さらうアニメ史 1 日本でのアニメの誕生~1970年 [アニメ周辺・時事]
さて今回から3回は、日本アニメ史をおさらいしてみよう、という記事です。
自分の好きな文化の歴史を知ることは読者の皆さんにも益があるだろうし、ましてやこんなアニメブログを書いているぼく自身にとっては、最低限のエチケットでもあるでしょう。
正直な話、今まで当ブログで書いてきた500本近い記事の中で、一番執筆に時間がかかり、そしておそらく訪れていただいた皆様にとっては一番有益な記事になるのではないかと思います。
これを読めば表層的なことは大体OK、これ以上深く知りたければ専門の書籍なりをご購入下さい、といった塩梅です。
日本アニメ史を振り返ると言っても、ダラダラと歴史を書いたところで・読んで下さる方は退屈だろうし、何よりぼく自身がツマらないので、作品を紹介していく形式にしました。
小林信彦さんの『ぼくが選んだ洋画・邦画ベスト200』が、優れたハリウッド史・邦画史本になっていることから得た発想です。
では以下の点に留意して、ごゆるりとお楽しみ下さい。
1、ここに紹介しているアニメは、「日本アニメ史上で重要な意味を持つ作品」であり、イコール「面白い作品」でもなければ、「ぼくが好きな作品」でもありません。面白い、ツマらないは関係ないリストアップなので、そこのところ誤解なきよう。
2、当たり前のことですが、ぼくは今まで未見の作品を紹介したり批評(偉そう)したことはありません。でも今回だけは、未見の作品も多数取り上げています。
今から白黒アニメを全話見ろ、そして選択しろというのは酷です。ここら辺に、TVアニメが「教養」になり得ない最大の原因が潜んでいると思っていますが、それはまた別の話。
3、記事の確度を上げるため、wikipediaは参考にしていません。
4、敬称は略しています。エラソーですいません。
5、映画より、TVアニメに比重を置きました。1つは、ぼく自身の知識の問題。もう1つは、アニメ映画の歴史を振り返ったり、ベスト〇を紹介する書籍は近年も出ているからです。
6、今回の記事を書くにあたり、底本にした書籍が1冊あります。また大変参考になったPDF資料が2種類、データベースが1サイトあります。それらは記事を全てアップし終えた後、別記事を設けて明示します。
これ以外の参考サイトは、その都度リンクによって明示するようにしています。
なお記事タイトルの「さらう」は、三味線や琴の稽古なんかで使う、「その節をもう1回さらってごらん」の「さらう」です。
では、仕上げをごろうじろ。
1917年
1、『芋川椋三玄関番之巻』
演出作画は下川凹天(へこてん)。
東京・浅草キネマ倶楽部で公開された日本初の国産アニメーション。参照。
2、『猿と蟹(サルとカニの合戦)』
北山清太郎企画・演出作画。日本で2番目のアニメーション。
3、『塙凹内名刀之巻』別題(『なまくら刀』)
幸内純一作画・演出。日本で3番目のアニメーション。2007年に大阪でフィルムが発見され、国立フィルムセンターでデジタル復元、2008年に一般公開された。
この年が、日本の「アニメ」が誕生した年。現在は2013年だから、つまり4年後には、日本のアニメは100歳を迎えることになる。
驚くべきは、同年にアニメを発表した上記の3人は、互いに作っている事を全く知らずに、数ヵ月の差で作品を公表したということ。
1928年
アメリカで『蒸気船ウィリー』制作。「音と映像が合っている」ことが評判になり、ディズニーが時代のトップに立った。
1932年
アメリカではカラーの時代到来。ディズニーがシリー・ シンフォニーシリーズのカラー映画『花と木』制作。
1933年
4、『力と女の世の中』
松竹による日本初の本格的なトーキーアニメ映画。全面的にセルを使用した最初のアニメ作品。監督は「日本のアニメーションの父」政岡憲三。参照。
1943年
5、『くもとちゅうりっぷ』
政岡憲三の代表作。戦中の制作にも関わらず、それを感じさせない詩情あふれる作品。そのせいかは不明だが、傑出の出来にも関わらず文部省推薦を得られなかった。
6、『桃太郎の海鷲』
戦時中に公開された、日本初の国産長編アニメ。政府の命による国策アニメだった。参照。
1945年
7、『桃太郎海の神兵』
政岡憲三に師事した、瀬尾光世の制作。海軍省の依頼を受けて作られた作品だった。参照。
手塚治虫が「日本の漫画映画もここまできたかと思って、涙をポロポロ流した」と述懐している。
1947年
8、『すて猫トラちゃん』
政岡憲三と山本善次郎が創設した日本動画社(ニチドウ)の第一作。参照。
上映時間は24分だが、戦後間もない時代にフルアニメでオペレッタ形式のアニメを作った。
この頃の映画(実写)では、エノケンとロッパの『新馬鹿時代』(1947年)やエンタツ・アチャコの『タヌキ紳士登場』(1948年)に、1部アニメーションが見られる。
もっともハリウッドでは、プレストン・スタージェスが『レディ・イヴ』(1941年)のオープニングですでにアニメを使って見せている。
何よりも1937年(!)には、ディズニー初、そして世界初のカラー長編アニメーション映画『白雪姫』が公開されている。日本での公開は1950年だが、戦時中に見た徳川夢声は文化的な差を感じ、日本の戦争敗北を確信したそうだ。
1950年前後
「アニメーション」という言葉が業界で浸透?
