ガンダムと「外連味(ケレン味)」という言葉 [富野監督関係]
えー。お久しぶりですね……
今回もひと時お付き合いのほどを。
TV「『ケレン味』とはどういう意味でしょう?」
「あー…」
「どう言えばいいんだろう? ケレン味なんて、ふだん使わないよね」
「まあ日常会話では使わないけれど、ガンダム語る時には・まま出てくる言葉だから、案外馴染みがあるかも」
「ふーん……」
妻は納得したような、承諾しかねるような、微妙な反応でした。
しかし、その3日後。
A&Gで放送されている「鷲崎健のヨルナイト×ヨルナイト」で。
木曜はゲストによって見たり見なかったりなんだけれど、今回は森口博子さんがゲストだったので。見ていました。
ま、あのアルバムの宣伝ですよね。
そうしたら、会話の中で。
鷲崎さんが「人気曲といいますか、ケレン味の多い曲が前回は多くて、セカンド(アルバム)は…」と。
出た。偶然にも、ガンダム関連で「ケレン味」出た! 思わずカミさんと目を見合わせてしまいました。
もっともぼくが思っていた「ケレン味」@ガンダム界隈シーンでの使われ方は、ちょっと違っていて。
まあ、使われるのは、戦闘シーンの説明においてですよね。
ぼくの中のイメージでは、(ファースト)ガンダムの殺陣はケレン味があった、それに比べてZガンダムは…的な・結構、ファースト褒めてZ貶すみたいな、そんな文脈の中で「ケレン味」が使われていたような。
ちなみに、「外連味」の意味は。
goo辞書では
はったりを利かせたりごまかしたりするようなところ。「外連味たっぷりの芝居」「外連味のない文章」
念のために「外連」で調べると、
歌舞伎や人形浄瑠璃で、見た目本位の奇抜さをねらった演出。また、その演目。早替わり・宙乗り・仕掛け物など。
とありますね。
もう1つ、精選版 日本国語大辞典での「外連味」は
俗受けすることをねらったやり方。はったりやごまかし。また、その程度。
「外連」だと
芸の本道からはずれ、見た目本位の奇抜さをねらった演出。放れ業(わざ)、早変わり、宙乗りなど。歌舞伎や人形浄瑠璃に多い。
と書かれています。
誉め言葉じゃないっぽいな(笑)。
ぼく(そして多分ぼく以外の人でも)、「ファーストはグフの登場に合わせて雷が落ちるとか、ケレン味のあるところがいいんだよ!」 とプラスに使いますが、誤用なのかな…
ま、「ハッタリズム」なんて造語? もあるから、アニメとかでは「はったり」が必ずしも悪い意味ばかりじゃないところから、「ケレン味(プラスの意味)」も来ているのかもしれないけれど。
しかし、確かに上記の例文にある「外連味のない文章」って言葉も知っていたのに、どうして「外連味のない文章」と「外連味のある演出」という相反する言葉を、どちらもプラスの意味で疑問なく使っていたんだろうな、ぼくは。
ちなみに妻との冒頭の会話、「ガンダム関連では『ケレン味』って言葉が出てくる」ってのは、ぼくの思い込みじゃないよな? と不安に思って、「ガンダム ケレン味」でGoogle検索してみました。
43200件ヒット。例えば。
マッシブなプロポーションと広い可動を両立!「ROBOT魂<SIDE MS> ΖΖガンダム」1月発売決定!
「大振りに造形されたダブル・ビーム・ライフル等により、ケレン味溢れるポージングが可能!」
1988年『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』編 押井守の映画50年50本
――アニメとしてのケレン味は、どうでしょう?
押井 ケレン味は少ないね。富野さんはアニメーション特有の快感原則を好まない人なんだよ。
(中略)
だけど『逆襲のシャア』は、小惑星アクシズを押し返す場面がまさにそうだけど、場面づくりや描写、あるいはシチュエーションにケレン味があふれている。
氷川竜介のアニメCG列伝 第一回
「動きのタメ・ツメ」「絵的なウソ」などケレン味を採り入れることですね。
やっぱり「ケレン味」使われているから、ガンダム好きな人なら知っている言葉ではありますよね。
正しく意味を説明できるかは別にして。
「ケレン味」って、時代劇を語る際にも頻繁に使われる言葉だと思うのですが。
同じくGoogle検索すると、54000件ヒット。
市川海老蔵、時代劇「石川五右衛門」で襲名後初の連ドラ主演!
「秀吉の側室・茶々とのロマンスなどをケレン味たっぷりに描く痛快で壮大な人間ドラマ。」
『ふたがしら 2』の紹介
時代劇ファンも納得のケレン味溢れる江戸活劇、第2集!
やっぱり目に付くのはどれも、プラスの意味で使っているな。
まあ「俗受けすることをねらったやり方」で結構、ぼく俗なんで、とも言えるので、これからもプラスの意味で使っていこうかな。
しかし富野監督作品って、押井さんの言うように(初期の作品は除いて)見せ方ではケレン味少ないような気もするし、
いやいや近作Gレコでも・後ろから光当ててMSをバンっと映すところや(10話だっけ)、テンダービームなんて、ケレン味あるとおもうんだけれど…
ケレン味…外連味ってなんだろう……
辞書でひくと………
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富野監督が現在構想している新作タイトルは、昔どこかで聞いた『ヒミコヤマト』! [富野監督関係]
ホントは今日、富野展に向けて札幌を発っているはずだったのに…
Goto利用して行こうと・航空券予約した静岡での富野展ですが、新型コロナの影響でまんまとほとんどの静岡⇔札幌便が欠航となりました。
— 坂井哲也 (@sakaitetsu) August 19, 2020
当然行くの中止。なんか、もうどうでもいいや……
拗ねて拗ねて、静岡での富野展始まって2~3日は、ツイッターほとんどミュートしてたしね。かなり富野監督への関心も減退していたのですが。
最近発売された『グレートメカニックG』は、オーラ・バトラー特集で、富野監督のインタビューも載っているというのでAmazon注文しました。
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古見さんの最新刊といっしょに買った。
只野くん、モテモテ…もう「ただの人」じゃないじゃん。
さてモノが届き、取り敢えずは富野監督インタビューをパラパラと。真っ先の感想は、
グレートメカニックの富野監督インタビュー、インタビュアーの方大変だったろうな(笑)。なんとかダンバインの話に戻そうとする苦心が透けて見えるような……
— 坂井哲也 (@sakaitetsu) September 20, 2020
でしたね。富野監督が、いきなり現在構想している新作『ヒミコヤマト』なる作品の話を始めたので…
インタビュアーさん(無記名だけれど、どなただろう?)が、「ダンバインを含め富野監督の作品を見ている視聴者は…」とか、「この新作の構想は掲載していいのですか?」、「アニメ版『リーンの翼』では、…」などと、なんとか軌道修正しようとしているのと、
途中で「『ヒミコヤマト』についてもう少し」と、(これはもうダンバインのインタビューとしては無理かも)と保険うっている感じが、
なんかこうね。インタビュー中にどのような原稿にまとめようか、大変だったろうな…と。
さて気になるこの『ヒミコヤマト』、詳しい内容は是非とも『グレートメカニックG 2020AUTUMN』を読んでいただくとして。
ぼんやりと分かることは
卑弥呼=弥生姫(日本名)が出てくる。
戦艦大和が絡んでくる。
富野監督自身もまだ物語はよく分からない。
ですかね。作品名にもなっているくらいだから、もし弥生姫が主人公なら、富野アニメ初の女性主人公だ。
さてさて。
『ヒミコヤマト』の名前を聞いて、「まだ監督の中では生きていたのか、この企画」と思った富野監督ファンもいらっしゃると思います。
カタカナではなく漢字の『卑弥呼大和』は、富野監督と角川春樹氏・福井晴敏氏が構想した企画。福井さん曰く「戦艦大和に卑弥呼的な、源日本的な何かが取り付いて、現代の東京をしかりにやってくる話」だそうです。
ぼくは手元にないので確かなことは言えませんが、これたぶん、『リーンの翼 オフィシャルガイド Road to Byston Well』の中で出てきた話だと思います(『リーンの翼』、あんまりピンとこなかったもので買わなかった…違ったらすまん)。
リーンの翼 オフィシャルガイド Road to Byston Well
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今回のインタビューによると、企画は99年。富野監督が「東京都知事を倒す」話と言っているので(どんな話だ…)、上記の福井さん「現代の東京をしかる」とも一致しますね。
今回のインタビューでも触れられていますが、この『卑弥呼大和』のイメージボードは、「富野由悠季の世界展」の兵庫会場で「のみ」展示もされていました。俺の前で富野展の話をするのはやめろー!!(情緒不安定)
富野由悠季の世界展@兵庫県立美術館 ちら見せ。『卑弥呼大和』の監督によるイメージボード、これは必見です。スペースの都合でおそらく兵庫のみの特別展示です。 pic.twitter.com/gK73GDGxP9
— 富野由悠季の世界展 (@tominoexhibiti1) December 6, 2019
ちなみに劇場版『Gレコ』以降の新作については、最近ネットで公開された公研『ガンダム監督の「敗北者宣言」』でも触れられていました。
劇場版5部作のうち、まだ3作残っているのに…というツッコミはひとまず置いておいて。
---ここから引用---
今シナリオを2本持っています。2本ともロボットらしいものが出てきます。
(中略)
できたら人型ロボットが出てこないものを作るために新しいホンを書いています。
---ここまで引用---
このロボットに関しての言及は今回のインタビューにもあるので、シナリオ2本のうち1本が『ヒミコヤマト』ってことでしょうね。
なお、富野監督が今回のインタビュー最後で語っている「素晴らしい物」。
ぼくの脳裏に反射的に浮かんだのは、「それってヒゲの洗濯で見せてもらったけれど…」なんだけれど、それはともかく。
過去の作品を振り返るインタビューで・次回作の構想を話す富野監督、「らしくて」良かったです。
ぼくは、完全新作>バイストンウェルもの>ガンダムシリーズの順で期待しているので、『ヒミコヤマト』は良いな。ホントは『Gレコ』もガンダムシリーズから切り離されていたら、言うことなしだったのに。
そしてこれまで10本以上の劇場用作品を作っている富野監督ですが、「完全単独作品」は無いと思っているので、劇場用作品としての『ヒミコヤマト』を期待してしまいます。
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ラジオ番組「TOKYO SPEAKEASY」の富野監督×ドリカム中村正人さん対談文字起こし 5(ラスト) [富野監督関係]
どうも。
『ガンダム』などを作った富野監督と・ドリカム中村さんが出演したラジオ番組「TOKYO SPEAKEASY」(8月21日放送)の文字起こし、その5です。最終回です。
富野監督の最新作劇場版『Gのレコンギスタ』(略称『Gレコ』)シリーズのテーマ曲を担当したドリカム。そのため、対談の内容は多岐に渡っています。
これまでの記事は以下の通りです。
ラジオ番組「TOKYO SPEAKEASY」の富野監督×ドリカム中村正人さん対談文字起こし 1
ラジオ番組「TOKYO SPEAKEASY」の富野監督×ドリカム中村正人さん対談文字起こし 2
ラジオ番組「TOKYO SPEAKEASY」の富野監督×ドリカム中村正人さん対談文字起こし 3
ラジオ番組「TOKYO SPEAKEASY」の富野監督×ドリカム中村正人さん対談文字起こし 4
今回も、勝手に適宜中見出しを入れております。それと敬称略です。ではでは。
中村:ちょっとぼくが振っておきながらここで断ち切るのも申し訳ないですけれども。
でもぼくね、いつも思うんですよ。『Gレコ』で戦闘シーンあるじゃないですか。それこそついでに死んじゃう人いっぱいいるわけですよ。あれどうしてくれるんですか。
例えば水戸黄門がですね、「助さん格さん懲らしめてやりなさい」って言って、刃物をピュッて向けた時に、ついでに死んじゃう人いっぱいいるわけですよ。これはすごいシリアスな問題だと思うんですよ。『Gレコ』の戦闘シーンとかで。
どういう風に考えてらっしゃるんですか。あれって、あれやられちゃったっていっぱいいるじゃないですか。
富野:あれやられちゃったっていう局面を作ったやつのことを、そろそろ本当にお前ら考えろっていうのは、もう40年以上前から持ってます。
だからあの偶然ではないんだよね。だから最近のデジタルの加工が本当に腹が立つのは、平気で人間を飛ばすのね。お前人間をこんなに飛ばしたら死ぬんだぞっていうの、みんな絵面の格好良い、あの爆発の飛ばされ方をしてるわけ。
で、そういう演技論を見せられてかっこいいとかというふうに思わせるという今のビデオのデジタルビデオの環境、極度にひどいと。
それで、じゃあついでにとか、勝手に死んでく人たちのことを無惨に死ぬようにやったら戦争反対の表現なるかというと、その表現をした瞬間にオンエアが禁止される、公開が禁止されるって事も起こるから、それもしてはいけない。
そうなった時に、我々はそういう具体的な物事に対して正確な判断基準になる材料を持ててるのってなった時に、今の人たちは持ってないよね。
中村:それは難しいですよやっぱり。
富野:つまり東京大震災の時の、震災後の焼死体の写真でさえもクロ塗りになってるかフレームから切って掲載するようになってしまった時代には、我々はこれ以後と何て言うのかな、人の命を大事にしましょうって言うことをだけを言葉にしていて済むんだろうかっていうことは、そろそろ本当に考えなくちゃいけない時期が来てるんじゃないのかなとも思う。
だけども人権主義に関して、既に誰一人反対論を言えなくなってしまってるっていう。3~40年は経つので、本当に正直困ってます。
で困ってるからこそ、いやそういうものに反旗を翻すようなものを作れないのかなとも。
中村:作品でね。
富野:思うんだけれども、ということでいま本当に苦労してます。
中村:そんな富野監督がですね、好きな曲をかけようかなと思って。で2曲あるんですね、候補がね。
富野:あるんだけれども。
中村:最初に考えたのは何ですか。
富野:最初に考えたのは『ハイフン・スタッカート』(『Gレコ』劇中歌)で、自分の作詞した曲で、『Gレコ』でやった曲なんだけれども、とても好きなのよね。
中村:じゃあちょっと聞かせてもらいましょうかね。聞いてください。
(流れる、AmazonPrime会員なら下記アイコンをクリックすると無料で聞けます)
中村:知ってますよこれ。
アレンジとかも監督ちょっと意見するんですか。こういう風にしてくれないみたいな。これも菅野(祐悟)さんですよね。
富野:ぼくね、この歌詞カード渡して、何にも言わない。で、この曲が出来てくるのよ。すごいなって。
中村:トイレ関係で言えば、やっぱり『Gレコ』ですごいのはトイレですよね。コアファイターの中にトイレがあって。あれすごいです。
今までの巨大ロボットもので、ああいうのありました?
富野:一度やってるんですけども。
この前のラジオで、コアファイターのトイレに関して。
— 坂井哲也 (@sakaitetsu) August 27, 2020
中村さんが「今までの巨大ロボットもので、ああいうのありました?」に対して、富野監督は「一度やってるんですけども」って答えているけれど、これどの作品の・なんのシーンでしょうね?
