水嶋ヒロのことを悪く言うな。 [その他]
ネットのニュースで、水嶋ヒロさんの処女作の書店予約数が40万部を超えたと報道されていた。
過去のベストセラーを例に出し、どれだけスゴいことかを報じていたが、ぼくが読んだ数本の記事は、どれも肝心な部分が欠けていた。
ぼくはローカルラジオで知ったけれども、肝心な点は、この本は返品可能ではなく、責任販売制で取り扱われている、ということだ(その代わり掛け分は少し考慮されているらしいけど)。
つまり売れなければそのままデッドストックになるのに、40万部も予約が入っているから「なおさら」スゴいのである。
さて水嶋ヒロさんが賞を取った際、ネット上では多くの批判的な意見が出た。
だがそれらの多くは妬みか(まあ妬む気持ちは良く分かる)、そうでなければ「小説の賞は小説の質のみで評価されるべきだ」という幻想に基づく言い掛かりだ、とぼくは思っているんだよね。
ここから先は、例えば直木賞など既存の作家向けの賞ではなく、今回水嶋さんが受賞したような・新人発掘を目的とした賞の話ね。
このような賞に応募する場合、大抵作品以外に、名前や住所、年齢、連絡先、学歴・職歴、あらすじを明記した紙を添付する。
名前や住所はともかく、本当に作品のみで審査するなら、他の情報はいらないでしょう?
屁理屈を、と思ったオマエ・コノヤロー。例をだそう。
例えば同じレベルの作品があったとして、10代と50代の作品、どちらを大賞に選ぶ?
いや、作品は抜きにした方がいいな。ええと。
有名作家を多く輩出している大学及び文芸サークルと、高卒(いっそ中卒なら興味をひいて良い)の作品、下読み担当者は同じ気持ちで読むかな?
商社・土木作業員・放浪期間など様々な職歴? を書いてくる人と、学校卒業後ずっと専業主婦の人は、そもそも同じスタートラインに立って評価されるかな?
他にも例えば職歴の横に、「○○文学賞最終候補に残りました」なんて投稿歴を書いておけば、下読みさんもオっ・コイツは、てなもんでしょう。
もちろん、作品そのものが重要であるのは言うまでもないけれど。
でも、応募者全員が同じスタートラインに立っている、というのは幻想だと思うよ。
水嶋さんは本名で応募したらしいけれど、それで出版社が水嶋ヒロだと気付かずに大賞に選んだのなら言うことなし、もし「水嶋ヒロだから」大賞になったのだとしても、それは前記した例と同じ線上にあるもので、何ら問題ではない。
水嶋ヒロさんが「水嶋ヒロである」ことは、彼自身の才能・努力の賜物であるからだ。
まあぼくは性格がねじまがっているから、そんなぼくの下衆の勘繰りですよ、下衆の勘繰りでもし最初から水嶋さんの作家デビューが決まっていて、箔を付けるために大賞を取らせたとしても、それでもぼくは水嶋さんが悪いとは思えない。
「他の応募者が可哀想」といった憐れむべき意見もあるだろうが、審査前から他の応募者に圧倒的アドバンテージをつけられたのも、やはり水嶋さん本人の力だからだ。
では、スターではない、一般の応募者はどうすれば良いか。
シロウトの愚考だが、1つは愚直に作品を書き続け、スタートラインのハンディをモノともしないような名作を書き上げるしかないでしょうね。
それともう1つ、多分方法があって、それは二枚目俳優として人気を博してから突如引退・小説家宣言すればよい。
ただしここで気を付けたいのは、元々の仕事でも何者なのかよく分からないのにウッカリ小説家宣言してしまうと、海老名グリーン、あ、シュリンプネーム・グリーンのように、嘲笑のタネになってしまうことだ。
