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実はもう3年半も前に、正しいことを書いていた(『トリトン』時における富野の選択・手塚と西崎) [富野監督関係]





 えー、こんばんは。

 4月の頭に、次のような記事を書いたんですよ。ちょっと長くなりますが、1部を引用します。




 最近、やたらと富野が登場している朝日新聞。また出ました。

 虫プロを振り返る「ガンダムへの出発点(ラララの時代)」。

 以前、別の富野記事を読むため、無料会員になったのは無駄ではなかった。

 今回、短いですが、貴重な発言があります。以下のこの文章。


手塚原作への復帰が72年の「海のトリトン」だった。原作を大胆に脚色し、少年トリトンとポセイドン一族の息詰まる戦いにした。「虫プロからもう出入り禁止だと言われた」


 
 やっぱりね。そのくらいの風当たりの強さは、当然あったわけだ。

 今回のインタビューでは、「虫プロからもう出入り禁止だと言われた」理由が「原作を大胆に脚色したから」と読み取れるけれど、そうじゃないでしょ。

 手塚を騙す形で(少なくとも手塚は騙されたと思った方法で)手塚作品の版権全てを手に入れた、西崎義展プロデューサーの元で『トリトン』のチーフディレクターをやることを承諾したから、「虫プロからもう出入り禁止だと言われた」んでしょう。間違いなく。

 富野の口から、『トリトン』との絡みで虫プロの話が出るのは珍しく、例え一言でも「おっ」と思ったのでした。




 引用、ここまでです。

 この記事に関して、kaito2198さんと以下のようなやり取りをしました。

無題1.JPG
(kaito2198さん)虫プロに関しては、昔からわりとそれを匂わせるような話をしてなかったっけ。まあいいや。事実として、トリトン以降、富野はもう二度と虫プロの仕事をしたことなかったんで、たぶん本当のことでしょう。

ただ、経緯は仰ったようなこととちょっとだけ違うかもしれません。
①西崎が虫プロを代表して富野に監督をオファー。手塚も了承。
②富野・虫プロ+西崎で企画が進んだ。その過程でオフィスアカデミーに外注することを決定。
③西崎による虫プロの版権事件発生。西崎と虫プロが決裂。
④それでもなお西崎のもとでトリトンを作る富野。
というものだと思います。

つまり承諾はもっと先のことで、虫プロとの仲違いはもうちょっと後のことだったと思います。どのみち、西崎側を選んだ時点で、もう虫プロと絶縁だったんでしょう。まあ72年以降の虫プロはほとんど仕事なかったしな…(西崎事件影響のせいだろうけど)。


無題2.JPG
(ぼく)kaito2198さん、コメントありがとうございます。

そうか、kaito2198さんのおっしゃった時系列で考えた方が、ぼくが前から考えていた矛盾がなくなります。どうしてあんなことをした西崎が、虫プロ周辺の富野をキャスティングしたのか、不思議だったんですよね。

kaito2198さんの教えて下さった時系列なら、真佐美さんが書かれていた富野と手塚が打ち合わせをする機会もあった訳ですね(富野は『だから僕は…』で、手塚との打ち合わせを否定していますが)。

虫プロのスタッフが西崎の下で働くのを拒否したのは、3と4の間ですね。で、富野も虫プロに義理立てするとしたら、この期間が機会だったわけだ。

2と3の間は、ちょっと微妙ですね。
『だから僕は…』には、「以前に虫プロで作ろうとした十分ほどのフィルムはあったのだが、虫プロ内部にいろいろな問題があって、製作をスタッフルームが請け負うことになったのだという」と書かれているんですよ。
この「問題」は明らかに西崎のことですよね。

ダメだ、この話題はコメント欄にはおさまりません(笑)。


>虫プロに関しては、昔からわりとそれを匂わせるような話をしてなかったっけ

ぼくは「そのときの虫プロの事情は知らない」とか「そういう社内事情は知りません」とかばっかりで、ハッキリと西崎・虫プロとの関係を言った文章を読んだ記憶はないんですよね。

でも、ぼくよりkaito2198さんの方が多くの資料読んでいるでしょうから、その差かもしれません。

無題3.JPG
無題4.JPG
(kaito2198さん)この話はとても書く甲斐がありますので、もう一度新しい記事にするのをオススメします。

確かに真佐美氏の話によりますと、手塚先生は富野さんに絶大な信頼を持ち、作品に関して彼に一任したそうです。だから打ち合わせというか、あくまでも企画初期の対面なのではないかと。もともと先例があったから別に不可能ではないと思います。

ただ、その間の二人の間にも西崎や別の虫プロスタッフ(真佐美氏とか)が入ってましたので、あえて富野に一任させるようにしたのも西崎の計算だと捉えるのは考えすぎかな。

「いろいろな問題」という言い方はずるいですよね。もともと虫プロは確かに虫プロで青いトリトンを創りたくて、パイロットフィルムまで創りました(1971年10月)。上の時系列でいうと、①より以前の段階の話ですね。

