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富野監督の自伝的エッセイ『だから僕は…』での、富野監督とヒロイン・チョキの関係をどう読もうか。読書の愉悦 [富野監督関係]





 さて、久々です。
 もう2月に入っているのに、今年初の更新。

 先日、「週刊プレイボーイ」平成18年4月1日号を入手しました。
 掲載されている、富野監督のインタビュー・『富野監督が語る「オンナ心」と「ガンダム」』を読むためです。

 有志の方からいただいた情報で、内容は昔に知っていたのですが。
 ブログを書くにあたり、どうしても原本を読みたかったんですよね。

 このインタビュー記事では、以下のやり取りがあります。


――ズバリ聞きますが、監督が童貞を失ったのは、おいくつの時で、お相手はどなただったんですか?
「27歳で結婚した時ですよ。相手は、もちろん今の奥さんです」


 いやいや、ちょっと待てと。チョキはどうした、と。
 富野監督の自伝的エッセイ『だから僕は…』を読んでいる人=このブログに来てくれている人(決めつけ)は、大方の人がそう思ったはずです。

 だから、チョキの説明は省きますね。
 コケティッシュガール。

 チョキって個人的には、『閃光のハサウェイ』のギギみたいなイメージなんだよね。




 で、この発言。考えられるパターンは3つ。

 1、読者サービス、または何かの精神を発揮して、このインタビューでは嘘をついた。

 2、インタビューは真実、『だから僕は…』にフィクションが混入されている。

 3、このインタビューも『だから僕は…』も真実。


 このうち、まず「1」は除外します。
 何故なら、このブログ記事を書く意味がなくなるから。

 まあ、1番可能性あるの、正直「1」なんだけれど…
 ほら、富野監督の発言を追っている人ほど、その正確性を信じなくなるじゃない?(笑)

 富野監督の発言、信じられないことあるから。それが意図的である・ないに関わらず。
 まーた女性ファンから火が付いた、って言っているよ、みたいな。

 それに自己プロデュースとして、矢沢永吉さん的な「俺は良いけれど矢沢はどうかな?」ってところもあるよね。

 だから素直に考えれば、「1」なんだけれど。
 それだとぼくの執筆意欲が削がれるのでね…このインタビューは真実を語っている! と。決めつけて。


「インタビューは真実、『だから僕は…』にフィクションが混入されている」場合


 さて、パターン「2」の可能性です。

 これは、無くもない。
 なにせ富野監督、『「イデオン」ライナー・ノート』では、井荻麟と本人を共存させ・「ぼくの中学時代のクラスメート」と紹介したり、富野監督・井荻・斧谷3人で会話する混沌を書いているので…

 そういや昔、下のツイートした時、



 ぼくにわざわざ富野監督=井荻って教えてくれた見ず知らずの人が何人かいたな。なんかすまん…


 『だから僕は…』の序文には、「嘘を書くわけにはいかないし、そうなれば、妻が知らないでよい部分にも触れざるを得なくなる」と書かれている。

 これも「フィクション混入文章」の冒頭と読むと、テクニックの1つと読めなくもない。





 まあ、このぼくのツイートは穿ち過ぎとしても、例えばチョキが富野監督の部屋に泊まり込んだりはしていなかったとか、肉体関係を匂わせる描写は「盛った」とか、そこらへんのフィクション混入である。

 ただなあ。
 「富野由悠季の世界」展で、『だから僕は…』に出てくるものが実際に展示されているので、ノンフィクションって考えた方が自然なんだよね。

 チョキのところだけ?

 実は、そう考える1つの記述がある。

 以降、全て角川スニーカー文庫版の『だから僕は…』で、該当箇所を振り返ってみよう。
 「チョキ」の名前が初登場した箇所。

 「多少気があったチョキのことが突然思い出されて、」(124P)とあるのだが、
 わずか15ページ後には「振られたのは僕のほうなのだ。(中略)僕がプロポーズをしたのか?」(138-139P)になって、
 最終的には「焼きぼっくいに火をつけて」(170P)となる。

 「やけぼっくいに火がつく」はかつて夫婦・恋人に使う言葉であり、学生時代に付き合っていたことになる。
 ましてやプロポーズをしたのか? と思い返す女性は、「多少気があった」ではすまない。

