富野監督「『めぞん一刻』はとってもスリリングな作品でした」 [富野監督関係]
珍しく連日更新です。
昨日、「心に残っている富野の名言」について書いたのですが、本当はもう1つ、紹介したい言葉があったのです。
それが今回のタイトル、「『めぞん一刻』はとってもスリリングな作品でした」です。
『めぞん一刻』を読んだ感想で、そう来たか! ヤラレタと思った記憶があります。
ただこの言葉は他作品の評価のうえ、富野監督が直接対談やインタビューで語った言葉ではないので前回は紹介しませんでした。
このエピソード、SF作家の平井和正氏が紹介したものなのです。
大きな掲示板などで稀に、この話が話題になったことはあるようですが、おそらく原文を正確に紹介しているサイトさんはないはずです(あったらスイマセン)。
そんなわけで。
該当部分の引用。語っているのは平井氏、対談相手は高橋留美子さんです。
富野由悠季さんが拙宅にみえたときに、ぼくはむりやり彼に『めぞん一刻』を読ませたんです。あの忙しい人に「『めぞん一刻』というのはすごい作品だからぜひご覧なさい」と言ったところ、次にみえたときに開口一番、「あれはとってもスリリングな作品でした」と言ったんですね。つまり、彼は物語作りにかけてはプロだし、テクノロジーもみんな頭に入っているわけです。だから、こういうふうにやればこういうふうに読者が反応するというような作り方を全部心得ているわけ。その彼が「あの作品はスリリングだ」と言ったのは、先が読めなかったからなんです。先が読めないというのは、ぼくにいわせれば本物の作家の証拠なんです。インスピレーションと無縁な凡庸な作家が書くものは、全部先が読めるんです。
つまり、それが本物とニセ物の違いだという気がするんで、だから、あの富野さんの言った一言というのは、すごい賛辞だなと思いました。(後略)(徳間書店 高橋留美子 平井和正『語り尽せ熱愛時代』38ページより)
この本は84年に出ているので、富野監督は何作っている時だ?
ダンバイン?
たぶん、めぞんを読んだのはザブングルの頃かね。
しかし、『めぞん一刻』を読んで「スリリング」って言葉が出てくるのは、すごいセンスだと思います。
あースリリングな体験が欲しいんだぜ。おんぼろアパートに住んでもいいんだぜ。
美人の管理人さん・未亡人さんがいるのなら。
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