しかし企画が進んでるうちに、西崎がアニメーション・スタッフ・ルーム(アカデミーは間違いでした。すまん)を設立し、そっちで制作するようにいろいろ手を加わった。時系列でいうと、1.5の時期でした。これに関しては、当時の虫プロに別の企画もあり、それほど体力がなかったことから、虫プロ内部も多少疑問あったものの了承したようです(でも、真佐美氏によると初期の何本かは虫プロ制作と証言)。

そして、72年4月に西崎事件が発生。実はトリトンの放送開始とほぼ同じ時期だったんです。

はっきりいって、西崎事件に関しては、富野の話を無視するのは一番だと思います。いろんな意味で局外者だったんですし、そもそも西崎に関しても未だにいわないことがたくさんありますから。

資料に関しては、私も特にこれといった話を読んだことありません。監督はご存知の通りいつもの曖昧な言い方ですから。



 以上のやり取りです。
 この会話の流れで、「いつかぼくが正しい時系列の記事を書いたらいい」みたいになったのですが。

 でも、「この話題を正しく書こうとすると、けっこう煩雑で時間かかるんだよな」と思ったんですよね。


 で、最近。

 ん? 「煩雑で時間かかる」と知っているってことは、ぼく。
 もうこの記事を書いているんじゃね? と思い当たったんですよね。

 それで調べてみたら。

 ありました。2009年1月に、書いてた。しかも、おそらく正しい時系列で。


 以下、その記事を再掲します(1部訂正)。






 記事を始める前にまず、参考になるブログを紹介しておきます。
 手塚ファン、アニメ版トリトンファンは必読の、資料的価値が高いブログです。

 http://blog.goo.ne.jp/mcsammy/e/74eae7ddff12129853ef34561a80c477
 http://blog.goo.ne.jp/mcsammy/e/adeec845f339cd2dd51e0b7b6e1946e0

 なお、上記のブログを書かれている真佐美さんはこんな経歴の方です。
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090112-00000559-san-ent

 以下の文章は、真佐美さんのサイトを読んでいるという前提で進んでいきます。
 まあ面倒くさがり屋さんにも、読めるようには書くつもりですが。

 
 さて、大型書店に行くと手塚治虫全集がずらりと並んでいますが、『海のトリトン』の後書きには、アニメ版は私に関係ありません、という主旨の手塚の後書きがあります。

 ササキバラ・ゴウさんが大塚英志さんとの共著『教養としての<まんが・アニメ>』の中でこの1文に触れていて、

 たぶん、当時手塚のもとには「海のトリトン」に関して多くのファンレターが寄せられていたのだろう。しかもその多くは、手塚のまんがではなく、アニメの内容に対するものだったに違いない。
(中略)
 たぶん、見当違いの褒め言葉をたくさん受けたであろう手塚のとまどいが、このコメントには感じられる。

 と書いてあります。
 しかし真佐美さんのブログを読んだ後だと、あのコメントが「とまどい」ではなく、怨念と怒りがこもった短文なのだ、と読めてきます。

 
 話を戻しましょう。『海のトリトン』で、富野ファンとして最も着目すべき点は、「手塚原作を大幅に改変したこと」それ自体にある、というお話です。

 ここからはなるべく、どの資料・記述も疑いながら、なおかつ「ここは信じられるだろう」という箇所を探しつつ、論を進めていきます。

 アニメの初期段階では、企画に手塚が参加していたことは、ほぼ確実です。前述した手塚の後書きと真佐美さんのブログ、それに後に引用している富野の記事もあります。
 そして富野が元虫プロ社員だったことを考えれば、手塚の意思に沿う形で富野が作業を進めていた、という真佐美さんの記事も素直に読めます。 

 さて、途中まで作業を進めていたが、真佐美さんによれば、西崎氏が手塚漫画の権利を全て奪ってしまい、虫プロではアニメをつくることが出来なくなってしまった。

 この真佐美さんの記述は、どこまで信じて良いものか? この時期に関する富野の証言は、あの饒舌な富野にしては、非常に淡白です。
 富野ファン必携の2冊から、その部分の記述を抜いてみましょう。

 『だから僕は…』
 以前に虫プロで作ろうとした十分ほどのフィルムはあったのだが、虫プロ内部にいろいろな問題があって、製作をスタッフルームが請け負うことになったのだという。そのときの虫プロの事情は知らない。
 (中略)
 「テレビ版でやるときは、オリジナルをおこすしかない」
 これは鈴木さんの主張であり、やや遅れて制作に参加した西崎義展プロデューサーの意見でもあった。
 さらに、製作条件として虫プロ関係のアニメーターはつかってはならないという暗黙の約束ごとがあったりして、手塚先生と相談する機会さえあたえられなかった。もしあたえられたとしたら、あのような形でのTV版の『海のトリトン』はなかっただろう。


