係を明確に示しています。
 女におだてられているのに、動かないのは「男じゃない」んですよ。男はまんまと調子に乗って、働いてこそ「ナンボ」なのです。

 ここで気になることが1つ。
 じゃあ、「男をやる気にさせる立場を得られない女性」はどうするか、どうなるか?

 それはマニィの行動がいずれ、教えてくれることでしょう。


 いかがでしたか。理解の一助になれば幸いです。

 今日の講義はここまでです。ご清聴ありがとうございました。





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岩井俊二監督が語る「恋愛物」としてのガンダム [富野監督関係]

 こんばんは。

 Eテレで放送している『岩井俊二のMOVIEラボ』で、今回のテーマが「ラブストーリー編」でした。

 そこで岩井監督がラブストーリーの原体験として語った「恋愛物としてのガンダム」が面白かったので、文字起こししておこうかと思います。
 テロップなどは略。話のみ。

 では、以下からスタートです。


 昔子ども時代になんかあの、多分見てて一番理解できなかったのが、男女の恋愛劇で、ドラマ見てても映画見ててもよく分からなかったですね。最初。そのー、自分が小学校中学校くらいまでは。

 そんな時に、機動戦士ガンダムを見たんですよ。
 で、それにやられてしまって、けっこう。

 ま、あのアニメにハマッた人ってたくさんいると思うんですけど、意外と自分の場合はラブストーリーとして、そのー、なんだコレはっていうカルチャーショックがあって。

 シナリオがね、(ゲストの評論家さん「脚本スゴイですよね」)、国宝級ですね。

 まずそのー、主人公のアムロ・レイってのがいますけど、なんかお友達のような、隣に住んでいる女の子で、フラウ・ボゥってのが出てきて。

 まあ、大体その当時の漫画で言えば、そういう関係で2人現れたらずーっとこの関係は崩れないっていう不文律が(評論家さん「うんうん」)ありましたよね。

 ところがこのフラウ・ボゥってのは途中から、あんまりパッとしない(笑)脇キャラがいて、で、だんだんそっちとこういってしまう、アレって感じでまあフェードアウトしていくっていう、関係的には。

 そんなアムロが途中でマチルダさんっていう、まあ年上の女性に惹かれたりなんかして。
 なんで急にそこいったのかなってのは、理解できなくて。ピンともこなくて(笑)。

 で、そこはスルーしたんですけど。
 もうカルチャーショックだったのは、あのー、ララァ・スンっていう…(評論家さん「ララァ・スンはすごいですね」)

 アムロはそのーララァとおそらく数分間しか会ってない、実際。
 会ってるとも会ってないとも言えない、全く接点の無かったような関係の2人が、宇宙空間で戦闘機とロボットに乗って遭遇するんですよ。

 そうすると、あ、この人と会ったって感覚は全く無くて、ほとんど覚えてもいない。
 実際に会ったとも言えない関係なんだけど、宇宙空間で戦っているうちにこの2人が恋に落ちていくっていう。

 普通見てたものと全く違う男女間の、いろんなことが出てきて…

 終ってみたら、なんか相当、なんだったんだこれと思いつつ、今振り返ると…
 まあ自分が知っている恋愛物語の中でも、かなり特異な、異色作だったんだなってのが見えてくるんですけど。



 以上です。

 パッとしない脇キャラ…ハヤトー!


 ちなみにぼくは、初見の小学生の頃は当然、MSの格好良さとかに目が行って・惚れた腫れたなんか?だったので、キャラクターの恋愛感情の機微なんて分かりませんでした。

 だからZガンダムで、フラウとハヤト及びブライトとミライが結婚していたのには、驚いたものです。

  しかし大人になってからリバイバル上映で、スクリーンで劇場3部作を見ると、「こんなにハッキリ描写していたのか」と再発見がありました。

 ミライがブライトに愛想をつかしてスレッガーになびいた瞬間も、フラウの心情も、ちゃんと描かれていました。改めてファーストすごいな、と思いました。

 まあ、その後の富野作品でも、恋愛描写が達者かと聞かれれば、ちょっと疑問符がつきますけれども…

 直近で言えば、Gレコの16話「ベルリの戦争」で。
 ベルがアッサリと「姉さん」と言ったの、ぼくなりにおそらくの演出意図を汲んだ上で、それでも納得いかなかったからね。

 アイーダさまの尻を追っかけて人まで殺しているのに、その女が姉だったなんて、アッサリと認められるか!

