SSブログ

『Gのレコンギスタ』(Gレコ)のマスクは、トム・リプリーにもシャルルにもならなかった。 [富野監督関係]

 さて、Gレコが最終回を迎えました。

 ラストから数話は、物語世界に引き込まれっぱなしでした。
 ブログのネタはたくさん。書きたいことが色々ある。意欲はある。気力はない。

 全体的な感想としては。これ、同好の士から反感買うかもしれないけれども。

 富野ファンのぼくとしては大満足、でも他人に薦めることはしない、です。

 どうしても、ぼくの目からすると「富野監督の集大成」って要素が上積みされるし。それにイデオン以降、やっぱり富野作品には納豆とかくさや的な要素があるじゃない? 好きな人にはたまらない味だけれど、的な。

 Gレコにもやっぱりその要素はあるので、お薦めはしません。ぼくとオマエは味の好みが違うからね。

 あ、ファーストよもう1度的な「ぼくのGれこ」を考えた人はホラ、ORIGINあるから。おめでとう。
 ちなみにぼくも劇場でORIGIN見ました。ズブの素人の感想ですが、「安彦さんの絵をアニメでここまで再現するのは・もの凄いことなのではないだろうか」と思いました。

 あと。『Gレコ』の感想はもちろん人それぞれですが。
 例えば、

 ノレドはこれからどうなるんだよ、とか
 ベルとアイーダは結局姉妹なのか・違うのか、とか
 各陣営は今後どうしていくのか、とか

 「何も結末が提示されていないじゃないか!」との批判には、「どうしてそんなに答えを求めるんだ、テストでもあるまいし」と思います。
 粋じゃないね。まあベルとアイーダに関しては、ぼくも本当は答えが知りたくてかなり痩せ我慢していますが…
 
 
 さて。ココからが本番。

 マスクをつけた当初はネタにされていた感もあるルイン先輩ですが、ラスト数話で俄然主役の座に躍り出てきました。

 その原因は詰まるところ・マニィとの関係改善であり、そしてベルリと戦う理由が「俺は恵まれていない、奴は恵まれている」点にあったと思います。

 そりゃ生まれも育ちも良くて特進の天才よりは、生まれがクンタラで何とかその劣等感を埋めようとするけれど・いつもその天才に邪魔される人間の方に感情移入しやすいよね。

 「恵まれない主人公(もうマスクを主人公にしちゃった)の側に、全ての面で恵まれた人物がいる」ってのは、富野アニメはともかく、映画では何本かの傑作を生み出しています。

 で、それらの映画の主人公は、運命に抵抗を試みても結局は破滅的な最期を迎えるわけですよ。

 ぼくが真っ先に思いつくのが、アラン・ドロンの『太陽がいっぱい』ですね。

太陽がいっぱい 最新デジタル・リマスター版 (Blu-ray)

太陽がいっぱい 最新デジタル・リマスター版 (Blu-ray)

  • 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
  • メディア: Blu-ray



 あらすじは長いけれど、Wikiから以下の通り。改行はした。
 結末まで話すから、ネタバレ嫌な人は注意してね。


 トム・リプリーは悪友フィリップを彼の父親から謝礼金5000ドルで雇われてアメリカから連れ戻しに来た。放蕩息子であるフィリップは父の元へ戻る気はなく、親の金でイタリアを遊び回る。
 父親に帰国を断ったので、約束を果たせず謝礼金を受けることが出来なくなったトムは手持ち金がなくなる。フィリップの金目当てに彼と行動を共にするが、トム自身やフィリップの恋人マルジュに対してフィリップが時折見せる傍若無人な態度に怒りが増す。そしていつしかフィリップから疎まれるようになった。
 やがてヨットで沖合に出てマルジュが作った料理を3人で食事する。テーブルにはマスカットや洋梨が盛られたフルーツ皿、魚のムニエルにレモンを絞り、フィリップは魚を指を使って小骨を丁寧に取りながら食べていて、昔話になる。
 トムが「親父さんには嫌われていた。身分が違うから。それが今では信用されている。頭がいいからさ、貧しいわりに」というと、フィリップは「上品ぶるのは下品な奴のすることだ。魚はナイフで切るもんじゃない。ナイフの持ち方が間違っている。こうやって持つんだ。ほら。君のために言ってるんだぞ」(石原千麻訳)という。その後小細工を弄してマルジュを下船させてから、トムはついに船上でフィリップを殺害し、死体をロープで縛って海に捨てた。
 港に戻った後にトムはフィリップになりすまして彼の財産を手に入れようと画策し、彼の身分証明書の写真を自分のものに変えて粘土で押印して偽造し、彼のサインをソックリ真似るためスライドで彼の筆跡を壁に拡大して白い紙に練習し、彼の声色を真似てフィリップになりすましていく。そしてフィリップに会いたがるマルジュにタイプで打った手紙を渡す。
 フィリップの友人で、利子で食っているというフレディの訪問を受け、トムがフィリップになりすましてるのを見破られたため、布袋尊の置物で撲殺する。フレディの死体を捨てる際に「君を殺したのはフィリップさ、僕じゃないよ」と語る。
 フレディ殺しをフィリップが行い、そして自殺したように見せかけてマルジュの心を傷つけ、やがてトムはマルジュと結ばれた。そしてヨットを売り払うことにしてヨットの売却でマルジュが港に向かい、イスキアの浜辺でトムは一人極上のカクテルを飲みながら「太陽がいっぱいで最高の気分さ」と完全犯罪に酔いしれる。
 売却のためにヨットが陸に引き揚げられる。マルジュが立ち会い、そしてヨットの舳先から一本のロープが見えて水面に繋がり、次第に水面上に上がってくる…その時悲鳴が…。太陽がいっぱいの浜辺でベンチに休むトムを呼ぶ声がして、トムはその声の方に歩いていった。

