『海のトリトン』について [富野監督関係]
このブログでは大抵、最初に妄言やら愚痴やら僻みやらを書いてから、「では本題」としてアニメの話に移ります。
しかし最近、この手法が拙いなー、と思い始めたのです。
あのー、落語。
落語は世間話なんかのマクラがあって、羽織を脱いで、噺に入るわけです。
で、マクラだと思って聞いていたら、いつの間にか噺に入っている、そんな妙技があるでしょう。
ぼくもそんな風に、始めは関係ない話で、読み手が気付かないうちに本題になっている文章が書けないものかと思うわけです。
ま、無理ですな。
そんな巧みな文章が書けたら、30歳半ばにもなって世に名前が出ていないはずがありませぬ。
「では本題」。
2月24日から始まるNHK BS『アニメ夜話』の今回のラインナップは、なかなかです。
第1夜『ジャイアントロボ THE ANIMATION 地球が静止する日』
第2夜『海のトリトン』
第3夜『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』
フフフ。どうですか、いいですね。
富野ファンとしてはもちろん、トリトンに注目です。
ゲストはトリトン役の塩屋翼さんと、朴ろ美さん。朴さんは、富野といえば、って感じなんでしょうか。
トリトン一行の道程がおかしいことは、岡田さんあたりが指摘してくれるでしょう(大西洋へ行くのに、マゼラン海峡まで着きながら、わざわざインド洋に戻って地中海を経由している)。
古澤由子さんは著書の中で(『海のトリトン』の彼方へ)、わざわざ一章を設けて「遠回りの必然性」について論じていますが、スタッフの単純なミスだと思っています、ぼくは。
勇壮ながら憂いを帯びたオープニングテーマは特筆モノで、これも誰かが言及するでしょうね。
そしてトリトンといえば、なんといってもラストシーンの善悪の逆転、勧善懲悪の崩壊ですよね。
大塚英志さんは、この善悪の逆転について、
富野由悠季が戦後アニメ史に残りうる価値があるとすれば、それは、「ガンダム」の商業的成功ではなく、「トリトン」で与えた衝撃の大きさにおいてだとぼくは考えます。
とまで書いています。
さてぼくはと言えば、このトリトンのラストシーンを、実はかっていないのです。
唐突過ぎるからです。とって付けた感があるのです。
もちろん、何も知らずにリアルタイムで放送を見ていた世代と、ある程度ラストを知っている状態でビデオで初見したぼくとでは、衝撃度が違うのは当然です。
しかしアニメに限らず、映画でも音楽でも読書でも、結局は個人的経験に拠って語るしかないのです。
トリトンは打ち切りになったので、ラストに唐突感があるのは当然なのですが、理由はもっと違うところにあります。単純です。
富野自身が「あの落としどころだけは、1クール終わった時点ぐらいで思いついていたんですけど、誰にも言いませんでした。だから26話のシナリオは僕が書いているんです」とインタビューで答えています。
つまり、脚本陣はラストがどうなるか知らなかったわけで、伏線の張りようがなかったのです。
あのラストなら、ぼくはザンボット3のコンピュータードール6号の方が、好みです。
視聴の時系列が滅茶苦茶故の意見でしょうが。
さて、ではぼくが考えるトリトンの注目点はどこか。ここで次回に続きます。
(美人さん風に)スィーユーネクストウィーク、バイバイ。
記事その2。
「夢を喰って生きろ」と公務員のおじさんがぼくに説教。黙れ。
さて、前回の続き。ぼくが考える『海のトリトン』の注目点はどこか。
まず1つ目は、緑色の髪が象徴する、「人間ではない主人公」です。
「人間ではない主人公」は、ガンダム以前の初期富野作品には、必ず出てくるモチーフでした。
普通の人間だと思って生活していたのに、ある日突然、ムーの生き残りだビアル星人の子孫だと言われる。
地球人である、という根源的な「自己」の喪失です。
物語の構造は「喪失と回復」ですから、その意味では初期の富野アニメは、まずきちんと喪失から始まる、基本に忠実な作品作りだったと言えます。