中村:でもまさにそうですよね。
富野:で、何よりも菅野祐悟がすごいのは、あの歌詞カードを持ってきて、この曲層で作るっていうのは本当にね、脱帽ものなんてものじゃない。
中村:さっきのホルストのもそうですけど、宇宙、壮大とか、サイエンスフィクションって言い方が良いのか分かんないけれども、そういうものに絶対今まで使われなかった、東洋というかインドっぽいというかバリっぽいというか。
ただそのバリにしてもインドにしても、宇宙と直接つながっている…
富野:そういう説明を一切しないのに、菅野祐悟はそれやってくるのよ。
中村:そこでもうなんかピンと来ちゃうっていうか。『Gレコ』の地球サイズにしていくっていうか、ちょっと欧米なサイエンスフィクションの描写もあったけれども、インドも含めて、マントラ含めての宇宙観というか。
富野:ここまでパッとくるというそりゃ凄いよ。
中村:凄いですよね。俺はできないですよ。菅野さんで良かった(笑)。俺偉そうに言ってるけど。怒られちゃうなホントに(笑)。
中村:もう1曲いきましょうか。もう1曲はこれですね。
(『うれしはずかし朝帰り』が流れる)
中村:突然言ったんでスタッフ慌てて、ウチの曲なんかアーカイブに入っていませんからね。慌ててSpotifyからとったんじゃないですか今。
(笑)。ホントに。
昔はレコード部屋に引き抜きに行ったんですけどね。今は簡単だから。仕事簡単だから。Spotifyで検索して出てきますから。これはドリカムの『うれしはずかし朝帰り』。これは何故ですか。
富野:要するに衝撃を受けたんですよね。
中村:これ実際にお聞きになったんですか。
富野:聞きました。
えっ、朝帰りの曲だろ。朝帰りをテーマにして、こうまで大々的に元気に歌っちゃうっていう、シンガーソングライターみたいなのが出てきたっていうのがまずね衝撃的だったわけ。
中村:当時の常識で言えば、朝帰りっていうのはちょっと秘めたるものでございます。
富野:そうそう。それとそういうロマンがないわけ。
中村:(笑)。ありますよ。ロマンあるけど、でもそうですね。すがすがしい朝です。
富野:これか、っていう時に、まさに時代の、世代間の断絶。
中村:切れ目が入っているんですね。
富野:っていうものものを感じて、こういう人たちが出てくるこれ以後の10年20年どうやって暮らしてこうか。
中村:(笑)。なんですかそれ。悔しい悔しいで1時間話してきましたけれども。
もちろんね、ソーシャルディスタンス取りながら、監督の健康にも私自身もそうですけど。また是非、秋元(康、この番組のプロデューサー)さんにチャンス頂きましたんで、
富野:本当そういう意味ではご縁で(笑)、だって、秋元さんって人もぼくにとって妙な関係の人で。
中村:なんか番組では言えない話があるらしいですね。
富野:言えないじゃなくて、そうじゃない。
中村:そうじゃないそうじゃない(笑)。
富野:作詞をやってもらっているんだよね、変な曲のさ(ブログ主注・おそらく『アニメじゃない』のこと)。
中村:気が付きました。1時間やっていて気づきました。秋ボトっていうロボットがいるんだね、秋元さんの。
富野:はなから、はなから気付いています。
中村:ぼく全然気付かなかったです。なんか台本がでるのかと思った。違いましたね。
(笑)
中村:ひどいね。これで俺が仕切っているんだよっていうのを証明するわけだね。ひどい人だねホントに…
富野:そうそう(笑)
中村:ぜひまたチャンスがありましたら。
富野:本当に機会があればということで。ぼくにとっても本当に中村さんの切り口の考え方みたいなもの正直本当に勉強になるんで、ありがたいんですよね。ありがたいけどただ今から聞かされてもね間に合わないんだよねー
(笑)
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ドリカムファンの皆様へ。『GのレコンギスタII「ベルリ 撃進」』で、ドリカムが曲を歌う意味。
ラジオ番組「TOKYO SPEAKEASY」の富野監督×ドリカム中村正人さん対談文字起こし 4 [富野監督関係]
どうも。
『ガンダム』などを作った富野監督と・ドリカム中村さんが出演したラジオ番組「TOKYO SPEAKEASY」(8月21日放送)の文字起こし、その4です。
次回で終ります。
富野監督の最新作劇場版『Gのレコンギスタ』(略称『Gレコ』)シリーズのテーマ曲を担当したドリカム。そのため、対談の内容は多岐に渡っています。
これまでの記事は以下の通りです。
ラジオ番組「TOKYO SPEAKEASY」の富野監督×ドリカム中村正人さん対談文字起こし 1
ラジオ番組「TOKYO SPEAKEASY」の富野監督×ドリカム中村正人さん対談文字起こし 2
ラジオ番組「TOKYO SPEAKEASY」の富野監督×ドリカム中村正人さん対談文字起こし 3
今回も、勝手に適宜中見出しを入れております。それと敬称略です。ではでは。
中村:世界の富野ですよ。ぼくおべっか使う必要全く無くてですね、おべっか使ってもなんの得もないんですよ。
富野:はいはいはい。
中村:テーマ曲書かせていただきましたし(笑)。
全く損得ないところで、今回の『Gレコ』でやっぱり監督が強調していらっしゃったのは、そのガンダムっていう先入観なしで見て欲しい。
逆に言うとガンダム知らない人に見てほしい、今の子どもたちに見て欲しいっていう意味では、ぼくは年食ってますけれども結構同じところから入ったわけですよ。
改めて『Gレコ』を、オリジナル版をあえて見ないでね、このポスターだけ見て、これから感じる音楽書いてくれればいいんだよって言ったのと全く同じ角度で入って、やっぱり『Gレコ』はね、面白い。
でもね、まだね得体が分からない面白さなの。
富野:そうなの。その欠点というのが、最近ようやく分かるようになったわけ。
亜阿子さん(富野監督の妻)から昔から言われていたんだけれども、登場人物が多いやつはダメ。映画っていうのは2人とか3人とか4人、出ても5人まで。それで『Gレコ』はキャラクターが多すぎる。ガンダムも多すぎる。それダメ。映画になってないって言われて、本当にすみませんって言うのは最近本気で分かるようになったからね。
中村:でも、ぼく亜阿子さんに逆らう気はなくてですね、なぜかというと(劇場版『Gレコ』に)ドリカムを使えと言ったのは亜阿子さんですから。
本当に亜阿子さんに感謝してて、監督にはちっとも感謝していないんですが。
でもこの前も対談でちょっと喋らせてもらったんですが、今の例えばネトフリとか、そういう海外ドラマも含めてヒット作っていうのは、群集劇っていうか登場人物が多くて、でもその登場人物を本当に丁寧に描いて。
富野:そうか。
中村:そうですよ。本当ですよ。何でもいいですよ、例えばゾンビ映画でも、何でもいいや。
そういう意味では『Gレコ』はまさにベルリだけを描いているんじゃなくて、ベルリを中心に……してない時もあるじゃないですか。
富野:そうそう。だけど映画っていうのは2時間以内で、ピシッと見られて分かるというのが映画なのよ。そういうものに収まっていない『Gレコ』ってやっぱり映画じゃないのね。
中村:でも今の映画は、もちろん15秒で分かる映画もあれば、ネットフリックスみたいに10シーズン・各話(おそらくシーズンのこと)18話とかそういうので延々見せるのも、その劇中の一人として自分を感じてきちゃうわけじゃないですか。
そういうの見てると。
富野:はいはいはい。
中村:『Gレコ』はそういう要素いっぱいあるって前の話であれなんですけど。だから亜阿子さんの意見も勿論分かりますけれども、今じゃないですか。
富野:だからこそなの。『Gレコ』は5部作で作ってもいいんじゃないのかってことはもうほんと5年前から思ったし、それを実行させてもらってるんだけれども、やっぱり戯作者としての理想論があるわけね。高い。シェイクスピアに勝ちたいわけ。
中村:勿論です。
富野:そういう時にこれでなーってのがあるから。
だから今回、『G』の曲を頂いた時に本当にビックリしたのが、あの単語(ブログ主注・「シェイクスピア」のこと)が出てくるっていうことの凄さっていう意味では、今の若い子には分かんないだろうと思うんだけどドス突きつけられたって感じがあるからね。
【メーカー特典あり】 YES AND NO / G (特典:Gのレコンギスタ×DREAMS COME TRUE 特製クリアファイル)
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中村:それは監督、我々というか監督はぼくの大先輩ですけれども、今の若い人たちっていう分類もこうままならなくなってきて、まさにそのオンラインとオフラインの人類に全く別れてですね、年齢関係なくオンラインとして実績がない人間は尊敬されないと言うか。
尊敬までいかなくて、相手にされない。
うちの娘がぼくがアドバイスしても、ぼくは動画の編集の仕方も知りませんし(笑)、本当ガジェットの使い方ホントに分かんないんで、人生の先輩として教えても、iPhone使えなかったらアウトなんですよね。説得力が。
富野:きっとそうなですよね。今ぼくの周りにはそういう人がいないから、
中村:そうですか?
富野:そういう敗北感がないの。だって同年齢しかいないんだもん。
中村:でも作画の現場って、やっぱり最新のガジェット使ってますよね(笑)。
富野:使っているんだけど、使っているんだけどもああいう物を使うようになっている奴は他人だもん。他人なんてもんじゃない。スタッフ以下だもん。絶対付き合わない。
中村:何言ってるんですか。
富野:鉛筆で絵を描ける人としか仕事はしなくなっちゃってるから(笑)。
中村:宮崎駿さんみたいなこと言わないでくださいよ、よく分かんないなもうー。
富野:だってそういう歳…年齢には勝てない部分があるんだって。
中村:でも監督41年生まれじゃないですか。本当にポツダム宣言が45年じゃないですか(笑)。
富野:(笑)。
中村:すごいと思って俺なんか。もう現役ですよ。
こういう言い方したら軽くなっちゃって、ちょっと誤解を受けて困るけど。だけどよく考えたらぼくも58なんで、生まれが。ポツダム宣言からたった13年しか経ってないんですよ。今の13年前ってこれ皆さんどう思います? 昨日のことでしょ13年前って。
富野:言われてみればそうだよね。
中村:ですよ。
富野:だけど今の若い人ってポツダム宣言の話とか分かんないんでしょ絶対に。
中村:いや今検索してますよ。簡単ですよ。あっという間に。今「ポツダム宣言」って上がってきますからガンガン。ふざけてるんじゃなくてね。
富野:いや分かる。
中村:やっぱりその中で猛烈な体験をなさってきて、
富野:してない。だからぼくの場合には。
中村:それはあのWikipediaで読みました。
富野:してない一番の理由っていうのは、今8月期だからそれ終戦記念日みたいなことがあるんで、そういう記事もいっぱいを読まざるを得ないわけ。
で読んでてつくづく思うことがあって、なんでこんな風な日本になってしまったんだろうなって言えても、なんであんな戦争やれたんだろうなすごいよねってキ***沙汰…ああ、ごめん(ブログ主注・放送中では全部言っていました)。
中村:大丈夫です大丈夫です。41年生まれなんで普通の言葉ですから。当時の表現を今忠実に再現しているわけであって。今監督はそういう概念は持ってらっしゃらないから。
富野:概念は持ってないからこそ逆に、ほんとにね謎なんですよね。
なんでああまで国力が違うのに戦争を仕掛けられたんだろうかなっていうのは、常軌を逸してるって言うもんではないんですよ。
そういうレベルではないのに、実は戦後の問題でよく分かることがあるんだけども、一番仕掛けた、仕掛け人をした人たちというのが全部発言をしてないわけ。戦後は。つまり特攻に行けと言った奴は、いなくなっちゃったの。一切合切いなくなっちゃったの。
で、特攻させられて死んだっていう痛みだけを持った人たちが戦後発言をしているわけね。
あの特攻を仕掛けるということを思いついて、それをやることが戦争だと思えて、そして特攻で国に殉じたということで立派な戦死なんだって言う言葉遣いを発明する奴がいるわけよ。
中村:それはでも、それで救われる方も。
富野:当然です。あの戦死者を家庭内に持ってる人たちはみんなそうなの。だってそうでなかったら、無駄死になんて言ってほしくないもの。
中村:本当ですね。本当ですね。
富野:問題なのは、だけど死にに行けと言って、それで戦争に勝てるんだったら死にに行けと言ってもいいんだけども、死にに行けと言った奴が戦後生き残っててごめんなさいって言った奴は一人もいなくて、軍人恩給をもらってんのよ。
中村:ちょっとその辺はですね、この番組が終わった後に。(文字起こし「5・最終」に続く)
※富野監督は「子どもに作品を届けたい」と願い、また過去に何回も「子どもを舐めて作品を作ってはいけない」って言っておきながら、この対談では「今の若い子には分かんないだろう」って繰り返すの、なんなんだろうね?
特に「ポツダム宣言の話とか分かんないんでしょ絶対に」なんて、ホントにどういう意味で言ってんだろ?
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ドリカムファンの皆様へ。『GのレコンギスタII「ベルリ 撃進」』で、ドリカムが曲を歌う意味。
ラジオ番組「TOKYO SPEAKEASY」の富野監督×ドリカム中村正人さん対談文字起こし 3 [富野監督関係]
どうも。
『ガンダム』などを作った富野監督と・ドリカム中村さんが出演したラジオ番組「TOKYO SPEAKEASY」(8月21日放送)の文字起こし、その3です。
富野監督の最新作劇場版『Gのレコンギスタ』(略称『Gレコ』)シリーズのテーマ曲を担当したドリカム。そのため、対談の内容は多岐に渡っています。
これまでの記事は以下の通りです。
ラジオ番組「TOKYO SPEAKEASY」の富野監督×ドリカム中村正人さん対談文字起こし 1
ラジオ番組「TOKYO SPEAKEASY」の富野監督×ドリカム中村正人さん対談文字起こし 2
今回も、勝手に適宜中見出しを入れております。それと敬称略です。ではでは。
中村:そうそう、俺聞きたかったんですけど、どうなってます(劇場版『Gのレコンギスタ』の)3本目。どうしますコロナ禍。
富野:よく分からない、全然分かんない。ただ、先週3本目と4本目と5本目のBGM、発注を菅野(祐悟)さんに発注して。
中村:菅野さん、お元気でした?
富野:元気。元気なんってもんじゃなくて。
中村:元気…(笑)
富野:本当にあの人は元気なんてもんじゃなくて、米津なんだぁー!! って人ですからね。
中村:お、いいですね。いいですね。
富野:そういう意味ではね、ちょっとびっくりした。それで、なんだっていうのが、ぼくと違ってて、「だって30秒聞けば分かるでしょ」。
中村:はい、おっしゃる通りです。天才です。
富野:だから、あの人をどうこうしようって思わないから、俺流に仕事させてくださいって締めたの。
中村:それでもこの野郎って思っているのは、そういう天才、時代を越えるユーミンさんもそうですし、多分みゆきさんもそうだし、宇多田ヒカルちゃんもそうだし、やっぱりそういう天才たちってもっと影響を与えるんですよ。
それは今の人たちに一番受けているとかいう事象以上に、我々クリエイターの端っこ…端っこって言ったら菅野さんに怒られちゃうけどさ、菅野さんさえインスパイアするわけ。
富野:そうそう。
中村:定点観測させる。米津に比べてこうだから、この方法でいくよ…
富野:だから本当に先週久しぶりで『Gレコ』の作品のことを考えながら話をせざるを得なかったわけ。
だから富野さんも自分でも内心偉ぶりましたもん。つまりこの1年何もやってないのに、『Gレコ』って凄いな、いろんな事を考えさせる作品だな。だからこうしてくださいよっていう話が、菅野祐悟っていう才能に言えた自分っていうのが嬉しかったもんね。
中村:客観的に見れたっていうのは大変良かった。もちろん大変な方々、今も戦場で戦ってくださる方々がたくさんいる中で、我々こんなにのんびり飲みながら話している場合じゃないんですけど、ただ今日はいいか…
富野:というだけじゃなくて、この時間がなかったらね、それこそ人間、24時間ピンと張ってらんないもの。
中村:おっしゃる通り。
富野:だからこれで良いんです。
良いからこそなの。ぼくのつまり、理想があるわけよ。作り手だったらね、実を言うと秋元(康、このラジオ番組をプロデュースしている)さんみたいにずっと作り手風にしたかったんだけど。
中村:(笑)。
富野:それができてないのが悔しい、っていう。
中村:なるほどねコマーシャルいきましょう。
(ホルストの『惑星』が流れ始める)
中村:今日みたいに仕事抜きの時はあまりないので、僕の好きな曲を。監督と是非聞きたい曲がありまして。
富野:はい。
中村:今鳴っているやつなんですけど。これがですね、あのベルリンフィルなんですけど。ホルストの『惑星』という曲で。平原さんで有名になっちゃいましたけど。『Jupiter』って曲ですけど。これを一緒に聞きたくて。これご存じですか?
富野:(失笑)少しは知ってます。
中村:そうですか。これですね、まさに宇宙ってこういう音なんだろうな、と。まさにまだ人類が宇宙に飛び出てない頃に、ホルストって作曲家が作ったんですけど。
富野:そうですね。
中村:この中で『火星』も素晴らしいんですけど、この組曲の一番最初の。あらゆる映画音楽家の元ネタになっているような。組曲なんですけど。
この『 Jupiter』っていうのはね、まさにぼくらが少年時代に見た、あるいは『Gレコ』で宇宙が舞台になっていた時に、聞こえてた音だったんですよ。こういう音楽をぼくはいつか作りたいと思って、今聞いていただいて。中村こういうの作りたいんだよっていう、プレゼン(笑)。
富野:っていうよりも、すごく実言うとぼくにとって当たり前だから。
中村:これが?
富野:当たり前な、そう曲だから、びっくりしました。もう少し違うものって。そういう意味で言うとぼくやっぱり偏見があったんですよね、ドリカム対して。
中村:もうずっとそれ言ってるからね監督(笑)。もう偏見の塊だから、富野さん。本当に。
富野:『Jupiter』なんてのは当たり前に、宇宙そのものなんだから、いいんだよね。逆に、こういう記憶はぼくの中にあるからなんです、『2001年』が困っちゃったわけ。ええー、これでこられたか。
中村:ああ。そういう意味でね。
富野:そう。
ドリカム中村さん×富野監督。富野監督が「『2001年』こうきちゃったか」って、話の流れ的に「ツァラトゥストラは違うんだよな」ってことかな。
— 坂井哲也 (@sakaitetsu) August 21, 2020
中村:でもなんかこの楽曲って、すごいテクノロジーも感じるんですよね。雄大な自然だけじゃないんですよ。
富野:分かりますよ。
中村:分かります?
富野:分かります。
中村:だからそれこそ巨大ロボットも見えるし、もうあらゆる『Gレコ』で登場する…
富野:だから広がりそのものが見えるし、もう1つ重要なことがあるのは、空間というよりも、水平線って言うのかな、地平線って言うのかな、ザーッと走っているのね。
中村:分かります。
富野:やっぱりそういう見事さっていうのはあるという意味では認めます。だから、嫌いな曲ではありませんが。
中村:あまり驚かなかったっていうこと?
富野:うん。
中村:もう。何言ってんの。
富野:さっき言った通り、最近モーツァルトの自然体に…
中村:もうちょっと驚いてくださいよ。中村こういう曲選んだんだ、いいなお前とかちょっと言ってくださいよ。
富野:あ、それはだって大前提だもん。当たり前。今更そのことでお前偉いねなんて言ったら、舐めてることになりません?
中村:(笑)。いやいやもう…分かりました。でも今日ぼくホルスト選んでたから、さっきモーツァルトの話おっしゃった時に、ちょっとビクッとしましたよ。そこかって。モーツァルトかって。
富野:それはね、自分の中でもなんですよ。
趣味性の問題みたいなことを考えていた時に、自分に一貫したものがなくって、結局一番みんな言ってるモーツァルトに戻らざるを得なかった自分っていうのは本当に嫌だったとかってこともあるわけ。
中村:でも総監督、みんなが言うからモーツァルトじゃなくて、モーツァルトだからみんなが言っているんじゃないですか。それはもうガンダムと一緒ですよ。
富野:はあー。
中村:巨大ロボットものだって、結局ガンダムに戻らなきゃいけなかった(富野監督の口真似?)。監督の周り、しかばね累々(たぶん死屍累々のこと)ですよ。ね? 同じこと言ってるでしょ?
