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ぼくが選んだ富野作品ベスト100(年代順年代順31~60) [富野監督関係]





前回の続きです。
1~30の記事はこちら

富野監督作品で、個人的に好きなTVシリーズの回・映画・OVAを100本選んだ記事です。
順番は基本、年代順です(一部例外あり)。

なお『ラ・セーヌの星』は未見なので除外しています。また『しあわせの王子』も、薦めたところで見る術が無いはずなので、除外しています。

今回は31~60。
ではでは。


31、『伝説巨神イデオン』第33話「ワフト空域の賭け」

味方になったギジェは、拳銃を持ったロッタの見張り付きでイデオ・ノバに乗り込む。
戦闘の中、ギジェはコスモ達を裏切りかけて、しかしメバルル・クオウを撃破する。「ギジェめ、売国奴がー!」
ギジェ自身、コスモ達を裏切ろうとしたのか、それとも最初からメバルル・クオウを欺くつもりで行動したのか、分からない。
そして運命を、1枚のコインに委ねる。
あやふやな行動の裁きを、あやふやなコインの行方に委ねる。これほど「人間のあやふやさ」を明確に描写したアニメがあるだろうか。


32、『伝説巨神イデオン』第38話「宇宙の逃亡者」

どうも『イデオン』を語ると、饒舌になりすぎる。
この回は、ギジェとシェリルが酒を酌み交わす、退廃的なシーンが大のお気に入り。確か林さんと井上さん、2人きりでアフレコしたのではなかったか。


33、映画『伝説巨神イデオン 発動篇』

この記事は「100選」だが、富野作品から1つだけ選ぶとしたら、迷わず『発動篇』。個人的な視聴歴では、富野作品のみならず、アニメ全体のみならず、邦画全体でも『発動篇』を超えるのは小津の『東京物語』にしか出会えていない。
ストーリー、演出、作画、音楽、演技、どれか1つが劣っていても成立しないであろう、アニメ界の極北に輝く傑作。
ちなみに監督の滝沢さんは、「(作っていた頃は)メジャーになっていない者の楽しみ」「(富野監督も)まだギラギラまでいかない。キラキラぐらい」とインタビューで話している。その意味ではこの作品は、才能あるクリエイターたちの青春の墓標なのかもしれない。


34、『戦闘メカ ザブングル』第14話「ティンプ、悪あがき。」

ジロンがティンプ相手に敵討ちを果たす(と勘違いする)回。
それまで「画面の中の出来事をぼんやり見ている」という視聴スタイルにならざるを得なかった本作だが、この回で初めて・見ていて感情の高ぶりを感じた。『ザブングル』の一番の収穫は、ティンプというキャラクターの創造ではないか、は言い過ぎか。


35、映画『ザブングルグラフィティ』

ファン向け映画で、一見さんには厳しいが、愛着がわく一品。
「走る・躍動しているシーン」に焦点を当てたTV版の総集編で、見ていると「ザブングルの魅力はやっぱりここに集約されるのか」という複雑な思いと、「いや、ザブングルはこれでいいんだ」と肯定的な思いに包まれる。
女優・市川紗椰さんとの対談で、富野監督自身もこの作品を好きだと言っていたのが、分かる気がする。


36、『聖戦士ダンバイン』第1話「聖戦士たち」

富野監督自身は不満があるようだが、「寝ても悪くないぞ、ショウ」と(笑)。トカマクがいきなり撃墜されたり、マーベルの印象深いセリフあったり、見ごたえのある第1話。


37~39、『聖戦士ダンバイン』第16話「東京上空」、第17話「地上人たち」、第18話「閃光のガラリア」

長い話数をかけて構築しているバイストンウェルの世界観だが、ダンバイン前半の話になると、やはり「東京上空」「地上人たち」「閃光のガラリア」の俗称「東京3部作」がメインになる。しかしそれも、しっかりとバイストンウェルの世界を描いているからだろう。
この中からさらに1作選ぶとしたら、それまでのエピソードの積み重ねが結実する「閃光のガラリア」。「故郷に帰ったのに異世界に戻りたい」ショウと、「異世界に来たが故郷に帰りたい」ガラリアは、エトランゼという点で最終的に共感しあう。
(チャムも入れて)3人で協力してオーラロードを通るシーンは、キャラクターの心情と、画面と、音楽の一体感が素晴らしい。


