いっさい情報を入れずに見た新海誠監督『天気の子』が良かった。ネタバレあり感想・レビュー [映画感想・実況]
さて、どうも。ひと時お付き合いのほどを。
新海誠監督の新作『天気の子』を見てきました。

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- メディア: 大型本
前作の『君の名は。』は僕にとっては全くいただけない作品でしたが、処女作である『ほしのこえ』からずっと見ている身として映画館に足を運びました。
例によって、事前情報は全く耳に入れず鑑賞した結果の感想です。ネタバレ有りです。
祝福されないハッピーエンド
大昔にも、このブログで触れたことがあるドラマですが。
僕がこの映画を見終って、真っ先に思い出したのがTVドラマ『男女七人秋物語』の最終回でした。古いな。
様々な出来事があって・やっと結ばれるさんまさんとしのぶさん(役名ではなく演じた人の名前になってしまうな、このドラマ)。
しかし結ばれた2人ですが、そこに祝福ムードの演出はありません。
お互いを支えあうようにして、2人は道行く多くの人たちと反対方向に歩き始めます。
そして、これまでいろいろなキャラクターが・2人に投げかけた言葉がバックに流れます。それは2人を責めたり、周りに傷ついている人たちがいることを指摘する数々のセリフです。
紆余曲折を経て、2人がやって結ばれた。
表向きにはハッピーエンドのはずなのに、2人を非難する言葉が流れる。
2人にとってはハッピーエンドの恋愛でも、周囲にとってはそうではない・違う側面があることを、ともすれば軽佻浮薄のイメージがあるトレンディドラマで見せたことに、ぼくはびっくりしたのでした(リアルタイムではなく後年に見ています)。
選択の結果ではなく、「選択の提示」にこそ意味がある
新海誠監督の最新作『天気の子』においても。
2人が結ばれれば・東京がアトランティスかはたまたネアポリスのように…とまではいかなくても、水に沈んでしまうという二択を主人公に突きつけたことに、僕はびっくりしました。
そしてびっくりしながらも、この映画を見て良かったな、と思いました。
『君の名は。』では、愛が奇跡を起こし天災から多くの人を救ってしまう、能天気な展開がどうしても受容できなかったぼくですが。
その作品を作った新海監督が、恋愛と多くの人の不幸・不便を「天秤にかける」作品を新たに作ったことに、「こんな逆のことを提示してこれるのか」と軽い衝撃がありました。
そこで、やはり「恋愛」を選んでしまう新海監督の素質に非難の目を向ける人もいるでしょうが、しかしぼくはそもそも、この二択を提示した時点で・もういいだろうと許容できる気持ちになっています。
思い返す札幌での『雲のむこう、約束の場所』上映
しかし思い出すに、新海監督は『雲のむこう、約束の場所』で北海道を犠牲に(笑)しています。
当時はまだ新海作品は、札幌ではシネコンでの上映ではなく・アート系映画館での上映でした。
僕は監督の舞台挨拶付き上映を見に行っていますが、その時の質疑応答で観客から「北海道はどうなってしまうのでしょうか」と質問があり。
監督が苦笑いしていた覚えがあります。
道産子のぼくは、当時は北海道が…と思いながら見ていましたが(笑)、今回似たような気持ちを東京に縁のある方は味わっているのでしょうか。
『天気の子』は、新海監督の恋愛描写を支えられる「強さ」がある
話を『天気の子』に戻します。
今回、ぼくが『天気の子』を肯定できるのは、何て言えばいいのか…ドラマの層が厚くなっていることもあります。
鑑賞した直後のツイートでは、下のように感想を書きました。
天気の子、良かった。監督が持つ・ややセンチメンタルすぎる恋愛観と、劇中のドラマが今作にてやっと均衡した。
— 坂井哲也 (@sakaitetsu) 2019年7月22日
気に入らない点が3点あるけれど、うち2点は個人の趣味でおさまる範囲。君の名は。よりも断然良い。
新海監督の作風の特徴といえば、処女作『ほしのこえ』からそうであるように。
少年少女(主に少年)の恋愛感情をセンシティブに、そしてやや憧憬を強く持ちすぎて描くことにあります。
その特徴が強すぎるため、突出してしまうのが新海監督の長所でもあり短所でもありました。
『秒速5センチメートル』は、そのメランコリックな恋愛感情描写があまりにも突出していたために、ある種の感情が見た人の胸に迫ってくる作品になっていたと思います。
が、この特徴は、新海作品が批判される時によく使われていた点でもありました(いわゆる童貞云々といった批評です)。
その弱点は例えば、サブキャラクターに多少の「物語」を持たせても。
拭えないほどの「特徴」であり「弱点」だと考えていました。
ところが『天気の子』では、サブキャラクターの大人2人にもドラマが与えられているほか(その代わり弟のドラマは弱い)、主人公2人の本筋の話とは別に、拳銃にまつわるドラマが同時進行していました。
そのことで、映画全体が新海監督の「恋愛観」「恋愛描写」といったものを支えるくらいの力を獲得するに至ったと思います。
分かりやすい描写、例えば「少年少女」であることの提示。そしてその描写を踏まえての…
主人公の2人は少年少女です。
もちろん見た目でわかるし、年齢も何回も口にするし、「少年」と呼ばれます。
さらにそれ以外に、分かりやすい描写で・視聴者に主人公が「少年少女」であることを提示しています。
帆高は家出中の少年です。『大人になることのむずかしさ 青年期の問題』(岩波書店)において河合隼雄さんは、
「家出」というと聞こえが悪いが、「家を出る」と言うとそれほど悪くは聞こえない。それどころか、人間は本当に自立してゆくためには、一度は家を出ることが必要ではないか、とさえ考えられるのである。(10P)