 ついでにこれがラストシーン。ニーノ・ロータ、音楽の使われ方不満だったんだね…有名な音楽だけれど。


 結局フィリップの死体が上がってきて、悪事は露見するわけです。

 そしてもう1作、もっと「恵まれた者と・恵まれていない者」の差が徹底的なのが、シャブロルの『いとこ同士』です。


いとこ同志 [DVD]

いとこ同志 [DVD]

  • 出版社/メーカー: アイ・ヴィ・シー
  • メディア: DVD



 あらすじは同じくWiki から


 田舎で母親に育てられたシャルル(ジェラール・ブラン)は大学で法学を学ぶため、パリに住む従兄のポール(ジャン=クロード・ブリアリ)のアパルトマンに移り住む。
 ポールは女たらしの遊び人であり、アパルトマンに訪れた女が彼の子供を身ごもったことを話すと、ポールは女に金をわたし、中絶を命じて追い払う。
 パリ見物に誘われたシャルルは、とあるクラブで出会った美女フローランス(ジュリエット・メニエル)に恋をする。翌日行われたパーティーでシャルルはフローランスと心を通わせることになる。さらにその翌日、シャルルはフローランスとデートの約束を取り付けるが、互いに時間を取り違えてしまう。
 フローランスはポールのアパルトマンでシャルルを待つうちに、ポールに生真面目なシャルルとの恋は上手くはずがないと説得され、電撃的にポールに惹かれてしまう。シャルルが帰宅すると、フローランスとポールは同棲を始めることにしたと話す。


 Wiki ではここまでだけれど、女を奪われたシャルルは勉学に打ち込みます。が、学校の試験には落ちてしまう。でも遊びっぱなしのポールは合格するんだよね。

 そして…ってことなんだけれど、シャルルはただポールより劣っているだけで、どんどん不幸になって最期は最悪の結末を迎えるんですよね。大瀧詠一の曲とは逆ですよ。


 ぼくはこの2作を見ているので、マスクも最悪の結末を迎えるだろうな、と思っていました。終盤はキャラクターがバタバタ死んでいたし。

 ところが、ですよ。

 彼は真のパートナーとしてのマニィを得て、大気圏を突破し、ベルと対決しても生き残り、ラストではマニィと新しい人生を始めた。

 これは正直ビックリすると同時に、安堵感も覚えました。
 
 レコンラジオ最終回によると富野監督は今回、「『皆殺しの富野』にはならないように」と留意していたそうです。その割には随分と死にましたが…
 もしこの方針がなければ、マスクは死んでいたかもしれません。

 でもマスクは生き残りました。

 これで良かったと思います。
 自分の生まれや境遇や才能に負けて、その結論としての破滅・死は、生きる甲斐がなさすぎるじゃないですか。

 『太陽がいっぱい』のトム・リプリーは欲と嫉妬に負けて、殺人を犯し、しかし露見しました。
 『いとこ同士』のシャルルは全ての面で勝る従兄に打ちのめされ、しかしその従兄を殺すことにすら失敗して生涯を終えました。

 でも、マスクは。ベルに勝つことは出来なくても、生き残りました。世界を回って、しかも隣にはマニィがいます。

 『Gレコ』という作品には、この結末・というか「これから」が相応しいのではないでしょうか。
 
 なにせ『Gレコ』は元気のG! なのですから。簡単に死んでたまるか。 



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アニメ

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0