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増補版・富野監督の「ニュータイプ」に対する考え方を、時系列に沿って追ってみる【最終バージョン】 [富野監督関係]

 すいません。3日しかたっていないのに、前回の記事に追加です。

 書き直した時、漏らした富野インタビューがあったんです。
 しかも富野ファン必携の書『富野由悠季全仕事』から。

 だからそれを追加、と。

 それから『Z』のLD―BOXライナーに掲載されている「ギャザー・スタイム」に関する富野メモをネット上で見つけたので、これも追加。

 2ちゃんのログなので確度が気になるところですが、多分間違った情報ではないと思います。貴重な内容なので、ソースがちょっと不安ですが引用。

 また、気になってはいたけれど、昨日は探しきれなかったネット上の記事も見つけて紹介。2009年なのに、ニュータイプについて真正面から聞いている・なかなかのインタビュー記事です。

 あと、作品的にはもう「ニュータイプ」から離れている時代に、富野がどう語っているのか、もうちょっとボリュームがあってもいいだろうと考えて、『それがVガンダムだ』からも関連発言を引きました。

 これで、ぼくにとっては最終版。まとめも少し変えました。

 本当は、資料をたくさん持っている他の富野ファンが、もっともっと発言内容を充実させてくれると、データベースとしての価値も生まれると思うのですが。誰かご自分のブログでやんないかな。ぼくの記事分は好きなようにコピペしていいので。

 ま、そんなわけでどうぞ。



 ラスト・メッセージに至るドラマとして、レギュラーの中に、エスパーの導入あり得る(1978年新企画ガン・ボーイ企画メモ。『ガンダムの現場から』17ページ)



 脱した。この仲間たちは、今、ララァの意志とアムロの意思とが見た、新しい世紀へ向けて、出発をする。
 人は、“種”の変改期を迎えつつあるのだ。(1978年? 『ガンダム』ストーリープロット。『ガンダム』LDーBOX PART2 ライナー13ページ)



 人類は未開だ。何もしないでは、いられない。無の心で、宇宙を、世界を見守るほどに、豊かではない。
 人類には、未だ、戦いという遊戯が必要なのだ。
 知も理も、その混沌から生まれる。人類は、今、知と理そのものの、鍛えの時代なのだ。
 我々は前人類と言えよう。が、今や、我々の精神は拡散しきっている。紀元前にあったように、人類に教え伝えることはできぬ。
 伝習の時代は、終わった。
 もはや、人類は、己の力で、高めねばならない。
 太陽の輝きが、銀河系をのみ込むまでに、成長せねばならぬ。宇宙は、新たな精神のモチーフを待っている。
 もはや、時はない。あと300億年もない…(1978年富野メモ ラスト・メッセージ「シャリア・ブルの手紙」。『ガンダム』LDーBOX PART2 ライナー13ページ)



1979年『機動戦士ガンダム』テレビ放映



 愛の物語である、と簡単に言う事は易しいのですが、勿論、男性と女性の愛をも包みこんだニュータイプの概念というのが、『ガンダム』に於けるニュータイプ、です。(1979年『戦場で』ライナー。『ガンダムの現場から』89ページ)



 過去にいわれていた各種の思想とか認識論を越えた洞察力を有する人々であるということである。天才とか超人とも違い、ESP者の超感覚的知力を持った者とも違った。(略)個の問題ではなく、外に思惟を発振する能力を持っている者である」(1979年朝日ソノラマ版小説『ガンダム』。『ガンダムの現場から』104ページ)



 スーパーマンか、超能力者が、ニュータイプなのか? 所詮は、戦闘要員としての能力が拡大したエスパーが、ニュータイプなのではないのだろうか? と、私自身も思う。しかし、そうであっては欲しくないという願望が、ニュータイプという概念を発生させた(1980年『アムロよ…』ライナー。『ガンダムの現場から』91ページ)



