17年前のぼくは、宮崎が庵野について語っている文章を読みながら、富野のことを考えていたのだった [富野監督関係]
どうも。今晩もひと時、よろしくお願い致します。
今日も前回に続いて、随分と旧聞に属する話です。
昨年9月の話ですね。
ツイッター上で、「過去にアニメ雑誌で富野と宮崎が対談している」という情報が流れまして。結局この情報は誤りだった訳ですが、その時にツイート上で、kaito2198さんと以下のようなやり取りをしました。

坂井哲也
富野×宮崎×庵野の対談なんてものが本当に存在するなら、是非。直接対談どころか、宮崎が富野に言及したインタビューって1回しか読んだことない。そもそも宮崎の発言は追ってないし。
kaito2198さん
その1回をぜひとも教えてください。
坂井哲也
3人で会話するとツリーが面倒なことになっている(笑)。えと、雑誌名とかは覚えていませんよ。何しろ20年くらい前の話なので…「今のアニメ界は閉塞している、富野さんはガンダムしか作らせてもらえなくてその象徴」みたいに言ってました。『V』の前後だったと思います。
kaito2198さん
今、感動しました。つかその噂よりも、こちらの証言のほうがずっと貴重じゃないですか!!!
坂井哲也
いや、長いインタビューの中でのたった一言ですから。まだブレンもキンゲもなくて、「富野はずっとガンダムを作るしかないんだろうな」と私も思っていた時期です。インタビュアーが富野の話をふったのか、宮崎自身が話し始めたのかは、覚えていませんが。
kaito2198さん
なるほど分かりました。近いうちに、それもブログの記事にしてみます。ありがとうございます。ちなみに一般雑誌かアニメ雑誌だと覚えていますか
坂井哲也
うーん、記憶あやふやですが、大学の図書館で読んだような…だからアニメ雑誌ではないです。一番可能性があるのは、今は知らないけれど当時はサブカル雑誌だった「宝島」。もし「宝島」じゃなければ、もうお手上げです。
以上の会話をしてから2ヵ月後。
書店に足を運ぶと、宮崎監督の新刊が面陳(めんちん)されていました。

何気なく手にとって、インタヴュアーが渋谷陽一さんだと知った時、kaito2198さんとのやりとりを思い出し、そして15年以上前の記憶がうっすらと蘇ってきました。
「そういや、宮崎監督が富野(ガンダム)に言及したインタビュー、聞き手は渋谷陽一さんじゃなかったっけ…」
ページをパラパラとめくると、宮崎は黒澤に触れていて、
(前略)『影武者』からやめればよかったのにって思ってるんです、本当に。僕は『椿三十郎』でもちょっとヤバイな、って思ってたくらいですから
と言っている。
コレだああああ。このセリフ、衝撃的だったから覚えてるわ!
が、記憶力の悪いぼくのこと。
色々思い違いがあった。
そもそも、このインタビューの初出は1997年7月とある。
ぼくは学生ではなく、もう社会人だ。何が「大学の図書館で読んだ」だ。
そして読み進めても・進めても、肝心の「今のアニメ界は閉塞している、富野さんはガンダムしか作らせてもらえなくてその象徴」みたいに言っているところは全然ない。
ないのだが、ぼくがどの箇所を読んで記憶違いをしていたのかは、すぐに分かった。
以下、ちょっと長くなるがその箇所を引用しよう。
――でも、ホームページによると「庵野も映画は二部構成にするのか、可哀相だな」とかって、書いてありましたけど。
「それはだって本人からも聞きましたから。テレビシリーズのときに、どういう目に遭ったかってことをね。それで、本当に困ってたから、『逃げろ!』って言ったんですよ。『本当にやりたくないんですよ』って言ってるから、『映画なんて作るな』ってね。(中略)自分が作ったものに縛られてね、結局大嫌いなおじさんたちの餌食になるだけですから。『おかげさまでビデオが何万本売れました』なんて、そんな最低な奴が、経済欄に顔を出すような最低の国に、日本はなったわけですからね。たまごっちか何個売れたなんてことがね、経済欄に載るなんてもってのほかでしょう」
(中略)