1956年
7月に、東映の大川博社長が「東洋のディズニー」を目指して東映動画設立。
黄色人種が出る実写の邦画は欧米では売りにくいので、アニメを作って世界にソフトを売ろうとする側面もあった。
この年までの東映動画の流れは、以下の通り。
1947年株式会社日本動画社設立→翌年に日本動画株式会社と改称→1952年に東宝図解映画と合併して日動映画株式会社発足→1956年東映株式会社が同社を買収、東映動画株式会社誕生(1998年に東映アニメーション株式会社に改称)。
1958年
この年、「最初のTVアニメ」だと思われる『もぐらのアバンチュール』が制作された。カラーTV用のテスト作品(放送もされている)で、2013年にフィルムが発見された。
9、『白蛇伝』
日本初のカラー長編アニメ映画。東映動画による有名な映画だが、大きな力になったのは前記したニチドウだった(経営難から東映傘下になっていた)
日本初(実は2作目)の連続TVアニメ『鉄腕アトム』が生まれるまで、まだ15年ほどある。
しかしアニメは、その前にTVに進出している。それが単発アニメ『もぐらのアバンチュール』『新しい動画 3つのはなし』であり、そしてCMで使われたアニメである。
森永ミルクキャラメルのCM(おとぎプロ制作)は1954年、カステラで有名な文明堂のCM「南蛮渡来のカステラ」は1950年代(後半?)、「トリスを飲んでハワイに行こう」のキャッチコピーで有名なサントリーのCMは1961年の放送。 (全てリンク先で見られます)
1960年
個人アニメーション作家による「アニメーション三人の会」スタート。
久里洋二、サントリーでコマーシャルを作っていた柳原良平、イラストレーターの真鍋博が青山の草月ホールで始めた作品発表会。第6回まで続き、手塚も積極的に参加していた。
国産初の「30分」TVアニメ『新しい動画 3つのはなし』が、この年に作られている。参考。日本のTVでクロマキー(合成技術)を初めて使った番組ともされている。なお、リンク先では「国産初のTVアニメ番組」と書かれているが、これは間違い。
1961年
10、『インスタントヒストリー』
日本初のテレビアニメシリーズ。その日に起きた歴史的出来事をアニメにした1分間の番組。フジテレビで毎日放映されていた。参照。
制作したのは、『フクちゃん』で著名な漫画家横山隆一が創設した「おとぎプロ」。同プロは、ラーメン大好き小池さんのモデルとしても有名な鈴木伸一や、山本暎一を輩出している。
1962年
株式会社竜の子プロダクション設立。
挿し絵画家・漫画家の吉田竜夫が、弟の健二、豊治(九里一平)と共に仕事場として設立したのが起源。
翌年末、東映動画からの仕事依頼を機に、アニメ制作に関わり始める。1964年夏からアニメ制作会社として本格的にスタートした。
虫プロダクション設立。前年に開設した手塚治虫プロダクション動画部(手塚の自宅内に開いた)が起源。1962年1月に改称、4月スタジオ社屋完成、12月株式会社化。
1973年倒産、1977年に虫プロダクション株式会社として再生。
現在の目から見ると、虫プロの設立、そして『鉄腕アトム』の誕生は、日本アニメに個性をもたらすことになるリミテッドアニメの将来における隆盛を意味する。
ただし手塚自身はディズニーファンなのだから、本来はフルアニメーション主義者であったことを留意する必要があるだろう。
もっとも宮崎駿によると、手塚は「フルアニメーションの意味を知らない」となるのだが…
11、『ある街角の物語』
手塚治虫プロダクション動画部(虫プロの前身)による第1作。最初から一般上映の予定がない作品。手塚はこれ以前にも、東映動画の第3作『西遊記』の手伝いでアニメに関わっている。
1963年
12、『鉄腕アトム』
元旦に放送開始。ここから物語性のある、日本のTVアニメシリーズが始まった。制作費は赤字でも、視聴率は30~40%、スポンサードした明治のお菓子が売れまくった。