40、『聖戦士ダンバイン』第23話「ミュージィの追撃」

自分の恋人に色仕掛けを使わせて、新聖戦士・フェイを味方にさせるショットの狡猾さ。
フェイのセリフ「日本人のおまえに、そんなこと言わせるかよ! 俺はフェイ・チェンカなんだぜ!」はすごく好き。何故なら、この簡潔な言葉で、フェイのバックボーンが伝わるから。
このセリフもそうだが、「異世界に来たのに、地上を忘れられない人たち」を描写する意図のため、富野監督は国や人種に関する言葉を意図的にダンバインでは多用している。
なおこの回、「ワイヤーをしならせてグレネードランチャーを迎撃する」戦闘シーンも良い。その直前、無言のショウのアップが入るカット割が、見ていて心地良い。


41、『聖戦士ダンバイン』第27話「赤い嵐の女王」

シーラが好きだからこの回が好きなのか、『ローマの休日』が好きだからこの回が好きなのか。
セイラを嚆矢に、富野アニメでは「姫様」がたくさん出てくるが、シーラが一番好き(短い文章で、何回「好き」って書くんだ)。


42、『聖戦士ダンバイン』第29話「ビルバイン出現」

『ザブングル』以降、主役機の交代は富野アニメでの恒例となったが、一番登場シーンが格好良かったのは、やはりビルバインではないだろうか。
アレンを迎撃するショウとチャムのやり取りが高揚感をあおる。アレンをすっぱり、殺してほしかったなあ…(アレンがこれで退場だとは、作画陣に伝わっていなかった


43、『聖戦士ダンバイン』第33話「マシン展開」

マーベルと地上で再会する。マーベルの危機に駆け付けるショウは、王道の展開だが燃える。
敵オーラバトラーに動きを封じられているマーベルだが、
ショウ「マーベル、避けろよ!」
チャム「撃て撃て、大丈夫!」
のやりとりが、らしい。


44、『聖戦士ダンバイン』第37話「ハイパー・ジェリル」

「40」でも触れたが、「ダブリンの鼻つまみが、ジャンヌ・ダルクとはね」のひと言だけで、ジェリルの生い立ちが伝わってくるセリフの妙。
この回は他にも、「ショウ・ザマ! 今日こそはってやつさ!」「敵が小さく見えるということは、私がダンバインにもビルバインにも、勝つということだ!」と名セリフのオンパレード。
それが一転、ハイパー化以降のジェリルは無言で見せきる演出力。この回、演出は今川泰宏さん、作監は大森英敏さんと北爪宏幸さん。
余談だが、この回の感想をツイートしたら、関係者からコメントを頂けるのだから、すごい時代になったものだ。


45、『聖戦士ダンバイン』第39話「ビショットの人質」

人質となったマーベルを犠牲にしても、ゲア・ガリングを落とそうとするシーラ。
損壊したグラン・ガランのブリッジから、シーラの号令一閃、ウィングキャリバー形態のビルバインが出撃するシーンが印象深い。


46、『聖戦士ダンバイン』第45話「ビヨン・ザ・トッド」

比較すると「ハイパー・ジェリル」に軍配が上がるが、同じくハイパー化するこの回も良回。


47、『聖戦士ダンバイン』第48話「クロス・ファイト」

これまでの作品でも、こじれる親子関係を描いてきた富野監督。
この回では、以前にルーザがリムルを人質にとる伏線があったとはいえ、娘が母親を殺そうとし、母親が娘の額を撃ち抜くことで返り討ちにする。「ついにここまで」感。