「(中略)それよりもちょっと心配だったのは、あいつのほうがしたたかだと思うんですけど、ああいうのをやってしまうと、自分の作ったものに縛られていくでしょ。ヤマトとか、ガンダムとかね。そういうものに、縛られると最悪なことになりますから、なるべく自分が作ったものは、足蹴にして観ないようにして、別なことを始めるっていう……だって、それで稼いだんだから、その金で姿をくらますこともできるはずなんですから。(後略」)
宮崎は庵野のことについて触れているが、15年以上前のぼくは、「これはまさに、『Z』前の富野のことじゃないか」と思いながら読んでいたのだ。
だからぼくは、ずっとこの発言を「宮崎が富野に触れた」と記憶違いして覚えていたのだ。
さっきも書いたけれど、このインタビューを読んだのは1997年。
『Vガン』は93年~94年。
80年代は毎年TV新作を発表していた富野が・まあ今から考えれば、その状態の方が「異常」だったのかも知れないけれど…、コンスタントにTVシリーズを作り続けていた富野が、その場所を失ってしまった。
その間に『逆襲のシャア』『F91』はあったけれど、どちらも劇場作品・しかもガンダムシリーズ。
やっとVガンでTVシリーズに復帰したけれど、当然かつてのようなムーブメントは起こせず、その後は3年間で単発1話『闇夜の時代劇』とOVA『ガーゼィの翼』だけ。
もう富野はTVシリーズは無理、万一できてもガンダムにずっと縛り続けられるんだろうな、と当時のぼくは思い込んでいたんだよね。
結局このインタビューの1年後には、『ブレンパワード』が発表されて杞憂に終るんだけれども。
まあキンゲ以降、今度は10年以上TVシリーズを待たされているけれどな!
閑話休題。
当時の作品状況を鑑みていただければ、ぼくが上記の宮崎発言を読みながら、富野のことを連想したのもむべなるかな、と思っていただけるのではないでしょうか。
富野だって、そりゃ『Z』はやりたくなかった筈だよ、当初はね。
なにせ『Z』は、植田Pによると
(前略)経営者からもあの当時「もうガンダムは作らない。ガンダムやるときはサンライズが潰れるときだ」と言われていたくらいですから。それよりも、「プロダクションは新しい作品を提案しなきゃいけない」と言ってたはずなんですが、そういった意気込みでやっていた『ザブングル』以降の富野作品が、どうしても『ガンダム』のヒットには及ばない。そうすると当然「ガンダム待望論」というのが周辺から出てくるんです。(『富野由悠季全仕事』254ページ)
という経緯がある、まあ「負けの歴史」から生まれた訳だから。
で、宮崎は庵野に「逃げろ」って言っているけれども、富野は逃げなかった・もしくは逃げられなかった。
上記の待望論を察知して、『ダンバイン』の頃からもうガンダム続編の準備を始めた。ビジネスとして続くことも覚悟した。
ちなみに富野は、当時の心境について次のように言っています。
個人の感情論で降りるのは簡単だけど、降りられないんですよ。それはオールドタイプの現実なんです(笑)。こうなったらかくだけ恥をかいて正面切ってやった方がいいではないですか。それでどうなるかわからないけど、一つだけ言えるのは恥をわかっててかいていけば、少しは何かを手に入れられような気がするんですよね。そうでも思わなかったらとっくに気違いになってます。こんな仕事から逃げてますよ。逃げないで「Z」をやるのも、そういう確信があるからです。(出典こちら。ありがとうございます)
その覚悟を持って作った『Z』は、現在も膨張を続けるガンダムワールドの礎になりました。
宮崎の言うとおり、富野が(そしておそらく庵野も)自作に縛られる、という指摘は当たっていると思います。
でもその状態が「最悪」なのかといえば。
そりゃ確かにシリーズものを作らない方がクリエイターとしては幸せかもしれないけれども、事実・自作に縛られてどうにもならなくなっている哀れな人もいるだろうけれども。
富野は、そんな状況でも必死に足掻いて、それこそ自分が作り出した『ガンダム』なる幻影と戦って、新しい地平を切り開いているぞ、と反論できると思います。
そう断言できるのは、『ターンエー』の存在です。
そして新作『Gのレコンギスタ』もきっと、「富野はガンダムシリーズでこんな作品が作れるんだぞ!」と我々ファンが胸をはれる作品になっているでしょう。きっと。なにせ、あの富野だからな!