富野:中村さんってさホント、プロデューサーね。すごいね。
中村:そんなことないでしょ(笑)。
富野:ホントお上手。
中村:お上手じゃない。カントク~。でも同じこと言ってますよ。しかばね累々ですよ巨大ロボットものの監督たちは。コノヤローって。言わないでしょうけどね。
でもちょっと言ってほしいんでしょ。
富野:言ってほしくない。
中村:絶対嘘だと思う(笑)。
富野:強がりじゃなくて、これを基準にしちゃいけないんだよね。そして、やはりぼくは、やっぱりなの。
大学以後の、二十歳以後のことで言うと、やっぱり戯作者になりたかったっていうすごくシンプルなその思考っていうものを身につけちゃったのに、結局巨大ロボットものしかやらせてもらえなかったっていう意味でテメエラぶっ殺してやろうかって、日本の映画界全部に対して思っている人間ですから。
中村:でも番組の始まり、ここに飲みに来る前になんか「巨大ロボット捨てて」何とかって言ってましたけど、何言ってんですか。
富野:巨大ロボットのギミックを使う、使わせたら天下一品だろうっていう、それが縛りになっちゃって劇がで作れなくなってしまった、戯作をするということはそういうことではないんだよっていうことが分かった。
だから言ってしまえば、ぼくは未だにドストエフスキー読めないんだけれども、バルザック何かを読んで本でガックリ来る事あるんだけども、人を観察する能力は全くなかったっていうことを知らされて、本当に愕然とするのね。
中村:あの敵対するレベルの人が違いますから、監督の場合。
富野:ああそうか。
中村:それダメです。例えば吉田も今回の『G』でね、(歌詞に)シェイクスピア出してますけれども。
監督とシェイクスピアはきっと同じことを言っているんだろうってことで、吉田はシェイクスピアを出したんですけれども。
でもぼくちょっと今日監督に久しぶりにお会いできる…でもシェイクスピアもエンターテインメントやりたかったんですよね。エンターテインメントとして芝居の中に…
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富野:だし、もう一つシェイクスピアであったのは、自分が田舎者なんだけれども、ともかくロンドンにいる連中に少しはね、俺のこと偉いと思ってよっていうそういう下心があったっていうのは本当によく分かるわけ。
そういう意味では向上心を持っていたけど自分はこういうにしか劇を書けない。だから日常劇がものすごい多いシェイクスピア劇ってつまんないわけよ。ながーくって。
で、こういう風にしか書けない俺っていうコンプレックスをずっと持ってた人なんじゃないのかなって言うと、これまた袋叩きにあうかもしれない(笑)。
中村:でも今シェイクスピアを表現したのは、富野総監督の気持ちとちょっと被るところあるんじゃないですか。俺は巨大ロボットものしかできないなんて言われてたから。
富野:だから。
中村:(笑)
富野:ハッと気が付いた。別に自分がシェイクスピアと並んでなんて考えていませんからね。
中村:(笑)
富野:世界の文豪と。(文字起こし「4」に続く)
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ドリカムファンの皆様へ。『GのレコンギスタII「ベルリ 撃進」』で、ドリカムが曲を歌う意味。
ラジオ番組「TOKYO SPEAKEASY」の富野監督×ドリカム中村正人さん対談文字起こし 2 [富野監督関係]
どうも。
『ガンダム』などを作った富野監督と・ドリカム中村さんが出演したラジオ番組「TOKYO SPEAKEASY」(8月21日放送)の文字起こし、その2です。
富野監督の最新作劇場版『Gのレコンギスタ』(略称『Gレコ』)シリーズのテーマ曲を担当したドリカム。
初回の前記事では「3回に分けて書きます」と言いましたが、全部文字起こし終って分かった。3回じゃ無理だわ。1回が長くなりすぎる。
5回くらいになるかな。では文字起こし2回目です。
1回目未読の方は是非、まずはこちらから。
今回も、勝手に適宜中見出しを入れております。それと敬称略です。ではでは。
中村:監督と一緒だって言ったらもうほんと申し訳ないんだけど、ぼくも実は作りたいものがないんですよ。
例えばドリカムだったら「今好きなことばっかりやってるでしょっ」て言われるけど、好きなことって何かって言うと仕事をいただくこと。
で、頂いた仕事を自分の表現としてお返しすることしかなくて。
富野:全くそう。
中村:種はやっぱり与えて。で、その種が吉田から与えられることが多いので、それは勿論。やっぱり吉田がこういう曲やりたい、こういう表現したい。
でも、監督にその種を与えるのは誰なんですか?
富野:誰もいなかったから辛かった。
中村:(笑)。今ちょっと泣きそうになっていましたけど。誰もいなかった。
富野:誰もいなかった。
中村:それは例えば手塚先生…(ブログ主注・富野監督は手塚の虫プロにいた)
富野:手塚先生? 何言ってんの。あの人はもう、ぼくが手塚原作をこれは使えないから作り変えるってやった時から、もうライバルだもん。
中村:うん。はい。ですね…(小声)
富野:師匠だとも思わないで、手塚をいつか黙らせる(笑)。(※ブログ主注・これは「当時」の話で、手塚が亡くなった時、富野はまさに『時を経て師』というタイトルの追悼文を特集ムックに寄せています)
中村:(笑)。やっぱりそっちのモチベーション(笑)。
富野:そうでなければ、10年20年こんな仕事やってられないよ。
中村:音楽業界は本当に、アニメの制作の現場も今こういう時代ですから、いろんな話ありますけれども。でも当時まさに総監督が、もう寝ずに働いていた頃、そういうことですよね。地獄ですよ。
富野:だから本当に才能のある人ってのは羨ましいと思う。
だからなの。ドリカム出てきた時に、あ。これで出てきてこれで売れて、なおかつこれで千人じゃないんだよね1万人っていう単位だよね、2万人って単位に向かってライブをやる。やっていけるメンツが2人しかいない? こいつら本当に殺してやろうかって思ったもん。
中村:(笑)。 ぼくは今、米津くんにそう思っていますけどね(爆笑)。
富野:ホントそうなのよ。
中村:米津くんもホント自分で全部やられますからね、彼は。
富野:そうそうそう。
中村:ジャケット、絵上手でしょ。
富野:上手ですよね。すごいもん。
中村:ビデオも撮るでしょ。もともとはYouTuberって言いますかね、ハチっていうボカロから出てますからね。あんな歌上手で、あんなパフォーマンスが素晴らしいのに、最初ボカロですよ。それはないだろって。後出しジャンケンみたいなものですよ。
富野:それこそ、自分自身始めアレンジなんて全く分かんなかったって平気で言うじゃない。ちょっと待ってくれよってさあ。
中村:本当ですよね。
富野:ふざけてねえかって思うもん。
中村:本当ですよ。
富野:あれがまさに才能だって分かるようになってきたし、分かるようになってくると、…長くなりそうだから我慢するよ。
中村:今日はお互い飲んで喋っているんだから何でも言ってくださいよ。マイク切っちゃいますから、もし何かあったら。大丈夫ですよ。
富野:じゃあまあ…典型的に…
中村:最近なんか辛いことあったんじゃないですか? 今日どうしたんですか?
富野:ここ10年くらいずっと辛いもん、楽しいことなんてほとんどないんだから。
中村:そうですよね…分かりますよ…
富野:だから、天才の名前を出して誰から文句言われないただ一人の人がいるわけ、モーツァルト。本当、この5~6年、もうね50(歳)まで聞くなんて思ってなかったもん。
中村:うん、うんうん。
富野:あんなよく分かんねえ曲なんて、と思ってたけど。
中村:ビートルズもケチョンケチョンに言ってますからね、監督ね。
富野:でもこの頃ずっと聞いてるもん。それで最近何が分かってきたかと言うと、楽曲のことは分からないのよ。
モーツァルトがすごいなと思うのは、なに作曲させても、ちゃんと音楽になってて、技らしくない。
中村:あのね、本当におっしゃる通りで。しかも皆さん、聞いてらっしゃる方で素晴らしいピアニストいらっしゃると思うんですけれど、モーツァルトあれ弾いてますからね自分で。
富野:そうなの。そうするとね、才能ってこれであって、ぼくは若い時、嫌な言い方するとワーグナーなんかとかさ、嫌いじゃなかったわけね(笑)。
中村:はいはい。
富野:モーツァルト聞くようになって、ああいうわざとらしい曲っていうのがね、ダメになっちゃったっていう地獄が。地獄を経験しちゃって困っているの。
中村:ビジネス考えているんですかね。でもぼくは見る限り、伝記とか映画とかしか読んだことないですけど、モーツァルトもやっぱり依頼を受けてひたすら食うために書いてましたよね。
富野:全くそうなの。
中村:パトロンのために。
富野:全くそうなの。そういう意味で商売人なのよ。そういう意味ですごく俗な奴で。だからぼくはアマデウスって映画が大好きなのは、
中村:良いですね。サリエリのやつ。
富野:絶対ね、モーツァルトってああだったと思うわけ。俗物で。
で俗がね、これが出来るんだと分かって来た時に、あ。また余分な話するところだった。
中村:(笑)。でも監督ね。ちょっと横道それますけれど、今やっぱり才能のある人も品格とか求められちゃうじゃないですか。それはおかしくないですか。
富野:だからおかしい。だからモーツァルトなのよ。
中村:そうなんですよ、だからおかしいですよ。なんで才能のある人は良い人でなきゃいけない、社会に貢献する人でなければならない…だって、その才能自体が人類のためなのに、いいじゃないですか滅茶苦茶でも。
富野:それもあるし、それから人間てね、滅茶苦茶でなかったらね、天才的な仕事できないんだよ。
中村:おっしゃる通り。
富野:(小声で)吉田美和さんそうじゃない?
中村:あのー、ここでは言えないですけれど、滅茶苦茶です。
(間髪入れず『G』が流れ始める)
中村:その滅茶苦茶なぼくらにね、監督が依頼してくれた『Gレコ』のテーマソング聞いていただきます。『G』。
中村:『Gレコ』のテーマソング聞いていただいていますけれども。大丈夫だよ流しといて(笑)。サーっと流しといて。
吉田がちょっと冷静に歌っているというか。カームダウン、英語で言うんですけど。そういうふうに歌っているのは、『Gレコ』の登場人物にすごく似ているなと思って。
富野:ああ! だからなんだ、俺気に入ったのはそこか。
中村:『Gレコ』の登場人物って、ふだんはそんな燃えてないんですよ。
富野:そうそう。
中村:結構ライトで軽くて、まあなんか熱血漢でもないんです。ただ戦闘とかミッションを与えられたら、もう火の玉のごとく戦い、動くわけじゃないですか。それがね、音的にも今回出せたなって。
富野:(拍手)
中村:でも『Gレコ』の登場人物って不思議な人ばっかりと思っていたら、まさに今の人たちなんですよ。
富野:へぇー!
中村:みんなカームダウンなんですよ、意外と。冷静で。
それでいっきょにいろんな情報を頭に入れているんで、その分析にも時間がかかるので感情的になっている暇がないんですよ、今の人たちっていうのは。若い人たちばかりじゃないですよ、我々の世代も含めて、いわゆるオンラインの人たち。
富野:本当中村さんさ、そういう解析がすごいねぇ、上手ねぇ。
中村:上手(笑)。
富野:ぼくそういう風に分析できないから、グダグダしてるんだけどね。
中村:だから監督は、才能のあるエリアの人で、ぼくはそれを吉田と共に今回はフォローする、
富野:そうかなあ。
お中村:仕事を頂いて、毎回ヒヤヒヤしているんですよ(笑)。
富野:俺才能があったらもう少し楽していたと思うんだけどな(笑)。
中村:そんなことない。才能がある人は才能ある人で大変でしょうけれどね。
でも本当にやっぱりぼく、取材で何べんも言ってますけど、素晴らしい主題歌、素晴らしいエンディングを『Gレコ』は積み重ねてきたじゃないですか。
だからファンの中には「ん?」という方もたくさんいらっしゃる。それを重々分かったうえでね、ぼくらはあえて胸を張ってこれを劇場用にやっぱり注ぎ込みたいという気持ちで作りましたからね。
富野:そう。だからそれが分かっているから、今その3本目はどういう風に使うかってかなりキツイのよね。(文字起こし「3」に続く)
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ドリカムファンの皆様へ。『GのレコンギスタII「ベルリ 撃進」』で、ドリカムが曲を歌う意味。
劇場版『Gのレコンギスタ Ⅰ』「行け!コア・ファイター」 (セル版)
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劇場版『Gのレコンギスタ II』「ベルリ 撃進」 (特装限定版) [Blu-ray]
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ラジオ番組「TOKYO SPEAKEASY」の富野監督×ドリカム中村正人さん対談文字起こし 1 [富野監督関係]
どうも。お久しぶりです。
8月21日午前1時から、TOKYO FMほかで放送されたラジオ番組「TOKYO SPEAKEASY」。
秋元康さんプロデュースの「生放送」番組で、出演が富野監督とドリカム中村さんでした。
#AuDee にて記事と音声が配信中です!
— TOKYO SPEAKEASY (@TokyoSpeakeasy) August 21, 2020
ガンダム「Gのレコンギスタ」のお話からお二人が思う「天才」など、
熱く語り合いました!
こちらでも聞くことができますので、ぜひチェックしてみてください[m(_ _)m]?♂?
AuDee⇒https://t.co/GniKEnzZbu#富野由悠季 #ドリカム #中村正人 #gレコ #speakeasy #tokyofm
そんなわけで文字起こしです。かなりラフです。ガバガバです。
約1時間番組と長いので、3回に分けて書きます。適宜・中見出しも付けました。
富野監督ファンも、ドリカムファンもラジオを思いだして。敬称略です。ではでは。
中村:本当に結構飲んじゃいましたね。
富野:時間が時間ですからね。
中村:大丈夫ですかこの時間(午前1時~2時)で。
富野:この時間が一番飲みながらやっている頃ですね。仕事。
中村:作業している時はね。不思議ですよね。健康的に生活しないとと言って健康的になろうとするんだけれど、クリエイティブはやっぱり1時過ぎに調子出ちゃったりするんですよね。
富野:2時、まあ3時くらいまでが一番いい時間ですね。
中村:冴えますよね。一日中考えてて結論出なかったのが、1時あたりにパンパンパンパンって入ってきませんか。
富野:ぼくの場合もうちょっと違う部分があって、フェードインがダーってきて、そして2時くらいに一番酔えるようにしたいって飲み方をしてます。
中村:いやーでもきついですよね。今流れてなかったの? 今の話。残念でしたね。
中村:避けて通れないのがこの状況。どうしてました?