48、『聖戦士ダンバイン』第49話「チャム・ファウ」

『イデオン』に続く殲滅戦。当時、48話目の次週予告を見たファンはどう思ったことだろうか(ネタバレとは…)


49~50、『重戦機エルガイム』第9話「アーミィ・ベース」第33話「マイ・アース」

『エルガイム』の魅力はありきたりだけれど、結局のところ「永野護デザインのメカとキャラクターデザイン(ファッション含む)」に集約されるだろう。
第1話目を見た当時、その新しさ、格好良さにまたたく間に引き込まれた。それと、『ザブングル』のエルチとラグ描写のリターンマッチともいうべき、アムとレッシィのやり取りも面白かった。
そんな『エルガイム』から話数を選ぶなら、信用を得るためにレッシィが髪を切った第9話と、出自を明らかにしたダバが大地にキスをした第33話になるだろう。どちらもスタッフが「この回は名作にしよう」と意気込み、その通り価値ある回になったように見える。


51、『重戦機エルガイム』第47話「ボーイズ・ボーイズ」

回を重ねるにつれ、色々なしがらみが生まれてくる主人公・ダバはキャラクターの魅力を失っていく。一方、「惚れた女のため」を行動原理にして躍動するギャブレット・ギャブレー君は魅力を増していく。
そのギャブレーが活躍している一編、として本作を選んだ。ギャブレーはクワサンを救うために単身ギワザと交渉し、近衛軍から離反する。


52、『重戦機エルガイム』第54話「ドリーマーズアゲン」

夢を持つ若者たち=「ドリーマーズ」(第1話タイトル)を追った物語は、苦さの残る散会で幕を閉じる。すでに『Z』に取り掛かっていた富野監督にとって、ガンダムの続編制作は一種の負けであり、もはや夢を見る心境ではなかったのか(当時富野監督が言っていた、『Z』は現実認知の物語)。
そこに描かれているのは明らかに「青春の終り」だが、しかし、最終回のタイトルは「ドリーマーズアゲン」。そこに一縷の望みを見出すこともできるだろう。


53、『機動戦士Zガンダム』第1話「黒いガンダム」

シャアはファーストガンダムと同じように攻め込んでくるが、彼は味方で、ガンダムは黒く、「味方」であったはずの連邦政府(ティターンズ)の軍人は鼻持ちならない。
ファーストを過分に意識した、やがて拡張を続けるガンダムサーガの正統続編が始まる。そして富野監督にとっては「ガンダムから抜けられない」、一種の敗北でもある。
「それよりもちょっと心配だったのは、あいつ(ブログ主注:庵野さんのこと)のほうがしたたかだと思うんですけど、ああいうのを(注:エヴァ劇場版)やってしまうと、自分の作ったものに縛られていくでしょ。ヤマトとか、ガンダムとかね。そういうものに、縛られると、最悪なことになりますから、」(宮崎駿『風の帰る場所』)


風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡

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54、『機動戦士Zガンダム』第14話「アムロ再び」

前半ではギャプランで可変MSの運動性を充分に示し、後半では同じ可変MSのアッシマーが・カミーユ&クワトロの強力タッグに一歩も引かない。
……お笑いでいうところの「フリ」は充分にしておいて、運動性なんか皆無の輸送機でアムロが突っ込んでくる。ホントにもう…(笑)。
新旧主人公の出会いに・宿命のライバルの再会、見どころたくさん。


55、『機動戦士Zガンダム』第15話「カツの出撃」

この回の見どころは、カツが、ロザミアのギャプランに被弾させるシーン。
声優さんの息遣いと、「何もない崖+空」「カツの表情のアップ」を繋ぐことで、視聴者は「カツのニュータイプ能力の開花」を感じることができる。映像の魔力、モンタージュ理論の実例を視聴できるシーン。