トリトンは、人間ではない特別な存在の証として、「緑色の髪の毛」という、非常に分かりやすい要素がキャラデザに盛り込まれています。キャラデザに富野はノータッチでしょうが(手塚自身がアニメ版もデザインしているはずです)、それなのに自分のパターンの要素として取り込んでいる、という力技を感じるのです。
2つ目は、得体の知れない巨大な力に振り回される主人公、です。
もちろんオリハルコンの剣のことです。
「イデ」の萌芽が、すでに初のチーフディレクター作品に現れていることに、富野ファンとしては着目します。
イデオンで正面から描かれた、巨大な力=運命に翻弄される主人公、というテーマにこの頃から取り組んでいた事実です。
後に『ダンバイン』のオーラ力の描写でも、オリハルコンの剣と類似するものがありました。黒い3連星もどきと戦った時とか。
あれ、もう1度同じこと描こうとして、やめたんだろうなあ。
さて、最後。3点目。
今までどの関連書でも当たり前のように書いていますが、「手塚原作を大幅に改変したこと」、その事実にあるとぼくは考えています。
これについてはまず、手塚プロにいた真佐美ジュンさんのブログの下記箇所をお読みください。
このブログ、1年位前から紹介しようと思っていて、やっとできた。
1つの出来事には様々な側面がありますから、該当ブログの記述全てを鵜呑みにするのは勿論危険ですが、かなり貴重な証言です。
http://blog.goo.ne.jp/mcsammy/e/74eae7ddff12129853ef34561a80c477
http://blog.goo.ne.jp/mcsammy/e/adeec845f339cd2dd51e0b7b6e1946e0
それでは、上記のブログを読んでほしいので、今回はここで終わり。次回に続いちゃったりします。あーあ、モテたいなー。なんだ、急に。
記事その3。
昨日の最後に紹介しましたが、今日の冒頭にもう1度、ブログを紹介しておきます。
手塚ファン、アニメ版トリトンファンは必読の、資料的価値が高いブログです。
http://blog.goo.ne.jp/mcsammy/e/74eae7ddff12129853ef34561a80c477
http://blog.goo.ne.jp/mcsammy/e/adeec845f339cd2dd51e0b7b6e1946e0
なお、上記のブログを書かれている真佐美さんはこんな経歴の方です。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090112-00000559-san-ent
以下の文章は、真佐美さんのサイトを読んでいるという前提で進んでいきます。
まあ面倒くさがり屋さんにも、読めるようには書くつもりですが。
さて、大型書店に行くと手塚治虫全集がずらりと並んでいますが、『海のトリトン』(いつの間に漫画の方も、「青」から「海」になったんだ)の後書きには、アニメ版は私に関係ありません、という主旨の手塚の後書きがあります。
ササキバラ・ゴウさんが大塚英志さんとの共著『教養としての<まんが・アニメ>』の中でこの1文に触れていて、
たぶん、当時手塚のもとには「海のトリトン」に関して多くのファンレターが寄せられていたのだろう。しかもその多くは、手塚のまんがではなく、アニメの内容に対するものだったに違いない。
(中略)
たぶん、見当違いの褒め言葉をたくさん受けたであろう手塚のとまどいが、このコメントには感じられる。
と書いてあります。
しかし真佐美さんのブログを読んだ後だと、あのコメントが「とまどい」ではなく、怨念と怒りが籠った短文なのだ、と読めてきます。
話を戻しましょう。『海のトリトン』で、富野ファンとして最も着目すべき点は、「手塚原作を大幅に改変したこと」それ自体にある、というお話です。
ここからはなるべく、どの資料・記述も疑いながら、なおかつ「ここは信じられるだろう」という箇所を探しつつ、論を進めていきます。
アニメの初期段階では、企画に手塚が参加していたことは、ほぼ確実です。前述した手塚の後書きと真佐美さんのブログ、それに後に引用している富野の記事もあります。
そして富野が元虫プロ社員だったことを考えれば、手塚の意思に沿う形で富野が作業を進めていた、という真佐美さんの記事も素直に読めます。