無論、二枚目でない人にも、方法は色々とある。
筒井康隆は確か(流行作家になるには)虎を飼えばよい、と書いていたはずだが、書店を見ればカリスマホステス経由で作家、IT社長経由で小説デビュー、名作ロボットアニメの原作・監督を務めたからノベライズなど、実は水嶋さんと同じパターンで作家になった人はたくさんいる。
ただ賞をとっているか・いないかだけの違いなのだ。
そうだ。
長くなったが、最後にもう1つ書いておこう。
ツイッターでの水嶋さんの言葉遣いがオカシイことを槍玉に上げて、「やっぱり作家デビューなんて変だろ」という意見があるようだが、これも認識不足だと思う。
もちろん、例えば三島由紀夫のように「辞書を丸暗記した」という逸話があるほど語彙が豊富だったり、丸谷才一のように文章作法の著書を残すほどこだわる作家だっているが、全員が全員そうな訳ではない。
例えばカタカナ語がやたらと多い作家がいる。
しかし作家自身がその事実に悩んでいれば、その姿勢は充分に文学者足りえると思う。この文章、その・そのうるせえな。まあいいか。
当ブログらしく富野を引き合いに出せば、我が御大将は「アニメ監督・また作家、作詞家としても活躍している」などと紹介されることが多い。
実際に著作が何十冊もあるから作家と読べるのだろうが、富野の文章ときたら主語と述語の関係は目茶苦茶だし、「視点」についてはおそらく理解していないし、お世辞にも上手な小説・文章とは言えない。
勝手な想像だけど、たぶん小説のコンテストに応募しても入賞できないだろう。
でも富野はアニメの世界で成功をおさめて、それで小説を何十冊も出しているから、やっぱり作家なのだ。
富野を知るにはこれを買え
もしよろしければ、下のブログ村のバナーをクリックしてください。作者のモチベーションがあがったります。
過去のベストセラーを例に出し、どれだけスゴいことかを報じていたが、ぼくが読んだ数本の記事は、どれも肝心な部分が欠けていた。
ぼくはローカルラジオで知ったけれども、肝心な点は、この本は返品可能ではなく、責任販売制で取り扱われている、ということだ(その代わり掛け分は少し考慮されているらしいけど)。
つまり売れなければそのままデッドストックになるのに、40万部も予約が入っているから「なおさら」スゴいのである。
さて水嶋ヒロさんが賞を取った際、ネット上では多くの批判的な意見が出た。
だがそれらの多くは妬みか(まあ妬む気持ちは良く分かる)、そうでなければ「小説の賞は小説の質のみで評価されるべきだ」という幻想に基づく言い掛かりだ、とぼくは思っているんだよね。
ここから先は、例えば直木賞など既存の作家向けの賞ではなく、今回水嶋さんが受賞したような・新人発掘を目的とした賞の話ね。
このような賞に応募する場合、大抵作品以外に、名前や住所、年齢、連絡先、学歴・職歴、あらすじを明記した紙を添付する。
名前や住所はともかく、本当に作品のみで審査するなら、他の情報はいらないでしょう?
屁理屈を、と思ったオマエ・コノヤロー。例をだそう。
例えば同じレベルの作品があったとして、10代と50代の作品、どちらを大賞に選ぶ?
いや、作品は抜きにした方がいいな。ええと。
有名作家を多く輩出している大学及び文芸サークルと、高卒(いっそ中卒なら興味をひいて良い)の作品、下読み担当者は同じ気持ちで読むかな?
商社・土木作業員・放浪期間など様々な職歴? を書いてくる人と、学校卒業後ずっと専業主婦の人は、そもそも同じスタートラインに立って評価されるかな?