 事実、あの設定書を書いたのが一九七八年の十月~十一月にかけてであり、設定書を書いた瞬間に関して言うならば、ニュータイプという単語を創造していなかったことは事実だ。
(中略)
 <ニュータイプ>は、新人類。新人類は、人類そのもののルネッサンス、つまり再生だ。
(中略)
 僕の理想とする、人類のニュータイプってなんなのだろうと、考えてみたわけだ。(中略)人同士の思惟が、直結する手段が発見されれば、人と人とのコミュニケーション(意思の伝達)の中に誤解の発生することがない。さらに、誤解が発生しなければ、その通じ合った意思とか考え方が重なりあって、相乗効果が増幅されるのではないのか?と考えたということだ。
 思考の相乗効果! これは、すごいと思う。
 オールドタイプの個人の考えの、二倍も十倍も想像力とか洞察力が拡大するんじゃないか、と想像したんだ。(1980年『機動戦士ガンダム記録全集2』。『ガンダムの現場から』101、102、116ページ)



(富野さんにとってニュータイプとは何なんですか? との問いに)
 正直にいえば、話作りのうえでの重要な設定でしかないでしょう。(1980年アニメージュ2月号。『ガンダムの現場から』207ページ)



(ニュータイプの概念を具体的に説明できない、というアニメック小牧さんに対して)
 それでいいんだと思います。どうしてかといえば、ニュータイプの哲学をガンダムで語ろうとしたのかもしれません。でもそういった部分では我々の頭の構造からじゃ出て来ないんですね。見てくれた人が「人類全体がニュータイプになることができるんじゃないだろうか。ニュータイプはいったい何であるのかわからないが、人類はそうならなくてはいけないのかもしれない。」と思ってくださるだけでもいいと思います。(1980年『アニメック』10号。『富野語録』51ページ)

 ※ブログ主注・個人的には、製作者としてはこのような答えがベストだと思います。「回答はフィルムの中に」的な答えが、一番良かったのでは、と。今さら詮無いことですが。



1981~1982年 映画3部作公開



 そうした観点から、生きざまのひとつの姿として、サイボーグとも、エスパーともちがう“ニュータイプ”という概念をガンダムの中で出した。人間の歴史は戦争の積み重ねのなかで作られてきたのだが、人間が、言葉を交さなくてもお互いの気持ちを理解できるようになれば、戦争をしないですむのではないかと考えたのである。
 “ニュータイプ”は、言葉を使わずに、自分の感情も相手の感情も理解できる。相互に理解し合えるので、“ニュータイプ”は、人類全体の意識改革のために力を注ぐ。必死に働くさまは超能力者のように見えるが、本質は違う。(1981年『現代』5月号



 所詮、ニュータイプ論は、『ガンダム』のポーズでしかなく、SFっぽくみせようとする作者の擬態でしかなかったのでしょう。(中略)
 ニュータイプとは、誤解することなく理解しあえる人たち、ではないのか?(1982年『機動戦士ガンダムⅢめぐりあい宇宙』プレスシート。『ガンダムの現場から』207、208ページ)

 ※ブログ主注・以前からそれらしいことを言っているけれど、1982年ではっきりと「誤解なく理解しあえる人達」が出てきた。
 ぼく個人は、富野のNT説明と言うと、この言葉が思い浮かびます。長年、使っていたんじゃないかな?



■ギャザー・スタイムという概念の導入
(注:ギャザー・スタイムとは、ニュータイプという概念を一歩進めたもの。
他者との共鳴だけでなく、精神的に他者と完全な一致を見ることを表現しようとしていたようだ。
この概念は、結局「Z」では採用されず、わずかにZのバイオセンサーに名残をとどめる。)
しかし、人と同化すると言うことが、人の能力の拡大であるとは思えないという反論に対して、
どのように対処するのか?
他者をとり込む技術的な解決策がどこにあるのか?
とり込まれた側の主権というものがどのようになるのか?
主権論で言えば、肉体を持った人であるからこそ、任意の認識を具有する事ができるのであって、
そうでない人の存在というものは、偏向したものとして存在するわけであって、
反物質的でありすぎるという懸念を解消する事はできないのではないのか?
死を待たなければ、ギャザー・スタイムが完決しないとなったとき、
故意に殺人を犯すというプロセスが産まれ出よう。
劇的でいいのだが、そこにのみ焦点を合わせるという訳にはいかない。
大体、ギャザー・スタイムの概念の至る処は、愛なんだ、
という結論さえも用意する事ができるわけで、それでは"ヤマト"と同じでしかない。
この前提を回避する方法というものが、設定されなければ、
ゼーター・ガンダムの意味はないわけだ。
84.3.12
■ゼーター・ガンダム=逆襲のシャア=
これを置いた時のゼーター・ガンダムはどうなる。
これが第二のニュータイプ論。ギャザースタイムになるのだろうが、
この為には、もう少し時間が必要な気がする。
手をつなぎあう人の共感論なのだから。
現実と照らし合わせた場合のシリアスなアピールがどの部分にあるのか?
ドラマナイズしてゆく場合の、共感はどこにあるのか?
なにが、一般受けするものなのか、という原点の模索は、注意深くされなければならない。
しかし、ここまで吐き出した時に、俺はどこに行くのかという不安がある。
大丈夫だという安心感は、所詮自慰なのだから…。
84.5.21
(1984年富野メモ。1984年『Z』LD-BOXライナー