作画枚数が少なくても表現力を増すために、スタッフは小刻みなカッティングやアップショットを多用し、また全面透過光やハーモニーなど様々な技法に挑戦した。
『アトム』の商業的成功をきっかけに、発表本数が限られる映画しか制作せず、人的に「上がつかえていた」東映動画をはじめ、様々な会社がTVアニメ制作に乗り出す。
13、『エイトマン』
原作者の平井和正をはじめ、豊田有恒、辻真先など豪華な顔ぶれが脚本を担当。
SF作家達の良質な脚本が、創世記の日本TVアニメを支えた。半村良がタイトルだけを書いて逃げた、という面白い伝説もある。一方、敵組織の背景などを描けない実写畑の脚本家はおろされた。
ちなみにこの年には、エイケンが小島功作品をアニメ化した『仙人部落』も放映されている。当初の放映時間は午後11時40分から。つまり『アトム』と同じ年、すでに深夜アニメーションがあったということ。当然、日本初の深夜アニメ、そして初の大人向けアニメ。
また、TVアニメを再編集した劇場版が早くも登場している(『狼少年ケン』)。
1964年
東京ムービー設立。TBSが新作アニメを作ろうとしたが、制作能力のある会社が別の仕事で埋まっていたため、『ひょっこりひょうたん島』を作った人形劇団「ひとみ座」に働きかけて急遽立ち上げた。
「人形劇を作ったんだからアニメもイケるだろう」ということであり、この考えは、現在では理解の範疇外。
その後吸収合併され、2000年からは㈱トムス・エンタテインメント(『アンパンマン』『名探偵コナン』)。
1965年
Aプロダクション設立(シンエイ動画株式会社の公式HP表記では「エイプロダクション」)。東京ムービーの専属協力会社として作られた。最初の『ルパン三世』『ど根性ガエル』など。
1976年に有限会社エイプロダクションをシンエイ動画株式会社に改組。
14、『ジャングル大帝』
日本初のカラーTVアニメ。虫プロ内の主力スタッフがこの作品に回された。
15、『オバケのQ太郎』
『鉄腕アトム』の影響で、TVアニメはしばらくSF作品が続いた。
各社とも第1作目はSFである。TCJ(エイケン)が『鉄人28号』、東京ムービーが手塚原作の『ビッグX』、タツノコが『宇宙エース』。劇場映画を作っていた東映動画だけは『狼少年ケン』だったが、3作目でSF『宇宙パトロール・ホッパ』(1965年)を作った。
そんなSF一辺倒の風潮に変化をもたらしたのが、東京ムービー制作の本作。演出のリーダーシップをとっていたのは長浜忠夫。
この年には、日本初の1時間スペシャルアニメ『新宝島』も放送されている。
1966年
16、『サイボーグ009』(劇場版第1作)
人件費削減のために、トレースに初めてゼロックスが取り入れられた。ゼロックスは鉛筆で描いた線をそのままセル画にコピーでき、それまでは不可能だった緻密な描き込みが可能になった。ゼロックスの威力はその後、『空飛ぶゆうれい船』で発揮されることになる。
1968年に東映動画がTVシリーズの『サイボーグ009』を作ったのは、放映枠が空いて急遽何かを制作する必要が生じた時に、同社のスタッフが009のキャラクターに馴染んでいたからである。
17、『魔法使いサリー』
少女漫画でデビューした横山光輝原作。完全な「少女向けアニメ」ではなかったが、この作品と、続く『ひみつのアッコちゃん』の成功により、魔女っ子ものが継続的に作られることになる。その血脈は制作会社もテイストも変わりながら、『魔法少女まどか☆マギカ』(2011年)まで続いている。
1967年
アートフレッシュ設立。杉井ギサブローが、出崎統などと虫プロから独立して作った。労働環境が苛酷な虫プロでは、後進を育てることが出来ないとの判断からだった。参照。 しかし『鉄腕アトム』『悟空の大冒険』を手掛けるなど、円満な独立である。
この年は、現在まで続く海外との共同制作が始まった年でもある。
1968年
18、『太陽の王子ホルスの大冒険』
東映動画。「より良いアニメを作りたい」という組合の要求が通った結果、制作された映画。大塚康生、高畑勲、宮崎駿などが参加した。
