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『Gのレコンギスタ』(Gレコ)をより楽しむための極めて簡易なテクスト① マスク先輩はこれまでのマスクキャラと違い、そして富野監督の分身である [富野監督関係]





 さて、それでは講座を始めましょう。わずか10分もかからずに読み終えて、よりGレコを楽しめる話です。

 富野アニメには、これまでにもマスクキャラが登場してきました。
 その系譜を羅列して見ましょう。


 プリンス・シャーキン(悪魔の王子)

 シャア・アズナブル(ジオン・ダイクンの忘れ形見)

 バーン・バニングス(騎士団長。「私は騎士の出のはずだー!」)

 鉄仮面(クロスボーン・バンガード総帥の娘婿)

 バロン・マクシミリアン(元ノヴィス・ノア艦長)
 

 これ、皆さん社会的…まあシャーキンの社会的地位ってなんだ、って話もありますが、ある程度の地位を持っている人物が、何かの理由で仮面を付けている訳です。

 加藤典洋さんは『言語表現法講義』の中で、 村上龍さんの『トパーズ』を評して次のように書いています。219ページからですね。

 
 この小説は一九八八年に刊行されたのですが、それまで、日本の小説というと、主人公がある穴ぼこのなかにいる、いわば「うらみつらみ」のネクラの小説か、何もそういうものはなくて平地に逆にこんもりと山を築く「こういうことをすると気分がいい」ネアカの小説か、どちらかでした。言ってみれば、中国人に間違われて怒るのはよくない、という小説か、アメリカ人に間違われてうれしかった、という小説かの、どちらかだったのです。そして、そこで小説は、この穴を埋め、また山を築く「砂」にあたっていて、穴を埋める砂は「中国人に間違われて怒るのはよくない」というルサンチマン型の青い砂、山を築く砂は「アメリカ人に間違われてうれしい」というプラス添加型のピンクの砂でした。
 ところが、この『トパーズ』では、この穴ぼこのなかに、ピンクの砂がつまっているのです。


 えー、いかがですか。

 ぼくは、この見方をもっと簡素化させて、アニメや漫画にも適用させています。

 つまり「砂の色」はひとまず横に置いて、穴ぼこにいるタイプは「喪失と回復」、山を築くタイプは「上昇」として作品全体やキャラクターを見ているんですね。

 例えば何年もの間、この「喪失と回復」を見事に繰り返していたのは『NARUTO』です。『ドラゴンボール』は「上昇」タイプですね。

 富野作品も、生み出されるキャラクターも、まあ「喪失」のタイプです。

 そして初期作品のシャーキンはともかく、これまでの仮面キャラは、素顔を隠すことで高い所から下の場所に移動・喪失したか、あるいは高い場所のままに居続けた・喪失状態を継続していた訳です。

 こうですね。

キャスバル


シャア→→

カロッゾ→→鉄仮面
アノーア→→バロン

バーン



黒騎士(いずれ再び↑を目指す)


 彼ら、彼女らは、元々それなりの地位にいたのが、マスクを付けて横滑りになるか、下がっていったわけですね。

 少し口幅ったいですが、「仮面」は「失ったもの」の象徴です。

 逆に言うと、シャアやバーンが仮面を取る時は、つまり望みが達成した時、です。
 ザビ家を打倒したら、ショウを倒したら、彼らはマスクが必要なくなる訳ですね。

 鉄仮面が「失ったもの」は「弱い心」であり、バロンは息子であるため、彼・彼女達が仮面を外すのは、状況が許しませんが…

 ところがGレコのマスク大尉はこうです。





マスク(上に行くぞ)


 ルインはもともと上昇志向が強かったキャラクターなのですが、彼は「何かを失って」マスクを付けた訳ではありません。
 あえて言えばクンタラの生まれであること、つまりはオリジン、あ、安彦ガンダムのことではないですよ。原罪です。

 生まれた時から失っている、ということは言えなくもありません。

 でもルインは、下からのスタートで、仮面を付けることで上を目指すんですよ。これは富野作品に今までいなかったキャラクターです。

 そもそも、コレは誤解を招くかもしれませんが、富野監督の視点が「下層」に向くというのは、非常に珍しいことです。

 富野作品って、基本的には「選ばれた人間達」の物語なんですよ。
 これは富野監督が大河劇を描いている以上、言い換えればある世界の歴史を描いている以上、どうしようもない特性でもあるのですが。