他にも例えば職歴の横に、「○○文学賞最終候補に残りました」なんて投稿歴を書いておけば、下読みさんもオっ・コイツは、てなもんでしょう。
もちろん、作品そのものが重要であるのは言うまでもないけれど。
でも、応募者全員が同じスタートラインに立っている、というのは幻想だと思うよ。
水嶋さんは本名で応募したらしいけれど、それで出版社が水嶋ヒロだと気付かずに大賞に選んだのなら言うことなし、もし「水嶋ヒロだから」大賞になったのだとしても、それは前記した例と同じ線上にあるもので、何ら問題ではない。
水嶋ヒロさんが「水嶋ヒロである」ことは、彼自身の才能・努力の賜物であるからだ。
まあぼくは性格がねじまがっているから、そんなぼくの下衆の勘繰りですよ、下衆の勘繰りでもし最初から水嶋さんの作家デビューが決まっていて、箔を付けるために大賞を取らせたとしても、それでもぼくは水嶋さんが悪いとは思えない。
「他の応募者が可哀想」といった憐れむべき意見もあるだろうが、審査前から他の応募者に圧倒的アドバンテージをつけられたのも、やはり水嶋さん本人の力だからだ。
では、スターではない、一般の応募者はどうすれば良いか。
シロウトの愚考だが、1つは愚直に作品を書き続け、スタートラインのハンディをモノともしないような名作を書き上げるしかないでしょうね。
それともう1つ、多分方法があって、それは二枚目俳優として人気を博してから突如引退・小説家宣言すればよい。
ただしここで気を付けたいのは、元々の仕事でも何者なのかよく分からないのにウッカリ小説家宣言してしまうと、海老名グリーン、あ、シュリンプネーム・グリーンのように、嘲笑のタネになってしまうことだ。
無論、二枚目でない人にも、方法は色々とある。
筒井康隆は確か(流行作家になるには)虎を飼えばよい、と書いていたはずだが、書店を見ればカリスマホステス経由で作家、IT社長経由で小説デビュー、名作ロボットアニメの原作・監督を務めたからノベライズなど、実は水嶋さんと同じパターンで作家になった人はたくさんいる。
ただ賞をとっているか・いないかだけの違いなのだ。
そうだ。
長くなったが、最後にもう1つ書いておこう。
ツイッターでの水嶋さんの言葉遣いがオカシイことを槍玉に上げて、「やっぱり作家デビューなんて変だろ」という意見があるようだが、これも認識不足だと思う。
もちろん、例えば三島由紀夫のように「辞書を丸暗記した」という逸話があるほど語彙が豊富だったり、丸谷才一のように文章作法の著書を残すほどこだわる作家だっているが、全員が全員そうな訳ではない。
例えばカタカナ語がやたらと多い作家がいる。
しかし作家自身がその事実に悩んでいれば、その姿勢は充分に文学者足りえると思う。この文章、その・そのうるせえな。まあいいか。
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書きたい、書けない、「書く」の壁 (シリーズ日本語があぶない)
- 作者: 丸谷 才一
- 出版社/メーカー: ゆまに書房
- 発売日: 2005/09
- メディア: 単行本
単に「妬ましい」というとカッコ悪いので、「小説の賞は小説の質のみで云々」という、いかにも正論っぽい言説に飛びつくんでしょうね。
実際は、水嶋ヒロに「力」がないから妬ましいのではなく、芸能人としての「力」があるからこそ、それを「濫用している」と感じられることに反発してるんだろうと思いますが。
あとは、出来レースだとしたら、ちょっとお粗末過ぎるので、リアクションせざるを得ないみたいなところはあるかも知れません(笑)
by グリーン (2010-12-06 08:52)
グリーンさん、コメントありがとうございます。
芸能人パワーの乱用に反感、は分かるんですが、なんか今回の件ではそんな気がしないんですよねー。別に水嶋ヒロのファンじゃないんですが。
出来レースへのリアクションだったら、真面目に書いたことがハズカシイ(笑)
by 坂井哲也 (2010-12-07 01:34)
とても魅力的な記事でした。
また遊びにきます。
ありがとうございます。
by あろえ (2010-12-21 11:57)
あろえさん、コメントありがとうございました。
是非またいらして下さい。
by 坂井哲也 (2010-12-22 01:41)