 「その後に感情爆発したじゃん」って指摘はあるだろうけれども、でも「姉さん」って言っちゃうの、早すぎるよ。

 話が逸れた。戻す。


 詳しくないせいかもしれないけれど、岩井さんがガンダム語るイメージなかったので・内容も納得だったし、面白い話でした。

 ちなみにこの番組の中では、恋愛物語を描くスキルとして「障壁」と「不在」が上げられていました。

 ベル! インセスト・タブーなんて「障壁」は乗り越えて…(最後は列車に乗って、2人でゴールの無い逃避行)。




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『Gレコ』話題の10話で感じた特色。漫画でコメディーだ! [富野監督関係]

 さて、今回の記事は。
 今更感ありますが、荒木さんコンテ・演出で話題になった10話についてです。

 の前に。

 ご存知の方もいると思いますが、亜手さん(@ate507)による労苦の結晶を、微力ながら紹介しておきます。

 亜手さんは『Gレコ』1~3話の、放送版とソフト版の違いをまとめました。

 ソフト版第1話変更箇所まとめ

 ソフト版第2話変更箇所まとめ

 ソフト版第3話変更箇所まとめ


 変更点、多いな…

 変更意図が分かるところから、ぼくなどには理由不明の箇所まで、様々ですね。

 1話で、ノレドがラライヤを2度見する変更は嬉しい。なにせ、母親役を務めることになるんだからな、この後。

 シャンクのライトの光は随分気にしたみたいですね。2話ではそこ関連が全部修正入っている。

 あと、3話放映時に1部の人が指摘していた、先行上映版にはあって・放映時には消えていたクラウンが復活したところね。
 ぼくはもちろん、放映時に気付かなかったけれど。

 あそこ、印象深かった人もいるようで、ぼくのフォロー数を絞っているTL上でも、確か「クラウンなくなった」って呟いていた方が2~3人いたはず。

 このまとめ、興味深いのでファンの方は必見です。


 さて、10話の話題にいきましょう。

 15話まで見終えた今から振り返ると、冒頭から「おっ」と思う箇所があります。
 以下の会話。

クンパ「(前略)あなたは法皇を人質に、海賊船でザンクト・ポルトに上がるつもりになったのでしょう?」

グシオン「想像のしすぎです」

 15話まで見終えた現在から言うと、想像のしすぎじゃなかった。「海賊船」ではなかったけれど。


 「宇宙から落ちてきた」というだけで、キャピタルから身柄を要求されるラライヤ。理不尽ラライヤ。

 この前からケルベスさんが仲間になって、いよいよ各陣営の複雑さが増してきます。

 まあ『Z』で、「同じ地球連邦なのにエゥーゴとティターンズに分かれていて、さらにシロッコやハマーンがいて分かりづらい」との批判があったくらいですからね。

 その点、『Gレコ』はさらに今後入り乱れるので、ここは批判が集まるところかもね。
 10話以降の話になるけれど、正直ぼくも・もうちょっとスッキリさせてくれ、とは思わないでもありません。各陣営が一枚岩じゃないのは当たり前、ってのも分かるけれども。

 さて次のシーン。
 MSの手の平の上で、演説をする首相のビルギーズ・シバ。

 しかし演説の途中でシバが乗っているMSの手が下がり、変わってタカ派のベッカーが「上がってくる」訳ですから、ここの意味は明白です。
 軍は完全に政治のコントロールから離れている、と。

 ここら辺は直接的、分かりやすすぎるくらいです。

 「男の娘」に見初められるMS・ウーシァ(あのシーン、それともベッカーに狙いをつけたのか?)

 ケルベスに「お礼のステップ」をする姫。
 ベルリ「お礼ができる人だったんだ…!」

 会話の中では、メガファウナは宇宙に上がれる、宇宙からの脅威、など今後の展開の伏線も出てきます。
 
 もし『Gレコ』の会話を批判するなら、「繋がってない」「意味分からない」程度ではなく、せめて「説明的過ぎる」「伏線が露骨」くらいにはしてほしいものだね。ニヤニヤ。

 さてここで、高トルクパックが登場します。

 公式HPには、「高機動・近接戦闘用のバックパック」とあります。キャピタル・アーミィが建造したものです。
 10話.png

 車のトルクと同じ意味だと考えると、加速力が強まるバックパックってことですね。

 ダッシュ力があるということなので。
 まあだから、本来なら平原とか砂漠とか、遮蔽物のない地形でこそ本領を発揮するバックパックだと思います。

 劇中に入り込んで言うなら、「密林地帯での戦闘が想定されるのに、高トルクパック付けるハッパさん大丈夫?」となるし、

 「引いて」言うなら、「この場面設定で、高トルクパックの性能・戦闘をああ見せてくれたのはスゴイな」となるわけです。

 『ビートマガジン』1月号の富野×荒木さん対談で、荒木さんが


 (富野からの演出オーダーは)「沢山ありました。具体的なところで言えば、劇空間を芝居の都合で平らにしたり、広くしたりしないということです。例えば、木が立っていてそれが芝居を見せる上で邪魔だったとしても、それを利用した形での芝居作りを心掛けるというか、演出家の都合で舞台を平たんにしないように言われたことが印象に残っています」


 と語っていましたが、この「木が立っていて」が実例なら、この戦闘シーンのことじゃないかなあ。
 「見せ方」としても、高トルクパックと密林地帯って相性悪かったと思います。それをあそこまで楽しく…