富野:結局、仕事をやるために生きてるわけじゃなくて、生きるために仕事やってるだけのことなのよ。
だからこういう作品が作りたいとかアニメは好きだからやってたんでしょうっていうのは嘘八百で、食ってくためなの。住宅ローンを返済するためだけなの。
中村:(笑)。
富野:それだけのことなの。
そしてそのモチベーションがなかったら、なんていうの、飽きもせずにアニメのコンテなんかやってられないよね、演出なんかやってられないよねって。上等な仕事じゃないんだからっていう風に、舐めてる日があったもの。
今度は逆に、舐めるんじゃなくって、あいつがやってるんだったら、あいつを黙らせてやるためにこういう風に作るみたいなことで、言ってしまえばその創作欲みたいなものを気が付いた時に、何が起こるかって言うと、自分に創作能力はないってことに気付くって地獄が起こるわけね。
中村:はいはい。聞いてましょ今日は。
富野:その繰り返しだったなって。
中村:監督の殺してやる発言というのはその辺から始まったんですかね、やっぱり。
富野:あのね、殺してやるっていうのは。
中村:殺してやる発言(笑)。
富野:劇中でもそうなんだけれども、あの野郎叩き殺してやろうっていうぐらいに思い込んでいかないと、実を言うとフィクションは作れない。
中村:はい。
富野:で、その位やっぱり気合を入れなきゃいけないっていうことが分かってくるわけ。
で、元々能力がある作家と言われてる人はね、それをしないでね、どうもできるという才能を持ってる人。
中村:なるほど。今キュキュンときました。
富野:あと、そういう人は資料を読めるとか、過去にかなりの作品を読み込んでいるっていうデータがあるのね。
中村:うーん。
富野:ぼくに、やっぱりアニメの仕事を始めるまでそれが全くなかったんで、番組任された時に、ぼく一番始めに。
中村:アトムでしたっけ最初。
富野:違います。番組を任された、つまりシリーズの総監督をやった時。
中村:はいはいはい。
富野:一番始めにやったのは、(自身が)子どもに読ませるお話を一切知らない人間で。1番始めにやったのは児童文学の書き方っていう本を探してきて、それを読むことから始めたの。
中村:うわー。
富野:その時に本当に地獄だったわけ。それでまして、手塚先生の原作がありながら、この原作が使えないってことだけはわかるわかるわけ。
中村:(笑)。それはなんかで読んで、それはすげえなと思いましたけどね。
富野:原作を使えるようにするための能力っていうのが、ぼくにはない。だから児童文学の書き方から始めるっていう、3か月くらいっていうのは本当に辛かった。
中村:監督辛い時は、こもっちゃうんですか。それとも結構人に当たり散らすとか。
富野:違う違う。あの、こもる時間もないの。つまりその本を読み切らない限り、手塚様の原作を直すところに行けないわけよ。
その時シナリオライター5人ぐらい集まってくれて、じゃあどうするって言った時に、お前の方針だからこうするっていうのを嘘でも言うわけね。
嘘でも言いながら、これ違うんじゃなうのかなー、これやったらまたくだらない怪獣ものなっちゃうんだよねっていうことを言いながらシナリオライターに頼む。そうしたら今度シナリオライターの正体が分かってくるわけ。
中村:なるほど。
富野:あ、こいつはこの手の作品をやることに関してはプロだけども、つまり子どもに向けて作品を書くってことに関しては何も考えていない。スポンサーとテレビ局のことしか考えてないとかっていうことが分かってきたりするっていうものとの戦いだったの。
中村:逆に言うとそれらの職業の人たちも、やっぱり食うために。
富野:全くそう。
中村:監督も食うためにそれじゃダメと。
富野:だけど重要なことがあって、食うためにこういう仕事やるっていうことで、実を言うとこれをコツコツやってくと、修行になるかもしれない、勉強になるかもしれない。だからある時から分かったことがあるのは、お金を貰いながら、つまり貰いながら勉強ができるのはなんてありがたいことなんだろうっていう時期が数年ありましたね。
中村:多分今、そういう考え方の人はすごい少ないかもしれないですね。
富野:そのへんは、ぼくには分からない。
中村:でもチームの中にいっぱいいるでしょ。そこのイラストレーターとか、ぼくはセクションよく分かんないですけど、監督の周りにいっぱいいるんじゃないですか。
富野:いないいない。どうしていないかって言うと、ぼくの周りにはぼくと一緒に仕事やっていたような年代の人なわけよ。
中村:ああそうか。
富野:若くないの、もう。若くない人たちからの意見はこの10年くらい聞き続けているわけね。
中村:はいはい。
富野:そうすると、ぼくはもう今こういう風にしか仕事ができないからねっていうことを聞かされる。
それで暮らしてくの大変だよね、大変なんだけれども何よりも手が動かなくなって絵が描けないとかの話になっちゃうわけね。
中村:(笑)。目が見えないとかね。
富野:そうそうそう。病気が出てきたとかって話が先に出てくる。50過ぎてもね、この仕事やってられてありがたいねっていうとこにバンっていっちゃうから。
いわゆる創作の話なんかじゃなくなるのね。
中村:総監督のチームでさえそんなこと起きますか。
富野:もうこれはだって、60過ぎたらはっきりそっちしかないよ。
中村:(笑)。そうですか。
富野:そういう年齢に入ってるんだから。
中村:もちろんぼくも61、今年2ですからね。確かにレコーディングの現場にしてもそういう話ばっかりだから。
富野:だから現に、今度ドリカムだから、嫌でもドリカムのライブの映像見られるわけよ。
中村:嫌でも(苦笑)
富野:嫌でも見られるわけ。どうして嫌でもって言い方をするかというと、つい最近見ちゃったからなの。
中村:見ちゃったからね。
富野:美和さんがあの体でね、国立競技場でさ。これ50過ぎたらやめなきゃダメよね。
中村:過ぎてやっていますからね。
富野:そう。何故これが出来るんだろうっていうのも含めて考えるとね、実を言うと悪口になっちゃうのかもしれないけれども、「吉田美和」っていう業(ごう)がさせていることなんだろうなと。
中村:ああ…
富野:っていう所にいく。
中村:それは何ですかね、ぼくもやっぱり。話ちょっとぐっと戻っちゃうけど、その才能のある人って監督おっしゃって。
例えばぼくらも含めて、監督は才能の塊だと思っているけれど、(富野監督自身は、自己評価として)そうじゃない見方をするじゃないですか。
富野:はい。
中村:で、才能がある人って結構誰かに勝ちたいとか、殺すって思ってない人が多いですよね。なんか人と比べないっつーか。どうなんですか。
富野:あのね、そういう言われ方したことないから、本当ビックリするんだけど、本当に才能のある人ってそうでしょうね。
まさに唯我独尊なんだよお前はっていうことも含めて、
「え、唯我独尊ってなんなの。私自分ができることをこういう風に」とか、
「こういうこと好きだからやってるのよね」とか、
「こういう歌い方って素敵でしょ」とか、
「私が出てくると皆がこっちを見てくれるじゃない。だから皆さんに対して、私はこうよ、こうよ、こうよ」
っていうことしか考えてなくって。
中村:それが多分、吉田の業ということかもしれないですね。
富野:それで物が作れるんだったら、それはまさに才能っていうのはそういうもので、才能がないぼくみたいな人間がやる時はどうするかと言うと、あの野郎ぶっ殺してやろうかって思わない限り
中村:(笑)
富野:絶対にね、物語の発端さえ出てこないのよ。
中村:もうとにかく悔しいとか、誰かをやっつけてやるっていうモチベーションが物語の。
富野:全くそうです。そういうのが全くないところで、オマエ作れるものある? って言われたら、ぼく作りたいものないんだもの。(中篇に続く)
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【メーカー特典あり】 YES AND NO / G (特典:Gのレコンギスタ×DREAMS COME TRUE 特製クリアファイル)
- アーティスト: DREAMS COME TRUE
- 出版社/メーカー: Universal Music
- 発売日: 2020/07/01
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『イデオン』発動篇での、アーシュラちゃん死亡シーンのコンテ [富野監督関係]
どうも。ひと時お付き合いのほどを。
えー。今回はイデオンの話を…
今日、……日付変わって昨日か、
「伝説巨神イデオン」から40年、キャラクターデザイナーの湖川友謙氏が振り返る“あの時代”
という記事が公開されていました。
内容はけっこう、富野ファンなら知っているものが多かったんじゃないですかね。ダイターンの打ち合わせ時に、富野監督から「マズいところ見られちゃったな」と言われたとか。
逆に、富野監督が第6文明人を「地球人より大きく考えていた」というのは初めて聞いたかな。イデオンの内部が完全に人間サイズだったから、ちょっと無理あるよね…
ハルルのデザインに富野監督がリテイクを出した話。「アゴの張った女は嫌い」はこのリポートに詳しく書かれていますね。サンフェス前夜祭の「イデオンナイト!」。
リンク先のレポートでは、「(ハルルで)キシリアに勝ちたかった」とか、ハルルに関してはより深い話が読めます。
ちなみにアゴの線が嫌いとか言いつつ、例の『まるごと富野』では「ハルルが本当に好きで。僕の理想の女なんですよ」とまで言っているんですよ。
「サンライズフェスティバル2010冬銀河」のトークショーでも、理想のキャラとして「キシリアかハルル」と答えています。
まあ、ハルル魅力的だよね…顔は美人だとは思わないけれど(湖川さんいわく・ぼくは「美人をわかっていない」)。
でもルックスに関係なく、魅力的な人物を作り上げるんだから、やっぱりすごいキャラクター造形よ。
だって性格とか言動を羅列すると、全然いい女じゃないよね?(笑)
でも、ハルルのこと好きな男性は多いと思うんだよね。不完全なキャラだからこそ惹かれる、みたいな。
さて個人的に今回のインタビュー記事の白眉は、アーシュラちゃんの首を飛ばしたシーンへの言及でした。
ファンからの非難に対し、「じゃあ、老人の頭が吹き飛ぶならいいんですか?」と聞き返した湖川さん、ペキンパーを彷彿とさせるな…
ペキンパー、『ワイルドバンチ』の流血が多いことへの批判的質問に対して、「人を撃ったら血は流れます」と答えたんだっけ?
いや、話が逸れた。
湖川さんは今回のインタビューで、アーシュラちゃん死亡シーンについてこう言っているのよ。
(コンテに)「本当は首が飛んでもいいんだよな」と、小さなメモがありました。
と。
湖川さんの記憶違いでなければ、このコンテって「放送されない最終回!」と書いてある、幻のTV版43話のコンテだよね(コンテ1コマ目は「42」になっているんだよなあ…)。
この中で、アーシュラちゃんが撃たれたシーンには、あ。ちなみにコンテのアーシュラちゃんは撃たれて、後方に飛ばされています。
ここのコンテには、
(本当は頭なくなるのだろうけれど——)
と書かれています。今回のインタビューで湖川さんが言ったのはコレ。たぶんだけど。
だからTVシリーズの体裁を取っているけれど、最初から劇場版として作られたコンテってことだろうな。そして、実際にそのコンテを元に芝居を付けて作画されている、と。
ちなみに、その証拠でもあるのですが。
この43話絵コンテ、サブタイトル後にマル秘、公開禁止と書かれています。
さらにその理由に、「興業が失敗したら我々はギャラが貰えない」旨があります。今回のインタビューで山浦栄二さんから制作再開の要請があったとは言え、かなり見切り発車ではあったんですかね…
なおこのマル秘なはずのコンテ、見せてもOKな人がいます。
その条件について、以下のように書かれています。
でもコンテみたからってフィルムを想像できない人にはみせてもいいけどね
奥田誠治さん著『アニメの仕事は面白すぎる』での、富野監督への言及が興味深い [富野監督関係]
お久しぶりです。えー。
本当に久しぶりだな…。ひとつお付き合いのほどを。
先日当ブログの記事『古(いにしえ)の「ガンダムSF論争」を再構築する13のフラグメンツ』にコメントをいただきまして。
そこで、奥田誠治さんが書いた『アニメの仕事は面白すぎる 絵コンテの鬼・奥田誠治と日本アニメ界のリアル』(出版ワークス、2019年)の中で、富野監督に触れている部分がある、との情報をいただきまして。
アニメの仕事は面白すぎる 絵コンテの鬼・奥田誠治と日本アニメ界のリアル
- 作者: 奥田誠治
- 出版社/メーカー: 出版ワークス
- 発売日: 2019/12/20
- メディア: 単行本
これはさっそく読んでみたいと、価格をチェック。
1800円とややお高めだったので、札幌の一番大きい図書館から近くの図書館まで取り寄せました。このシステムは便利だ…
さて奥田さんといえば、『鉄人28号』の時代からアニメに参加しているクリエイター。
個人的には『ドリームハンター麗夢』、横山光輝版の『三国志』(FENCE OF DEFENSEの歌好きでした)、そしてなんといっても総監督を務められた『超獣機神ダンクーガ』が思い出されます。
ドリームハンター麗夢alternative1 (ヴァルキリーコミックス)
- 出版社/メーカー: キルタイムコミュニケーション
- 発売日: 2013/10/16
- メディア: Kindle版
で、『アニメの仕事は面白すぎる』。
富野監督の話題と言っても、多分数行なんだろうと思っていたら。
第9章「第2期吉祥寺時代」の中で、「『∀ガンダム』参加と富野氏」と、わざわざ小見出しだが・設けられています。
思ったより、ずっとしっかりと言及していた…
興味のある方はぜひ読んでいただきたいのですが。
内容は
勇者ライディーンで喧嘩した
∀の制作環境羨ましい(予算など払いの面)
『∀』で描いた絵コンテが全面直しされてた。
直されたことを制作担当に聞くと、他の人のコンテも全部直しているとのこと
などなど。
他にも
富野監督のコンテはスケジュールを守るだけで素晴らしいものではない、
NHKの番組(ブログ主注・おそらく2009年にNHK BS1で放送された「週刊・手塚治虫」のこと)で・好きなアトム回として「青騎士」を上げていたが、その富野コンテは原画担当だった奥田さんと吉川惣司さんが描き直したものだ、
同僚などから「富野氏」と呼ばれている理由、
と、面白い話題ばかりでした。
まあ「青騎士」の時、まだコンテ切って20本目くらいだからな…
参考までに。
『勇者ライディーン』において、奥田さんが絵コンテで参加したのは第4話「大マドン東京全滅」。
明日香麗初登場の回じゃない? 違うかな。
それ1回きりなので、喧嘩別れして、その後長浜さんに監督が変わっても関わらなかったんですね。
『∀』では39話「小惑星爆烈」、42話「ターンX起動」、45話「裏切りのグエン」、46話「再び、地球へ」、48話「ディアナ帰還」と後半立て続けに5話、担当しています。誰か抜けたんだろうか…(46、48話は斧谷稔と連名)。
ところでコンテを直されたことについて、奥田さんは「アニメ界で出世を極めてしまった彼の道楽に付き合わされたのだろうか……?」(同書、147P)と書かれています。
富野監督はコンテについてどう考えているのか?
一ファンの立場から、富野監督はなぜコンテに修正を入れるのか、監督の著作からその理由を手繰っておきましょう。
富野監督はコンテ主義と言える映像作家です。
キャリア初期は分からないけれども、年月を経てからは、その特徴は著作において顕著です。
例えば『映像の原則』(キネマ旬報社、2002年)では冒頭の「総論」において、さっそくコンテについて書いています。
それほど重要視しているということです。
またしっかり「コンテ」について章を設けています。
そこから引用しましょう。
コンテというよりも、映像作品は色々な要素が凝縮されたものですから、書き下ろし的に完成することはまずないのです。ありえない、と断定しても良いでしょう。(多少の例外はあります)
(中略)
チェックする立場のスタッフが無能か無神経か、作品に対して情熱を持っていない人であれば、コンテの修正は行われることはありませんので、これにも気をつけるべきで、安心してはなりません。
(中略)
コンテは、コンテ・マンのクリエイターとしての覚悟が投入されているものですから、そのようなものをチョット見ただけで、あれを直してこれを直せ、俺が直してやるというのは無礼千万なことです。
(中略)
他人のコンテを全部直してしまうという悪評のあるぼくですが、上記のように認めたコンテは過去に数本ありますし、全部書き直すのは極端にしても、直しを入れる場合は、一部を直しただけでは全体のバランスが崩れてしまいますから、全直しになってしまうというのは、当然の帰結なのです。(双書、204-205P、太字ブログ主)
『「∀」の癒し』(角川春樹事務所、2000年)からも、次の箇所を引用しておきましょう。
(前略)そして、シナリオのオーケーをだしたら、それをコンテ・マンにわたして、コンテにしてもらう。そのコンテを修正するのが、ぼくのメインの仕事になるのだが、ぼくの場合は、このコンテの加筆修正をすることで、創作上のワーキングの大半がおわる。
なぜなら、コンテでフイルムに現れる表現の70パーセントを支配してしまうのだから、おわったとするのだ。
(中略、この後この70%という数字はさきまくらさんと確認したというエピソードも出てくる)フイルム作業のプロセスで、ぼくが一番好きな作業はフイルム編集なのだが、今回はこれも担当演出にまかせた。他人に手渡したくない作業なのだが、『∀』では、映像のならびが重要だったので、ぼくは、コンテの加筆訂正と執筆に重点をおいたのだ。(同書155-156P)
ちなみに、『映像の原則』の引用部分。
最後の中略後には小見出しがついているのですが、それは「他人のコンテはやたらに直してはいけない」です。
実際にコンテを直された方からすると、何を言ってるんだということになるでしょうが(笑)。
ただ、どうして全直しをするかの説明はされていると思います。
また基本的に、少なくとも『∀』の時には、コンテは直すのを前提にしていることが、この文章から伺えるのではないでしょうか。もう、コンテの「加筆訂正」と執筆に重点をおいた、と書いちゃってますからね。
『アニメの仕事は面白すぎる』に出てくる富野監督関連の話、全体的にかなり辛めに書かれています。
特にライディーンの喧嘩の理由については、その随分前の章で・別な監督について「記憶力がいいので、後で言った言わないで争うことがない」旨が書かれていて。
本書いわく、富野監督との喧嘩の発端はまさにそれなので。伏線として効いている(笑)。
富野監督ファンであるぼくでも面白く読んだのは、
「勝ち組になると過去まで遡って優秀だったと評価される」だったり、
『∀』で若手に紹介された時に、内心卑下してみたり、
また別章ではあるが・サンライズ作品にて出崎さん、次いで奥田さんが参加する可能性があった事に触れて(結局辞退した)、「結果サンライズでは高橋良輔、富野由悠季の後塵を拝することとなってしまったのだが…」
などと書いているところが、なんだか(失礼ですが)愛らしく読めてしまえるのです。
また昔読んだ手塚プロ関連の書籍で(どの本か忘れてしまった)、大卒がたくさん入ってきてスタジオの雰囲気が変わった、みたいなことが書かれていて。
富野監督について触れた奥田さんの文章にも、「(当時は大卒は希であった)」の短い文章があるので、やっぱりそんな雰囲気の変遷があったのかなあと想像したり。
全体的に面白く読めるんですよね。
ところで富野監督のコンテについてなのですが、「スピードは早かったが、内容はそうでもなかった」と評価する業界人の声を、以前にもどこかで読んだ記憶があります。全仕事だっけ? 忘れた。