 キャラ設定がブレてるぞ! と突っ込んでも、そう大外れではないと思うけれど…(嫌われはしそう)。


 なんか疑って読むと、頻繁に出てくるあのメモが民明書房に思えてくるんだよね(笑)。


「このインタビューも『だから僕は…』も真実」の場合


 さて「嘘だろ」と思われるかもしれないが、パターン「3」を、ぼくは案外捨てきれていない。

 実は今回のブログを書くために、「27歳まで童貞・初体験は亜阿子さん」と信じ切って『だから僕は…』の該当部分を再読したところ、「そう読めなくもない」気がしたから。

 人の思い込みって恐ろしい……

 そんな該当箇所を列挙していこう。

 メモの箇所。143P。


そして、今夜はチョキと一晩のつきあい
二人の間に仕事がちゃんとあって 一晩のつきあい
ノーマルじゃない


 「ノーマルじゃない」は「若い男女が2人同じ部屋なのに仕事をしている=ノーマルじゃない」ってことだから、明らかに肉体関係の否定だと思う。


 続いて146P-147P。ここもメモ部分。


≪ブラジャー外れている。オトミ寝てる間にさわったな!≫
≪知るかい! 濡れ衣かぶせられるんならいじっとくか≫
≪できるもんか! オトミになんか! させないよ≫


 ここはさ…感性で分かれる所かも知れないけれど、「何もない男女(でも気はある)」会話の方が、素直に読めない?
 そもそも、ブラジャーつけたまま寝ているってことは、そういう行為をしていないだろうし。


 次は、肉体関係がないと暗に書いている箇所。


なんでもない彼女、そんな紹介を他人は信じるだろうか?
午前二時の訪問客は、まずお安くない仲と人はみよう(150-151P)


 これは、「本当になんでもない彼女」だが、「人は」「お安くない仲とみる」ということでしょう。


 ちょっとページが飛ぶが、次のような箇所もある。208-209P。


チョキがきて 徹夜して
朝方≪結婚してくれる?≫と、いった部屋
(中略)
おととしの初夏?
キスもできず、ただ手を握って


 キスもしていない女が、プロポーズを迫ってきた…


 さて、冒頭に紹介した件のインタビューを読んで、「そんなバカな」と笑ってしまう一番の要因が、191Pから始まる下記のメモ部分でしょう。


抱いたお前の胸のふくらみ 見た目よりずっとわずかなのに お前の躰の無理を知る


 抱いてる! 見てる!
 今回再読して気づいたんだけれど・明白な肉体関係の描写って、ここだけなんだよね(読み落としあったらすまん)。

 でもね。
 このメモ不思議なのは、次のように続くのよ。


僕はお前に嫌われることを恐れて 強姦することもできず
ただ、ベッドの上でお前の腰をさする マッサージ師…… マッサージ師……
(中略)
いや、僕の弱虫? インポの僕? しかし、僕は不能者じゃあない


 刺激的な言葉があるけれども(Googleアドセンスの規定に引っかかったらどうするんだ。……まあ月30円くらいの売り上げしかないからどうでもいいけれど…)、これは明らかに、「次の段階」に進みたいのに・進めない、不能者じゃないのにできない、って記述でしょう。

 こう続くとなるとさ、「抱いた」って言葉。
 男女の関係を暗喩した(でもないけれど)「抱いた」じゃなくて、普通に・服着た状態でぎゅっと抱きしめた、とかそういうことじゃない?

 以上だけれど、どうでしょう。
 「3、このインタビューも『だから僕は…』も真実」も、案外いけなくない?


 無論、描写に問題は無いとしても、疑問は残ります。

 デカいのは2つで、

 まず(虫プロを辞めた原因は別にあるとしても)「え、肉体関係もない女の後を追いかけて入社するの?」が1つ。

 もう1つは、「婚前交渉無しに、結納とか、婚約の話が出る?」。

 まあ後者に関しては、ぼくもおじさんだけれど・富野監督よりは随分と下の世代なので、「当時はそれが普通だったんだ!」と言われると、ぐうの音も出ないけれど…
 でもお見合いじゃなくて、恋愛だよ?

