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2023年6月21日徹子の部屋「小津映画を彩るスターたち」より抄出 [映画感想・実況]





個人的な備忘録。


有馬稲子さん
小津の撮影現場はシーンとしている。禅の道場だと言っていた。
シーンとしているからこっちはあがっちゃう。

終るとご飯に連れて行ってくれた。

『彼岸花』で山本富士子が着ている着物は浦野(理一)さんのもの。
私はグレーのセーターとチャコールグレーの服しかなかった。どうしてお富士さんだけとブーブー言っていたが、映画見たらコントラストが出ていて私のグレーがちょうど良かった。どちらも映えた。

小津自身もグレーの背広ばかりだった。小津の自宅に行くと、グレーの背広が並んでいた。

『東京暮色』の時は小津の怖さを分かっていなかった。

『彼岸花』では怖さを聞いていたので緊張して、「行くの」というセリフを何回も言わされた。


山本富士子さん

五社協定がある時代だったが、小津映画に出たいと長年会社にお願いしていた。『彼岸花』でかなった。

それまでは深夜までの撮影当たり前だったが、『彼岸花』では5時になると小津が笑顔で「これからミルク(酒)の時間だよ」と言う。
山本さんは最初、本当にミルクかと思っていた。

ファーストシーンの浦野さん作の着物を貰った(スタジオに持参)。

秋になると小津宅から山本さん宅に、自宅の庭に咲く彼岸花が贈られてくる。小津の義妹から、現在は亡くなってその娘さんが引き継いで送ってくれている。
嬉しくて花瓶に生けて写真に撮っている。

『彼岸花』撮影終了後にお別れ会をした。原作の里見弴の鎌倉の自宅。酔った小津は白いシーツをまとって、歌をうたった。楽しくて感激した。山本さんはお酒が呑めないので、オレンジジュースを飲んでいた。本当は呑めた。


岩下志麻さん

初めての小津映画は『秋日和』、19歳。

最低50回はテストがあった。失恋シーンで、頭を下げ上げするシーンで、スピードのリズムが小津監督のイメージと違って、50回はやった(『秋刀魚の味』)。どこが悪いともおっしゃらない。家帰って落ち込んだ。

後日、「志麻ちゃん、哀しい時に人間は哀しい顔をするものじゃない。人間の喜怒哀楽はそんな単純なものじゃない」と教えられた。


笠智衆さん

寺の跡取りになるのが嫌だった。逃げたいと思っていた時、新聞広告で松竹の研究生募集を見た。みんなが推した。

役が無い時期は10年くらい。しかし楽しかった。

最初に役をつけたのが小津。『落第はしたけれど』の学生役。

『一人息子』で初の老け役。29歳くらい。
小津がうどん粉を顔に塗って、「まあしょうがないからこのくらいでいこうか」と言われてやった。それが評判良くて、老け(役)ばっかり。





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