まあアニメを見ただけでは、ぼくにはコンテの良し悪しなんて分からないし。
正直、「富野監督らしさ」なんてものも。
前にも書いたことがあるけれど、大昔のあるアニメ本で。
ファーストガンダムの頃に、「いつも演出が印象的な回がある。調べてみたら、絵コンテは全部富野監督だった」というような「伝説」が書かれていて。記憶あやふやだけれど、書いたのは著名なアニメライターさんだったかな。
読んだのはもう20年以上前だけれど(発刊されたのはもっと前)。
その時もぼくは、このエピソードを眉唾ものと思ってしまいました。
今回の奥田さんの本を読むと、特に初期の作品では・富野監督名義のコンテであっても、実際には別な人が手を入れている可能性があるだろうし。
逆に近年の作品では、別な人のコンテであっても、実際には富野監督がほとんど手を入れているのではないかと思えます。
だからまあ、少なくともぼくは「この回のコンテは〇〇さんだから」のような評論は避けた方が無難だな、実情を知ってる人が読んだら失笑される可能性があるな、と思っていて。
今後も避けていこうと考えています。
『リスアニ! 「ガンダムシリーズ」音楽大全』で、やっと「STAND UP TO THE VICTORY 〜トゥ・ザ・ヴィクトリー〜」の作詞共作の流れが判明した [富野監督関係]
どうも。
今回はすでにTwitterで呟いた内容をもう少し詳しく。
『リスアニ!』の「ガンダムソング特集」が先日届きまして。
リスアニ! Vol.40.1(M-ON! ANNEX 644号)「ガンダムシリーズ」音楽大全 -Universal Century-
- 出版社/メーカー: エムオン・エンタテインメント
- 発売日: 2020/03/26
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- 出版社/メーカー: エムオン・エンタテインメント
- 発売日: 2020/03/26
- メディア: ムック
ぼくは赤しか買いませんでしたが…
そこで早速、ぱらぱらとめくって川添智久さんのところだけ確認した。
『Vガンダム』のOP『STAND UP TO THE VICTORY 〜トゥ・ザ・ヴィクトリー〜』についてのインタビュー。
そのインタビューでは富野監督がまず歌詞を提出して、そのあと川添さん側(みかみ麗緒さん)が直した・共作にした経緯が書かれていました。
良かった……20年ぐらいかけて、ソース取れた(笑)。
Googleで検索しても、「STAND UP TO THE VICTORY 〜トゥ・ザ・ヴィクトリー〜」でどのように歌詞を共作したか、ほとんど出てこないと思うんだよね。
富野監督が先なのか、とか、何故、とか。
たぶん、ヒットするのはこちらの記事『井荻麟作詞論 第39回「STAND UP TO THE VICTORY 〜トゥ・ザ・ヴィクトリー〜」』くらいかな、と。
で、このリンク先の記事では、書かないでいてくれているけれど。
「インターネット上で見られる記述」として引用されている、
「(最初にあがってきた歌詞が)行け行けガンダム~、みたいな歌詞だったので変えてもらった」旨の発言を(川添さんが)している。
って引用文章、書いたのは15年ほど前の俺なんだよね(笑)。
そのブログ記事自体は、内容が古くなり過ぎたのと、今回とは違う部分でファクトチェックしきれない箇所があったので、今は未公開にしているけれど。
で、このエピソード。大昔に、何かの音楽雑誌かなんかで読んだものなんですが。
後年、確かめようと思ってネットで調べても、何の情報も出てこないし。
記憶違いだっただろうか、と、ずっと気にしていたんだよね。
もう1つ、俺の記憶の中では、川添さんが「ソロアルバムでアニソンっぽい曲が何曲かあったから、オファー来るんじゃない? って話していたら、本当に来た」みたいな話をしていて。
ただこれ、調べてみると、ソロアルバムの発売が1993年3月5日、『機動戦士Vガンダム』放送が同年4月2日。
1か月しかないよ? だから、これは俺の記憶違いかと思って(結局この点は、俺の記憶違いか否か、今も分からず)。
それですっかり、「富野監督が書いてきた歌詞を、川添さんの要望で合作にした」が本当の記憶かどうかも、自信無くしていたんだよね。
しかし今回の『リスアニ!』の記事で、明言されていて良かった(笑)。
富野監督が書いた「いけいけガンダムみたいな歌詞」が、「バンバンバンバン バンババン」だったのも判明したし(笑)。
そういえばこのインタビューで、驚いたことが1つ。
『STAND UP TO THE VICTORY 〜トゥ・ザ・ヴィクトリー〜』、音楽に興味のない俺でもお名前を存じ上げている青山純さんが参加していたとは。
※「新海誠監督の映画『天気の子』を動画フル視聴!(※無料期間あり)配信サービス・DVD・Blu-rayも紹介!」の記事制作に携わっております。よろしければ。
古(いにしえ)の「ガンダムSF論争」を再構築する13のフラグメンツ [富野監督関係]
タイトル通り。
偉そうになってしまうが、評論っぽく名前はすべて敬称略にしている。
散逸している事実と論の断片を集めた文章なので、「だ・である調」と「です・ます調」が混在している。
SF作家・高千穂遥が『ガンダム』について書いている一番最初の文章は、ぼくが知る限りでは『SFマガジン』1979年7月号の「SFレビュウ」コーナーである。
『ガンダム』はちょうど放送中。この「SFレビュウ」を書いた時点では、『ガンダム』5話目まで放送されている旨の記述がある。
「SFレビュウ」の内容は、ロボットアニメはおもちゃを売るためのアニメなのだから「SFなんてひとつもない」としつつ、『ガンダム』は「そんな状況の中でがんばってるンだなア」と高評価している。
ちなみにこの「SFなんてひとつもない」は、当時放送されていた作品のことであり。
もちろん「アニメ技術だけでは今より劣っても、豊田(有恒)さんや平井(和正)さんが参加していた作品の方が、ずっとSFとしても作品としても際立っている」と指摘している(カッコ内はブログ主)。
他にも、
ロボットも『宇宙の戦士』からヒントを得て、大型の強化服として扱っている。
安彦がキャラクターデザインだから申し分なし。
『2001年宇宙の旅』越えを言っている富野監督の意気込みよし。
とおおむね誉め言葉が並んでいる。
ただこの「SFレビュウ」の時点から、「スタッフ全員がSFファンでないから難点もいろいろ多い」とは指摘している。
高千穂はガンダム企画時にサンライズから声をかけられて、内部事情を知っている。
なので「あとは、つまらない注文をつけてくるスポンサーやテレビ局をどう撃退していくかが課題」と、今後の展開を予言するかのような記述もある。
そして注目すべきは終盤。
スポンサーに負けそうになったら番組を打ち切る覚悟を持つべきだ、とスタッフにはっぱをかけた後、「それが唯一、アニメにSFを取り戻す道なのだから」とある。
『ガンダム』にSF復権の思いをのせているのだ。
この思いが後の、特に『ロマンアルバム』での酷評に繋がるのではないか。
なおここは推測なのだが、そもそも当時のSFマガジンにTVアニメを取り上げることは、普通だったのだろうか。
もしかしたら、ちょっと場違いなのに、「それでもなお」とふんぎるほど、高千穂は『ガンダム』に思い入れがあったのかもしれない。
『OUT』昭和55年4月号に、高千穂の「ガンダム雑記」掲載されました。
なおこの特集では、川又千秋も評を寄せています。
川又は『ザ・ウルトラマン』と比較して、コンセプトが「メカ・ロボットでいかにすさまじい戦闘が展開できるか」に集中している点で『ガンダム』は優れている、と論じています。
ドラマ重視の富野にはおそらく・決して嬉しくない誉め言葉だろうけれど(ちなみに富野は『ザ・ウルトラマン』にもコンテで参加している)。
まず「ガンダム雑記」の中で高千穂は、「SFに厳密な科学的正確さを要求するものではない」「作品の優劣の問題ではない。単にSFであるか否かについてのみ語っているのだ」と読者へ念押ししている。
その上で、SFがSFたる重要なエレメンツとして、
「SFとしての発想」
「SFとしての思想」
「SFとしての理念」
をあげている。
さらに具体的に「SFとしての思想」を語る中で、最終回に高千穂いうところの「幼稚な善悪」の概念を持ち込んだザンボット3を、「SF作品として」否定している。
そしてあのラストシーンをもって、富野の「SF的限界」も指摘している。
しかし高千穂は否定しつつも、
「よりSFたろうとする努力がメインスタッフの間には、はっきりとみられた」
「(第1話試写のあと)SFのけっさくとなりうる要素を秘めた作品と評した」
とプラスの評価もしている。
ただ文章の後半では、
「(5話以降は)SFになりきれないのである」
「セリフはいたずらに饒舌で、退屈をきわめた」
「見るのをやめた」
と続く。
しかし、ニュータイプを出すなら『継ぐのは誰か?』と匹敵するアプローチが欲しい、という一文に、高千穂のガンダムに対する大きい期待や愛情を感じ取れる人もいたはずだ。
けれどもここで高千穂は、後に自身が指摘する事実を見落としていたか、まだ知らなかったように思う。
それは「SFファンとアニメファンは違う」ということだ。
結局アニメファン…いやガンダムファンの視線は、前述した難点の指摘や、「『ガンダム』も偉大な失敗作だったようだ」の部分にしかいかなかったのだろう。
なにせ最後には、高千穂はガンダムファンへお願いをしているのだ。
ガンダムが打ち切りになってしまったのはおもちゃが売れなかったからだ、ファンはスポンサーのおもちゃを買ってほしい、と。
どうでもいい作品のファンに対して、こんなお願いをする必要はない。
正直、文中の「見るのをやめた」も怪しいくらいだ。実際、短い文章である「ガンダム雑記」だが、その中でも「偶然」に5話目以降の「再会、母よ…」と「ククルス・ドアンの島」を見ているのだから。
なお後の富野の発言を鑑みると、「よりSFたろうとする努力がメインスタッフの間には、はっきりとみられた」とする高千穂の発言は、梯子を外された感がある。
「メインスタッフ」から富野を除外するなら別だが。
「ガンダム雑記」には、読者からも反論があったようだが、同じSF界からも反応があった。
『SFマガジン』1980年5月号の「SFレビュウ」には、鏡明の『機動戦士ガンダム』が掲載されている。
これは、小説版『ガンダム』へのレビューである。
「ハードSFの傑作」との噂を聞いた鏡は、小説版『ガンダム』を読む。
その結果、「ハードSFでも、傑作でもない」と結論しつつ、「この作品の三分の二あたりまでは、ちょっと興奮して、読ませてもらった」「このような形のスペース・オペラが存在するのだ、という、考えてみれば当然のことを思い知らされたからだ。そして、それは、明らかに、日本独自のスペース・オペラになる」と一定以上の評価を与えている。
そしてTVアニメがSFに与えた影響も考える時期にきているのでは、と書いたうえで、この小文を下のように結んでいる。
高千穂遥あたりに書いてもらいたいジャンルだ、唐突だが、そう思った。本当に、どうして、彼は、この手のものを書かないんだろう。そうすれば、ぼくの言う意味も、少しはわかってもらえるだろうに。
日本文壇に論争がつきものであるように、SFも文壇の一翼なのだから、いや新興ジャンル故に、日本SF界でも論争はありました。
日本SF界は、日本SF作家クラブができる昭和38年前後から、SFへの批判と反論の歴史である側面があるのです。
三島由紀夫の『美しい星』(1962年、UFOをテーマにした小説)に対し、江藤淳は「SFが通俗小説であることは、それが科学という固定観念を前提にしているからである。しかし、「美しい星」の中では、火星も、金星も、いわば占星術的な光を帯びて輝いている」とSFを批判しています(江藤は『美しい星』は称賛しています。また、「疑似科学」ではなく「科学」を「固定観念」と批判している点にも注目です)。
また、吉田健一(キンゲやGレコの吉田さんじゃないよ)による「外国の小学生が熱中するものに日本のおとながわれを忘れるような時代は……こないに決まっている」や、
矢野健太郎による「Sの部分を――現在の科学の進歩に基づいたものにし、それに近い将来はかくもあろうという程度のFを加えた、そうしたSFであってほしい」といった批判もありました。
(以上の引用部分、全て長山靖生著『日本SF精神史 幕末・明治から戦後まで』河出ブックス、2018年より。なお江藤、吉田、矢野3氏の批判を取り上げているのは、おそらく福島正実が1963年に書いた『未踏の時代』で名前をあげているからだと思います)
SFへの批判に対し、当然擁護の論陣も張られます。
しかしその批判・擁護どちらもが、「科学」に重点を置いていることに異議を唱えたのが、『壁』『砂の女』などで有名な安部公房です。
安部は「両者ともに、まず疑似科学を否定しようという態度においては、完全な一致をみせている」が、「『正しい空想』だとか、『誤った空想』だとかいう、固定観念から飛躍してこそ、SFのSFたるゆえんも生じてくるのではあるまいか?」と訴えています(『SFの流行について』)。
もう1つ、安部公房の「SF、この名づけがたきもの」には、現在にも一部のうるさ型に通用する箴言が収録されています。
安部はまず、トーマス・マンの小説に「ライオンに名前がなかった頃は、ライオンは怖るべき超自然的な存在だった」旨の記述があったことを紹介します。
その上で、日本における「SF小説」もライオンのように名前が付けられ、可能性を閉ざしかけているのではないか、と危惧しているのです。
安部は次のように読者に呼びかけます。
「自分の頭の中にある、SFのイメージと一致しないからといって、駄々をこねる鼻たれ小僧みたいな真似は、どうかつつしんでいただきたい」
話は少しそれますが、この文章、「SF」を「ガンダム」に置き換えると、『Gのレコンギスタ』放送開始時のいろいろを思い返す人もいるのではないでしょうか。
そしてもっと前、『Gガンダム』の時には、ぼく自身が「名前を付けようとしていた」鼻たれ小僧だった自戒もあるのです。
(この章、巽孝之編『日本SF論争史』勁草書房、2000年より引用)
さてSF界の住人である高千穂にとって、「ガンダム雑記」は過激でも何でもない、通常の批判、議論の文章だったでしょう。
「ガンダム雑記」にしても、後の「SFを考える」にしても、かなり「分かりやすく書いた」感があります(特に「SFを考える」)。
しかしアニメファンはナイーブだったのか・議論慣れしていなかったのか(議論好きじゃないアニメファンが多いのは、今も続いている気がしますが)・はたまた単純に年齢が幼いのか、あの内容でも「ガンダム雑記」も「SFを考える」も刺激的だったようです。
『OUT』は昭和56年2月号で、高千穂の「SFを考える~巨大ロボットアニメを軸として~」を掲載。
「ガンダム雑記」の反響を受けて書かれたものであると思われる(冒頭でその反応について言及している)。10か月あけての「続編」である。
この中で高千穂は「ガンダム雑記」について、
山浦や富野からは御礼のようなものを言われたが、手紙できた一般読者からの反応は、「SFがどういったものか分からない」旨が多かったと書いている。「ガンダムの悪口を書いた」と誤読した人もいる
と反応を書いている。
しかしこの誤読は、当時「SF」になんらかの権威を見出していた(そしておそらくはSFに詳しくない)層にとっては、当然帰結すべき結果としての誤読なのである。
この文章の中で高千穂は、『ガンダム』だけではなくこの論争にありがちな、そして現在でも例えば『彼方のアストラ』で見かけた
SFとは何か
どのような作品がSFか
なぜSF好きは「この作品がSFだと分かるのか」
ガーンズバックなどのSFの歴史
自分がSFにこだわる理由
サイエンス・フィクションという名称は誤解されやすい
などについて、おそらくは小学生~中学生を想定して、まさに手取り足取りといった噛み砕いた文章で解答している。
アニメファンに興味を持ってもらうように、『コンバトラーV』に出てくるガルーダの母星の海や大陸には、キャンベル一家の名前が使われている、というトリビアも織り込んでいる。この文章では触れられていないが、なにせまんま「キャンベル星人」だしね…
ちなみにこの文章に出てくる古道具屋の修行の話、富野も「呉服屋」として後年言っている(SFに関してではないが)。
「SFを考える~巨大ロボットアニメを軸として~」は、「高千穂先生」による「SFの授業」が続く。
ハインラインによるスペキュレイティブ・フィクション(SF)=思弁小説についても説明し、こう続ける。
SFという名称ひとつに、これだけの配慮が払われていることを知って下さい。(中略)中身を良く理解してから使うべきだとは思いませんか。心が広いとか狭いとか、そんなレベルの話ではないのです。
この文章にもある「心が狭い」は複数回出てくる。
おそらく、「ガンダムをSFと認めないなんて、あなたは心が狭い」との批判があったのだろう。
SF者ではない私にも、「アニメファンにもSFを知ってもらいたい」という高千穂の熱意が伝わってくる、真摯な文章だ。おすすめのSF小説リストをつけているほどなのだ。
「SFを考える~巨大ロボットアニメを軸として~」は後半になってからやっと、『ガンダム』に触れ始める。
『ガンダム』はSFではない、理由は富野監督にSFマインドが希薄だったから、スタッフにもSFマインドがなかった、SFから逸脱した部分に焦点が合ってしまった、などなど。
しかしここでも充分なフォローはある。
富野にSFマインドはないけれど、SFの理解者ではある。
巨大ロボットもの、あるいは宇宙戦争ものとしては、割にうまく処理されていた。
さらに「SFの人間ではない富野さんは、SFから離脱してはじめて、創作における自由を手に入れたのかもしれません」の一文は、まさにSF者でないと出てこない指摘だろう。
高千穂との対談をはじめ、自著でも富野はSFが分からないことを認めている。
しかし手塚漫画を読んで育ち、ゴジラをはじめとする日本の特撮映画に不満を持っていた富野が、少なくとも当初は内心どう思っていたのか? それは分からない。
正直今「SFを考える~巨大ロボットアニメを軸として~」を読むと、これで「論争が起きるか?」と疑問になる文章である。
これで論争が起こるとしたら、考えられる理由は3つしかない。
文章を読んでいないか、読んでも理解できないか、「SFであること」に価値を見出してこだわっている層がいるか、だ。
高千穂自身は『アニメ・マンガ・戦争 安彦良和対談集』(2005年、角川書店)の中で、この「ガンダムSF論争」について、「OUT」81年2月号の「SFを考える~巨大ロボットアニメを軸として~」が発端だったと語っている。
ここで高千穂は「SFである事に、作品としての価値なんてないよ」と、SFである=作品の高評価、の図式を否定している。これは、論争当時から高千穂が言い続けている「但し書き」である。
一方で安彦は、その点には同意しつつも、あの論争によって、ガンダムの「SF的な価値」は減じたと指摘している。
なおこの対談では、安彦は「ガンダムはSFではない」は「OUTでの1回きり(「SFを考える~巨大ロボットアニメを軸として~」のこと)」と理解(発言)している。
が、そこに関しては明確に否定しておく。
「ガンダム雑記」はもちろん、また『ロマンアルバム』での解答も、おそらく「SFとして」の文脈であるはずだからだ。
双葉社『グレートメカニックG』2017年秋号では、ザンボット3の特集。
高千穂もインタビューされていて、「でも僕は、ロボットアニメは大好きです。リアルにSFやったら怒られるけど、その分やりたい放題やれるからね。その中で、どう理屈をつけるかが富野さんだし、いかに面白い活劇を作るかが長浜さんだったんです」と言っています。
リアルSFやったら、誰に怒られるんだろう? 面倒くさがるスタッフ? 意味の分からないスポンサー?
