『カノジョも彼女』が面白い理由・無視する「関係の唯一性」 [アニメ周辺・時事]
ぼくはあまり漫画を読まないんだが、TLでオススメされていたので、『カノジョも彼女』をちょっと読んでみたのが昨年の7月。
その後、数か月経ってからの感想だけど。下のぼくのツイート。
久しぶりにカノジョも彼女読んだ。
— 坂井哲也 (@sakaitetsu) October 22, 2020
大昔に某社会学者が書いていた「パートナーの唯一性」とか、談志師の「業の肯定」みたいな言葉が頭をよぎるんだが、「2人の彼女を大切にしたい」というパワーワードにどうでも良くなってしまうな(笑)
この時、本当に「ちょっとブログで『カノジョも彼女』の記事書こうかな」と思っていたんだけれど。
しつこいようだが漫画に疎いので、初読の時には気づかなかったんだが、再読した時に。
あ、この作者さん『アホガール』や『マンガ家さんとアシスタントさんと』の人だ、と気づいたので。
じゃあギャグというかコメディ成分多くなるだろうし、おじさんが真面目に語るのも野暮か、と思ってやめていました。でも。
マガジン史上最速でアニメ化されることが、昨年発表され。アニメ化するなら、やっぱり書いておこうかなと思い直しました。仕事もちょっと空いて、時間に余裕できたし(確定申告の準備しろ)。
「ヒロイン選択系ラブコメ漫画」の前提を否定
さて、『カノジョも彼女』がどんな漫画かは、皆さん知っている前提で進めます。
知らない方は、主人公・高校生の直也が、可愛い2人の女の子「咲」と「渚」どちらかを彼女として選べず、合意の上で2人とも「彼女」として交際を始めるラブコメディだと考えてください。
あと、Kindle版が1巻無料になっているので、興味あれば(専用デバイスなくても、パソコンで読めるよ)
『カノジョも彼女』の設定は無論、漫画少年誌に一定数存在している「ヒロイン選択系ラブコメ漫画」へのアンチテーゼ…は大袈裟か、パロディーなのは明白です。
公式のポスターでは「ネオラブコメ」なるキャッチが使われていますが、「誰か1人を選ばないで・どちらも選ぶ」設定が、「ネオ」なのでしょう(たぶん)。
「関係の唯一性」を無視
思えば「ヒロイン選択系ラブコメ漫画」は、少年誌では・大昔はあまり見かけなかったように思います。
「南ちゃんと由加どっちを選ぶだろう?」とか、「まどかとひかる、どっちエンド?」なんてことを考えている読者はいなかったでしょう(どっちのみゆき、はあったかも知れないけれど…)。
少年誌における「ヒロイン選択系ラブコメ漫画」の走りは、個人的には『魔法先生ネギま!』(2003-2012年)とか、『いちご100%』(2002-2005年)とか、そこら辺からかなとは思うんだけれど。異議があればご自由に。
まあ多分、ラノベとか、ゲームのマルチエンドとか、もちろん青年漫画とか、色んなジャンルの影響を受けながら、現在まで続く少年誌の「ヒロイン選択系ラブコメ漫画」が成立していった、という流れではないでしょうか。
さて、少年誌における「ヒロイン選択系ラブコメ漫画」において、主人公の少年は「誰を選ぶか」については悩んでも、「なぜ1人だけを選ばないといけないか」について、本格的には悩みません。
勉強ができる成幸くんも、同じく勉強ができるフータローくんも、ヒロインの間で揺れ動いたりしても、根本的な問題である「なぜ1人だけを選ばないといけないか」=「関係の唯一性」については考えません。自明の理となっています。
『カノジョも彼女』が秀逸なのは、秀才の2人が悩まなかった「関係の唯一性」について、主人公の直也くんは真摯に悩み、真摯な結果として「二股状態」を作りだした点です。
そして、「二股」をギャグの必殺武器にして・読者を笑わせにきます。
ところで男女間における「関係の唯一性」への疑問は、少年誌の「ヒロイン選択系ラブコメ漫画」以外では、当然のように大昔からテーマになってきました。
小説では掃いて捨てるほどあるでしょうし、映画でも同様です(愛の不毛、アントニオーニ!)。
そして勿論、漫画にもたくさん、そして昔からあります。読まないから知らんけれど、おそらくエロ漫画でも・ハーレムエンドの作品なんて山のようにあるでしょう。
