富野演出の新造人間キャシャーン「ロボット・ハイジャック」の回 [富野監督関係]
さて、昨日の続きです。できれば昨日から読んでね。
冒頭。
キャシャーンはロボットに襲われた町の人達を助け、別な場所へ逃げるように飛行機へ誘導する。
その中に具合の悪い人がいたので、キャシャーンはガールフレンドであり、彼の正体を知っている唯一の「生身の人間」である上月ルナを付き添いさせる。
キャシャーンと離れたくないルナではあったが、渋々承知する。
飛行機に乗り込んだ人達は「我々は君のおかげで助かったんだ。なんでも手伝うからな」「ここで恩返しをしなきゃ」などと2人に声をかける。
ここで、俺などは「ああ、こりゃヤバイ。暗い展開だ」と確信する。
つまり、このセリフが伏線、というやつである。
特筆すべきは、飛行機内に溢れる安堵の会話、つまりガヤみたいな声も、なんでもないセリフなんだけれども、よく聞くと他人のことを考えていない自己中心的な言葉が多く、この先の展開を暗示している。
そう思うと、乗客の顔つきがなんだか嫌な奴のようにも見えてくる。
名前も無い乗客達だが、このキャラデザは、秀逸。普通の人間が持つ嫌らしさ、意志の弱さ、底の浅さなんかが、表情で分かるのだ。
細かい説明は省くが、案の定な展開になって、さっき協力を約束していた乗客達は態度を一変、「キャシャーンの居場所を教えろ」とルナに迫る。敵のアンドロ軍団に脅迫されて、自分の命を守るためだ。
この時の、無機質と言うか、冷たい乗客たちの顔。
俺はなぜか、『ザンボット3』の、人間爆弾の回を思い出してしまった。
爆弾にされた人間達は、他の人に迷惑をかけないため、爆発しても危害を与えない人気のない場所へと黙々と行列していく、あのシーン。
状況も、キャラクターの心情も全く違うのに、あのなんとも言えない異様な感じと同じ印象を、画面から受けた。
そして守るべき人達に、裏切られる空しさ。
さらにそれでも、その人達を助けなければならない矛盾。
俺はまたも、『ザンボット3』の1シーンを思い出す。
敵の旗艦バンドックは主人公の幼なじみなど大勢の人を捕まえたまま、海深くに逃れる。
その潜行深度は、ザンボット3の限界を超えている。主人公はなす術がなく、まぐれ当たりを期待して、ザンボットで大きな岩を海へ投げ込むしかない。
無力な主人公。このシーンは、明らかにヒーローの否定である。
そして今回取り上げているキャシャーンのシーンは、「助けるべき者」の否定、つまりはヒーローの存在意義の否定である。
2つのシーンは関連があって、だから俺は連想したのだと思う。
サイボーグ009(昔のバージョンね)のOP『誰がために』じゃないけど、本当に、「誰がために戦うのか」という疑問がキャシャーンに、視聴者に突きつけられる。
「ロボット・ハイジャック」にはもうの1つの物語の軸があり、詳細は書かないが、それはキャシャーンとルナの関係である。
人によっては、こちらに引き付けられる人もあるかもしれない。
『キャシャーン』は全体で見るとベストな作品ではないかもしれないが、突出した回が、たまにある。
それが例えば「キャシャーン無用の街」であり、そして今回紹介した「ロボット・ハイジャック」である。
興味を持った人は、見てみてほしい。ビデオレンタル店によっては、全話DVDではなく、ベストセレクションDVDを置いてあるところもあるので、そちらでもエエと思うよ。
ベストセレクション版は確か3巻くらいまであり、無論「ロボット・ハイジャック」も収録されている。
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