『アニメック20号』(81年10月号)では、特集「SFアニメとは何か?」が組まれた。
高千穂はこの中で「僕の作品がSFの入門書になってくれたら…」を書き、「作品の良し悪しはジャンルで判断できるわけじゃないでしょう」と書いている。再三の記述である。
また、重要な指摘もある。
それは「SFファンとアニメファンははっきりと違っています」だ。
高千穂に寄せられたガンダムファンの反論(「論」にはなっていないものが大多数だろうが)は読めないので、推測するしかない。
しかしいろんな人の文章から、ある程度は推測はできる。
おそらく、後の富野・高千穂対談や安彦・高千穂対談を読むに、「ガンダムはSFだ!」と反論する趣旨が多かったのだろう。
そこには意識する・しないに関わらず、「SFであること」に何かしらの価値を見出している根本がある。
『アニメック20号』の特集では、宮武一貴もインタビューに答えている。
高千穂と同じ「スタジオぬえ」所属で、富野作品にも参加しているデザイナーだ。
この中で宮武は、高千穂が「解り易い噛んで含めたような」正論を書いたにも関わらず(宮武は「正論」と書いている)、ファンの反応が感情的だったことに絶望している。
その中では、「『富野さんをいじめないで!』というムードのファン達には論理的思考という物がまるで理解できないのだろうか」とまで書いている。余程だったのだろう。
高千穂さんも、富野に請われてプロレス技の名称一覧を書き出したり(ギャラ出たんだろうか…)、貴重な『宇宙の戦士』をサンライズに貸して無くされたり、何より小説版『機動戦士ガンダム』出版に尽力しているのに、「いじめている」と思われるとは同情を禁じ得ない。
※『宇宙の戦士』の件については、間違いなので、コメント欄お読みください。
敬称略で統一するはずが、心情的に「さん」付けになってしまった…
先の文章で宮武は、「ともかく、SF人間には、SFをやっていない人間に対し百万言を費やしてなお説明し得ない」と相互理解を諦めたうえで、「何でSFをアニメの価値判断の基準として要求してくるんですか」と編集方針を批判している。
これは後年、安彦・高千穂対談で、高千穂が言う「SFであるかどうかと作品評価は別」と同じことである。
なお富野はこの特集で、「現代SFアニメ考--いまさらレッテルに反逆する必要もあるまい?--」との見出しのインタビュー(手記?)を寄せている。
富野自身が冒頭で書いている通り、表題と副題だけで内容がだいたい分かる文章である。
SFファンとアニメファンについて。
この手の「作品〇〇はSFか否か」という論争は、時折起こっている印象がある。
近年では2016年、劇場版が星雲賞を受賞したことをきっかけに、ネット上で「ガルパン(この記事を読んでいる皆さんには説明不要だろうが、『ガールズ&パンツァー』のこと)はSFか?」という議論らしきものが起こった。
しかしここでは、「SF」の捉え方について、ガンダムの時代とは大きな隔たりがある。
日本の本格的TVアニメシリーズの第1作は『鉄腕アトム』であった。
そして『鉄人28号』に続き、平井和正原作で・平井や半村良、豊田有恒などのSF作家が脚本で参加した『エイトマン』が放送されている。
「日本のSFTVアニメーションの流れを論じることは、そのまま、日本のTVアニメの本流を論じることと同じだと、言えるのではないか」(横田順彌著『SF大辞典』1986年、角川文庫。引用の文章は徳木吉春)とまで密接な関係があるSFとアニメ。
この歴史を知っていれば、高千穂がSFマガジンで「それが唯一、アニメにSFを取り戻す道なのだから」と、「取り戻す」という言葉を使っているのも納得いくだろう。
しかし、勿論両方のファンもいるだろうが、「アニメファン」と「SFファン」のマインドには、大きな距離があるのではないか。
かつては宮武一貴がアニメファンに伝えることを諦めたように、ガルパン時には山本弘がいらだったように。
しかし変わった点もある。
SFが浸透し、それがSFとすら認識されないほど当たり前の存在になった現在では、「SFであること」に価値を見出している人はほぼいないだろう。
『ガルパン』をSFと思っている人も、いやSF作品と呼ぶには…と思っている人も、それによって作品の価値が増減するとは考えていない。
SFであろうがなかろうが、「ガルパンはいいぞ」と思っているのだ(駄作と思う人もいるかもだが、その理由が「SFでないから」と考える人はほぼいないだろう)。
しかしガンダムの時代には、高千穂自身が文中で否定しているにもかかわらず、「SFであること」が重要な要素だ、と捉える向きがいた、ということだろう。
「ガルパンを選んだのは星雲賞の売名行為」との(的外れな)意見は出ても、当時「ガンダムを批評したのはSF界の売名行為」という意見はなかったのではあるまいか。鬱陶しいと思うファンはいただろうが。
けれども一方で、ガンダムの時代にも、そしてガルパンの時代にも変わらない要素がある。
それは、(ぼくのような、と付加しておこう)「SFファンではない」層が、議論には「SFだ」「SFではない」と参加している点である。
ガルパンの星雲賞受賞が話題になった際、この点について山本弘は「検索してたら、星雲賞は選考委員が決めるものと思ってる人が何人も見つかって、苦笑してる。まあ、そういうことを言う人は、100%SFファンじゃないけどな。」
「擁護しているはずの人たちでさえ、「学園艦周りの設定はSFとしか言いようがなかった」とか「「謎のカーボン」がSF認定されたってことなんだろうか」とか、見当違いのことを言い合っていて、読んでてイライラしていた。」
とツイートしている。
実はこの点は、ガンダムの時代と全く同じ。
1981年に『月刊OUT』誌上で行われる富野・高千穂対談でも、富野が全く同じ指摘をしている。
昨年くらいにTwitter上でちょっと話題になった、TV版『ガンダム』ロマンアルバムの発売は1980年7月。
「ガンダム雑記」の3か月後、「SFを考える~巨大ロボットアニメを軸として~」の前年である。
ここでは、高千穂と光瀬龍がかなりガンダムに批判的であった。
高千穂は「(100点満点で)2・68点」「浅薄の一語に尽きる」と散々。
光瀬も当時溢れていた、非科学的で戦争物である必然性のないロボットアニメの「愚かさの頂点」と一刀のもとに切り捨てている。「このような作品が真にブームを招くようなら、それこそアニメ産業は終りだろう」とまで指摘している。
ちなみに光瀬は、富野作品では『トリトン』についても別なところで言及している(古沢由子著『海のトリトン』の彼方へ』風塵社、1994年)。
そこでは「トリトンは繰り返し青春の夢と挫折を綴っていた」と指摘したうえで、こう続けている。
物語そのものが私の記憶に残るものではなかったとは言わないでおこう。(中略)。あの戦争と、戦争が終わった後と、二つの時代によって完全に自らの青春時代を分断され、否定された五十歳の男にとっては、夢や挫折は問いかけの領域ではなく、極めて簡単な方程式に過ぎないからだ。
ロマンアルバムにおける評価は、光瀬はそのまま『ガンダム』に対するものであろう。
しかし高千穂は、富野がガンダムの小説版を出す際に、朝日ソノラマとの橋渡しをしている。
「2・68点」のアニメを小説化するのに手を貸すとは思えないので、おそらくロマンアルバムでの寸評は「SFとしての」評価であろう。
念頭には、「ガンダム雑記」からの流れがあったに違いない。
だが(文章スペースが少ないとはいえ)そのことには一切触れていないので、普通に「ガンダム批判」と読まれても仕方ない一文ではある。
1981年には、『月刊OUT』4月号で「高千穂遙vs富野喜幸デス・マッチ対談」が実現している。
「ガンダムがSFか否か論争」は、この対談で終息したと見るのが一般的だろう。
しかし煽ったタイトルとは裏腹に、内容は穏当そのもの。始まりはティーンが多い読者・視聴者を富野がたしなめるとでも言うようなもので、さらに富野は「こちらも正直、被害者であると同時に、高千穂遙という立場でも被害者の部分があるでしょう」と発言している。
この対談の序盤で問題になっているのは、やはり過剰反応した人たちの、「SF的知識の無さ」である。
しかもそれを指摘しているのは、高千穂ではなく富野である。
富野はあるSF大会で、
「あなたが読んだSFの本を3冊上げて下さい」という項をつくっておいたらそこに、「機動戦士ガンダム」って書いてあったって言うわけね、一冊だけ。
と言って以下のように続けている。
「やっぱり僕は、ぼくの書いたものをそうやって一冊あげてもらったからうれしいとはねえ、ちょっと簡単には思えないのね。SFというのは、ちょっと違うよって」
この後2人は、近年まで続く「SFもジャンルの1つにすぎない」との意見で一致を見ている。
もうそろそろ終りだが、ここでぼくの立場も明確にしておこう。
ぼくは富野好きだけれど、ぼくより詳しい人はたくさんいる。
アニメオタクではない。名乗るにはオタクの方々に申し訳ない。
さらにSF者ではまったく、ない。ぼくはSFに限らず、本を読まない。
「あなたが読んだSFの本を3冊上げて下さい」と言われたら、無論小説『機動戦士ガンダム』は読んでいるけれど、白紙で提出することになる。恥ずかしがり屋ではある。
例えば100軒しかラーメンを食べていない人間のラーメンベスト3に、価値はあるだろうか?
『ガンダムSFワールド』(講談社、1981年)「日本SFアニメの不幸 高千穂遙に九つの質問」(資料手持ち無し)。
富野の自伝『だから僕は…』では、SFに無理解であることを富野自身が語っている。
平井も豊田も手塚のコピーくらいに思っていた、との記述もある。
この本は81年発行なので、おそらく書いていたのは前年、ちょうどガンダムSF論争が起こっていた頃ではないか。
だから「この歳になって高千穂遥なんて若造にバカにされずにすんだというものだが」(角川書店スニーカー文庫版)なんて文章が出てくるのだろう。
ちなみに「ガンダムはSFか否か論争」の富野からの最終的答えは、個人的には『だから僕は…』に記されていると考えている。
以下に引用する文章は、豊田有恒についての文章でありながら、「この歳になって高千穂遥なんて若造にバカにされずにすんだというものだが」の直後に出てくるので、私の考えもあながち大外れではないだろう。
次の文章である。
僕の場合は、SFを知っている以上に重要なのが、作品のドラマとしての仕上がりなのだが不幸にして、このレベルでの作品のあらわれ方を問題にする人は、僕らの世代ではいないのだ。ことに、SFっぽい部分のからみが出た作品であればあるほど、SFかそうでないかという判定の話に終始して、作品の評価がすべてすんでしまう。
が、僕にとっては、SFかどうかというのはあまり重要ではなく、ドラマとしてどうだったのか、という単純なレベルで考えていて、作家(クリエイターと一般的に呼んだ方がいい)が、どのような切り口で物語り得たのかという入口の問題などはどうでもいいことなのだが……と、やはり、僕はSFを意識しすぎて、嫌っているのかな?
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今宵放送の『しくじり先生』ガンダム編を、当然まだ見ていないのに勝手に要約する。 [富野監督関係]
どうも。
さて、今晩の『しくじり先生』(テレビ朝日系列、abemaTV)のテーマが「ガンダム」な訳ですが。
講師のカズレーザー先生は、何をガンダムの「しくじり」と説明したのか。まだ見ていないですが、箇条書きであげておきます。間違ったらごめんなさい。
4点あげるそうですが、うち3点は各芸能ニュースサイトで判明しております。
「ストーリーが難しかった」
「それまでのアニメのヒーロー像とはまったく違う主人公アムロ・レイのしくじり」
「子どもたちを困惑させたシャア・アズナブルの意味不明なセリフ」
「ストーリーが難しかった」は、そもそも「独立戦争」であること。子どもにとっては独立戦争と言われても、「何から何が独立するのか」チンプンカンプン…
しかも敵側であるはずのジオンは言っていることは間違っていない、むしろ主人公側の地球連邦が特権を甘受している。
「それまでのアニメのヒーロー像とはまったく違う主人公アムロ・レイのしくじり」は、
戦いを拒否、拗ねてガンダムにのらない、挙句の果てはガンダムを持って脱走(えーっ)。
「子どもたちを困惑させたシャア・アズナブルの意味不明なセリフ」は、
「認めたくないものだな、若さ故の過ちというものを」(部下の失敗を受けて、初回の最後にシャアがこう呟くんですよ、と説明してくれました)。
さて以上が、事前に判明している「しくじり」の3つですが。
残る1つは、なんだろ。
専門用語の頻出&説明なしかな。
スペースコロニー、サイド7、モビルスーツ…(それまでは「ロボット」だったんですよ)。
ちなみに「ストーリーが難しかった」は、オールドファンならアレコレ反対したいだろうけれど。
ぼく、もう何年前だろ。10年以上前?
なんかのアニメのムックをパラパラと見ていたら、「現代の子どもに過去の名作を見せる」って企画があったんですよ。
そこでやっぱり、ファーストガンダムを見た子どもが「敵味方がよく分からなかった」と感想を話していて、評価も低かったんですよね。
その時初めて、「そうか、あれは分かりずらい話だったのか!」と衝撃を受けた気が。
けど、そういや確かに、当時はストーリーよりMSの格好良さに惹かれていた記憶があるな。
その後ストーリーも理解して・面白く、2度おいしい、みたいな。
さてぼくの要約があっているか。ガンダム好きな人は、今宵の『しくじり先生』を拝聴してはいかがでしょうか。
どうせこのブログに来てくれている人なんか、すれたファンなんだろ? もう今更こんなの! ってモヤモヤして、放送前に要約書いちゃうような・ねじれた奴ばっかりだろ?(決めつけ)。
古参マウントはとらず、「これで新規ファンが増えてくれたら」と仏のような気持ちで見ましょう。
ぼくは人間できてないので・たぶん見れないので、この記事内容が当たっていたかどうか、どなたかTwitterにでもリプください。
ちなみに富野監督ファンの皆さん、3月28日に発売される『吉田豪の巨匠ハンター』、内容が昔の『キャラクターランド』での富野監督インタビュー再録でないのなら、買いだよね?
再録だったら…どうしよう? でも他に、杉井ギサブローさんや押井さんと、魅力あるメンツなんだよなー(安彦さんもいます)。
どこかのチャンネルでいつもガンダムを放送している感のあるスカパー(ブログ主への投げ銭です)
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富野監督は今までどのような本の帯コメントを書いてきたのか【追加補強版】 [富野監督関係]
仕入れが必要な外食産業ほどじゃないけれど、新型コロナウイルスによる仕事減・まじできついな…ライター仕事ください。
さて、かつてこのブログで「富野監督は今までどんな本の帯コメントを書いてきたのか。」って記事を書いたんだけれど、それから1年半経って増えたし、かつての記事はその他の情報もタラタラと書いたので、今回は情報のみを簡潔に列挙します。
年代順。たぶん、このくらいじゃないような気が…
池田貴族著『G‐1 GRAND PRIX―最強モビルスーツ決定バトル』
富野監督コメント「貴族の降霊術がここに真の対決を可能にした。笑え! 怒れ! その情念がバトルフィールドを炎に染める!!
大林太良 伊藤清司 吉田敦彦 松村一男編 『世界神話事典』
富野監督コメント「この一冊、人の心性の核を総覧する」
唐沢なをき『犬ガンダム (宇宙編)』
犬ガンダム (宇宙編) (角川コミックス・エース (KCA154-2))
- 作者: 唐沢 なをき
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2007/04/26
- メディア: コミック
富野監督コメント「『舐めろ!尻を』という本音はいい。こちらが描きたかったことをテッテイ的にあてこすられているのが気持ちがいい。ああ、私は変態です。」
石垣純哉『石垣純哉 仕事集~ROBOの石~』
富野監督コメント「クリエイターが生真面目でどうする!? しかしっ、石垣はそれでもここまで出来た。それは凄いぞ! 石垣! マジでいい! ガンダムの富野由悠季」(ブログ主注・これだけ名前も富野監督のコメントっぽいので、引用します)
亀井敬史著『平和のエネルギートリウム原子力II 世界は“トリウム”とどう付き合っているか?』
平和のエネルギートリウム原子力II 世界は“トリウム”とどう付き合っているか?
- 作者: 亀井敬史
- 出版社/メーカー: 雅粒社
- 発売日: 2011/10/11
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
富野監督コメント「フクシマまでの原発は軍事優先の思想、つまりオールドタイプの発想のものです。トリウム型は完璧といえないまでも、自然再生エネルギーの実用化までをつなぐ技術としては必須のものと信じます。」
blacksheepのCD『+ -Beast-』
富野監督コメント「メビウスの迷宮を突破するのは、これを聴いてしまった君に課せられた宿命かもしれない。 ここのサキソフォンはそれを要求し、ピアノやトランペットやチェロが黒羊たちを撹乱しようと欲望する……その映像を海のような音節のなかに語りかけるのだ。」
落合陽一著『魔法の世紀』
富野監督コメント「現代の魔法使いの杖が古典に内在するアートを掘り起こし、新しい世界への道筋と在り様を語る。若さ故の語り落としもあるのだが、その心意気は憎くも愛したい。落合陽一はニュータイプだろう」
加藤陽子著『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』
富野監督コメント「ヒトはミリタリー好きなのです。戦場が見せる無慈悲さを知りながらも、この矛盾を乗り越えるためには、戦争への道と戦場の記憶を風化させない歴史観が必要なのです。21世紀の地球は戦争をするスペアがないからです。」
安田朗著『ガンダムデザインワークス』
富野監督コメント「安田以後に超えた奴がいるか!?」
小松左京著『果しなき流れの果に』(新装版)
富野監督コメント「一度はアニメ化を考えた作品。雄大で、今なお、時空を飛ぶ」
小梅けいと画、スヴェトラーナ アレクシエーヴィチ原著『戦争は女の顔をしていない 1』
富野監督コメント「この原作を漫画化しようと考えた作家がいるとは想像しなかった。瞠目する。原作者の覚醒をもって、極寒のロシア戦線での女性の洗濯兵と狙撃兵の異形をあぶり出した辣腕には敬意を表したい。それを漫画化した作者の蛮勇にも脱帽する。男性の政治家と経済人たちの必読の書である。女たちは美しくも切なく強靭であったのは事実なのだ。」
渡辺泰、松本夏樹、フレデリック・S・リッテン著、中川譲訳『にっぽんアニメ創生記』
富野監督コメント「活動大写真と絵が動くことを可能にした時代、想像力にあふれた先進の人びとはアニメに挑戦した!」
以上です。抜けているのがあれば、当ブログのコメントでも・ツイッターでリプでもいただければ。
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Amazon会員なら聞き放題。PrimeMusicで聞けるガンダム音楽135曲を、作品別にまとめた。 [富野監督関係]
データは令和2年3月8日現在。あと字数オーバーで『Twilight AXIS』は除外。
君を見つめて -The time I'm seeing you-
- 出版社/メーカー: SUNRISE Music Label
- 発売日: 2019/09/02
- メディア: MP3 ダウンロード
STAND UP TO THE VICTORY 〜トゥ・ザ・ヴィクトリー〜
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wimp ft. Lil' Fang (from FAKY)
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- 発売日: 2014/03/03
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劇場版『Gのレコンギスタ Ⅱ』「ベルリ 撃進」EDのアイリス演出 [富野監督関係]
減収…大減収だ……もともと低収入なのに死んじゃう…
さて、何日か前に前編が公開されていた富野監督×荒木哲郎監督対談、後編が本日公開されました。
富野由悠季はなぜ『Gのレコンギスタ』に、アニメにこだわるのか。「いまだにスペースコロニーを信じている人に“もっと気をつけてほしい”」<劇場版『Gのレコンギスタ Ⅱ』「ベルリ 撃進」 富野由悠季×荒木哲郎スペシャル対談・後編>
前編も良かったですが、後編はさらに興味深い内容でした。
特に、EDについて。
ドリカムの歌『G』につけた映像ですね。
この対談の中で、興味深かったのが富野監督の次の発言。
(ブログ主注・当初届いたのはインストだけ、しかも新作作画は起こせない状況で)でも、スピード感だけは映像上でフォローしなくちゃいけない……それで思いついたのが、アイリス(アイリスワイプ)でやるってこと。これならアイリスを動かすだけでスピード感を出すことができるでしょう?