 また富野監督がチョキの部屋の合鍵を持っているらしい描写もあって、「そのくらいの関係の異性に、鍵渡す?」とも疑問に思う。

 もちろん「ベッドの上で腰をさする」メモだって、そもそも「肉体関係ない男にそこまで許す? その女性って貞操観念固いの? 緩いの?」とも思うし。

 
 今回さあ。
 つくづく実感したのは。読み手の先入観によって、読解内容って変わってくるな、と。

 「男女関係が無い」と思い込んで読むと、ちがう内容を見せたもんね、『だから僕は…』。

 他の男の影がチラつくのに、自分はさせてもらえない…でも気になる…ハサウェイなの? 監督……


 せつなくて、滑稽で、俺の何かに触れる。
 パターン「3」が、俺の一番好みってことなのかな……


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ぼくが選んだ富野作品ベスト100(年代順61~100) [富野監督関係]






3回に分けて更新した「ぼくが選んだ富野作品ベスト100」、最後です。
1~30の記事はこちら
31~60の記事はこちら

富野監督作品で、個人的に好きなTVシリーズの回・映画・OVAを100本選んだ記事です。
順番は基本、年代順です(一部例外あり)。

なお『ラ・セーヌの星』は未見なので除外しています。また『しあわせの王子』も、薦めたところで見る術が無いはずなので、除外しています。

書いてて楽しかった。
手間は手間なので、他人様にはお勧めできない行為だけれど。

ではでは。


61、『機動戦士Zガンダム』第50話「宇宙を駆ける」

『Zガンダム』後半から始まった三つ巴を、最後までスリリングに見せてくれた。
 

62、『機動戦士ZZガンダム』第36話「重力下のプルツー」

『ZZガンダム』は富野監督いわく、「(ガンダムの続編を作るというタガが)外れたならば徹底的に外れさせてみせるということで作ったのが『ZZ』だった」。
しかしタガを外しきれなかったのか、それとも富野ガンダムシリーズの本質はやはり違うところにあったのか、今となっては・シリアス展開になった回ばかりが記憶に残っている。
「重力下のプルツー」は、名セリフ「どんなに不愉快でも、どんなに憎くっても、自分自身を殺すことも、自分自身をやめることもできないのよ!」が出てくる回。


63~65、『機動戦士ZZガンダム』第45話「アクシズの戦闘」、第46話「バイブレーション」、第47話「戦士、再び…」

ジュドーは、アムロやカミーユには無かった生命力を感じさせるキャラクターで、矢尾さんの声もピッタリだった。
今から見ると『ZZ』はネクストガンダムへの助走であり、その挑戦は『∀』で結実した。


66、『機動戦士ガンダム逆襲のシャア』

個人的な視聴経験としては、『劇場版機動警察パトレイバー』と比較せざるを得ない作品。P1の「CGは、CGと分かっても違和感ないところで使う」「(当時としては画期的だった)OSという存在の導入」が画期的で、逆シャアの違和感ありありなCGコロニーのアップや、「訳の分からない素材=サイコフレームがいつの間にかエース機に組み込まれている」設定に、「ガンダムはもう古いんだ」と寂寥感を覚えた記憶がある。「訳の分からないものがロボに組み込まれている」意味では、P1のエホバも同じなのにね(笑)。
それが現在も語られることのある、息の長い作品になるとは。
逆シャアはよく「何回も見ると魅力が出るスルメ作品」的に評されることがあるが、そもそも複数回も視聴しようと思える時点で、非常に優れた作品だと思う。
ウン十年ぶりにスクリーンで見た時は、声優さんの魅力にも感動した(特にクェスの川村さん)。


67、『機動戦士ガンダムF91』

名家の名前(ロナ)を金で手に入れた新興一族が、貴族を名乗り、ノーブル・オブリゲーションを説く。そんな設定を新ガンダムシリーズのバックボーンに沿えるのだから、面白くないわけがない。
それと、この映画でやっと、プラスのイメージの「主人公の母親」が登場した。ぼくが注目するのは、しかし「主人公の父親」は影が薄くステレオタイプ、ということである。後作品だが、単発作品で見ると違和感のある・Vガンダムにおけるハンゲルグ・エヴィンの失踪、この流れで見ると全く不思議はない(子育てに置き換えると、素直に自身を投影した、とさえ見える)。