今日も前回に続いて、随分と旧聞に属する話です。
昨年9月の話ですね。
ツイッター上で、「過去にアニメ雑誌で富野と宮崎が対談している」という情報が流れまして。結局この情報は誤りだった訳ですが、その時にツイート上で、kaito2198さんと以下のようなやり取りをしました。
坂井哲也
富野×宮崎×庵野の対談なんてものが本当に存在するなら、是非。直接対談どころか、宮崎が富野に言及したインタビューって1回しか読んだことない。そもそも宮崎の発言は追ってないし。
kaito2198さん
その1回をぜひとも教えてください。
坂井哲也
3人で会話するとツリーが面倒なことになっている(笑)。えと、雑誌名とかは覚えていませんよ。何しろ20年くらい前の話なので…「今のアニメ界は閉塞している、富野さんはガンダムしか作らせてもらえなくてその象徴」みたいに言ってました。『V』の前後だったと思います。
kaito2198さん
今、感動しました。つかその噂よりも、こちらの証言のほうがずっと貴重じゃないですか!!!
坂井哲也
いや、長いインタビューの中でのたった一言ですから。まだブレンもキンゲもなくて、「富野はずっとガンダムを作るしかないんだろうな」と私も思っていた時期です。インタビュアーが富野の話をふったのか、宮崎自身が話し始めたのかは、覚えていませんが。
kaito2198さん
なるほど分かりました。近いうちに、それもブログの記事にしてみます。ありがとうございます。ちなみに一般雑誌かアニメ雑誌だと覚えていますか
坂井哲也
うーん、記憶あやふやですが、大学の図書館で読んだような…だからアニメ雑誌ではないです。一番可能性があるのは、今は知らないけれど当時はサブカル雑誌だった「宝島」。もし「宝島」じゃなければ、もうお手上げです。
以上の会話をしてから2ヵ月後。
書店に足を運ぶと、宮崎監督の新刊が面陳(めんちん)されていました。

風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡 (文春ジブリ文庫)
- 作者: 宮崎 駿
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2013/11/08
- メディア: 文庫
何気なく手にとって、インタヴュアーが渋谷陽一さんだと知った時、kaito2198さんとのやりとりを思い出し、そして15年以上前の記憶がうっすらと蘇ってきました。
「そういや、宮崎監督が富野(ガンダム)に言及したインタビュー、聞き手は渋谷陽一さんじゃなかったっけ…」
ページをパラパラとめくると、宮崎は黒澤に触れていて、
(前略)『影武者』からやめればよかったのにって思ってるんです、本当に。僕は『椿三十郎』でもちょっとヤバイな、って思ってたくらいですから
と言っている。
コレだああああ。このセリフ、衝撃的だったから覚えてるわ!
が、記憶力の悪いぼくのこと。
色々思い違いがあった。
そもそも、このインタビューの初出は1997年7月とある。
ぼくは学生ではなく、もう社会人だ。何が「大学の図書館で読んだ」だ。
そして読み進めても・進めても、肝心の「今のアニメ界は閉塞している、富野さんはガンダムしか作らせてもらえなくてその象徴」みたいに言っているところは全然ない。
ないのだが、ぼくがどの箇所を読んで記憶違いをしていたのかは、すぐに分かった。
以下、ちょっと長くなるがその箇所を引用しよう。
――でも、ホームページによると「庵野も映画は二部構成にするのか、可哀相だな」とかって、書いてありましたけど。
「それはだって本人からも聞きましたから。テレビシリーズのときに、どういう目に遭ったかってことをね。それで、本当に困ってたから、『逃げろ!』って言ったんですよ。『本当にやりたくないんですよ』って言ってるから、『映画なんて作るな』ってね。(中略)自分が作ったものに縛られてね、結局大嫌いなおじさんたちの餌食になるだけですから。『おかげさまでビデオが何万本売れました』なんて、そんな最低な奴が、経済欄に顔を出すような最低の国に、日本はなったわけですからね。たまごっちか何個売れたなんてことがね、経済欄に載るなんてもってのほかでしょう」
(中略)
「(中略)それよりもちょっと心配だったのは、あいつのほうがしたたかだと思うんですけど、ああいうのをやってしまうと、自分の作ったものに縛られていくでしょ。ヤマトとか、ガンダムとかね。そういうものに、縛られると最悪なことになりますから、なるべく自分が作ったものは、足蹴にして観ないようにして、別なことを始めるっていう……だって、それで稼いだんだから、その金で姿をくらますこともできるはずなんですから。(後略」)
宮崎は庵野のことについて触れているが、15年以上前のぼくは、「これはまさに、『Z』前の富野のことじゃないか」と思いながら読んでいたのだ。
だからぼくは、ずっとこの発言を「宮崎が富野に触れた」と記憶違いして覚えていたのだ。
さっきも書いたけれど、このインタビューを読んだのは1997年。
『Vガン』は93年~94年。
80年代は毎年TV新作を発表していた富野が・まあ今から考えれば、その状態の方が「異常」だったのかも知れないけれど…、コンスタントにTVシリーズを作り続けていた富野が、その場所を失ってしまった。
その間に『逆襲のシャア』『F91』はあったけれど、どちらも劇場作品・しかもガンダムシリーズ。
やっとVガンでTVシリーズに復帰したけれど、当然かつてのようなムーブメントは起こせず、その後は3年間で単発1話『闇夜の時代劇』とOVA『ガーゼィの翼』だけ。
もう富野はTVシリーズは無理、万一できてもガンダムにずっと縛り続けられるんだろうな、と当時のぼくは思い込んでいたんだよね。
結局このインタビューの1年後には、『ブレンパワード』が発表されて杞憂に終るんだけれども。
まあキンゲ以降、今度は10年以上TVシリーズを待たされているけれどな!