富野監督が、あのEDに自信を持っていることは、最近のインタビューから感じ取っていた方も多いかと思います。吉田美和に勝つ! みたいな。
今回も、ご自分から話題をふっているしね(笑)。
ちなみにキネ旬から出ている『現代映画用語事典』には、「アイリス」について下記のような説明があります。
編集の技術。円形マスクの拡大・縮小によって映像の切り替えをおこなうもの。(主に黒味の)円形マスクが徐々に縮小して映像が消えて(黒く潰れて)いくのは<アイリス・アウト>、拡大して映像が現れるのは<アイリス・イン>と呼ぶ。無声映画時代に一般的な技法だった。トーキー以後では、「スター・ウォーズ」(77)で<ワイプ>と共に懐古的に使われてから、古典性を意識しつつ用いられることが多い。(キネマ旬報社『現代映画用語事典』kindle版「アイリス」の項より)
さらにYouTubeに、アイリスアウト・アイリスインを実際に分かりやすく作っている映像がありました。下です。
うん、これなら一発で分かるね。
さて、上に紹介した『現代映画用語事典』の引用箇所で、特に気になる部分は「懐古的に使われる」「古典性を意識しつつ」というところです。
じつはぼく、劇場版『Gのレコンギスタ Ⅱ』「ベルリ 撃進」を見る数か月前に、偶然『現代映画用語事典』をパラパラと読んでいまして。
この「アイリス」の項を読んだ時に、「たしかにクラシック映画では見た記憶あるけれど、最近のアニメじゃないよな。見るとしたら、コメディとかパロ風味の回のオチで・使われている感じ?」などと思っていました。
上の引用では、もう40年以上前の『スター・ウォーズ』でさえ「懐古的」に使われている、となっているわけだからね。
だから最近のアニメでは、ストレートに使うことはないよなあ、と思っていました。使うとしたら、テヘペロ感で使うと言いますか(伝わるか?)
さてそれで、『Gのレコンギスタ Ⅱ』「ベルリ 撃進」EDですが。まあインもアウトもしておらず、リンク先の本文にカッコ付であるように「アイリスワイプ」が使われたわけですが。
『Gのレコンギスタ Ⅱ』「ベルリ 撃進」EDにおけるアイリスワイプは、まあ確かに新しい感じはない…。ちょっと古臭い感じが、なくもなかったのですが。それよりも。
ぼく個人としては、「牧歌的」な鑑賞感があったんですよ。
それは。今回の対談の中で、荒木監督は「水の玉だったり、ノベルだったり、ボール状のものがたくさん出てくるから」、アイリスは相応しい、とおっしゃっています。
で、ぼくは「牧歌的」だと思った理由はハッキリしている。
ぼくはあのアイリスワイプ見た時、もうG-レコ飛び越えちゃって、『∀』の例のシャボン玉思い出しちゃったんだよね、何故か。
いや、「何故か」じゃないな。アイリスワイプがふわふわ→富野作品で円いものがふわふわ→∀のシャボン玉、っていう。
だからまあ、ぼくには「牧歌的」だったけれど、やっぱりあれを「ちょっと古いな」と感じた人もいるかな。
ちなみに最近のインタビュー(今回の対談含む)を読むと。
富野監督が、ああした理由の1つには、最近の映画は黒いバックに・スタッフロールが延々と流れるだけ、って主流に不満があるかららしいけれど。
そりゃそうだよなあ。正直退屈だもん、あの時間。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の2だっけ? あれは面白かった。見られた。
だから、EDにも気を使ってくれるのは、視聴者にとってはありがたい。
ちなみに今回の対談で、富野監督は小津作品に・批判的に言及しています。
自分で全てをコントロールしようとする監督の作品は、硬いと。
まあ小津監督は、
俳優の動きだけではなく視線までも徹底し、監督の納得のいくまでリテイクを繰り返したという。岩下志麻は小津の遺作である1962年公開の「秋刀魚の味」に出演した際、巻尺を手で回すというシーンだけで100回近く撮り直しさせられたという。
という伝説があるくらいだから…(この話、何かの番組で岩下さん自ら語っていたような)。
ただ富野監督は私的映画ベスト10の中で、小津監督の『秋刀魚の味』『東京物語』をランクインさせております。
特に『東京物語』に関しては、「隙のない名作とはこのことだろう。評論する気などはない。映画を目指す人は、時代をこえて観てほしい」とまで言っています。
ま、今回の対談でも「必ずしもそうではない」と言っているので、小津作品にも失敗作…うまくいっていない作品があるってことなんだろう。
どっかのウンコみたいなまとめサイトやツイートに、「富野が小津を批判」とか書かれるのも・ファンとして面白くないので。一応書いておきました。
しかし最後の荒木さん演出の10話、富野監督から「ロボットプロレスをやりなさい」(とだけ)言われていたのか。
だからバックドロップやったのかな(笑)。
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ドリカムが歌う『G』の歌詞にちなんで…富野監督が言及する『シェイクスピア』 [富野監督関係]
クイズゲームで「シェイクスピアの4大悲劇といえば…」が出るとぼくは。
「『ロミオとジュリエット』は入っていない、入っていない」で思考がストップ・3作品目の1文字目が出たら押してやろうという気ばかり焦って思い出せずに誤答する。
1冊も読んだことないからな…
さて、ラジオ番組「DREAMS COME TRUE 中村正人のENERGY for ALL.」の放送100回目のゲストが、富野監督でした。
リンクしておいた公式HPでも、内容が少し紹介されていますが、こちらのサイトが文字起こししてくれています。
さてこの中で、富野監督は劇場版『Gのレコンギスタ II「ベルリ 撃進」』の主題歌『G』について。
作詞の吉田美和さんが、歌詞の中に「Shakespeare=シェイクスピア」のひと言を入れたことを絶賛しております。
いわく、「その一言があるお陰で、G-レコの物語が3千年とか4千年の時間を乗り越える」と。
ゼロが1個多い気もするけれど…
『G』では歌詞の解釈をリスナー自身に任せるため、あえて和訳文にしていない箇所があります。その中に、「シェイクスピア」のひと言も出てくるんですね。
富野作品を語る時に、シェイクスピアの名前を出した人は、どなたか著名な方でもいたと思うけれど…ぼくの記憶違いかな。氷川さんとか岡田さんとか。
一般の愛好者では、ブロガーさんまわりも含めて相当数いると思う。
それに当然といえば当然? なのですが、富野監督の口からも、インタビューや対談で何回か「シェイクスピア」という言葉が出てきています。
まず、タレントの市川紗椰さんとの対談。
市川さんが好きな『ダンバイン』の話をしているのですが、その中で富野監督は「シェイクスピアになりたかった」と言っています。
あ、この中で市川さんが「富野さんの作品も、説明的じゃなかったりする部分は、シェイクスピアと似ている」と指摘しているな。これかな?
また昔連載していたコラムでは、実名こそ出していないものの、酒鬼薔薇聖斗がシェイクスピア劇を見ていたら、あの犯罪を犯さなかったのではないか、と書いています。正確に言うと、この時の劇はシェイクスピアではなく、それをアレンジした演劇集団「円」の『WELL』でした(ちなみにぼくは、この意見には賛同しかねますが)。
ちなみにこのコラムの別回では、いわゆる「無限の猿定理」にも触れています。
また1999年のキネマ旬報誌上でのシド・ミードとの対談では、『ゴジラ』(たぶん初代)もシェイクスピア劇を撮るのと同じような気分で撮ってもらわないと困る、とも言っています。
富野監督は『ゴジラ』の悪口、けっこうあちこちで言っている印象あるな…
これらのことから分かるように、富野監督はシェイクスピアをすごく高いところに置いているようなので、自作の主題歌に「シェイクスピア」と出てきたら、そりゃ気合入るよね。
最近のドリカム中村さんとの対談でも、中村さんからシェイクスピアとの共通点、とか言われて嬉しかったかな。
もっとも中村さんのブログ読むと、この対談の前まで、富野監督すごく怒っていたらしいけれど(笑)。
蛇足。
連載開始50周年を記念して、Amazonアンリミテッドで『ドラえもんまんがセレクション ドラえもん50周年!スペシャル』や、学年別セレクションが読めるようになってるー!
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劇場版『Gのレコンギスタ II「ベルリ 撃進」』、ネタバレあり感想・レビュー [富野監督関係]
「大スぺタクルヒット」という不思議なキャッチとともに公開された劇場版『Gのレコンギスタ II「ベルリ 撃進」』、北海道の公開初日に見てきました。
一応マスク(マスクのマスクじゃないよ)はしておいた。でも横も前の席も空いていたから、不安はなかった。
ネタバレありの感想です。まあ、ネタバレといっても、太いストーリーはTV版通りだから…
まあ最初に・わっと思ったのは、やっぱりデレンセン教官死亡シーンですよね。
あの戦闘シーン、TV版の時はさあ…
2つの難があって。
まず、富野監督がなんかの時代劇見て、「途中のアクションシーンを抜いても分かる」と考えたんだっけ? 欠番カットが出て、殺陣がすごく分かりずらい…というか・少なくともぼくには流れが分からなかったのと。
それと「なんで言葉も交わさずに、お互いの存在を認識できたんだ?」ってところですよね。
放映当時は、結局はOPで使われた欠番カットを繋ぎ合わせる方がいたり、
お互いの存在を認識できたのは、初回でデレンセンのお叱りをかわしたのと同じ動きだからだ、と喝破した見立てをネットで見て、
おお、それだ!
と納得したり。したのに。
劇場版ではねー。そっか、「その声、ベルリ生徒だったか!」となったか。
……まあね。この方がいい。絶対に分かりやすい。
あの当時の四苦八苦…この感慨は、当時TVシリーズを追いかけていた人間の哀愁…特典だと思おう。
いや、全体的に良かったですよ。映画。
94分の間に何回バックパック換装する?! って思えるくらい、戦闘が詰まっているのに、ストーリーはちゃんと進んでいる、キャラクターも見せている、という手練れな展開が。
それにドリカムの主題歌も合ってましたよね?
目まぐるしい展開の中、ぼくがエラソーに感じたのは
1、ラライヤ、効いているな。
2、中原さんの声は劇場映えする。
3、同じシーンなのに、TV版よりコメディとしてニヤつけるシーンがある。
の3点でした。
「1」の「ラライヤ、効いている」っていうのはね。
TVでは正直、まあ後半MSに乗ったりもするけれど、あんまり作品に関与してないな、と思っていたんですよ、ラライヤ。「空から降ってきた少女」の割には。
でも、今回の劇場版ではさー。
先にも書いたように、基本的に戦闘シーンが多いから、ラライヤがでると物語が一度落ち着くんだよね。ちょっと和らぐというか。
「あ、ラライヤってこの劇場版のために存在していただな」と思うくらい。
素人がエラソーに言うのもなんだけれど、映画って当然ヤマ場の連続じゃ繋がらないわけで、戦闘シーンや状況の説明、キャラのシリアスな心情パートなんかが終わった時に、かなりラライヤが引き継いでいたな、と。ラライヤ連投していた。
富野監督自身は今作にベッカーを推しているけれど、ぼくにはラライヤがメインに感じましたね。
ラライヤの存在で、かなり映画のカラーが決まったと。
TVで聞いてももちろん魅力的だけれど、劇場で聞くと「おおっこんなに?!」と脳みそやハートを貫く声がある、と思っておりまして。
これを初めて実感したのは、『逆襲のシャア』リバイバル上映で川村万梨阿さんの声を聞いた時なんですけれど。
なんかTVもいいけれど、劇場の大音量で聞くともっといいぞ。キャラの感情も伝わる、なんというか…ちょっと恥ずかしい言い方をすれば、「声の表情が分かる」というか。
その川村さん体験をして以来、ぼくは「劇場映えする声」がある、と考えているんだよね。
で、今回の劇場版『Gのレコンギスタ II「ベルリ 撃進」でも。
ステアさんの声は「あーやっぱり劇場で聞いてもカッコいいなー。なんで他のアニメでも使われないんだ?」と思った。
そして、劇場でバララの第一声を聞いた時は。
「あれっ。こんなにも中原さんの声って可愛い…蠱惑的だった?!」って、ちょっと驚くほどだったんだよね。
いや、もちろん中原さんの声が良いってのは知っているよ。おねツイの時から。
でもちょっとねー。これほど蠱惑的になっちゃうと、バララが必要以上に可愛くなっちゃうんじゃねーの? って杞憂しちゃうほど良かった。
そういやさ。
このバララに関して。富野監督が舞台あいさつで。
(バララの足を、マスクが押し出すシーンで)「バララの足を受け止めるカットができたときには、『うまくいった!』って一晩中泣いていたくらいでした。人間関係をワンアクションだけで描けるということをやれたのは、50年近くやってきて初めてですからね。あのシーンには身震いもしたし、それこそエクスタシーを感じましたね」
とおっしゃったらしいですが。あの…お言葉ですが……
ララァとシャアが同じソファに座るシーンは? 劇場版Zでも、「エマとヘンケン、TVとは違って劇場版ではできているんだな」って一動作で分かるシーンあったよね?
富野監督、人間関係をワンアクションで描く、ずっとやってらっしゃいますよ。クエス「ペッ!」なんてストレートすぎるものじゃなくても。
ちなみにこの舞台あいさつで、富野監督はGレコではバララが「一番いい女」って言ったらしいけれど。
ぼくは富野作品は女性キャラがどれも魅力的すぎると思っていて(幕の内弁当理論) 、これ以上バララが魅力的になると・相対的にアイーダ様が……(笑)。
TV版と同じはずなのに、やっぱり繋ぎ方で変わってくるんだね。
「3」の「同じシーンなのに、TV版よりコメディとしてニヤつけるシーンがある」は。
ベルリが言った「謝ることできるんだ」とか。ちょっと笑った。
アイーダ様の「嘘ついちゃった(テヘ)」は・TV版と同じく「笑って済ませられること?」と心の中で突っ込みいれていたけれど(笑)。
あと、やっぱりマスクが飛び乗ろうとするシーンですよね。敵であるベルリに助けてもらい、ライフルの銃身で押してもらいながら。
歴代の富野作品で言うと、洸はもちろん、ショウだってビルバインに格好よくとび乗った(?)のにマスクときたら…
今回、戦闘シーンが多いってことは、イコールそれだけマスクが負け続ける、ってことだからね。
このシーンを決定的にして、マスクがコメディリリーフに見えてきた…
まあぼく、G-レコは笑いながら見て良い、なんなら頭カラッポにして・ただただにぎやかな画面や・濃密ストーリー展開を楽しむだけで良い、と思っているので。
富野監督自身も再三、おっさんに
うおおおおお今・伊集院の『深夜の馬鹿力』聞きながら書いているんだけれど、深夜2時40分、ドリカムの『G』が流れた!! 大好きな『深夜の馬鹿力』で、劇場版G-レコ2の主題歌『G』が!