56、『機動戦士Zガンダム』第19話「シンデレラ・フォウ」

サブタイトルがちょっとあからさま過ぎないか、とは思うけれども(笑)。『Zガンダム』に触れるのに、この回を選ばないわけにはいかないだろう、と。


57、『機動戦士Zガンダム』第25話「コロニーが落ちる日」

ウォンさん株が爆上がりする回。サブキャラにもこうしてスポットが当たるのが、富野群像劇の妙。
それとカツ、「あの女! あの女!」と涙流せる思春期は悪い物じゃないよ、きっと。ちょっと度が過ぎるけれど…


58、『機動戦士Zガンダム』第44話「ゼダンの門」

「ふうん…ジェリドねえ……」の小馬鹿にしたようなシロッコのセリフから始まって、ジェリドのバイアランがガザCを一閃するシーンが好き。このシーン、戦闘BGM(『モビルスーツ戦』)から、自然に「ハマーンのニュータイプ音」に繋がる音楽にも痺れる。


59、『機動戦士Zガンダム』第46話「シロッコ立つ」

この回の戦闘シーン(シロッコVSハマーン)が、「Zってガンダムの続編ではなくて、ダンバインとかの系列だよな」と思える一因では。この2人の異次元対決に突っ込んでくるカツ、好きよ。


60、『機動戦士Zガンダム』第48話「ロザミアの中で」

初期・中期の富野作品にある「ヒーローの否定」が特に露わになったのが、『無敵超人ザンボット3』の第19話「明日への脱出」と、この「ロザミアの中で」だと思う。
未来への希望を感じさせて終った『ガンダム』の続編は、主人公が絶望的な状況を前に一人の少女(ロザミア)も助けられず、「誰でもいい! 止めてくれ!」と絶叫するに至った。そのシーンは、ララァを殺してしまったアムロとシャアのリフレインでもある


 今回はここまでです。

 次の「ぼくが選んだ富野作品ベスト100(年代順61~100)」はこちら





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  • 作者: 小林 信彦
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ぼくが選んだ富野作品ベスト100(年代順1~30) [富野監督関係]





どうも。

富野監督作品で、個人的に好きなTVシリーズの回・映画・OVAを100本選んだ記事です。
順番は基本、年代順です(一部例外あり)。

なお『ラ・セーヌの星』は未見なので除外しています。また『しあわせの王子』も、薦めたところで見る術が無いはずなので、除外しています(どっちにしろベスト100には入れないけれど)。


「あの映画が入っていない!」、逆に「この回を入れるのか!」とツイッターのネタにでもしてもらえたら。
一気に100載せると・読んでいただく方も疲れると思うので、とりあえずベスト30まで。

ではでは。


1、『海のトリトン』第1話「海が呼ぶ少年」

「普通の人間」としてのアイデンティティ喪失、周囲からの迫害など、のちの『ザンボット3』にも通じる要素が垣間見える、富野由悠季初監督作品の第1話。
OPも印象的で、TV開始より前のパイロット版OPがあるが(曲は同じ)、富野監督いわく「(原作には)スペクタクルな要素はどこにもないのに、なんでこんなオープニングを作るんだっていう、原作ともマッチしてない」とのこと。


2~3、『海のトリトン』第20話「海グモの牢獄」、第21話「太平洋の魔海」

印象的なゲスト敵キャラ、ヘプタボーダ回。
原作のヘプタボーダはトリトンと一種の情を交わすキャラクターだったが、アニメではそこに「太陽のもとで暮らしたい」思いを持っている一捻りを加えた。個人的には、イカロスの話を連想させる。


4、『海のトリトン』第27話「大西洋陽はまた昇る」

大塚英志さんは著書の中で、「富野由悠季が戦後アニメ史に残りうる価値があるとすれば、それは、『ガンダム』の商業的成功ではなく、『トリトン』」で与えた衝撃の大きさにおいてだとぼくは考えます」と語っている。同じテーゼは『ザンボット3』でもう1度、提示されることになる。


