49年前に起きたSF覆面座談会(事件)を読む [その他]
どうも。今回も少しの時間お付き合いのほどを。
今回は敬称略でいきます。
先日、こんな本が発売されるのを知りまして。
まあぼくはヤマトに興味ないし、豊田有恒の著書も読んだことないのでアレなんですが…「アレ」って便利な言葉だなあ。オールマイティーだな。
さて、豊田有恒の名前を見て、今から50年ほど前に起きた日本SF界の「覆面座談会事件」を思い出しました。
ウィキから引用します。
覆面座談会事件(ふくめんざだんかいじけん)は、1968年年末、『SFマガジン』誌上の匿名座談会によって日本SF作家クラブの内部に亀裂が生じた事件。
(中略)
1968年12月25日発売の『SFマガジン』69年2月号に「覆面座談会 日本のSF '68~'69」が掲載された。その内容は、評論家石川喬司・翻訳家稲葉明雄及び伊藤典夫、そして『マガジン』編集長・福島正実と副編集長・森優(南山宏の本名)の5人の出席者がA~Eの匿名に隠れて、当時の日本のSF作家たちを遠慮なく批評するものだった。
(中略)
これらの発言が、この座談会でこき下ろされたSF作家たちの間に激しい反撥を呼んだ。
なお、匿名だった座談会の出席者は稲葉明雄を除いて、『SFマガジン』の発売直後に名乗り出て、遺憾の意を表明したという。
(中略)
福島はのち1976年に死去。筒井康隆は当時のことを振り返り、覆面座談会以降『SFマガジン』とは絶縁状態が続いたが、副編集長の森優に特に乞われて『脱走と追跡のサンバ』は連載した、しかし短篇はほとんど書かなかったと述べている。また「福島氏はやがて早川書房を退社し、数年後に喉頭ガンで急逝するが、仲直りすることはなかった」とも述べている。大方のSF作家は生前の福島の功績を称えているが、筒井康隆など一部のSF作家たちの間では福島への感情的なしこりを残す形になった。1979年に光文社から『SF宝石』が発刊された時には、編集長の谷口尚規が関西在住の作家を訪ねた折、福島の知人であることを何気なく知らせたばかりに門前払いを受け、一部の作家たちから執筆拒否を受けたこともある。
以上引用終り。
まあSFが浸透した現在からでは分かりづらいでしょうが、認知度が低くSFとSMの雑誌が並んでいた当時、SF作家や翻訳家、編集者達が一枚岩になって日本SFを盛り上げようとしていた時代の出来事です。
おそらくこの事件が日本SF界の蜜月時代の終り、ですよね。
で、ぼくは「批評された側」の文章はいくつか読んだことがあるのですが、肝心のもとの座談会を読んだことがない。
でもネットがある現在なら、詳しく紹介しているサイトもあるのではと検索したら。あったー。
愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)
ありがたい。読んだ。なるほどねー。
SFが社会に広がることを逆に危惧する、なんて時代を感じるね。
今じゃSFが当たり前のことになって、でもやっぱりS=サイエンスに引っ張られる人もいて、ガルパンはSFか否か、なんて話題も起こるくらいだよ。
で、「覆面した仲間から撃たれた」というのはあるにせよ、俎上にあがった作家達が怒るほどの内容だったか、というと。
まあ、筒井は怒っていい内容だよね。もっとも筒井は『大いなる助走』をはじめ、百目鬼にも開高にも反撃しているので、覆面関係ないだろうけれど。
他は、どうかな。予見的なところもあって、眉村には私小説を書くことを勧めているけれど、ずっっっと後に『妻に捧げた1778話』を書くことになるからね。私小説とは違うけれど…
星新一はこの座談会について「飼い犬に手を噛まれるという話はあるが、この場合は、飼い主のほうが、犬の尻に噛みついたようなものだな」と言ったそうだけれど、星はほぼ褒められているね。
