アニメ『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』感想・レビュー~彼女の体から、蟻を取るか? トンボを取るか?(ネタバレあり) [映画感想・実況]
先日、アニメ版の『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』を見ました。
敬称略で、
原作が岩井俊二の名作映画、
総監督・監督・キャラデザが新房昭之・武内宣之・渡辺明夫の組み合わせ、
脚本が大根仁、
音楽が神前暁、
企画とプロデュースが川村元気と、
もうどう考えてもハズす作品を作るわけがないような陣容。
『君の名は。』の後のドジョウを総ざらいする気が満々のような。
まあ実際は、こちらのインタビューを読むと、『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』の方が『君の名は。』より企画が先行していたそうですが。
さてぼくは日頃から、「原作と映像作品は、別作品なのだから分けて評価するべき」と思っています。
ネットに溢れている、「原作のあそこと違うからダメ」「けっこう漫画の雰囲気を再現している」のような感想は、あまり意味を持たないと考えています。
にも関わらず。
直前に予習として岩井俊二版『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』を見たせいか、ついでに他の岩井作品も数作見たせいか、アニメ版を鑑賞中にもついつい色々なところを比較してしまいました。
ふだん否定している考えを自分もやってしまう、こういうのがダブルスタンダードなんですかね?
ま、自分の感情には素直に従って、感想を書き連ねていきたいと思います。
そもそも原作の魅力は、「からかい上手のなずなさん」と言うべきか、思春期を迎え始めた小学生高学年の男の子が、同級生だけれど大人びた女の子と接触することで、ちょっとだけ大人になる物語です。
少し酸っぱくて苦くて甘い物語を、美しい映像が支えた映画です。
実写版では、主役の山崎裕太さんは当時12歳でしたが、同級生である・なずな役の奥菜恵さんの実年齢は2歳年上でした。
なずなのオトナ感・年上感、小悪魔的な魅力が、非常に重要だったわけです。
岩井監督作品のヒロインは、どれも美しく映されています(ぼくが見た中では、唯一の例外がアニメの『花とアリス殺人事件』だったわけですが…)。
縛られる山口智子さんも、雨の中の松たか子さんも、堕天使ようなCHARAさんも、美しく見とれるばかりです。
そして『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』の奥菜恵さんも同様です。
この物語のキモの1つは、なずなの魅力です。
実写でもアニメでも、なずなは・一緒に花火を見に行く相手は典道と祐介、どちらでも良いのです。
それなのに実写では、典道と行くパターンでは「(水泳勝負)典道くんが勝つと思っていた」と典道に平然と言ってのけます。
これは勿論・嘘と解釈した方が自然で、典道も調子良いこと言ってと思っていても嬉しくなってしまうのです。
ここになずなの(小学生男子には)「手に負えなさ」が出ているわけですが、アニメ版のなずなは後半、典道に明らかに好意を寄せています。
あれではコケティッシュな魅力が半減してしまいます。
アニメが好きなぼくでも、ことこの映画に関しては二次元より奥菜さんの方が良いな、と思ってしまいます。
ちなみにアニメ版でのキャラクター達は中学生設定になっていますが、そこは違和感ありませんでした。
劇場でアニメ『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』の世界から、完全に一歩引いてしまう瞬間がありました。
それは典道が、プールサイドで寝ているなずなから虫を取るシーンです。
アニメでは、その虫がトンボでした。
実写版では蟻(アリ)でした。
蟻が首筋から胸元あたりを這っていたのです。
そのままでは水着の中に入るし、蟻を捕まえる=なずなの肌に触れるだし、そこにエロティシズムや、「取ってよ」と平然と言うなずなに・一足先に「女の子」から「少女」に向かっている魅力が生まれるわけです。
アニメではトンボで、しかも場所は顎の付近でした。
素人のぼくが分かることを、百戦錬磨のプロであるスタッフが気づかないはずがありません。
むしろ分かっているからこそ、スタッフは丹念にエロティシズムの要素を廃除したと見るべきです。
排除したと見るべきなのですが、その意図がぼくには分かりません。
おそらくここで、実写版とは明白に違う・アニメ版のなずなが動き始めるわけです。
しかしトンボなあ…トンボには前にしか進まない性質があるそうだけれど、「繰り返す物語」に敢えて選んだとかじゃないよなあ…?