1985年『機動戦士Zガンダム』テレビ放映



1986年『機動戦士ZZガンダム』テレビ放映



1988年『逆襲のシャア』公開

 ※ブログ主注・作品内におけるニュータイプの扱いは、『逆襲のシャア』でほとんど終っている。
 『逆襲のシャア』におけるニュータイプは、富野が作品外で語っている「種の変革」とか「相互理解」なんてものとは程遠い。

 お題目と実際の作品の乖離。

 「ニュータイプ」という側面だけで見るのなら、『逆襲のシャア』はこのコンセプトの敗北をハッキリと示した作品だった。

 そもそも続編『Z』を作ることになり、リメイクではなく・年代もキャラクターも年を重ねるとなった段階で、ニュータイプなんてコンセプトの敗北は、決定的だったわけだが。

 だって戦争させなきゃなんないもんね。
 だからこそ富野も、『Z』の時にギャザー・スタイムなんて言葉を導入しようとしたんだろうし。



1991年『F91』公開。「パイロット特性のある人のことだよ」



 人間は進化する、変わっていける、ぐらいのテーマを作品に持たせておかないと、みんなが希望を持てなくなるでしょう。若い人が見てくれるのに、ペシミストを増やすための作品はつくれません。(1991年『SPA!』3月06日号



 (ニュータイプ論は)『F91』では、やっぱり最初の段階まで戻しました。勘が良い少年くらいにしましょうね、ってことでやってはいます。でも今後はニュータイプ論を、もうちょっと違う方向で展開していきたいですね。僕自身の能力も含めて、絶対にやれるとはいえないけど、本当のニュータイプ論みたいなこともできたら良いな、と考えてはいます。
(中略)
 (「オタク」という言葉について)それが結局、政治家でも自分の選挙地とかの票のことしか考えてない。そういう意味でオタクだし、官公庁にいる人もオタクだし。別冊『宝島』でやってる教員達も、そういう意味ではオタクなんだよ。どういうことかって言うと、自分が暮らしている世界のことを普通にフラットに見れる人ってのはすごく貴重なんじゃないかな、って思う。そういうセンスを、我々はもっと持つべきなんじゃないかな、って思うのね、ニュータイプ論っていうのは実はそれなんじゃないのかな。(1991年『機動戦士ガンダム大辞典一年戦争編』。『富野語録』157ページ)



1993年『機動戦士Vガンダム』テレビ放映。「あの子はスペシャルなのよ」。※ブログ主注・一昔前なら、絶対に「ニュータイプ」って言ってたよね。



1999年『ターンエーガンダム』テレビ放映



 第1話で主人公に、ガンダムのような兵器を操縦させなければならない。一般市民から始めた物語なわけですから、何でそんな奴がガンダムを動かしたんだ、例え間違ったにしてもどうして動かせたんだといった時に、特別な能力を持たせるしかない。だから〝ニュータイプ〟にしたんです。(中略)でも実は、アフレコの段階まで、それが見つかってませんでした。5、6話くらいでようやく〝ニュータイプ〟という言い方で行こうと。(中略)だから彼女にそのセリフ(ブログ主注・マチルダさんの「エスパー』発言)を言わせた時には、ニュータイプという言葉は出来ていました。だから、ニュータイプ論ありきで物語を作ったわけではないんです。
(中略)
 ララァについては、当然ニュータイプのことも多少絡んではいるんだけど、実はテレビ屋の技術論でしかない。大体アニメの仕事をやる人間というのは、僕も含めてララァみたいなキャラクターが無条件で好きなんですよ。ああいう子が出てくればいいだけの話なんです。(1999年『富野由悠季全仕事』133ページ)