他の作家は…座談会という形式上、ちょっと悪口になったりするところもあるけれど、批評の1つとして受容するべき内容かな、とも思うけれども。
ちなみに別のサイトによると、出席者は・座談会時は覆面にすると知らなかったそうです。
ところで出席者の5人。
福島正実(編集者・作家・評論家。『SFマガジン』初代編集長。日本SF作家クラブ設立メンバー)
森優(南山宏。作家、翻訳家、編集者。『SFマガジン』2代目編集長。日本SF作家クラブ設立メンバー)
石川喬司(作家・評論家。日本SF作家クラブ設立メンバー)
稲葉明雄(翻訳家)
伊藤典夫(翻訳家)
上記のサイトでは、ウィキペディアに倣って
A=石川喬司
B=稲葉明雄
C=福島正実
D=伊藤典夫
E=森優
としていますが、「Aさん、本当に石川喬司?」「ガーンズバックに関する言及などを読むと、福島正実さんかも?」「Cさん、本当に福島正実?」と疑問を呈しています。
今のウィキには、
A=石川喬司
B=稲葉明雄
C=伊藤典夫
D=福島正実
E=森優
となっています。CとDが入れ違っている。ウィキのソースは『星新一 一〇〇一話をつくった人』。
上記のブログが書かれていたのは5年前なので、その間にウィキの記述が変わったか、単純な写し間違いか…
ただ読めば分かりますが、座談会をまわしているのは、Aなんだよね。立場的にはAは福島の方がしっくりくるよなあ。
Aは福島本人が福島を評して「SFの見本を見せたいという気があったみたいだな」「彼の中には、本音がSFと水と油じゃないかという意識があったんだな」と言っていて、そしてCは石川本人が「それは本人もそういってる」「彼の作品は、時間というものを、ふつうの形でなく捉えようと努力している」と言っている方が納得して読める。
とまで書いたところで、A~Eの正体、平井和正の本に書いてなかったっけ? と思って探してみた。
あった。『夜にかかる虹 上巻』。
92P。以下引用。
出席者の顔触れはAからEまで、福島正実、稲葉明雄、石川喬司、森優、伊藤典夫、の五氏だった。
引用終り。
なんだ。これではAは福島になっているな。
A=福島正実
B=稲葉明雄
C=石川喬司
D=森優
E=伊藤典夫
Eは「ソート・プロボーキング」とか言っているから、翻訳者の伊藤らしいというのは短絡すぎるか(笑)。
実際に俎上にあがった平井の方を信じたい気もするけれど、どうかしら。時代が経っている『星新一 一〇〇一話をつくった人』の方が、情報が出て確度が高いって考え方もあるし。
まあ、Aは福島だと思うな。読んでいると座長の立場っぽいもの。
しかし遥か昔の中学生時代、読みたいと思っていた記事を今になって読めるとは。感謝。
最後にアニメ関連豆知識的に。
ウィキの「覆面座談会事件」の項には、「1950年に日本の推理小説界を震撼させた抜打座談会事件(『新青年』)のSF版と呼ばれることもある」とあります。
この「抜打座談会事件」は、ミステリー界の文学派が、本格派の作家を非難した座談会らしいです(伝聞調なのは実際の文章を読んでないため)。
この座談会に出席していた文学派の一人が大坪砂男、アニメファンはご存知・虚淵玄の祖父です。
ちなみに本格派である乱歩や横溝正史、高木彬光はこの座談会を読んでたいそう怒ったそうです。乱歩が本格派っていうのも、ちょっと今となってはイメージと違う気もするけれども。
ぼくは、乱歩がこの座談会に出席していた文学派の木々高太郎に向けて書いた『一人の芭蕉の問題』を読んで、てっきりこの座談会を受けて書いたものだと思っていました。
けど、今回この記事を書くために見直してみたら、『一人の芭蕉の問題』は1947年、抜打座談会事件は1950年か。後から追うと、こういう順番・時代は意識しないで読むもんな…
やっぱりリアルタイムに味わうのが楽しいんですかね、こういうやり取りは。
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