さて、途中まで作業を進めていたが、真佐美さんによれば、西崎氏が手塚漫画の権利を全て奪ってしまい、虫プロではアニメをつくることが出来なくなってしまった。
この真佐美さんの記述は、どこまで信じて良いものか? この時期に関する富野の証言は、あの饒舌な富野にしては、非常に淡白です。
富野ファン必携の2冊から、その部分の記述を抜いてみましょう。
『だから僕は…』
以前に虫プロで作ろうとした十分ほどのフィルムはあったのだが、虫プロ内部にいろいろな問題があって、製作をスタッフルームが請け負うことになったのだという。そのときの虫プロの事情は知らない。
(中略)
「テレビ版でやるときは、オリジナルをおこすしかない」
これは鈴木さんの主張であり、やや遅れて制作に参加した西崎義展プロデューサーの意見でもあった。
さらに、製作条件として虫プロ関係のアニメーターはつかってはならないという暗黙の約束ごとがあったりして、手塚先生と相談する機会さえあたえられなかった。もしあたえられたとしたら、あのような形でのTV版の『海のトリトン』はなかっただろう(筆者註・ここの記述は、真佐美さんのブログと相反していますね)。
『富野由悠季全仕事』
―― ところでこの当時(筆者註・71年)、西崎義展さんは虫プロにいらっしゃったのですか。
富野 そういう社内事情は知りません。
(中略)
富野 初めは手塚先生が手塚プロで作るつもりでいて、虫プロに下請けを出すという話もありましたがそれもなくなった。そして虫プロ商事が虫プロと分派したのか、自活していかなくてはいけないということで『海のトリトン』の企画を引き受けたんだけど、結局虫プロ商事も潰れて、スタッフルームだけが残った。で、最終的にプロデュース権というかマルC権を西崎さんが買って、手塚先生から『トリトン』をひっぺがした。
『全仕事』の方は、真佐美さんの記述に近いですね。
ただこの言いようだと、西崎氏が『トリトン』の権利だけを買ったとも誤解されますが。
富野は当然、自分の漫画の権利を失ってしまった手塚の心中がいかほどのものか、想像できたのではないでしょうか?
真佐美さんのブログによると、西崎氏のやり方に反発して、トリトンの仕事をおりたスタッフもいたようです。しかし富野はチーフディレクターを降りず、そして物語のラストを大幅に改変しました。
富野ファンのぼくが着目するのは、まさに「富野はチーフディレクターを降りず、そして物語のラストを大幅に改変した」点です。
ぼくは何も、「手塚を裏切る形になってまで、作品をベストの形にしようとした」などと美談として語るつもりも、また逆に悪く書くつもりもありません。
もっと生活に密着した問題として、着目したのです。
つまりこの時期すでに、富野はフリーのコンテマンだったのです。そして今のようなサンライズとの関係が構築されていたわけではありません。
フリーにとって安定した仕事先の確保は、もっとも重要なことです。
単純に言ってしまえばフリーの富野には、手塚をとるか、西崎をとるか、という二択がここで提示されました。
富野は『トリトン』の前年に、手塚プロの『ふしぎなメルモ』の仕事も請けています。
だから今後も、手塚プロから仕事が来る可能性だって、当然あります。
しかし西崎氏と手塚の関係を考えれば、トリトンの仕事を続けていれば、手塚プロから仕事が来るとは考えづらいでしょう。
はたして富野はトリトンの仕事を続け、ラストを(おそらく手塚の意向には合わない)形に変えました。
西崎氏と共にトリトンの仕事を続けることを覚悟した時点で、富野の中で手塚との関係が切れたことは、まず間違いないと思います。
クリエイターには転機となる作品があって、富野にとってはやはり、アニメ演出を手がけるきっかけを与えてくれた手塚との縁を切る意気込みで挑んだ『海のトリトン』が最初のターニング・ポイントとなる作品だったのです。
蛇足。
まだ無名だった唐沢俊一がきっかけとなった、アニメ誌上での「ガンダム論争」で、手塚は富野擁護の発言をしたそうですから(文体が伝聞なのは、ぼくは実際にこの論争を読んでいないからです)、少なくとも手塚は、「名前を出すのも嫌」ほどには富野を嫌っていなかったのでしょうね。
しかし最近、この手法が拙いなー、と思い始めたのです。
あのー、落語。