閑話休題。
当時の作品状況を鑑みていただければ、ぼくが上記の宮崎発言を読みながら、富野のことを連想したのもむべなるかな、と思っていただけるのではないでしょうか。
富野だって、そりゃ『Z』はやりたくなかった筈だよ、当初はね。
なにせ『Z』は、植田Pによると
(前略)経営者からもあの当時「もうガンダムは作らない。ガンダムやるときはサンライズが潰れるときだ」と言われていたくらいですから。それよりも、「プロダクションは新しい作品を提案しなきゃいけない」と言ってたはずなんですが、そういった意気込みでやっていた『ザブングル』以降の富野作品が、どうしても『ガンダム』のヒットには及ばない。そうすると当然「ガンダム待望論」というのが周辺から出てくるんです。(『富野由悠季全仕事』254ページ)
という経緯がある、まあ「負けの歴史」から生まれた訳だから。
で、宮崎は庵野に「逃げろ」って言っているけれども、富野は逃げなかった・もしくは逃げられなかった。
上記の待望論を察知して、『ダンバイン』の頃からもうガンダム続編の準備を始めた。ビジネスとして続くことも覚悟した。
ちなみに富野は、当時の心境について次のように言っています。
個人の感情論で降りるのは簡単だけど、降りられないんですよ。それはオールドタイプの現実なんです(笑)。こうなったらかくだけ恥をかいて正面切ってやった方がいいではないですか。それでどうなるかわからないけど、一つだけ言えるのは恥をわかっててかいていけば、少しは何かを手に入れられような気がするんですよね。そうでも思わなかったらとっくに気違いになってます。こんな仕事から逃げてますよ。逃げないで「Z」をやるのも、そういう確信があるからです。(出典こちら。ありがとうございます)
その覚悟を持って作った『Z』は、現在も膨張を続けるガンダムワールドの礎になりました。
宮崎の言うとおり、富野が(そしておそらく庵野も)自作に縛られる、という指摘は当たっていると思います。
でもその状態が「最悪」なのかといえば。
そりゃ確かにシリーズものを作らない方がクリエイターとしては幸せかもしれないけれども、事実・自作に縛られてどうにもならなくなっている哀れな人もいるだろうけれども。
富野は、そんな状況でも必死に足掻いて、それこそ自分が作り出した『ガンダム』なる幻影と戦って、新しい地平を切り開いているぞ、と反論できると思います。
そう断言できるのは、『ターンエー』の存在です。
そして新作『Gのレコンギスタ』もきっと、「富野はガンダムシリーズでこんな作品が作れるんだぞ!」と我々ファンが胸をはれる作品になっているでしょう。きっと。なにせ、あの富野だからな!
こんばんは。改めて読みました。
坂井さんは結局富野監督に触れてなかった結論ですが、逆に宮崎さんは「ガンダム」を「作家を縛りつづけるもの」だとはっきり認識しているわけじゃないですか。
しかも個人レベルの話でいうと、ガンダムだともうあの人しかいないので、名指ししていませんが、念頭に置いている話なんじゃないですかね。
by KAITO2198 (2015-03-22 04:05)
KAITO2198さん、コメントありがとうございます。
おっしゃる通り、名前は出していませんが念頭に置いている話だと思います。しかし宮崎監督は押井監督の話はしているのですが、富野監督に言及しているのは見かけませんね…
by 坂井哲也 (2015-03-25 13:09)