「『女優』として再構築する富野ヒロイン」シリーズまとめ [富野監督関係]
第1回ハルル・アジバ
映画史に輝く数多の女優の中で、ハルル・アジバより美しいスターはたくさんいる。
セクシー、フェティッシュ、チャーミング、コケティッシュ…ハルル・アジバは、女優に必要なそれらを、何一つ持っていなかった。
にも関わらず、彼女は映画史に名を残し、観客の胸に自分の存在を刻んだ。
しかも彼女の出演作は、その知名度とは真逆に少ない。
ジェームス・ディーンの主演作が僅か3作だったように、またアンナ・カリーナがゴダール作品のみで一瞬のきらめきを残したように、彼女もまた富野由悠季作品にのみ鮮烈な印象をもって登場し、そして消えていった。
彼女の代表作であり、唯一の主演作でもある『Be INVOKED』において、彼女は鬼気迫る演技を見せた。
この作品の撮影時、彼女は風邪気味で喉の状態が万全ではなかったが、情念がこもった演技で他の役者を圧倒した。
この一作の印象が余りに強過ぎ、他の出演作でも、部下の男達を使って妹を辱めたり、自分宛のラブレターを盗み読んで笑った女性を殺したりする、エキセントリックな役ばかり来ることになった。
『キングコング』(1933年)によってフェイ・レイが「スクリーム・クィーン」になったように、クララ・ボウが『あれ (It)』によって「It Girl」と呼ばれるようになったように、彼女もまた自身のイメージに縛られ、エキセントリックな役ばかりをあてがわれた。
役を離れた素顔の彼女は、スクリーン上の役柄と同様に付き合いづらい性格だったとする証言は多い。
一方で、愛想笑いをする付き人に「世辞はいい」と諭すなど、周囲の者への心配りがあったとする説もある。
プライベートでの人間関係は恋人との死別、父親とのコミュニケーション不全、妹との確執など決して幸せとは言えなかった。
特に女優でもある妹カララ・アジバとの不仲は有名。
その関係はしばしば、アカデミー史上唯一の「主演女優賞受賞姉妹」でありながら険悪な仲だったオリヴィア・デ・ハヴィランド、ジョーン・フォンテイン姉妹と比較されている。
第2回 ガウ・ハ・レッシィ
キャサリン・ヘプバーン、ソフィア・ローレン、BB…
勝ち気で、バイタリティ溢れるイメージの女優はたくさんいる。ガウ・ハ・レッシィも、この系統に連なる女優だろう。
デビューしたての頃はラブ・コメディのヒロインや軍人を演じることが多かったが、そもそも名家出身のせいか、一つひとつの仕草に気品があった。
男に「寄っている」時でも、観客にいやらしく感じさせなかったのは、彼女が生来持っていたもののおかげだろう。
彼女の叔父は、軍部の中でもトップクラスに位置する人物で、彼女自身もデビュー前は秘密機関に所属していたとまことしやかに噂されている。
彼女の魅力を世間に広めたのは、ヒロインを務めた『アーミイ・ベース』で、ぼくはこの作品をリアルタイムで見ている。
スパイの疑いをかけられた少女役で、自身の潔白を証明するために髪を切る姿を、ぼくは惚れ惚れと見ていた。
同時期の女優で自称ライバルもいたが、ぼくの周囲の目利きの連中は、みんなレッシィを追っていた。
ところが『クロス・ポイント』の後、彼女は休業期間に入る。
愛する男を思っての行動だと言われているが、本当の理由も、どこで何をしていたのかも詳細は不明のままだ。
しばらくの空白期の後、彼女はイメージチェンジして現れ、今度はバイプレーヤーとして活躍するようになった。
この転身の理由は、彼女を見出したプロデューサーで夫でもあるマモル・ナガノの影響という説もあるが、ぼくは興味がない。
ただバイプレーヤーになってからは、目立った作品は残していない。
やはり、彼女は脇役より主役の方が似合っている。
主役として画面を支えられる女優は、限られているのだ。