 この後、出撃前のウーシァが、ジュガンの喝で「コケる」シーンがあります。背後からライトを当てている構図も面白かったのですが…

 実はこの10話、ぼくが「今までの富野作品の中でベスト回ではなかろうか」と思える点があります。
 それが今回の記事のタイトルにした「特色」の1つ目。

 それは、えーと。
 「笑える」まではいかないけれど、最後のワニに襲われそうになるベッカーのシーンといい、今までで一番コメディーシーンで「にやけられる」な、という点です。

 富野作品では例えばダイターンやザブングルがコメディー寄りの作品だとは思うんだけれど、じゃあニヤニヤできましたか、と聞かれると・少なくともぼくにはできなかった。

 富野はかつてコメディーシーンについて、次のように語っています。

 
 「やっぱり喜劇の真骨頂と言ったら、チャップリンのようなね、シリアスにやってるんだけどユーモラスで笑えるものですよ。ユーモアとかギャグは、シリアスがベースにないとできない、絶対に笑えないはずなんです」(『ザンボット3・ダイターン3大全』106ページより) 


 この言葉は『Gレコ』全体に通用するけれど、この10話は特に際立っているな、と思います。

 その要因が富野脚本なのか・荒木さんのコンテ及び演出なのか、ぼくには分かりません。が、もちろんどちらの要素もあってでしょうが、荒木さんの要因が大きければ良いな、とは思っています。

 新しいスタッフの力でさらに富野作品の魅力が増すって素晴らしいじゃないですか。

 
 で、もう1つ。

 もはや光源が不明な逆行の中で手を結び・腕を上げるキャピタル・ガードのMSや、
 落とされるアルケインを見て「ハッパさーん!」と叫びながら振り返るベルリ(効果線あり!)や、
 ネットでも話題になっていたドラゴンボールのような戦闘シーンなど。

 ぼくはどうも、上記のシーンにはアニメというより、漫画の文脈を感じるんですよね。

 ありもしない「原作漫画」のコマを忠実にアニメ化した感じがするんですよ、見ていて。
 ドドーンとかズバッとか(ダサイな)、オノマトペが脳裏に浮かんでくるほどなんですよ。

 それが、ぼくにとっての大きな「10話の特色」の2つ目です。

 あの「ドラゴンボール」な戦闘シーンとか、ホントに漫画の息吹を感じるんだよな。あれだけ動いているのに。もちろん、悪く言っている訳じゃないよ。
 むしろ、あの外連味は好き。多少のリアリティーを犠牲にしていいと思っているくらいだから、ぼくは。

 例えばさー。

 その前に、アルケインは対艦ライフルが木に引っ掛かって、捕まっちゃうでしょ。

 その時には「密林の狭さ」ってリアリティを出しているのに、その後のGセルフは木々の存在なんかないように、高速で動くんだよね。高トルクパックはちゃんと木の上を飛んでいるけれど。

 そのリアリティの飛ばし方って、連続して動くアニメーションっていうより・コマで区切ることができる漫画の文法のように思えるんだよなー。

 これ、共感されないか?

 まあいいや。コメディーに関しては、共感していただける富野ファンもいらっしゃるのでは。



 さて、本編であと気になった箇所は。


 ベッカー達出撃時の、チアガール「海賊船をやっつけろー!」は、相変わらず怖いところです。

 やっつける、って敵を殺すってことなんだけれど、それを明るく言わせちゃうところが、『Gレコ』の怖いところなんだよね。

 この「怖さ」は今後、主人公のベルリにも伝染します。

 
 あと、アイーダさまファンは今回も楽しむことが出来ます。

 さっきも少し書いた通り。
 アルケインが対艦ライフルを持っている=支援用なのは、「アイーダを最前線に立たせたくない」という父親の意図がこもっているはずなのですが。

 姫はでかい対艦ライフルを持って、密林地帯に入っちゃうから!

 敵に襲われエアバックが出て、またブサイクな顔になるわけですが、それでも可愛いよアイーダさま。

 
 あと、『Gレコ』で頻出する演出、背景色が変わるアブノーマル・カラーね。
 今回はいつもと色合いが違った・明るかったですね。これも目新しかったです。

 
 ベルの「恋を知ったんだ、誰が死ぬものか!」は、印象深いセリフですね。さらっと(ハッパさんに)告白。

 でもその恋、インセスト・タブーかもしれないけれどね! 
 あと、まあロボットアニメのお約束で言えば、「むしろ死んじゃうかも」って気がしますから、ちょっとメタ的な面白さもある。モエラー!
 

 最後、感動的な音楽のもと、アルケインを背負って「母だって許してくれる帰る場所=メガファウナ」に帰艦するGセルフ。
 この描写は、2人の関係をそのまま表しています。言うまでもなく。

 ベルリはアイーダを背負うように、サポートして今後の冒険を続けるわけです。

 今回の10話は、前評判に違わぬ内容で、とても楽しめました。



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