落語は世間話なんかのマクラがあって、羽織を脱いで、噺に入るわけです。
で、マクラだと思って聞いていたら、いつの間にか噺に入っている、そんな妙技があるでしょう。
ぼくもそんな風に、始めは関係ない話で、読み手が気付かないうちに本題になっている文章が書けないものかと思うわけです。
ま、無理ですな。
そんな巧みな文章が書けたら、30歳半ばにもなって世に名前が出ていないはずがありませぬ。
「では本題」。
2月24日から始まるNHK BS『アニメ夜話』の今回のラインナップは、なかなかです。
第1夜『ジャイアントロボ THE ANIMATION 地球が静止する日』
第2夜『海のトリトン』
第3夜『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』
フフフ。どうですか、いいですね。
富野ファンとしてはもちろん、トリトンに注目です。
ゲストはトリトン役の塩屋翼さんと、朴ろ美さん。朴さんは、富野といえば、って感じなんでしょうか。
トリトン一行の道程がおかしいことは、岡田さんあたりが指摘してくれるでしょう(大西洋へ行くのに、マゼラン海峡まで着きながら、わざわざインド洋に戻って地中海を経由している)。
古澤由子さんは著書の中で(『海のトリトン』の彼方へ)、わざわざ一章を設けて「遠回りの必然性」について論じていますが、スタッフの単純なミスだと思っています、ぼくは。
勇壮ながら憂いを帯びたオープニングテーマは特筆モノで、これも誰かが言及するでしょうね。
そしてトリトンといえば、なんといってもラストシーンの善悪の逆転、勧善懲悪の崩壊ですよね。
大塚英志さんは、この善悪の逆転について、
富野由悠季が戦後アニメ史に残りうる価値があるとすれば、それは、「ガンダム」の商業的成功ではなく、「トリトン」で与えた衝撃の大きさにおいてだとぼくは考えます。
とまで書いています。
さてぼくはと言えば、このトリトンのラストシーンを、実はかっていないのです。
唐突過ぎるからです。とって付けた感があるのです。
もちろん、何も知らずにリアルタイムで放送を見ていた世代と、ある程度ラストを知っている状態でビデオで初見したぼくとでは、衝撃度が違うのは当然です。
しかしアニメに限らず、映画でも音楽でも読書でも、結局は個人的経験に拠って語るしかないのです。
トリトンは打ち切りになったので、ラストに唐突感があるのは当然なのですが、理由はもっと違うところにあります。単純です。
富野自身が「あの落としどころだけは、1クール終わった時点ぐらいで思いついていたんですけど、誰にも言いませんでした。だから26話のシナリオは僕が書いているんです」とインタビューで答えています。
つまり、脚本陣はラストがどうなるか知らなかったわけで、伏線の張りようがなかったのです。
あのラストなら、ぼくはザンボット3のコンピュータードール6号の方が、好みです。
視聴の時系列が滅茶苦茶故の意見でしょうが。
さて、ではぼくが考えるトリトンの注目点はどこか。ここで次回に続きます。
(美人さん風に)スィーユーネクストウィーク、バイバイ。
記事その2。
「夢を喰って生きろ」と公務員のおじさんがぼくに説教。黙れ。
さて、前回の続き。ぼくが考える『海のトリトン』の注目点はどこか。
まず1つ目は、緑色の髪が象徴する、「人間ではない主人公」です。
「人間ではない主人公」は、ガンダム以前の初期富野作品には、必ず出てくるモチーフでした。
普通の人間だと思って生活していたのに、ある日突然、ムーの生き残りだビアル星人の子孫だと言われる。
地球人である、という根源的な「自己」の喪失です。
物語の構造は「喪失と回復」ですから、その意味では初期の富野アニメは、まずきちんと喪失から始まる、基本に忠実な作品作りだったと言えます。
トリトンは、人間ではない特別な存在の証として、「緑色の髪の毛」という、非常に分かりやすい要素がキャラデザに盛り込まれています。キャラデザに富野はノータッチでしょうが(手塚自身がアニメ版もデザインしているはずです)、それなのに自分のパターンの要素として取り込んでいる、という力技を感じるのです。
2つ目は、得体の知れない巨大な力に振り回される主人公、です。
もちろんオリハルコンの剣のことです。
