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オタク的に見る『パンズ・ラビリンス』 2 [アニメ周辺・時事]

 さて、オタク的に見る映画『パンズ・ラビリンス』の続き。

 富野はムック『聖戦士ダンバイン ノスタルジア』の中で、「神話、伝説、童謡、そしてSFと、人が物語ろうとする時に、必ず架空の世界を産み出してきた。(中略)人がたえず現実の生活の反動としての架空世界に憧れるからだろう」と書いている。

 このブログの趣旨に沿って、富野の言葉をあげてみたが、無論こんな言葉を引用するまでもなく、映画も小説も漫画もアニメも、基本は現実逃避のための装置である。

 もちろん、小説にはビルドゥッ舌噛んだっ言い直すね、ビルドッ、ビルッ、ビルドゥkックこういうのを喜んで書くのがオッサンなのね、ビルドゥックスロマンというジャンルがあるし、映画だって様々なジャンルがあるから、一概には言えない。

 では言い直して、「エンターテインメント寄りの」映画も小説も漫画もアニメも、基本は現実逃避のための装置である。

 それは、ドキュメンタリーっぽい、ええとドキュメンタリー・バラエティーと言えばいいのかな? そんな映像にも当てはまる。

 例えば大人のための下らない御伽噺として有名な番組『プロジェクトX』などは、その代表例だ。
 あの番組は「成功者から学ぶ」ものではなく、普通のお父さんがお酒を飲みながら挫折と成功を疑似体験する、一種の現実逃避なのである。

 で、ファンタジー小説は代表的な「現実逃避のための装置」なのだが、『パンズ・ラビリンス』の特筆すべき点はまず、この当たり前のことを作品内で明示していることにある。

 主人公の女の子オフェリアを過酷な状況に置くことで、パンズ・ラビリンスが現実逃避の世界であることがはっきりと分かる。
 しかもパンズ・ラビリンスに行く現実世界の人間が、オフェリアしかいないことも、この点を強調している。
 例えば『ナルニア国物語』のように、何人かでいっしょに異世界に行くのではない。「オフェリアのみ」の閉じられた世界であることが重要だ。

 さて、映画『パンズ・ラビリンス』は、パンズ・ラビリンスが実在する世界なのか、それとも全てがオフェリアの空想の産物なのか、この解釈の違いで評価が分かれると思う。

 無論、空想に淫するオタクとしては、後者の解釈をとりたい。

 オフェリアと心を通わす小間使いのメルセデスは、「親から(牧神の)パンには近づくなと言われたわ」というようなことを話す。

 つまりメルセデスは、空想の世界に淫することを、パンズ・ラビリンスを拒否する。

 メルセデスは過酷な現実に向き合い(メルセデスの置かれた状況は、オフェリアよりさらに過酷である)、やがて現実を変えていく。

 一方オフェリアは、パンズ・ラビリンスの世界に没頭し、現実からは逃げ、まあここから先はネタばれになるので書けないけれど、ラストシーンへと流れていく。

 全てがオフェリアの空想の産物だとするなら、彼女のラストシーンは、あまりにも哀れではないか?

 ぼくにはこの映画は、現実に向き合う者と、空想の世界に逃げる者、その両者が迎える結果の違いを描いた作品、に見えるのである。




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