 で、新しいディシプリン(ブログ主注・規律)とか原理ということに関しては、『ガンダム』の世界には、一つだけヒントがあるんです。それは「人類全体が『ニュータイプ』になる」ことなんです(笑)。(2000年『∀ガンダム』全記録集2 90ページ)



 『ガンダム』でニュータイプというものを扱ってきたんだけど、この考え方が怪しいと思えてきた。しょせんは認識論でしかないわけで、DNAの解析が全部できると言っている昨今の風潮と同様、“考え落ち”なんじゃないかと気づいたんです。30何億年かけてこういうふうに人を作ったDNAの力が、ここ200~300年で培われたロジックで解析できるわけないでしょう?(2002年『DIAS』2月21日号



 身体性というものに知がきちんと包み込まれて、つまり、理が身体にきちんと収められてその上で、――これまでずっと言ってきているように「誤解なく理解できる」という知力が持てるのがニュータイプだと思っています。
 そして、これは『Vガンダム』に関連して新しく手に入れたニュータイプ論になりますが、どうも、お母さんのおまんたんから出てくる瞬間までの赤ちゃんは、ニュータイプじゃないかという気がしているんです。
(中略)
 (ブログ主注・母体から出てくる)その瞬間までにあったはずの感覚を、知や理や肉体の中にきちんと持てたまま大人になれたら、そんなふうに素直に外界を感じられるだけのセンサーを持てていたら、僕はそれはニュータイプだと思います。(2004年『それがVガンダムだ』191ページ)



2005~2006年 Z映画3部作公開



 (前略)僕は、アニメというファンタジーを最大限に使って、あの「エスパー」という言葉が定着していた時代に、それに代わる「ニュータイプ」という言葉を突きつけたかったんです。それはもちろん僕だけの思いですが、少なくともそういうモチベーションはありました。その動機づけがなければ、たぶんニュータイプっていうのは浮上せず、捨てていたアイデアだったと思います。(中略)『Z』の企画のときに、もう一度ニュータイプっていうものをやってみようと思いながらも、これはさらなるリアリズムの物語になっていきました。
 これまで『ガンダム』を他人に任せたりもしてきた中で、ただ「ニュータイプ」というものが物語として完結していない、ということ自体が『∀ガンダム』のモチーフになりました。つまり、ニュータイプの構築理論もわからない、でもニュータイプの行き着く先は? というふうに、時間を1万年、2万年と飛ばしても、結論だけは僕の中に間違いなくあったんです。(2006年『KINO』22ページ)



「結論からいうと、人類は間違いなくニュータイプになれます!」
「はっきりした論拠があります。人間の感性・感覚というものは環境によって支配されていますし、環境に適応しようとするクセを持っています。宇宙に行った場合、無重力の感覚をDNAが感知するわけで、DNAの組み替えが行われます。環境が決定的に変わるから、ニュータイプにならざるをえません」
「どうも一般に流布しているニュータイプの概念は、超能力者や神がかり的なイメージがあるけど、そうじゃない。認識論が拡大していけば、地球の裏側にいるヤツがなにを考えているかぐらい分かるってことですよ」
「僕はニュータイプが夢物語ではなく、現実の問題になっていくと考えています。もしも死ぬまでに新作を作らせていただけるなら、地球の環境問題をリアルに考えるメッセージを込めたい。ガンダムという作品のためにニュータイプが出てくるんじゃなくて、地球を存続させるために、ガンダムでニュータイプ論を世に広めていきたいんです」(2009年WEB R25「富野監督、アムロになれます? 僕は!」