 勿論、ゲストやモブレベルでは、色々な人物が出てきます。ミハルとかね。ククルス・ドアンとか。

 でもやっぱり、天才やニュータイプ、聖戦士、革命を起こす戦士、国を代表する人物達の物語なんです。
 ガンダムで言えばカイやランバ・ラル、ハヤトも、普通の人間じゃないんですよ。彼らは歴史の中心にいる人達なんですよ。

 富野監督の視点が上に向いている、ってのはですね。
 
 これはまあ、例えばインテリゲンチャの大島渚が最下層の人物達を撮り続けたのと、逆のことだと思います。他にも例えばイマヘイの『赤い殺意』は、小林信彦さんが「監督が東北地方の底辺の女に固執するのは、<エリートの底辺趣味>ではないかという気きもする」と指摘していますが。

 富野監督はこの逆です。監督はよく、「勉強できなかった」と言っていますが、その思いが視線を上に向かせているのだろうと推察しています。

 だから今回、「クンタラ」という最下層の人物を設定して、さらにそのルインに仮面を付けさせて、上を目指そうとさせるのは、新しい視点でビックリしました。

 このビックリは、「ここまで、ルインに自分を素直に投影させるのか」のビックリです。

 ファンの方には周知の事実でしょう。富野監督は「アニメ業界は社会的地位が低かった」と再三言っています。

 実例として資料を提示しましょう。

 2009年のゲーム開発者のためのイベント「CEDEC」
 「私はずっと、映画業界の中では“最下層”と呼ばれたアニメーション映画の世界で仕事をしながら、いつか現在の自分のような立場に立てるようにずっと努力してきた」

 同じ年のSIGGRAPH Asia 2009
 「それでも、ここしかないと思うなら、それを信じてコツコツやるしかない。テレビアニメを始めたとき、それは最下層の職業だった。30年,40年生きられるだなんて、思っていなかった」

 週刊大衆の2012年1月9・16日号インタビュー
 「僕自身にとっては、テレビアニメの仕事は、いってしまえば最下層の仕事だったわけです。それでも、コツコツまめにやっていれば、なんとかなった」 

 ちょっと時代が前後しますが、電撃PLAYSTATIONの2007年9月14日号付録
 「昔のアニメにおいてロボットものは最下層のジャンルで、今現在も「サザエさん」や「ドラえもん」に勝てるロボットアニメは存在しません。でも、廃れることもなければ、なくなることもない」

 随分と「最下層」と言っていますね。枚挙に暇はありません。他にも探せば、いくらでもあると思います。

 インフェリオリティーコンプレックス、劣等感ですよねコレは。それをバネにして、富野監督は日本アニメを代表する監督にまでなったわけですね。

 あ、話が少し逸れますが、インフェリオリティーコンプレックスをコンプレックスと言うのは、非常に良くない略し方ですね。シュペリオリティーコンプレックスはどう略すんだ?
 こんな略し方が蔓延するから、攻殻機動隊SAC放映時に「スタンドアローンの劣等感…?」などとあらぬ方向に向かう人が出てきてしまうんですね。

 話を戻しましょう。

 クンタラという最下層の人達を設定した時、そしてルインというキャラを生み出した時に、富野監督が彼を意図的に自分の分身としたかは分かりません。

 しかし意識的・無意識に関わらず、ルインは富野監督本人が強く投影されたキャラクターになりました。
 下の立場から、自分のいる場所で頑張って上に行こうとする姿勢は、富野監督そのままです。

 第7話「マスク部隊の強襲」で、「キャピタルタワーを支配するまでになる」に違和感を持った人は多いと思います。

 かく言う私も、「え、クンタラへの差別をなくすだけじゃなく、そこまでいっちゃうの?」と思いました。

 しかしマスク=富野監督と考えている今なら、あのセリフは不思議でもなんでもありません。「アニメ界くらいではトップになる」なんて、いかにも言いそうではありませんか?

 インタビューなどで富野監督のパーソナリティーを把握している人は、むしろしっくりくるのではないでしょうか。

 こう考えると、マスク大尉に愛着が沸いてきませんか?


 さてここからは余談です。

 では、そのマスクを毎回打ち負かす天才くんは、誰とダブるだろうか?
 
 コケティッシュな雰囲気のあるバララ・ペオールは、チョキとして見ることはできないか?


 優れた作品は、多様な視点から楽しめますね。

 今日の講義はここまでです。ご清聴ありがとうございました。




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