68、『機動戦士Vガンダム』第7話「ギロチンの音」

「え、宇宙世紀でギロチン?」と強い違和感を覚えた回。『機動戦士Vガンダム』の始まり。


69、『機動戦士Vガンダム』第14話「ジブラルタル攻防」

きれいなお姉さんたちによる「シュラク隊」は最終的に全滅するが、彼女たちの死亡シーンで一番印象深いのは、マスドライバーを支えながら殺されたケイト・ブッシュ。
そもそもあのシーン自体が、自己犠牲によるお涙頂戴シーンのアンチテーゼに見えるし、さらにはマスドライバーを「ガンダム」に置き換えると、ケイトが富野監督自身に思えてくるから。


70、『機動戦士Vガンダム』第32話「ドッゴーラ激進」

自分でも理由がよく分からないのだが、まさに「竜の雲を得る如し」といった、ドッゴーラの登場シーンが強く印象に残っている。富野作品にはふさわしくない、チープさを感じさせるのが逆に印象強いのかもしれない。当時は何回も繰り返し見た記憶がある。
『いつかまた生まれた時のために』が流れる、オリファー宇宙葬のシーンも胸に迫る。


71、『機動戦士Vガンダム』第36話「母よ大地にかえれ」

(おそらく)有名な、「母の首が入ったヘルメット」が登場する回。
この時期の富野監督は、精神的に不調だったと後になって知られることになるが、放映当時は「どういうことなのだろう」と不思議に見ていた。母親の首が入ったヘルメットを差し出す主人公を、どのように解釈しながら見れば良かったのか。
巨大なタイヤ戦艦が首だけキレイに飛ばすのも変な話なのだが、富野監督のインタビューを後年聞いて・勝手に推測するに、是非とも「タイヤ戦艦で」首を飛ばさなければダメだったのだろう。


72、『機動戦士Vガンダム』第49話「天使の輪の上で」

こちらも有名なはずの、ビキニのお姉さん回。
『Vガンダム』はもともと、作品全体に正体不明な不協和音が流れている作品だが、36話『母よ大地にかえれ』とこの回で、それが完全に露出する感がある。
MSを上手に扱い・なんでもこなす13歳の子どもは、自分への偽りなのか、視聴者への弁明なのか、「痛かったら、ごめんなさい」と言いながら、ビームサーベルで生身の人間を焼き殺していく。ちさタローさんによる最後の叫び演技は、カミューラ・ランバンのそれを上回って視聴者の胸に迫るのではないか。


73、『機動戦士Vガンダム』第51話「天使たちの昇天」

放映当時、アニメ誌に掲載されていた視聴者の投稿「上手く言えないが、心の中で石がごろっと動くような感じがした(大意)」が、感想としてはなかなか上手な表現だったと思う。
少し前に、ガンダムチャンネルで久方ぶりに視聴したら、複雑な感情が沸き上がってきて泣いてしまった。憑き物が落ちたカテジナの表情は、素晴らしいキャラクター造形だと思う。


74、『闇夜の時代劇』第2話「正体を見る」

珍しい富野監督の短編だが、「短編ももっと見たいな」と思わせる一編。オチには、物語を支えるアイディアが2つ入っており、思わず唸る展開になっている。


75~77、『バイストン・ウェル物語 ガーゼィの翼』其の一「異世界」、其の二「敵影」、其の三「光る翼」

異世界バイストン・ウェルを舞台にした富野アニメは、『ダンバイン』以外に『ガーゼィの翼』と『リーンの翼』があるが、ぼくは断然『ガーゼィの翼』の方が好み。
富野監督初のOVA作品であり、制作はサンライズではなくアートランドとJ.C.STAFF。
「フェラリオの羽部分は粘着性の物質があり、それを武器に利用する」といった細かいアイディアも楽しいし、「現実世界と異世界両方に肉体があり、情報交換ができたらどう活用するか」といった思考実験には、富野作品の中で一番SFマインドを感じる。
原作小説が長いので、OVA3巻では尻切れトンボになっているのは止む無し。印象深い音楽を担当したのは、『新世紀エヴァンゲリオン』の鷺巣詩郎さん。