実写版では「何故世界が繰り返したか」の描写がなく、極端な話「典道の空想かもしれない」という解釈も可能な訳です。
45分間しかない実写では、そこがあやふやでも乗り越えられたのですが、倍の尺があるアニメでは・しかも世界を繰り返す展開では、「世界を繰り返せる要因」をスルー出来ません。
そのためにアニメ版に用意されたのが、不思議な玉です。
中に「if」の文字が見えるけれど、原作の映画がもともとフジTVのオムニバスドラマ『If もしも』の一篇として作られていると知っていると、ちょっとニヤニヤしていまいますが。
まあこの玉がどのようなものか一切説明がないので、あれで納得できるかは別問題ですが…
しかし2人がいくつもの「違和感のある世界」を巡るのを見ているうち、ぼくには原作の実写版も「1つの可能性」として吸収されていく感覚がありました。
全ての作品世界を包括する…た、∀ガンダム……!
バスではなく列車、灯台で叫ぶ「憧れの女の子」にアニメキャラが出ない(今ならプリキュアだったかなあ)、最後も同じセリフながらプールではなく海…
実写版とは似ていながらも非なる世界、そしてアニメの中でも違う世界を何回も巡りつつ、2人は旅を続けます。
実写版が「SF要素も少しあるグローイング・アップもの」だったのに対し、アニメ版は終盤になるにつれ「グローイング・アップの要素を含んだパラレル・ワールドもの」としての本質が明らかになります。
だからこそ、最終シーンへと繋がっていきます。
ここでも「恋愛もの」としてこのアニメを見ていると、最後は全くの「?」となるかもしれません。
実写版での、なずなとのラストシーンの意味は明白です。
なずなは典道に「2学期が楽しみだね」と言いますが、違う学校に通い始める2人にとって無論これがお別れとなります。
コケティッシュなずなちゃんは、承知で「2学期が楽しみだね」と言い、プールの向こうに消えていくわけです。
一方アニメのなずなちゃんは、「次の世界が楽しみだね」と言います(だったよね?)。
そして最後の教室シーン。
なずなと典道の机が空席です。
まあ、ここなあ。「デートの前戯としての映画」としてはスッキリしないよなあ。
人気…出ないような気もするけれど。
でもこのエンドシーンのおかげで、少なくともぼくには深みが出る映画となりました。
蟻がトンボになって以降、ずっと一歩引いて見ていましたが、本当のホントに最後のシーンでおっとスクリーンに引き込まれました。
「解釈は見た人それぞれに任せます」のラストなんでしょうが、1つだけ明白なのは、障害の1つであった悪友達はすでに教室にいる、ということです。
先生がバックショットなのも、もちろん巨乳かそうでないかを曖昧にするためで、「元の世界なのか」を明確にしないためのカメラワークです。
ぼくなどは『ビューティフル・ドリーマー』のラスト=階数が違う校舎を思い出すわけですが。
あの玉は壊れてしまったので、もう世界移動はできないはずですね。
ところで、夏休み前に転校することが分かった生徒がいるとします。
休み明け、その生徒の席は用意されているでしょうか? 普通に考えて、ありませんよね。
でも教室にあった空席は2つでした。
つまり、ぼくの解釈はそんな感じです。それは心中。あれは駆け落ち。これは2人でサボリ。
…で、「恋愛映画」を期待してアニメ版を見てガッカリしてしまった人は、ぜひ実写版を見てみてください。良い映画ですよ。









敬称略で、
原作が岩井俊二の名作映画、
総監督・監督・キャラデザが新房昭之・武内宣之・渡辺明夫の組み合わせ、
脚本が大根仁、
音楽が神前暁、
企画とプロデュースが川村元気と、
もうどう考えてもハズす作品を作るわけがないような陣容。
『君の名は。』の後のドジョウを総ざらいする気が満々のような。
まあ実際は、こちらのインタビューを読むと、『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』の方が『君の名は。』より企画が先行していたそうですが。
さてぼくは日頃から、「原作と映像作品は、別作品なのだから分けて評価するべき」と思っています。
ネットに溢れている、「原作のあそこと違うからダメ」「けっこう漫画の雰囲気を再現している」のような感想は、あまり意味を持たないと考えています。
にも関わらず。
直前に予習として岩井俊二版『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』を見たせいか、ついでに他の岩井作品も数作見たせいか、アニメ版を鑑賞中にもついつい色々なところを比較してしまいました。
ふだん否定している考えを自分もやってしまう、こういうのがダブルスタンダードなんですかね?