5、『勇者ライディーン』第1話「大魔竜ガンテ」

名前といい、デザインといい、ガンテの存在感が圧倒的。
ただ、『ライディーン』自体が今見る価値があるかと言うと大きく疑問。ぼく自身、富野監督が好きになった頃にレンタルショップでビデオを借りて、1回見たきり。
しかも富野監督が降板する回まで「頑張って」見て、その後は未見のままにしている。


6、『無敵超人ザンボット3』第5話「海が怒りに染まる時」

助けているはずの住民から迫害される回。「陳腐なジャンル=ロボットアニメ」から脱却するための、アプローチの一種。
TV『マツコ&有吉の怒り新党』で放送された「日本人が知っておくべき!新・3大『無敵超人ザンボット3』の切ない戦い」でも、3本のうちの1本にこの第5話が選ばれていた。


7~9、『無敵超人ザンボット3』第16話「人間爆弾の恐怖」、第17話「星が輝く時」、第18話「アキと勝平」

『ザンボット3』の代名詞ともなっている、人間爆弾3部作。中では17話「星が輝く時」が白眉。
他の人に被害が及ばないよう、同じく人間爆弾になってしまった人間たちといっしょに人気のない場所へ移動する浜本。しかしそこで美しいまま終らないのが富野アニメ。恐怖に耐えきれず逃げだそうとする浜本に対し、モブから発せられる「誰か止めんか。爆弾になった者を人様のいる所へやるでない!」のひと言が傑出している。
脚本は荒木芳久さん。人間爆弾爆発後、ザンボット3の後ろ姿が映るレイアウトも印象深い。


10、『無敵超人ザンボット3』第19話「明日への脱出」

『トリトン』以来、富野作品の根底に流れているテーマの1つが「ヒーローの否定」。
ガイゾックに囚われた友人・香月を助ける術が無い勝平が、ザンボ・エースで海底に向かって当てずっぽうに岩を投げ続けるシーンは、その代表格。


11、『無敵超人ザンボット3』第23話「燃える宇宙」

最終回で「正義とは、悪とは」を問う構図は『海のトリトン』と同じだが、富野本人曰く脚本家にもラストは内緒にしていた『トリトン』より、こちらの方がスムーズ。
ところで、「宇宙人の生き残りである勝平を民衆が殺しに来る」らしい幻の小説版ラストと、アニメ版のラストを重ねて見る向きがあるが、個人的には同意しかねる。


12~13、『無敵鋼人ダイターン3』第1話「出ました!破嵐万丈」、第40話「万丈、暁に消ゆ」

ダイターン3で今見ても面白いのは、軽妙洒脱な1話と、抑制の効いたラストが本当に素晴らしい最終回。「見納めね」「未練よ」。最終回の良さは、是非こちらの記事を読んでいただければ。
ちなみに富野監督は、第10話「最後のスポットライト」を「涙が出るほど好き」と言っています。実写映画を諦めた自分の想いと重なるらしい。


14、『機動戦士ガンダム』第1話「ガンダム大地に立つ!!」

『エヴァ』前の庵野監督が、この第1話の各シーンの秒数を計っては、「完璧だ!」と唸っていたというエピソードが好き。
富野作品のTVアニメ第1話は、本作か、G-レコが傑出しているのではないだろうか。もっとも後者は、劇場で先行上映を見た思い出が込みかもしれない。
この1話に関しては、素人の好き者がどうこう言うより、「氷川さんの『フィルムとしてのガンダム』読んでください」で済むのではないか。


フィルムとしてのガンダム (オタク学叢書)

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15、『機動戦士ガンダム』第3話『敵の補給艦を叩け!』

もう10年ほど前になるが・再見した時、あまりに良くできているので感心し、「久しぶりに見たガンダム3話『敵の補給艦を叩け!』がやっぱり凄かったので、一々説明する。」と題するブログ記事まで書いてしまった。さりげなく細やかな描写の積み上げが秀逸。興味のある方は、こちらのブログ記事をぜひ。