と指摘しています。
一方、ヒロインはマクドナルドで働いている少女です。
帆高との再会は、スカウトマンに売春なのかAV出演の誘いなのか、ラブホテルに連れ込まれそうになっているところでした。
マックのバイトの次がいきなり風俗かとちょっと飛躍する感じもしますが、お金に切羽詰まっているからこその判断でしょう。
その行為も含めて、まだ子どもであることが分かります。恋愛映画であると同時に、この2人が成長する…グローイング・アップの映画であることが序盤で提示されるわけです。
さらにその分かりやすい年齢描写を踏まえた上で、陽菜の年齢詐称があったり、弟を目上のように呼んだりする、年齢のかく乱とも呼ぶべき細工が劇中に施されています。
他にも、年齢が原因で仕事が見つからなかったり、ホテル宿泊を断られたりと、「年齢」がキーとなる要素になっています。
「少年少女である=大人ではない」ことが重要な外因であると同時に、「子ども」である彼ら・彼女らにとっては、年齢は重要ではないという、二重描写がなされているのです。
ここは非常に、巧みな作劇だと感心しました。やっぱりプロですなー。
パズルのピースがはまっていく心地良さ
当たり前のように書いてしまいますが。
絵は「当然のごとく」美しいので(これ、どれだけ凄いことなんだろう)見ていて心地よさがあります。
一方ちょっと不満があったのは音楽の使い方で、これは個人の好き嫌いの問題なのですが。
歌詞ありの音楽、つまり歌ですね、歌をベタ貼りにするのはせめて1回だけにしてくれないかなとは思います。もしかしたら何か事情があるのかもしれませんが…
個人的にはMVかCMを見ているような感覚になってしまい、それが3回もあるとちょっと覚めてしまいました。
この映画を見て心地よく感じるのは、作画だけではありません。
何より「さっきの描写がこう繋がってくるんだ」という、伏線の上手さや、さりげないキャラクター設定の描写が素晴らしいのです。
冒頭のバニラトラックも、陽菜ちゃんが風俗に行きそうになる行動に繋がるものです。高収入!
特にぼくがニヤニヤしてしまったのは、陽菜の料理シーン。
おそらくあれは豆苗でしょう(違ったらすみません)、一度食べた豆苗を栽培して育てているところに、懐具合を感じる…(うちもやってる)。
それと、特にニヤニヤした描写がもう1つ。
ホテルに泊まったシーンで。
お風呂上がりの陽菜ちゃんが、チョーカーをつけています。
お風呂上がりにすぐチョーカー? とちょっと違和感もあり・印象深いシーンなので、あのチョーカーは多くの観客の印象に残っていると思います。
もちろんそれが技です。
最終シーンにおいて、あのチョーカーが壊れています。もちろん分かりやすく、「天気の子」としての戒めが解けた象徴なのです。
その一方、帆高の片手には手錠がされたままです。無論あれも、わざわざその前に捕物シーンを用意してまで「かけさせた」手錠なので、意味があるのです。
一足早く(東京を犠牲にして)自分の使命をから解き放たれた陽菜と、大人になるためにはまだしなければならないことが残っている―それは例えば罪の償いであったり、親との関係の修復であったり―帆高との違いです。
伏線とも言えないような単純なキャラクターの顔見せや、女占い師による分かりやすい天気の子の説明まで含めて、無駄のない描写・「あそこの描写が、ここでこう効いてくるのか!」感も、かなり私の好みでした。
無論、引っかかる点もある
褒めてばかりもなんなので、個人的に好きになれなかった点もあげておきましょう。
「全部OK!」なんて作品、両手の指であまるくらいしかない。
先にも書いた歌のペタ貼りもありますが、前作の映画のキャラクターを出す遊びね…
ガッツリとストーリーに絡んでくるのならいいのですが、「ちょっと顔見せ」「探してみよう」みたいなのはね。
長丁場のTVシリーズなら気にならないのですが、1本の映画では、「オタク向けの遊び」みたいで、ぼくは好みじゃないです。
さらに、それよりも。
個人の好き嫌いを超えて気になったのは。
終盤のシーン。帆高がビル屋上の祠に向かって走るシーンです。
ぼくは東京の地理に全く疎いので分かりませんが、あのコースが最短距離なのかもしれません。
しかし目立ってはいけない追われ者の立場でありながら、道行く人から注目を集めるようなあんなコースをわざわざ走るでしょうか。
立ち入り禁止区域に入って・たくさんの関係者がいるのに、誰も帆高くんをとめられない。
「どんな困難も乗り越えて」という描写かもしれませんが、せっかく「天気を自由に操る」という・とんでもないファンタジーを無理なく見せているのに(この力技もすごいと思います)、あの走るシーンではリアルさを感じられませんでした。
「リアリティ」とは本当にあるか・ないかではなく、その虚構世界の中で不自然さを感じるか・感じないかだということが実感できるシーンでした。
あれはない。せっかく盛り上がるラストシーンに向けて、若干覚めてしまいました。
ちなみにこの覚め方は、『君の名は。』の終盤シーン、多くの人を逃すところでも感じたものでした。
映画はどんどんラストに向けて盛り上がろうとしているのに、逆に見ているこちらは覚めてしまう。あそこだけはいただけませんでした。
最後に、笑ったシーン。
グレートマジンガー陽菜ちゃん。
そしてクレジットで知ったキャラクター名。カナ。アヤネ。まんまか!
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富野監督と新海監督の15年前の対談。まるで『君の名は。』への評価かと錯覚するような言葉もあった。
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