作品への評価は高かったが、興行成績は振るわず、予算とスケジュールの大幅超過もあって会社と組合の有名な労働争議に発展していく。
19、『巨人の星』
劇画初のアニメ化。製作は東京ムービー、実制作の中核はAプロダクション。それまでSFがリードしていた日本アニメに、「スポ魂」が登場する。
60年代後半~70年代中盤はスポ魂、80年代はラブコメ。この時代、漫画とアニメのブームはリンクしている。
手塚が梶原一騎原作の漫画を手に、「何が面白いのか教えて下さい」と泣きながらアシスタントに詰問したという都市伝説があるが、アニメの潮流も『アトム』放映から10年もたたずに変わりつつあった。
その証左の1つとして、虫プロはこの年、非手塚作品のアニメ化に乗り出した。
1969年
株式会社エイケン設立。 前身は1952年に梁瀬次郎が創立した日本テレビジョン株式会社(TCJ)。翌年にCMアニメ制作を開始、1963年映画部を設置して『仙人部落』『鉄人28 号』などを作る。
1969年には映画部が株式会社TCJ動画センターとして独立、1973年に現社名。1969年から、現在まで続く『サザエさん』に関わり続けている。
20、『ひみつのアッコちゃん』
21、『アタックNo.1』
この年、日本アニメ史上に少女漫画路線の作品が生まれる(『魔法使いサリー』は幼年全般向きだろう)。『アタックNo.1』はスポ魂ブームを少女にまで広げようとした作品。
22、『サザエさん』
10月5日放送開始。現役(2013年現在)最年長のアニメが産声をあげる。特別なことが何もない、日常を描いた本作のスタイルは、当時としては「特別」だった。
1970年
23、『あしたのジョー』
スポ魂ブーム、そして梶原一騎原作ものの頂点に位置する作品。出﨑統、杉野昭夫、荒木伸吾の登場。
なお前年の『ムーミン』、そして『昆虫物語 みなしごハッチ』と、「名作物」ジャンルの萌芽が見られるのもこの頃。
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知識が断片的にしかないので、体系だった説明は大変ありがたいです。応援しております。
by グリーン (2013-04-28 22:42)
グリーンさん、コメントありがとうございます。
ぼくにしては珍しく書くの大変な記事なので、励みになります。
by 坂井哲也 (2013-04-29 00:32)
アニメ史は知ってるようで知らない人が多いでしょうね。
僕も大して知りませんでした。
判り易くていいと思います。
大塚康生氏の『作画汗まみれ』ではこの時代のコトが書かれていて面白く読んだことがあります。
by 都市色 (2013-05-10 13:08)
都市色さん、nice とコメントありがとうございます。
ぼくも戦前のことはほとんど知りませんでした。さも前から知っていたような振りして書いています(笑)。
恥ずかしながら『作画汗まみれ』、勿論タイトルは知っているんですが、未読なんですよね…
by 坂井哲也 (2013-05-10 18:01)
お久しぶりです。朝日新聞ニュースにこういうのがありました。→http://t.co/iuVOYMB7Wr 最古のTV向けアニメ確認とのこと。
by k_wota (2013-06-17 19:10)
あ、k_wotaさん、コメントありがとうございます! お礼を言おうにもツイアカないし、どうしたものかと思っておりました。
ツイッターで当記事を紹介いただきありがとうございました。ツイッターの拡散力を久々に実感しました。
この朝日新聞記事に名前が出てくる原口さんが書かれたアニメ作品リストも参考にしていたのに、『もぐらのアバンチュール』に触れられているのがサイトの1番下にあるサブコラムだったので、見逃していました。
情報ありがとうございました。こっそり書き加えておきました(笑)。
by 坂井哲也 (2013-06-17 22:24)
いえいえ、良コンテンツを紹介しただけですよ。
by k_wota (2013-06-18 20:13)