16、『機動戦士ガンダム』第9話「翔べ! ガンダム」

ガンダムを初めて見たのは子どもの頃だったので(『マジンガーZ』は見たことが無かった)、「ロボットは飛べて当たり前」だと思っていた。バカな子どものぼくは実際のところ、この回を初見した時は、それでも「ガンダムは飛べない」ことをよく理解していなかったように思う。
「ガンダムを飛べるようにする」のではなく、「飛べないからこそアムロのパイロット技術を描写できる」という「設定を生かした演出方針」は、現時点の最新作『Gのレコンギスタ』までずっと続いている。


17、『機動戦士ガンダム』第10話「ガルマ散る」

シリーズ全体で見ると、前半部分のクライマックス。この回で、シャアというキャラクターの造形が深まった。


18、『機動戦士ガンダム』第13話「再会、母よ…」

『トリトン』『ザンボット』以降の富野監督は、ひたすらに親子の断絶を描いていく。その転機は、『F91』まで待たないといけない。
ちなみに子どもの頃、「アムロの母親には恋人がいるんだ」と思い・嫌悪感を抱いたものだが、数年後に見返すとそんな描写は全然無かった。
例の「カマリアを車に乗せてきた男性」に、子どもながらに何かを感じていたということなのだろうか?(誰への質問だ)


19、『機動戦士ガンダム』第24話「追撃!トリプル・ドム」

「黒い三連星」「ジェットストリーム・アタック」みたいなネーミングが子ども向け作品には必要だと思うのですが、案外、ガンダム以降の富野作品には出てこないんですよね…(「トリプラー」ではダメです)。


20、『機動戦士ガンダム』第28話「大西洋、血に染めて」

初代『ガンダム』は「再会、母よ…」や「時間よ、とまれ」「小さな防衛線」などのサブエピソードも非常に効果的で、物語世界を重厚にさせているが、その代表がミハル・ラトキエとカイのエピソードだろう。ミハルが美人過ぎないのも良い。
(視聴者である)男の子はシニカルなお兄さん=カイにもともと好意を持っていただろうが、このエピソードで完全にお気に入りキャラの仲間入りをしたのではないか。


21、『機動戦士ガンダム』第29話「ジャブローに散る!」

初代『ガンダム』をいま語ろうとすると、どうしても人間ドラマの方に行ってしまうが(ぼくにその志向が強いせいもあるが)、子ども時分には、とにかくMS戦が格好良かったのだ。その代表例として、この回を選んだ。
「神がかった動きをするズゴック」という富野監督の指示に対して、応えた安彦さんもやっぱりすごい


22、『機動戦士ガンダム』第34話「宿命の出会い」

富野演出の妙の具体例として、よく提示される「シャアとララァがソファに座っているシーン」がある回。
アムロとララァが初めて顔を合わせるのと同じ回で、演出とセリフでさりげなく・シャアとララァは肉体関係があることを匂わせるのだから、本当よーやるよ(笑)。


23、『機動戦士ガンダム』第43話「脱出」

まあ、第1回「ガンダム大地に立つ!!」と同じく、「脱出」はもう言うこと無しではないでしょうか。
ぼくは、ファーストガンダムは断然TV派なので、次はイデオンになります。


24、『伝説巨神イデオン』第6話「裏切りの白い旗」

H.G.ウェルズの『宇宙戦争』を未読なのもあるが、「降伏の意味がある白い旗が、異文明では徹底抗戦になる」にはビックリした。
「分かりあえる希望」のニュータイプを提示した富野監督は、次作では「分かり合うことは無理」を積み重ねる作品を発表した。


