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周回遅れで『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』を見た、ファンサの行き届いた終幕だった(ネタバレあり) [アニメ周辺・時事]




 昨日、遅ればせながら『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』を見てきました。

 この時期に見るくらいだから、当然熱心なファンではありません。

 友達と「『ナディア』の庵野の新作が始まるらしいぜ」とTVの前に座った、本放送の1話目。面白かったなー。
 「なんかスゴイの始まったぞ」感。





 録画しておいたビデオテープを、何回再生したことか。

 でもぼくは、TVシリーズの後半にはもう、熱が冷めていたように記憶しています。

 この前なにかのTVで、あの「長い時間・キャラクターが動かない演出」をプラスな面として紹介していて、ビックリしちゃったよ。

 そうか、あれは特「長」ということになっているのか。特「徴」ではあるけれども…
 TVで最初に見た時は、「これキツキツなのかな」って想像していたけれど(笑)。

 その後も、劇場版は一応全て映画館で見ているけれど、1回きり。内容もほぼ覚えていない。


 だから『シン・エヴァンゲリオン劇場版』は、新型コロナもあることだし、見ても見なくても良いな、くらいの気持ちでした。

 でもこれまでずっと映画館で見ていたのだから、最後も見ようか、と重い腰を上げたのが昨日。

 結論から言うと、見て良かったです。


ネットの断片情報から、予想していた通りのラスト


 まあ、ぼくのTLでは、ネタバレをした人はどなたもいなかったけれど、ツイートの端々から、たぶん最後は『Air/まごころを、君に』でやったことを、もう1回ドレスチェンジして描くんだろうな、とは思っていたので。

 終盤パートは「やっぱりこうきたか」と思いました(マリエンドなのはツイッターで見かけていた)。

 レイのラストシーンでは、カメラやセットがあったせいか、エヴァの旧劇版より・今村昌平の『人間蒸発』を思い出したけれども。あれ、意識しているんじゃないのかな。


 映画冒頭、まず艦を有線ファンネルのように使うオープニングの戦闘シーンで・「そうだそうだ、エヴァってこういうSF的なアイディアも魅力の1つだったよな」と思い。

 その後延々と続く農業シーンでは。
 「ああ……MAGIへの侵入回とか、TVアニメでSF的センスオブワンダーに触れた気がしてから25年以上経ち、農業シーンを長々と見ることになるとはなあ…」と。これは、

 嫌味や皮肉ではなく、本当にちょっと感慨深いものがありました。

 庵野監督の興味が移ったのかな、とまで考えました。庵野監督、サッポロポテトバーべーQ味やベビースターラーメンが主食のままだったら、あの農業シーンにはいかないと思うんだけれど(笑)。
 
 観客もスタッフも年をとった。上映前のCMでは、『シン・仮面ライダー』と『シン・ウルトラマン』が流れているんだもの。どういうことだ。


 あの村パートは「シンジの回復」と「レイの人間性の獲得」の2つを描くので、長い尺がいるのは当然。いいんです。
 「シンジを描くの辛そうだな、逆に綾波の描写は『筆がノッているな』」と思って見ていたけれど……村の序盤、世界観説明のためだけしか主人公が効いてないの・ちょっと辛いよな……


 それより、懐かしい面々が出てきたり、「トウジと委員長なんて意外やろ?」みたいなツッコミ待ちセリフがあったり、何より(物語的には全く必要のない)レイの制服姿も出てきて。

 「ああ、俺みたいな『TVシリーズを見ていたくらいの軽い視聴者層』もしっかりフォローしているんだな」と、制作陣のおもてなし・ファンザ―ビスを感じましたよ。

 念のために書いておくけれど、制服が好きってことじゃないよ。作品へのノスタルジーってこと。


「ヒロインとしての綾波」を見た


 レイってさあ、TV放映当時、人気のあるキャラクターだったんだよね。
 泥酔した俺の友達が、「綾波好きだー!」と叫んでいたのを思い出してしまった。なんて不毛なんだ……

 俺はあんな人形のようなキャラクターより、断然アスカの方が好きだったけれど。

 でも人気あるから、最初のレイが死んだ時、色んな意味で理解できなかったもんね。

 だって、「次の綾波」なんか来ても、そこに感情移入できないじゃん。だから「あれ、これなんだ?」ってのと、「ホントに殺したの?」とか、当時色んな思いがね。


 だからさー。
 今回のシン・エヴァ見た時に、「あ、綾波がもう1回ヒロインやっている」と思って。
 
 それもちょっと、ファンサービスに思えたんだよね。


丹念にエヴァを殺す


 ラスト、あったじゃん。なんかエヴァが次々といなくなるシーン。

 俺のような熱心ではない視聴者には、ちょっと覚えていないエヴァまで。丁寧に1体ずつ消滅させていく。

 もう復活しないように。
 アナザーストーリーでも、
 リブートでも、
 外伝でも、
 スピンオフでも、
 20××でも復活しないように、丁寧に殺していく。エヴァを。

 見ている途中で、「これ、分散しているガイナックスも含みたかったのかなあ」と邪推したけれど(笑)。

 あのシーン、「子殺し」とも言えるけれど、長い年月が過ぎたせいか、そんな悲惨さはなく。
 念入りに幕を閉じているな、復活しないように細心の注意を払っているな、と。

 それに、キャラクター4人それぞれに、ちゃんとエピローグを描いてあげたところも、クリエイターとして真摯な態度だな、と思ったし。

 だからどういう結果でも満足できるんだよね。

 カオルくんが「渚司令」だったとか、本来ならけっこうなギミックだったはずなのに、「もうどうでもいいや」感あったもん。
 「ああ、そうなの。でもいいんだ、よく頑張ったね。お疲れ様、ご苦労様」って感じ(笑)。

 改めて考えると、ヘンな見方だなー。手塚スターシステムの役者を見ている、ような。

 それこそ・ここら辺から、映画的にはメタ的な視点を導入して、作品世界と現実世界のミックスを始めていたので。


 その意味では俺、素直な観客だったと思うよ。スタッフというより、キャラクターに向けて「ご苦労様」と思っていたんだもん。


「風呂敷を閉じる」ために割をくったゲンドウ


 TV放映当時、エヴァの最大の魅力は「大風呂敷を広げておいて・閉じない」だと思っていたので。

 なんとか形付けて終らせようとすると、やっぱ敵ボスが割食うよね。

 もう動機が弱い。ユイユイ言っているけれど、今回の世界設定では、赤木親子に手出してないの? とも思うし。
 あんなに精巧なクローン作れるなら、それでユイを作って慰めてもらえばいいでしょ、とも。


 かと言って、細田監督みたいに「親子」を描きたいわけじゃないだろうから。もう、ちょっと辛いなって。

 衒学的味付けが『エヴァ』の持ち味だったんだから、行動の理由なんて謎のままでいいのに。

 まあ今回の映画の難点は、ここだけかな。

 他のエヴァ映画と同じく、もう1回見ることはないだろうけれど、劇場で見て良かった。確かに終幕だった。

 お疲れ様。



おまけ。下のツイートは、プラグスーツを着る時のことです


 レインボーだったろ!

 




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