ま、自分の感情には素直に従って、感想を書き連ねていきたいと思います。
実写版『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』の魅力
そもそも原作の魅力は、「からかい上手のなずなさん」と言うべきか、思春期を迎え始めた小学生高学年の男の子が、同級生だけれど大人びた女の子と接触することで、ちょっとだけ大人になる物語です。
少し酸っぱくて苦くて甘い物語を、美しい映像が支えた映画です。
実写版では、主役の山崎裕太さんは当時12歳でしたが、同級生である・なずな役の奥菜恵さんの実年齢は2歳年上でした。
なずなのオトナ感・年上感、小悪魔的な魅力が、非常に重要だったわけです。
岩井監督作品のヒロインは、どれも美しく映されています(ぼくが見た中では、唯一の例外がアニメの『花とアリス殺人事件』だったわけですが…)。
縛られる山口智子さんも、雨の中の松たか子さんも、堕天使ようなCHARAさんも、美しく見とれるばかりです。
そして『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』の奥菜恵さんも同様です。
この物語のキモの1つは、なずなの魅力です。
実写でもアニメでも、なずなは・一緒に花火を見に行く相手は典道と祐介、どちらでも良いのです。
それなのに実写では、典道と行くパターンでは「(水泳勝負)典道くんが勝つと思っていた」と典道に平然と言ってのけます。
これは勿論・嘘と解釈した方が自然で、典道も調子良いこと言ってと思っていても嬉しくなってしまうのです。
ここになずなの(小学生男子には)「手に負えなさ」が出ているわけですが、アニメ版のなずなは後半、典道に明らかに好意を寄せています。
あれではコケティッシュな魅力が半減してしまいます。
アニメが好きなぼくでも、ことこの映画に関しては二次元より奥菜さんの方が良いな、と思ってしまいます。
ちなみにアニメ版でのキャラクター達は中学生設定になっていますが、そこは違和感ありませんでした。
彼女の体から、蟻を取るか? トンボを取るか?
劇場でアニメ『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』の世界から、完全に一歩引いてしまう瞬間がありました。
それは典道が、プールサイドで寝ているなずなから虫を取るシーンです。
アニメでは、その虫がトンボでした。
アニメ版打ち上げ花火、どうしてあそこ、蟻からトンボに変えたのかな…。それに場所ね。トンボは羽を捕まえるし、体の上を這い回らない。
— 坂井哲也 (@sakaitetsu) 2017年8月23日
蟻だからエロティシズムが生まれるのに。スタッフがそれを分からない筈もなく、どういう意図だったんだろう。
実写版では蟻(アリ)でした。
蟻が首筋から胸元あたりを這っていたのです。
そのままでは水着の中に入るし、蟻を捕まえる=なずなの肌に触れるだし、そこにエロティシズムや、「取ってよ」と平然と言うなずなに・一足先に「女の子」から「少女」に向かっている魅力が生まれるわけです。
アニメではトンボで、しかも場所は顎の付近でした。
素人のぼくが分かることを、百戦錬磨のプロであるスタッフが気づかないはずがありません。
むしろ分かっているからこそ、スタッフは丹念にエロティシズムの要素を廃除したと見るべきです。
排除したと見るべきなのですが、その意図がぼくには分かりません。
おそらくここで、実写版とは明白に違う・アニメ版のなずなが動き始めるわけです。
しかしトンボなあ…トンボには前にしか進まない性質があるそうだけれど、「繰り返す物語」に敢えて選んだとかじゃないよなあ…?