あれ、何書こうとしていたっけ。興奮して忘れた。
あ、そうそう。富野監督自身も大人は見なくてよい、子どもに向けて作った。大人には分からない、とも言っていたので。
ぼくは深読みとか、メッセージをくみ取るとかは一切放棄しております。
だからそういう姿勢もあるのかもしれないけれど、TV版よりもちょっと「ふふっ」とできました。
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劇場版『Gのレコンギスタ II』「ベルリ 撃進」 (特装限定版) [Blu-ray]
- 出版社/メーカー: バンダイナムコアーツ
- 発売日: 2020/03/27
- メディア: Blu-ray
リスアニ! Vol.40.1(M-ON! ANNEX 644号)「ガンダムシリーズ」音楽大全 -Universal Century-
- 出版社/メーカー: エムオン・エンタテインメント
- 発売日: 2020/03/26
- メディア: ムック
リスアニ! Vol.40.2(M-ON! ANNEX 645号)「ガンダムシリーズ」音楽大全 -Other Centuries-
- 出版社/メーカー: エムオン・エンタテインメント
- 発売日: 2020/03/26
- メディア: ムック
ドリカムファンの皆様へ。『GのレコンギスタII「ベルリ 撃進」』で、ドリカムが曲を歌う意味。 [富野監督関係]
えー。
いつものみなさん、どうも。ドリカムファンのみなさん、はじめまして。
さてこのたび、ドリカム(「さん」付けるのもなんかおかしよな?)が、劇場版『GのレコンギスタII「ベルリ 撃進」』のテーマソング『G』を発売することになりましたね。
ドリカムがアニメソングを手掛けること自体、珍しいと思いますが…
アニメに興味がないドリカムファンのみなさんにとっては、「なんかよく知らないけれど、人気がある(らしい)ガンダムってアニメのテーマ曲を手掛けるんだ」くらいの感想で、それよりは「新曲聞ける!」「1年以上ぶりの新曲!」という喜びだと思います。
もちろんそれで全然OKなのですが、この記事を読んでもらうことで、「そうかあ、その流れの中にドリカムの曲もあるのか」とドリカムファンのみなさんに知ってもらえたら、まあ富野ファンの1人として、幸せと思う次第です。
さて「ガンダム」って。
一言で「ガンダム」といっても、ちょっと複雑なんですよ。
1つの作品を、多くの人が紡いでいる。ペリー・ローダンシリーズのような……
あっすみません。今の違う。
えーと。カレーだと思ってください。カレーライス。
一言で「カレー」と言っても、作っている人によって味が違うじゃないですか。
ガンダムもそうなんです。監督やスタッフによって、まったく作品のテイストが違うんですよ。ストーリーもキャラクターも世界観も、全く違う。
で、今月23日に、中村さんのラジオ『ENEOS presents DREAMS COME TRUE 中村正人のENERGY for ALL』に出演する富野由悠季監督って人は、はじめてガンダムを作った人なんです。
ガンダムって、『ドラえもん』や『進撃の巨人』や『鬼滅の刃』と違って、原作漫画がありません(後年に発売された漫画はうなるほどある)。
富野監督って人は、監督だけじゃなく、ストーリーラインも作った人なんです。
あ。
ちなみに中村さんの妻であるMAAKIIIさんが・以前所属していた「HIGH and MIGHTY COLOR」もガンダムのオープニング曲を歌っていますが、その『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』は、富野カレーではありません。別カレーです。
さて。
それでぼくは、「ガンダムシリーズ」が好きなのではなく、「富野作品」が好きなのです。
なのでぼくの中では、今回ドリカムが曲を歌ってくれる劇場版『GのレコンギスタII「ベルリ 撃進」』も、「ガンダム」って流れではなく、「富野作品の最新作」という立ち位置になります。
ちなみに『Gのレコンギスタ』も独立したカレー……作品なので、他のガンダムシリーズを一切見たことがなくても、まったく問題ありません。
この話は、富野監督いわく、ですが。
はるか昔、1960年代とか70年代とか、アニソンはあまり価値を認められておらず、楽曲は「学芸部」あつかいでした。童謡などを扱う部署ですね。(出典・富野由悠季が語る“アニソン”の価値基準の変化)
この話はひょっとしたら、ドリカムファンのみなさんも小耳に挟んだことがあるかもしれません。
もう10年以上前になりますが、『中村正人の夜は庭イヂリ』で富野監督がゲスト出演したことがあって、その時にちょっと喋っているからです。
富野監督は毀誉褒貶ある人ですが、アニメソングの社会的認知の向上に一役買ったことは間違いないかと思います。
富野監督自身の言葉を引きます。
アニメ音楽というジャンルが“子ども向け”という認識を受けている状況を突破しなくてはいけない、とも感じていました。(富野由悠季が語る“アニソン”の価値基準の変化)
もう1つ引用。
僕の場合はもうひとつ重要な闘いがあって、アニメのオープニング、エンディング曲はレコード会社、これはコロムビアさんも含めてなんだけど、この時代は また「学芸部」の仕事だったんですよ。つ まりふつうの楽曲扱いじゃないんです。
―完全に子供のものだった。
現に担当者もそういう人が来るので、勘弁してくれよっていう世界でした。これを突破するにはどうするかっていうのから始まってるから、僕の詞のあり方も、そこから逃げ出すために七転八倒してきたってことです。(キャラクターランドVol.2「『海のトリトン』オリジナルサウンドトラック発売記念企画 富野由悠季SPECIAL INTERVIEW)
さてはて。そんな想いを持つ富野監督の作品ではこれまで、色々な作曲家や歌手が参加してきました。もっとも富野監督は、「自分はキャスティングしていない」旨の発言を何回かしていますが…
参加してきた作曲家・歌手の中には、もちろんアニメ界の大御所もたくさんいます。
そして一方では、80年代に入ってから、例えば馬飼野康二さんだったり芹澤廣明さんだったり、いわゆる歌謡曲を手掛けている方も富野作品に参加しています(お2人は『ベルサイユのばら』『タッチ』など、アニソンのヒット曲もありますが)。
その後も千住明さん、鷺巣詩郎さんなどなどが富野作品の音楽を手掛けてきました。
また富野監督の映画で言うと、これまでTM NETWORKやGacktさんなんかが主題歌を歌っています。
ガンダムファン的には、なんと言っても森口博子さんなのですが……
今回ドリカムさんがキャスティングされた理由を富野監督は、妻の亜阿子さんに相談して決めた、とコメントしています。
それは事実でしょう。
しかしぼくには、ドリカムが持つメジャー性と無縁とは思えないのです。
もう「アニソンの価値を高める」時代ではないでしょう(と、少なくともアニメ好きのぼくは思っています)。
しかしドリカムが歌うことによって、G-レコは当然、ガンダムやアニメに興味がない層にも、劇場版『GのレコンギスタII「ベルリ 撃進」』の主題歌は届く、と。
『救命病棟24時』は見たことなくても、『朝がまた来る』『何度でも』は知っている、というようなね。
いやもちろん、ドリカムの曲をきっかけにして、多くの方が劇場版『Gのレコンギスタ』を見てもらえたら、ファンとしてはもっと嬉しいんですが…
ただ富野ファンの1人としては、かつて富野監督がアニメソングを「子ども向け」から脱皮させようと四苦八苦していて、現在アニソン周りの状況は変われど・その思いが今も息づいているから、今回の超メジャーであるドリカム起用に繋がったと考えているんですよね。
で。
ドリカムファンの皆様にも、『G』を聞く時に、富野監督はかつてそんな思いを持っていたんだ、と頭の片隅にでも置いていていただければ、味わいがいっそう深くなるかと思い。
余計な一文を書いた次第です。
最後に1つだけ。
劇場版『GのレコンギスタII「ベルリ 撃進」』の初日舞台挨拶で、中村さんが登壇。
その際に中村さんは、富野監督から「(起用は)失敗だったかな」と言われたことを冗談まじりで話していたようです。
これに関し、ちょっと説明しておきたいと思います。
アニソンの話とは一見矛盾するようですが、富野監督は作品を作る際に、「子どもに向けて」ということを強く意識しています。
特に今回の『Gのレコンギスタ』では、その思いが顕著です。
この作品をヒントに様々なことを考えてほしい、大人になった時に「あ、G-レコのあれはこういうことだったのか」と気付いてほしい、との思いなのです
だからG-レコ関連のインタビューで富野監督は、「大人は見なくていいから、子どもに見せてほしい」と散々言っています。
ドリカムファンの皆様、考えてみてください。
吉田さんや中村さんが、「今度の新曲、あなたは聞かなくていいから、子どもに聞かせてください」なんてイカレたこと言いますか?
しかし「子どもに見せたい、見せたい」という思いだけが先走り、機会があるたびに「大人は見なくていいから、子どもに見せてほしい」と富野監督は言い続けるのです。
だからリンク先の記事にあるように、「若いファン層を取り込みたい」思いから、この発言につながったのだと思います。
劇場版Gのレコンギスタ テーマソング『G』特別サイト
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『忘れじのカルチャー倶楽部 クラッキクロニクル 〜タイムマシンに気をつけろ!〜』のテーマ「ガンダム」回で、吉田健一さん登場 [富野監督関係]
シネフィルWOWOWで押井監督、すみぺさん、小黒祐一郎さんによる『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー 』のコメンタリー版が放送されるというので、数年ぶりにスカパーと契約しました。
スカパーと契約すると、個人的に一番楽しみなのが契約者用のチャンネル「BSスカパー!」を見られること。
正直、どこかの専門チャンネルの番組より、「BSスカパー!」で放送されている『ダラケ!』『田村淳の地上波ではダメ!絶対!』を見られるのが嬉しいんだよな…
どこの専門チャンネルとも契約せず、基本料金だけ払って「BSスカパー!」を見れたらいいのに…(現状では必ず基本契約+チャンネル最低1つとの契約が必要)。
さて、そのスカパー契約者だと見られるチャンネル「BSスカパー!」では現在、『忘れじのカルチャー倶楽部 クラッキクロニクル 〜タイムマシンに気をつけろ!〜』が再放送されています。
主に昭和40年代生まれの人を対象にした番組(でいいのかな?)で、「付録」「ウルトラQとウルトラマン」「昭和の声優文化」「フォークソング」など毎回テーマを変えて放送しています。
メインMCはサッカー実況などで著名な倉敷保雄さん(だから番組名が倉敷→愛称クラッキ→クラッキクロニクル)。
先日再放送された第9回・本放送は昨年9月では、テーマが「ガンダム」でした。
ゲストはキンゲやG-レコで・富野作品ファンにはおなじみ、吉田健一さん。
吉田さんと倉敷さんは、倉敷さんの本の表紙を吉田さんが担当するなど、以前から交流があるようです。
番組は、途中で歌紹介などを挟みつつ、吉田さんがご自身で書いたコンテ絵的ラフを使いながらガンダムの魅力・見どころなどを説明していました。
あのラフ絵、全部見たい……
一部は、吉田さんがご自身のツイッターに上げていました。
(この画像クリックすると該当ツイートにいきます)
では以下、ざっくり、本当にザックリと番組内容です。
吉田さんの着ているTシャツ、メトロン星人が描かれている……
吉田さんが『ガンダム』で好きなのはザク。ザクとモノアイ。
住んでいた熊本県では放送していなかった。
ジオン兵が良かった。
吉田さんが好きな井荻作品は『愛のフィールド』。倉敷さんはララァ系の歌が好き。
これからはしばらく、ガンダム1話冒頭の話。ザクの目を消している。
無重力空間の演出を、さらりと(しかし)しつこくやっている。
上からの視点で、降下するザクとコロニーの地表を描いたカット。吉田さんの描いた絵には、「この絵はもう生まれて始めて見た光景ですよ!! だんぜん新しい!! …と、思ったものです…オレは、もうもっていかれました」との走り書き。
着地した音で、(ザクが)重いと分かる。
ジオン兵が覗く双眼鏡の景色から、コロニー内が円形だと分かる。
細かい描写をやりながら、細かい説明はしない。目線誘導だけでやっている。それを視聴者の知りたい順番にやっている。
これ以降はキャラクターや戦闘シーン、NTについて。
キャラクターについて。ラル一行との邂逅シーン。憎むべき敵とは違う、普通の人がいっぱいいると分かる。
吉田さんと倉敷さんによるマチルダさん話から、声もいい→歌もうまい→『コスモスに君と』の話にも。
吉田さんいわく、ミハルは自分たちの代表だと思う。自分たちがあの世界にいたら、ああなっちゃうのかなと。
MS戦について。コンスコン戦。アムロはライフルを撃ち尽くしたあとに、戦艦にビームサーベルの柄を押し付けてから、ビームを出す。その時一瞬、反動がある。それがたまらんかった。
ララァはオリエンタルな雰囲気もあるし、(それまでの他のキャラと)違う。(視聴者は)この人どんな人だろう? と思う。ちょっと違う感を、絵で描いている。
吉田さんはアムロが安彦さん、シャアが富野さん説を持っている。
演出もやる・絵も描きたい(吉田さん曰く「絵を伝えることが上手なんだと思っている」)シャア=富野監督と、絵を一発描くだけで何かを全て決定してしまうかのようなアムロ=安彦さん。
シャアとアムロは孤独になっていく。演出家とか、才能ある人も孤独になると思う。あのお2人(富野監督・安彦さん)ならなおのこと。
(2人をつなぐ)ララァは星山さん説。
吉田さんに影響を与えたアニメキャラベスト10。1~3位は『母をたずねて三千里』から。アメデオはデザイン的にも扱いもキャラクターも、フィクションと現実のギリギリのライン。
そして7位に、まさかのアバデデ様!(ブログ主注・フリップではなぜか「様」付き。アバデデか…「忠義忠節だけの男。面白くもない……」)
以上です。本当にざっくり・ザックリでしたが…
本当はトーク、映画順に進んでいましたが、このようにまとめちゃった。
にしても吉田さん、どうしてアバデデ様選んだのか、聞きたかったな。
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富野監督の「人類観」に対する、押井監督と平井和正さん評の違い [富野監督関係]
忘れていなければ、たぶん明日も更新する。
さて昨日、富野監督ファン界隈のツイッターは、押井守監督の『【連載エッセイ】押井守の映画50年50本』の「1988年『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』編」で、少し盛り上がったかと思います。
この文章は、8月に発売予定の立東舎『押井守の映画50年50本』の連動企画で、同社のHPに公開されたもの。
Amazonの商品説明読むと、同書では逆シャア以外に『2001年宇宙の旅』『わらの犬』『ブレードランナー』なんかが紹介されているようですね。
でも立東舎さんHPにある『【連載エッセイ】押井守の映画50年50本』では、1968年の分もアップされていて、そこでは『2001年宇宙の旅』ではなく『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』(別名『ウエスタン』)が選ばれているけれど(笑)。
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今回のエッセイで富野ファンが衝撃を受けたのは、なんと言っても「宮さん、よく富野さんに電話しておしゃべりしていたからね」ではないでしょうか(個人的にはほかに、ぼくは知らなかった伊藤さん・高橋さんの関係に流れ弾が飛んでいるところも面白かった)。
あと、そうだなあ、「(劇中のセリフの多さは)僕どころじゃないよ」と笑い交じりにおっしゃっているけれど、いやいや『御先祖様万々歳!』を作った方が何を……とは(笑)。
さて熱心な富野監督ファン、あるいは押井監督ファンの中には、押井監督が『逆襲のシャア』について触れる(しかも褒める)ことについては、知っていた方もおられるかと思います。
今回のエッセイでも記述があるように押井監督は、庵野監督などが手掛けた同人誌『逆襲のシャア友の会』のほか、『アニメージュ』誌上でも俎上にあげているし。2人で対談もしています。
『ガンダム』は観ています。特に『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』(88年)は、かなりしつこく観ました。
あれは特筆すべき作品ですね。(91年4月号)
持ってないから確認できないけれど、この文章はたぶん『すべての映画はアニメに変わる』に収録されているんじゃないかな。違ったらすまん。
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同じ『アニメージュ』の誌上で対談したのは93年、『Vガンダム』が始まった頃。
互いの作品、Vガンとパト2についてや、TVアニメと劇場版アニメの違いなどについて語り合っております。
個人的には、劇場版『パトレイバー』と逆シャアって、見た時期が近かったこともあって、逆シャアにどうしても「時代遅れ」を感じてしまったんだよね。
大昔にもこのブログで書いた記憶あるけれど、OSの概念の導入とか、「CGと分かって良いところでCGを使う」手法とか、『機動警察パトレイバー the movie』って衝撃的だった。
ホラ、逆シャアのCGコロニーのシーン、やっぱり違和感あるでしょ?
最後のMS同士のどつきあいとかさ…だから当時の逆シャアって、ぼくは「劇場版パトに比べると古臭いけれど、でも好きなんだ!」って作品だったの。
だから押井さんが逆シャアを激賞していると、知ってはいたけれどちょっと不思議な感じもします。
ちなみに逆に、富野監督がトークショーやインタビューなどで、押井監督に触れたのは……
あるイベントで、インタビュアーから・実写パトや庵野ゴジラなど、アニメ監督が実写作品を手がけていることについて聞かれたことがあります。ノーコメントにしているけれど……
別のイベントでは、明言していないけれど『イノセンス』を否定的に言っている。そのくらい?
さて押井監督が逆シャアを「日本のロボットアニメが到達したひとつの極点」「たとえガンダムやロボットアニメに興味がなくても、ドラマとして、人物として鑑賞できる作品のはず」とまでプッシュする理由の1つは、
「富野さんはそこまで人類に絶望しているんだなって分かったから」と説明されています。
シャア=富野監督、というのは今までも見られる説ですが(ちなみに明日紹介する予定ですが、吉田健一さんも同じことを語られています)。
シャアが富野さんの本音を代弁して、人間なんてダメだ! 粛清してやる! とアクシズを落とすわけですね。
しかもここからはぼくの推測ですが、おそらく・富野監督っぽくいうと「やってみせる」ことが重要で、結果はあまり問わない、と。
まあマスクもかぶってないし・鉄仮面と違ってむき出し。サイコフレームの奇跡は「物語を終結させるための方便」で、見る限り・やっぱり力点は「アクシズ落としたる!」にあると感じるし。
だから富野監督のむき出し感がある。押井さんの書いてらっしゃることも分かる。
蛇足ですが、例の有名な庵野監督による「パンツはいてる・はいてない」も、ここら辺のことじゃないのかな。
さてここで、自らの作品を「人類ダメ小説」と称していたSF作家がいます。平井和正さんっていうんですけれど。
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今は亡き平井さんの富野監督評が、今回の押井さんとは真逆だったので、ご紹介しておきます。
ま、発言の時期が違うからね。平井さんの発言は、イデオンの頃だから。
(ブログ主注・平井作品が絶対的な善悪構造であるのに対して)富野さんの場合にはそれが相対的な構造になっている。富野さんは心優しいわけですよね、人間を信じている。私のようにとことん冷酷になれないんですね。
ですから富野作品の中には、徹底した悪人は出てこないです。(ラポート㈱『伝説巨神イデオン大事典』43-44P)
これも、納得出きるところですよね。
富野監督、人間を信じたり、絶望してみたり。波のようにその時期によってたゆたっているのか。
それかイデオンの頃には信じていたけれど、その後闇落ちしたのか(笑)。
ただまあ、∀は人類が一回絶滅してからの話だったり、G-レコもクンタラがいたり技術がタブー化しているところを見ると(しかも富野監督の中では∀より後年設定)、人類への絶望感は根深そうだな、とは感じます。
こう書くと、人間賛歌と人類絶望が同居しているな、富野作品。
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