 『富野由悠季全仕事』
 ―― ところでこの当時(筆者註・71年)、西崎義展さんは虫プロにいらっしゃったのですか。
 富野 そういう社内事情は知りません。
 (中略)
 富野 初めは手塚先生が手塚プロで作るつもりでいて、虫プロに下請けを出すという話もありましたがそれもなくなった。そして虫プロ商事が虫プロと分派したのか、自活していかなくてはいけないということで『海のトリトン』の企画を引き受けたんだけど、結局虫プロ商事も潰れて、スタッフルームだけが残った。で、最終的にプロデュース権というかマルC権を西崎さんが買って、手塚先生から『トリトン』をひっぺがした。 

 『全仕事』の方は、真佐美さんの記述に近いですね。
 ただこの言いようだと、西崎氏が『トリトン』の権利だけを買ったとも誤解されますが。

 富野は当然、自分の漫画の権利を失ってしまった手塚の心中がいかほどのものか、想像できたのではないでしょうか?
  
 真佐美さんのブログによると、西崎氏のやり方に反発して、トリトンの仕事をおりたスタッフもいたようです。しかし富野はチーフディレクターを降りず、そして物語のラストを大幅に改変しました。

 富野ファンのぼくが着目するのは、まさに「富野はチーフディレクターを降りず、そして物語のラストを大幅に改変した」点です。
 ぼくは何も、「手塚を裏切る形になってまで、作品をベストの形にしようとした」などと美談として語るつもりも、また逆に悪く書くつもりもありません。

 もっと生活に密着した問題として、着目したのです。

 つまりこの時期すでに、富野はフリーのコンテマンだったのです。そして今のようなサンライズとの関係が構築されていたわけではありません。

 フリーにとって安定した仕事先の確保は、もっとも重要なことです。
 単純に言ってしまえばフリーの富野には、手塚をとるか、西崎をとるか、という二択がここで提示されました。

 富野は『トリトン』の前年に、手塚プロの『ふしぎなメルモ』の仕事も請けています。
 だから今後も、手塚プロから仕事が来る可能性だって、当然あります。

 しかし西崎氏と手塚の関係を考えれば、トリトンの仕事を続けていれば、手塚プロ・虫プロから仕事が来るとは考えづらいでしょう。

 はたして富野はトリトンの仕事を続け、ラストを(おそらく手塚の意向には合わない)形に変えました。
 西崎氏と共にトリトンの仕事を続けることを覚悟した時点で、富野の中で手塚との(ビジネス上の)関係が切れたことは、まず間違いないと思います。

 クリエイターには転機となる作品があって、富野にとってはやはり、アニメ演出を手がけるきっかけを与えてくれた手塚との縁を切る意気込みで挑んだ『海のトリトン』が最初のターニング・ポイントとなる作品だったのです。

 
 蛇足。
 まだ無名だった唐沢俊一さんがきっかけとなった、アニメ誌上での「ガンダム論争」で、手塚は富野擁護の発言をしたそうですから(文体が伝聞なのは、ぼくは実際にこの論争を読んでいないからです)、手塚は「名前を出すのも嫌」ほどにはトリトン後も富野を嫌っていなかったのでしょうね。  



 以上です。なんだぼく、やっぱり正しい時系列で書いているじゃん。

 書いた本人が、きれいサッパリ忘れているとは。

 でも今読み返してみると、ちょっとぼくの考えが変わっている箇所もあります。

 富野は1スタッフではなくCDなのだから、いくら手塚に恩義を感じていても、途中で降りることはなかなかできないよな。
 それこそ、途中で放棄したら、他のスタジオからの仕事だって回ってこないかもしれないし。


 もしそれでも富野が手塚に義理立てして、『トリトン』のCDを降りていたら、今の富野はなかったかもしれないね。

 本当にターニング・ポイントだったわけです。




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kaito2198

コメントさせていただきます。いいえ、コメントせざるを得ません。

まず、こちらの意見を高く買っていただいて、取り上げていただいてありがとうございます。前のやりとりではすでにいろいろ語り合いましたので、ことさら補足する必要はもうありません。坂井さんがまとめてくれた経緯を読めば分かると思います。
ただ一点だけツッコミますと、やはりちょっと読みにくいですよ!っていうことです(笑)。

しかし、正直いいますと近いうちに西崎と富野の話を書きたいので、記事のタイトルを読んだとき、ビックリしましたよ(笑)。
坂井さんが仰った意気は、まったく賛同です。が、こちらにはちょっと別方向からの解釈があります。坂井さんが言及した内容よりやや後の話になりますが、そのときはもしご意見をいただけたら幸いと思っております。
by kaito2198 (2013-07-10 00:55) 

坂井哲也

kaito2198さん、コメントありがとうございます。

やっぱり読みにくいですか?(笑)

ホラ、アニメも総集編は出来が悪いと、相場が決まっていますし…やっぱり過去記事・コメントを繋ぎ合わせて新しい記事1本作るのは難しいですね。
富野マジックはやっぱりすごい!

記事、楽しみにしています。
by 坂井哲也 (2013-07-11 01:37) 

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