 安彦 ニュータイプというフレーズを考えついたときにすごく嬉しかったと発言してますよね。
 富野 その理由はもう説明しましたよ。なぜ嬉しかったかというと、コモンセンスにしてくれるからです。偏ってないから。エスパーや超能力者という言葉がイヤなのは、手垢がついてるからだけじゃなくて、特殊能力と限定するわけだから意味性が狭いんです。ところがニュータイプという単語には、それを超えた広がりがある。だからホントに嬉しかった。ただ問題は、僕がそれを劇中で上手に使いこなせなかったんです。言葉があまりにも汎用的であるために、どう使っていいか困ってしまった。
(中略)
 富野 僕はニュータイプを劇中の小道具としては使うかもしれないけど、それで作品のコンテンツを構築しようと思わないですね。
(中略)
 安彦 一つだけ残念だったのが、劇場版への改変で、そんなニュートラルなニュータイプという言葉に対して、富野さんは非常に力点を置いたんですよ。(後略)
 富野 (前略)なぜ、そんなことをやっちゃったかというと、すごく簡単なことで…あのときの僕はバカだったからと言うしかない。本当にごめんなさいと頭を下げるしかできません。でも、最後の必殺兵器を出すよ。たかがロボットアニメを見て、お前ら本気になるな!(2009年『ガンダムエース』9月号。33、34ページ)

※ブログ主注・「それで作品のコンテンツを構築しようと思わないですね」もそうなんだけれど、富野はニュータイプを「所詮方便」と話す場合と、メインテーマとして語る時と、極端にスタンスが違うことが多々あります。



 ニュータイプというのは何かというのは厄介な問題なのだが、ここでは、認識力と洞察力が拡大した人間、とだけ定義していく(2011年『「ガンダム」の家族論」68ページ)




 いかがでしたか。

 まとめると、次のことが言えると思います。

 「種の変革」「エスパー的な存在」は『ガンダム』企画当初からあった。

 ただし、ニュータイプという言葉自体は生まれていなかった。

 富野、ガンダム放映中に「ニュータイプ」という言葉(概念ではない、あくまで言葉。ここ重要)を思い付いて喜ぶ。

 ファンが「ニュータイプ」に食いつく。

 鶏が先か卵が先か、今となっては分からないがファンの間ではニュータイプ論争が起こり、富野もニュータイプについて作品外で説明しようとする。
 富野にとってはファンサービスでもあったろうし、本人が気に入っていたこともあるだろう。ここら辺はもう、ファンと富野の共犯関係。

 ただしニュータイプというコンセプトは、作品内においては尻すぼみになっていく。

 そりゃそうだ。作品が続く=戦争は続くってことだから、ニュータイプなんて設定は矛盾だらけになりますがな。

 作品内では段々とスルーされるようになり、富野ガンダム直近2作『V』『∀』では完全無視。

 ところがインタビューでは、まだニュータイプというアイディアを捨て切れていないような、そうかと思えばテーマとしては否定しているような。近年は否定、もしくは「ニュータイプ」をコモンセンス? として捉えようとしているのが富野なりの解釈なのかな。

 まあ結局、あやふやなんですよね、ニュータイプ。
 富野の発言でも、その時々の興味あるものに寄ったりするし。環境問題と絡めて語るなんていい例ですよね。

 前回の、この記事のファーストバージョンの冒頭でも書いたように、だからニュータイプ論って「語ると負け」なんですよ。

 もともと答えのないものに、皆で寄ってたかって答えを見つけようとする、意味づけをしようとする。

 ハズカシイなあ、無駄だよ、と思ってしまうのです。

 ただ逆説的に言うと、概念のあやふやなものだからこそ、皆で夢中になって定義付けをして・盛り上がったのも事実なんでしょうけれど。






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KAITO2198

大変な労作でご苦労さまでした。非常に見やすいものです。

今頃反応して恐縮ですが、作品のなかで使われている定義と、富野本人が考えているものの乖離っていうのはありますね。富野本人の考え方だと、ここ数年枝廣淳子氏に触発されて「地球を消費しないで済む人」ってのもありますよ。まあ、ただこの考え方を反映する作品は未だに作られていないので、なんともいえないですけど。
by KAITO2198 (2012-03-11 13:13) 

坂井哲也

KAITO2198さん、コメントありがとうございます。

>枝廣淳子氏に触発されて

ありますね。実は、今回の記事で紹介している「富野監督、アムロになれます? 僕は!」の中にも、「環境問題がニュータイプのキーワードになると思ったんです」との発言がありました。
あまり長く引用すると、みんな読んでくれなくなるかと思って(笑)、省いたのですが。
by 坂井哲也 (2012-03-11 14:21) 

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