「イデ」の萌芽が、すでに初のチーフディレクター作品に現れていることに、富野ファンとしては着目します。
イデオンで正面から描かれた、巨大な力=運命に翻弄される主人公、というテーマにこの頃から取り組んでいた事実です。
後に『ダンバイン』のオーラ力の描写でも、オリハルコンの剣と類似するものがありました。黒い3連星もどきと戦った時とか。
あれ、もう1度同じこと描こうとして、やめたんだろうなあ。
さて、最後。3点目。
今までどの関連書でも当たり前のように書いていますが、「手塚原作を大幅に改変したこと」、その事実にあるとぼくは考えています。
これについてはまず、手塚プロにいた真佐美ジュンさんのブログの下記箇所をお読みください。
このブログ、1年位前から紹介しようと思っていて、やっとできた。
1つの出来事には様々な側面がありますから、該当ブログの記述全てを鵜呑みにするのは勿論危険ですが、かなり貴重な証言です。
http://blog.goo.ne.jp/mcsammy/e/74eae7ddff12129853ef34561a80c477
http://blog.goo.ne.jp/mcsammy/e/adeec845f339cd2dd51e0b7b6e1946e0
それでは、上記のブログを読んでほしいので、今回はここで終わり。次回に続いちゃったりします。あーあ、モテたいなー。なんだ、急に。
記事その3。
昨日の最後に紹介しましたが、今日の冒頭にもう1度、ブログを紹介しておきます。
手塚ファン、アニメ版トリトンファンは必読の、資料的価値が高いブログです。
http://blog.goo.ne.jp/mcsammy/e/74eae7ddff12129853ef34561a80c477
http://blog.goo.ne.jp/mcsammy/e/adeec845f339cd2dd51e0b7b6e1946e0
なお、上記のブログを書かれている真佐美さんはこんな経歴の方です。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090112-00000559-san-ent
以下の文章は、真佐美さんのサイトを読んでいるという前提で進んでいきます。
まあ面倒くさがり屋さんにも、読めるようには書くつもりですが。
さて、大型書店に行くと手塚治虫全集がずらりと並んでいますが、『海のトリトン』(いつの間に漫画の方も、「青」から「海」になったんだ)の後書きには、アニメ版は私に関係ありません、という主旨の手塚の後書きがあります。
ササキバラ・ゴウさんが大塚英志さんとの共著『教養としての<まんが・アニメ>』の中でこの1文に触れていて、
たぶん、当時手塚のもとには「海のトリトン」に関して多くのファンレターが寄せられていたのだろう。しかもその多くは、手塚のまんがではなく、アニメの内容に対するものだったに違いない。
(中略)
たぶん、見当違いの褒め言葉をたくさん受けたであろう手塚のとまどいが、このコメントには感じられる。
と書いてあります。
しかし真佐美さんのブログを読んだ後だと、あのコメントが「とまどい」ではなく、怨念と怒りが籠った短文なのだ、と読めてきます。
話を戻しましょう。『海のトリトン』で、富野ファンとして最も着目すべき点は、「手塚原作を大幅に改変したこと」それ自体にある、というお話です。
ここからはなるべく、どの資料・記述も疑いながら、なおかつ「ここは信じられるだろう」という箇所を探しつつ、論を進めていきます。
アニメの初期段階では、企画に手塚が参加していたことは、ほぼ確実です。前述した手塚の後書きと真佐美さんのブログ、それに後に引用している富野の記事もあります。
そして富野が元虫プロ社員だったことを考えれば、手塚の意思に沿う形で富野が作業を進めていた、という真佐美さんの記事も素直に読めます。
さて、途中まで作業を進めていたが、真佐美さんによれば、西崎氏が手塚漫画の権利を全て奪ってしまい、虫プロではアニメをつくることが出来なくなってしまった。
この真佐美さんの記述は、どこまで信じて良いものか? この時期に関する富野の証言は、あの饒舌な富野にしては、非常に淡白です。