78、『ブレンパワード』第7話「拒否反応」

エッガが暴走する回。
何故この回かと言うと、リアルタイム視聴時、「やっと富野作品っぽくなってきた」と感じたから。
つまり、「『ブレンパワード』が新生富野作品の第1弾」という評価は後年定まるものであり、当時のぼくは、この作品の本質を掴みかねたまま視聴していたのだ。
今になれば、むしろこの回は『ブレンパワード』の中では異端ではないだろうか。


79、『ブレンパワード』第9話「ジョナサンの刃」

例のクリスマスのセリフがある回。ジョナサンは決して良い奴ではないと思うのだが、たった1つのセリフで印象は変わるものだ。
そしてあのシーン、流れてくる名曲『Flow』がバッチリ噛み合うんだよねえ。


80、『ブレンパワード』第15話「一点突破」

「お互い女一人の為に命懸けて、馬鹿な事よ」。何この名セリフ!
「ごめん、覚えてない」から「その命の力を、逃げるために使うな!」まで名セリフ目白押しの『ブレンパワード』だが、一番格好良い! と思ったセリフ。


81、『ブレンパワード』第21話「幻視錯綜」

ノヴィス・ノア側とオルファン側が協力して、チャクラトライアングルを展開し、核ミサイルの被害を防ぐ回。
この回を見た時にやっと(本当にやっと)、「富野監督は今までの系譜とは少し違う、新しい何かを生み出そうとしているんだ」と認識した記憶がある。


82、『∀ガンダム』第8話「ローラの牛」

ロランが、自身の出自を大勢の前で明らかにする回。
序盤は「祭」に対する富野監督の考えが強く出ているようで(インタビューをたくさん読んでいるファンの弊害)、それ故見ていてあまりノレなかったが、この回から物語が潤滑し始めた。
∀の魅力の1つは、「A陣営出自の主人公が、ライバルB陣営に与してAと戦う」ではなく、「AとBの融和を目指す」ところにあるだろう。それは、Gレコの「敵と味方に分かれてはいるが、混沌としている」作劇にも繋がっている。
この回で言えば、ご本人もインタビューで言及していたはずだが、声をあてている朴さんのバックボーンを把握していると、ローラがムーンレィスであることを明言するシーンによりいっそうの深みが出てくる。


83、『∀ガンダム』第10話「墓参り」

印象深いラストシーン。
(性別は変わっていないが)『とりかへばや物語』の設定がさっそくドラマを生み出した。視聴者に感動を与えつつ、ディアナというキャラクター構成にも多大に寄与している回。


84、『∀ガンダム』第21話「ディアナ奮戦」

前作の「アニス・パワー」も良いし、『∀ガンダム』、のってきた。
この回は何と言っても「洗濯する∀」が印象的。兵器として生まれたモビルスーツが洗濯に利用されるシーンは、「ガンダムでこんな場面を見られるとは」と感慨があった(非富野ガンダムで「ビームサーベルでお風呂を沸かす」があったが)。


85、『∀ガンダム』第27話「夜中の夜明け」

核の怖さを知らないキャラたちが、核を無邪気に扱う回。
富野監督、戦中生まれとしては作中での核兵器の描き方がアレだなと思っていたのだが(特に『ダンバイン』)、この回で面目躍如した感がある。


86、『∀ガンダム』第30話「胸に抱えて」

ソシエの「ギャバーン! ウェディングドレスを着たあたしは、きれいでしょうー?」が記憶に残る回。∀ガンダム、充実している。


87、『∀ガンダム』第43話「衝撃の黒歴史」

「黒歴史」という概念の提示。
全部を把握している人間は皆無ではないかと思えるほど・枝葉が多岐に分かれたガンダムシリーズを全て内包しようとした高い志と、傑出したアイディア。


88、『∀ガンダム』第50話「黄金の秋」

この最終回については、もはや言うことなし。
ぼくのブログ記事の中で、一番累計アクセスを稼いでいる「今さら野暮なことだが、『∀ガンダム』の、「あの」ラスト6分間をもう1度振り返ってみる。」をお読みいただければ幸いです。「奇跡の6分間」という呼称は、この記事が初出……のはず。