25、『伝説巨神イデオン』第8話「対決・大砂塵」

最後、生身のギジェを、カーシャがイデオンで踏みつぶそうとする回。
その行為を止めたコスモとベスは、カーシャに責められる。「礼には礼をもって答える。それがサムライだ」とベスは応えるが、これはエクスキューズに過ぎない。
コスモにもベスにも、自分の行動の理由など分からないのだ。人は誰しも、自分でも理由が分からず行動することがある。イデオンが傑出している理由の1つに、言語化もできない、その「自分ですら訳の分からない人間の行動」を描き出している点にある。その劇空間には、「ストーリーを進めるために創作者の都合で動くキャラクター」など存在しえない。


26、『伝説巨神イデオン』第10話「奇襲・バジン作戦」

『イデオン』の異常さがハッキリと露呈する回。
常識人だと思っていたカララが、命をかけて自分を助けようとしたアバデデを「アバデデ・グリマデ。忠義忠節だけの男。面白くもない」と評し、シェリルと平手の打ち合いを演じる。『イデオン』という作品全体の素顔が垣間見えてくる回。


27、『伝説巨神イデオン』第13話「異星人を撃て」

人間はあやふやなところがあって、自分でも何故こんなことをするのか分からない、でも行動してしまう。
アニメでも実写ドラマでも映画でも、その「あやふやな部分」を表現することは至難の業だと思うが、『イデオン』はそこに挑戦している。
地味な少女バンダ・ロッタが、カララに銃を向けるこの回。カララが銃口の前に身を晒したのは、死を覚悟したのか、それともロッタに当てる意志がないと踏み、彼女の気が済むようにしたのか。ベスはなぜカララの制止を受け入れて、ロッタを止めようとしなかったのか?
それら全てが、人間のあやふやな部分を、しかしおそらくは正しいであろう行動を描ききっている。


28、『伝説巨神イデオン』第15話「イデオン奪回作戦」

シェリルやハタリがソロシップからの脱走を試しみて失敗、カララがその罪をかぶる回。
富野監督の数多あるTV作品から、どれか1作だけを選ぶなら、ぼくは迷わずこの回。
ソロシップ内で異質であるカララの存在。しかしそのカララの存在ゆえに、ソロシップ内の人間関係が辛うじて成立しているという皮肉な構図に、ただただ感心してしまう。
カララが罪をかぶって名乗り出た後、そそさくとその場から去る脱走組の様子も良い。
そしてこの回が、ただでさえ素晴らしい「皮肉な構図」だけで終らないのは、最後のシェリルの慟哭「嫌よ…! 宇宙を逃げ回るのも嫌なら、カララに借りを作るなんて……カララに借りを作るなんて、死ぬほど嫌よ…! 悔しい……」にある。
このセリフから、シェリルのプライド・悔しさ・閉塞感への絶望、様々な感情が一気に伝わってくる。そしてその感情を声から読み取れる、井上瑶さんの演技!
ラストのシェリルによって、「皮肉な構図」は、カララのとった正しい行動が・しかし1人の少女(シェリル18歳)の自尊心を傷つけているという、さらに複雑な構造に変貌する。


29、『伝説巨神イデオン』第29話「閃光の剣」

ルクク・キルのゲル結界攻撃を破る回。というより、ギジェが名セリフ「俺は…破廉恥な男かもしれん」を吐く回。


30、『伝説巨神イデオン』第32話「運命の炎のなかで」

モエラとラポーによる・分かりやすい「死亡フラグ」もあり、『イデオン』の中では比較的常識的な回。
と思う一方、ささいなひと言のために、「分からぬことを…」との言葉を残して暗殺されるルククもいて、『イデオン』ならではの硬質さは健在。


今回はここまでです。
記事はすべて書き終わっているので、来週火曜くらいに更新しようかな。





ぼくが選んだ洋画・邦画ベスト200 (文春文庫)

ぼくが選んだ洋画・邦画ベスト200 (文春文庫)

  • 作者: 小林 信彦
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2003/12/05
  • メディア: 文庫

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