富野ファン必携の2冊から、その部分の記述を抜いてみましょう。
『だから僕は…』
以前に虫プロで作ろうとした十分ほどのフィルムはあったのだが、虫プロ内部にいろいろな問題があって、製作をスタッフルームが請け負うことになったのだという。そのときの虫プロの事情は知らない。
(中略)
「テレビ版でやるときは、オリジナルをおこすしかない」
これは鈴木さんの主張であり、やや遅れて制作に参加した西崎義展プロデューサーの意見でもあった。
さらに、製作条件として虫プロ関係のアニメーターはつかってはならないという暗黙の約束ごとがあったりして、手塚先生と相談する機会さえあたえられなかった。もしあたえられたとしたら、あのような形でのTV版の『海のトリトン』はなかっただろう(筆者註・ここの記述は、真佐美さんのブログと相反していますね)。
『富野由悠季全仕事』
―― ところでこの当時(筆者註・71年)、西崎義展さんは虫プロにいらっしゃったのですか。
富野 そういう社内事情は知りません。
(中略)
富野 初めは手塚先生が手塚プロで作るつもりでいて、虫プロに下請けを出すという話もありましたがそれもなくなった。そして虫プロ商事が虫プロと分派したのか、自活していかなくてはいけないということで『海のトリトン』の企画を引き受けたんだけど、結局虫プロ商事も潰れて、スタッフルームだけが残った。で、最終的にプロデュース権というかマルC権を西崎さんが買って、手塚先生から『トリトン』をひっぺがした。
『全仕事』の方は、真佐美さんの記述に近いですね。
ただこの言いようだと、西崎氏が『トリトン』の権利だけを買ったとも誤解されますが。
富野は当然、自分の漫画の権利を失ってしまった手塚の心中がいかほどのものか、想像できたのではないでしょうか?
真佐美さんのブログによると、西崎氏のやり方に反発して、トリトンの仕事をおりたスタッフもいたようです。しかし富野はチーフディレクターを降りず、そして物語のラストを大幅に改変しました。
富野ファンのぼくが着目するのは、まさに「富野はチーフディレクターを降りず、そして物語のラストを大幅に改変した」点です。
ぼくは何も、「手塚を裏切る形になってまで、作品をベストの形にしようとした」などと美談として語るつもりも、また逆に悪く書くつもりもありません。
もっと生活に密着した問題として、着目したのです。
つまりこの時期すでに、富野はフリーのコンテマンだったのです。そして今のようなサンライズとの関係が構築されていたわけではありません。
フリーにとって安定した仕事先の確保は、もっとも重要なことです。
単純に言ってしまえばフリーの富野には、手塚をとるか、西崎をとるか、という二択がここで提示されました。
富野は『トリトン』の前年に、手塚プロの『ふしぎなメルモ』の仕事も請けています。
だから今後も、手塚プロから仕事が来る可能性だって、当然あります。
しかし西崎氏と手塚の関係を考えれば、トリトンの仕事を続けていれば、手塚プロから仕事が来るとは考えづらいでしょう。
はたして富野はトリトンの仕事を続け、ラストを(おそらく手塚の意向には合わない)形に変えました。
西崎氏と共にトリトンの仕事を続けることを覚悟した時点で、富野の中で手塚との関係が切れたことは、まず間違いないと思います。
クリエイターには転機となる作品があって、富野にとってはやはり、アニメ演出を手がけるきっかけを与えてくれた手塚との縁を切る意気込みで挑んだ『海のトリトン』が最初のターニング・ポイントとなる作品だったのです。
蛇足。
まだ無名だった唐沢俊一がきっかけとなった、アニメ誌上での「ガンダム論争」で、手塚は富野擁護の発言をしたそうですから(文体が伝聞なのは、ぼくは実際にこの論争を読んでいないからです)、少なくとも手塚は、「名前を出すのも嫌」ほどには富野を嫌っていなかったのでしょうね。
海のトリトン (1) (秋田文庫―The best story by Osamu Tezuka)
- 作者: 手塚 治虫
- 出版社/メーカー: 秋田書店
- 発売日: 1994/10
- メディア: 文庫
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