89~90、『劇場版 ∀ガンダムI 地球光』『劇場版 ∀ガンダムII 月光蝶』

「サイマルロードショー」という不思議な上映形式には今でも疑問があるが、富野監督の編集スキルを堪能できる2本。


91、『OVERMANキングゲイナー』第1話「ゲインとゲイナー」

不思議なコスチュームに身を包んだ敵=アデット、行動が可愛らしいアナ姫、「ときめくお名前です」、吹雪の中の戦闘。ワクワクが続く第1話。


92、『OVERMANキングゲイナー』第8話「地獄のエキデン」

文字通り、運動会の競技「エキデン」で、サラとアデットがデッドヒートを展開する回。ただ楽しい。


93、『OVERMANキングゲイナー』第17話「ウソのない世界」

まあ『キングゲイナー』と言えば、ゲイナーが恥ずかしい告白をするこの回でしょう。
本来『キングゲイナー』は、ゲイナーとゲインの決裂や、離脱者の出現などで、エクソダスが失敗する・シリアス展開になるはずだった。「悲惨な話はもういい」との富野監督の意向で、方向変換が図られたのは前回の16話「奮戦、アデット隊」から。
その次回に、このバカバカしくて恥ずかしくて、しかし熱い展開となる告白シーンを持ってくるのだから感嘆してしまう。


94、『機動戦士ΖガンダムIII A New Translation 星の鼓動は愛』

TVシリーズの作画と、新規作画を混ぜて再構成(新訳)した劇場版Zには、当時も今もあまり魅力を感じない。公開当時から、「富野監督は過去作(主にガンダム)に囚われず、早く新作を作ってくれ」と願っていた。
見る価値があるとすれば、ラストのカミーユの違いだろう。TV版で名前の由来通りの最後を迎えたネクストニュータイプたる主人公は、その20年後に、名前の呪縛からやっと解き放たれた。


95、『ガンダム Gのレコンギスタ』第1話「謎のモビルスーツ」

劇場で先行上映を見た時、陳腐な言い方だが期待に胸が膨らんだ。


96、『ガンダム Gのレコンギスタ』第10話「テリトリィ脱出」

絵コンテ・演出は『DEATH NOTE』『進撃の巨人』の荒木哲郎さん。バックライトに浮かび上がるMS群の・ハッタリズム溢れるシーンが良かった。


97、『ガンダム Gのレコンギスタ』第24話「宇宙のカレイドスコープ」

ユグドラシルの美しい凶暴性と、バララのキャラクターがピッタリで、画面映えする。CV中原さんの演技も魅力的。


98、『劇場版Gのレコンギスタ Ⅲ 宇宙からの遺産』

劇場版Gレコ、ツイッター上では「Ⅳ」の評判が一番良かったように思えるが、TVシリーズより「化けた」感がある本作が個人的には一番お気に入り。
MS戦も本作のVSガイトラッシュが一番好きかな(第5部のガイトラッシュ戦も良かった)。


99、『劇場版Gのレコンギスタ IV 激闘に叫ぶ愛』

「その映画を見る時は、当時の世情などを理解するべき」という意見には首肯できないのだが(クラシック映画を見る時に、その国の当時の文化・出来事なんていちいち調べない)、『劇場版Gのレコンギスタ IV 激闘に叫ぶ愛』を見た時は、自分のその信念が間違っていると思った。
TV版ではイマイチ理解できなかったジット団が、現実に起きた事件のせいで、ぼくの中で突然明解度が上がったからである。


100、『劇場版Gのレコンギスタ V 死線を越えて』

新人声優さんを積極的に起用したり、『ブレンパワード』以降は(おそらくは娘さんの影響で)劇団畑の俳優さんをキャスティングしてきた富野監督だが、その集大成が本作という気がする。「当たり前だろう」と思われるかもしれないが、「色んな声質の人がいる」のを一番意識できた富野作品が本作かもしれない(逆シャアでも感じた)。特に福井さんとミシェルさんの声は、全体のアクセントになっていたように思う。

最後に。さて、本作で100本目。
本当は、100番目を「次回作」にしようかと思ったのだが、ちょっと鼻に付きそうだからやめておいた(笑)。

 



ぼくが選んだ洋画・邦画ベスト200 (文春文庫)

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  • 作者: 小林 信彦
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2003/12/05
  • メディア: 文庫

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