世界がリフレインする理由付けと、明らかになる作品世界
実写版では「何故世界が繰り返したか」の描写がなく、極端な話「典道の空想かもしれない」という解釈も可能な訳です。
45分間しかない実写では、そこがあやふやでも乗り越えられたのですが、倍の尺があるアニメでは・しかも世界を繰り返す展開では、「世界を繰り返せる要因」をスルー出来ません。
そのためにアニメ版に用意されたのが、不思議な玉です。
中に「if」の文字が見えるけれど、原作の映画がもともとフジTVのオムニバスドラマ『If もしも』の一篇として作られていると知っていると、ちょっとニヤニヤしていまいますが。
まあこの玉がどのようなものか一切説明がないので、あれで納得できるかは別問題ですが…
しかし2人がいくつもの「違和感のある世界」を巡るのを見ているうち、ぼくには原作の実写版も「1つの可能性」として吸収されていく感覚がありました。
全ての作品世界を包括する…た、∀ガンダム……!
バスではなく列車、灯台で叫ぶ「憧れの女の子」にアニメキャラが出ない(今ならプリキュアだったかなあ)、最後も同じセリフながらプールではなく海…
実写版とは似ていながらも非なる世界、そしてアニメの中でも違う世界を何回も巡りつつ、2人は旅を続けます。
実写版が「SF要素も少しあるグローイング・アップもの」だったのに対し、アニメ版は終盤になるにつれ「グローイング・アップの要素を含んだパラレル・ワールドもの」としての本質が明らかになります。
だからこそ、最終シーンへと繋がっていきます。
ここでも「恋愛もの」としてこのアニメを見ていると、最後は全くの「?」となるかもしれません。
最後のシーンをどう解釈するか
実写版での、なずなとのラストシーンの意味は明白です。
なずなは典道に「2学期が楽しみだね」と言いますが、違う学校に通い始める2人にとって無論これがお別れとなります。
コケティッシュなずなちゃんは、承知で「2学期が楽しみだね」と言い、プールの向こうに消えていくわけです。
一方アニメのなずなちゃんは、「次の世界が楽しみだね」と言います(だったよね?)。
そして最後の教室シーン。
なずなと典道の机が空席です。
まあ、ここなあ。「デートの前戯としての映画」としてはスッキリしないよなあ。
人気…出ないような気もするけれど。
でもこのエンドシーンのおかげで、少なくともぼくには深みが出る映画となりました。
蟻がトンボになって以降、ずっと一歩引いて見ていましたが、本当のホントに最後のシーンでおっとスクリーンに引き込まれました。
「解釈は見た人それぞれに任せます」のラストなんでしょうが、1つだけ明白なのは、障害の1つであった悪友達はすでに教室にいる、ということです。
先生がバックショットなのも、もちろん巨乳かそうでないかを曖昧にするためで、「元の世界なのか」を明確にしないためのカメラワークです。
ぼくなどは『ビューティフル・ドリーマー』のラスト=階数が違う校舎を思い出すわけですが。
あの玉は壊れてしまったので、もう世界移動はできないはずですね。
ところで、夏休み前に転校することが分かった生徒がいるとします。
休み明け、その生徒の席は用意されているでしょうか? 普通に考えて、ありませんよね。
でも教室にあった空席は2つでした。
つまり、ぼくの解釈はそんな感じです。それは心中。あれは駆け落ち。これは2人でサボリ。
…で、「恋愛映画」を期待してアニメ版を見てガッカリしてしまった人は、ぜひ実写版を見てみてください。良い映画ですよ。

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