さて昔のある漫画について、社会学者さんが書いた『まぼろしの郊外』という本の一部を以下に引用します。
ちょっと長くて、難しい言葉もあるかもしれませんが、『カノジョも彼女』ファンは、是非読んでみてください。
『カノジョも彼女』の面白さが、より深まるはずです。
宮台真司著『まぼろしの郊外』からの引用(改行・行間アキはブログ主)
翌七八年には、「関係性モデル」としての恋愛マンガが、少年誌に取り込まれる。先鞭をつけたのが、少女マンガを書いていた柳沢きみおの『翔んだカップル』だった。
当初は「乙女ちっく」的な「思いは通じない」モチーフ、ないしは「乙女ちっく」以前的な「誤解ドタバタ」モチーフが中心だったが、連載開始数カ月たつと、ディスコミュニケーションの中身が徹底して深められ、シリアスドラマに変じる。
『翔んだカップル』が興味深いのは、「ロマンチック・ラブ」にまつわる根源的弱点が、極めて深いレベルまで探求されていることだ。
弱点というのは「関係の唯一性」の問題である。
ロマンチック・ラブにおいては、相手に恋する理由は完全に「主観的」である。理想的属性も、愛する本人にとってしか意味を持たない。
この主観性がロマン主義的と呼ばれるゆえんだが、主観性は「根拠のなさ」に一直線に通じる。
「恋愛」は偶然の出会いによって情熱をかき立てられるが、問題は、情熱がかき立てられてしまう理由にある。
「かわいいと思うから」「自分に似合いだと思うから」「センスがいいから」「一緒にいると疲れない」……。
相手を好きになる理由はいろいろあろう。
でもこうした理由は相手が「唯一の相手」であることを少しも証明しない。
かわいいと思う相手はいくらだっている。自分に似合いだと思う相手だって、センスがいいと思う相手だって、疲れないと思う相手だって、広い世の中にはたくさんいるに違いない。
だからそんな理由で相手を愛するのは、むしろ相手がその人でなくてもいいことを証明していることになる。
『翔んだカップル』『新・翔んだカップル』『続・翔んだカップル』と長きにわたる連載(『続・翔んだカップル』は書き下ろし)を通じて、主人公・勇介は「関係の唯一性」を追求し、それを確証できずに苦しむ。
唯一性を確証しようと多くの異性と関係すればするほど、どの異性も例外なく相対化されてしまう。そんな相対的な相手に「命がけの恋」はできないが、「命がけの恋」への憧れはそれこそ身も世も焦がすほど…(宮台真司著『まぼろしの郊外 成熟社会を生きる若者たちの行方』朝日新聞社、196-197ページ)
でも「関係の唯『二』性」は守ろうとする
引用文のあとは、「こうしたマンガが登場した背景には、性愛コミュニケーションの自由化がある」と続きますが、それは置いておいて。
『カノジョも彼女』に興味があって、この文章を読んでくれている若い皆さんは、『翔んだカップル』なんて読んだことないと思います。
実はおじさんのぼくでも、世代ではないので未読です。
柳沢きみおさんというと、『青き炎』だったり『DINO』だったり、ドラマが放送されていた『特命係長 只野仁』だったり。
正直、「え、あの絵柄でラブコメ?」と思いますが…
『翔んだカップル』の掲載紙は、偶然にも『カノジョも彼女』と同じ週刊少年マガジンです。
『カノジョも彼女』のもう1つユニークなところは、「関係の唯一性」は無視して二股をしている直也が、「関係の唯『二』性」は守ろうとする点です。どうしてだオマエ。
まあ、「二股はするけれど真摯」「三股は拒む」というのが、この漫画の(特にセリフにおける)ギャグ部分の最大の武器になっているのも理由だと思いますが…
おそらく、『カノジョも彼女』創作の着想は、「ヒロイン選択系ラブコメ漫画」ジャンル自体のパロディーだったと推測します。
しかし偶然にも、同じマガジン誌上で、30年以上の時を経て・男女の「関係の唯一性」を疑う漫画が登場しているのは、面白い現象ではないでしょうか。
『カノジョも彼女』では、すでに次のヒロインも出てきています。
しかし直也は、積極的にアプローチされ続けても、(今のところ)その娘に対しては・彼女にすることを拒絶しています。
「二股している2人に悪いから」です。どうして二股は良くて、三股はダメなんだ…
物語冒頭で「関係の唯一性」を否定した『カノジョも彼女』は、「相手の気持ち」を根拠にして関係性を守ろうとしています(今のところ)。
この漫画の笑いの根本には、男女間の「関係の唯一性」の拒否があるのですが、
まあ逆説的になりますが、「関係の唯一性」が笑いになるってことは、読者がまだ「関係の唯一性」を信じているからこそ笑える、ってことでもあるんですけれどね。
関連漫画としての『目黒さんは初めてじゃない』と『君のことが大大大大大好きな100人の彼女』
さて「関係の唯一性」を求めている・現在進行形の少年漫画として、『目黒さんは初めてじゃない』を紹介しましょう。
分冊版だから序盤少しだけれど、これも無料で読めますね。
目黒さんは初めてじゃない 分冊版(1) (パルシィコミックス)
- 作者: 9℃
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2018/11/28
- メディア: Kindle版
『目黒さんは初めてじゃない』はまんがアプリ『Palcy』で連載されています。
アマゾンの紹介欄では「非処女JKと童貞高校生のピュア少年漫画ラブコメ」と書かれています。
数多くの男性と付き合ってきた(まだ高校生なのに、ぱっと人数が出てこないくらいの男性と付き合っている)ヒロイン・目黒さんが、回を重ねるにつれ、主人公である「古賀くんでなければいけない理由」を見出し始めています。
この『目黒さんは初めてじゃない』には、複数の彼女がいる(彼女たちに納得させている)サブキャラ・国見佑真くんも登場します。
ヒロインの造形といい、国見くんの存在といい、「関係の唯一性」にかなり自覚的な漫画と言えるでしょう。
『カノジョと彼女』がギャグで「関係の唯一性」に迫るなら、『目黒さんは初めてじゃない』は割と真面目に「関係の唯一性」を描いている漫画と言えるのではないでしょうか。
もう1つ、ヤンジャン連載なので「少年向け漫画」とは言えないかもしれませんが、『君のことが大大大大大好きな100人の彼女』にも触れておきましょう。
君のことが大大大大大好きな100人の彼女 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2020/04/17
- メディア: Kindle版
君のことが大大大大大好きな100人の彼女 2 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2020/06/19
- メディア: Kindle版
君のことが大大大大大好きな100人の彼女 3 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2020/09/18
- メディア: Kindle版
ぼくはこの漫画もTLで知りました。ありがたい。
『君のことが大大大大大好きな100人の彼女』は、『彼女もカノジョ』と同じように、ギャグテイストで男女間における「関係の唯一性」を否定しています。
なにせ100人の「運命の彼女」が出てくるので。
しかも宮台さんが上記の著作で指摘している、「唯一の相手である証明」も解決しています(「唯一」ではなく「唯百」だけれど…)
何故なら神様が、100人の女性を「運命の相手」だと決めているからです。
そんな訳で、『君のことが大大大大大好きな100人の彼女』は「関係の唯一性」も「唯一の相手である証明」もやすやすと乗り越えて、連載を続けています。
内容上、悪い意味で「キャラクターがキャラクター化していっている」のが玉に瑕ですが……
あと、『君のことが大大大大大好きな100人の彼女』には原作と作画がそれぞれいらっしゃるのですが。
読んでいると、大昔に何かに書いてあった「小説は『宇宙を埋め尽くすような大艦隊』と1行で済むけれど、作画は大変なんだぞ」みたいな一文を思い出すんだよね(笑)。
100人揃ったらどうなるんだ。
彼女たちがみんな仲良いので、そのうち、『桐島、部活やめるってよ』や小説版『幻魔大戦』みたいに、主人公いなくても話進んでいったりしないかな。
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