謎の空白期間をはじめ、彼女にまつわるエピソードは様々あるが、その1つに複数存在する「名前のスペル」がある。
手元の資料を2、3冊開いただけで、
「GAW HA LECCEE」
「GAW HAT RATSEY」
「GAW HAT LECCEE」
と、少なくとも3種類の綴りがある。
スターとしては非常に希なことだが、彼女はほとんどサインを残しておらず、その事実が「名前のミステリー」を奥深いものにしている。
おそらくプロデューサーであるマモル・ナガノが、このミステリーの構築に一役かっているのだろう。
第3回 セイラ・マス
巨匠富野由悠季監督は、俳優や女優を発掘する能力にも長けていて、多くの名優を世に送り出した。
その中でも、富野監督が「一番のお気に入り」と公言していた女優が、セイラ・マスだった。
本名はアルテイシア・ソム・ダイクン。
その高貴なイメージはグレダ・ガルボやマレーネ・ディートリッヒといった伝説の女優を彷彿とさせるものだったし、ブロンドと美貌はモナコ王妃になるグレース・ケリーとも重なるものだった。
しかし富野監督はあえて「高嶺の花」としてではなく、より親しみやすい女優として彼女を売り出した。
その1つの方法として、由緒ある本名ではなく、卑猥な俗語から芸名を取った。
デビュー作のストーリーも、生き別れた兄との運命を描いたベタなものにした。
しかしベタでありながら、設定やセリフ回しに意匠を凝らし、これが大当たりした。脚本や音楽も良かった。
親しみやすい大衆劇の中でも、彼女の美しさはやはり、高貴なイメージに支えられていた。卑猥な芸名にしようが、彼女の本質的な高貴な美しさは画面からあふれ出ていた。
彼女の凛とした美しさと、オーソドックスな「お涙頂戴」のドラマ。このギャップが人気の一因だったことは疑いようもない。
彼女をヒロインに、同じ人物設定の映画が何作も作られ、一連の作品群は兄役のイメージカラーから「赤いシリーズ」と呼ばれた。
このシリーズは後に、キャストも設定も一新してTV番組に受け継がれる。それが山口百恵主演で有名な大映テレビの「赤いシリーズ」である。
またセイラ・マスは、作品のためなら脱ぐことも厭わない女優だった。
気高く清楚なイメージの彼女が脱いだのだから、当時は大いに話題になった。
シャワーシーンになった途端、劇場内にカメラのフラッシュが満ちたという伝説が今でも残っている。
映画ではなく舞台だが、相手男優に乳首を噛まれるシーンさえ事も無げに演じた。
またスターの定めとして、マリリン・モンローのヌード写真が流出したのと同じように、彼女のヌードピンナップも世間に出たが、彼女は意にも介さなかった。
ちなみに富野監督が、このヌードを見て「俺の方がもっと美しく撮れる」と激怒したのは有名な逸話だ。
彼女は作品のためなら、全てを投げだす女優だったのだ。
人気女優であり、ヌードが流出しながらも、男性との醜聞はいっさい出なかった。プライベートを隠し続けたのも、「女優」として厳しすぎるほどの自制が働いていたのだろう。
彼女のこの生き方を、邦画界の伝説の女優・原節子と重ねる向きがあるのも頷ける。
実際、原節子が引退後にマスコミの前から姿を消したように、セイラ・マスもティーンの青春映画『戦士、再び…』に友情出演した後、二度と表舞台に現れることはなかった。
現在の情報化社会で信じられないことだが、大スターだった彼女の現在の消息は杳として知れない。
現在でも、「女優」としての美意識を貫いているのだ。
第4回 ララァ・スン
『夜の大走査線』でシドニー・ポワチエが白人を平手打ちしたのは、一大事件だった。
スクリーン上でも有色人種、特に黒人に対する偏見は根深かった。
それでも徐々に黒人が演じる役柄に幅が出てくる中、その流れで産まれた女優の1人がララァ・スンである。
彼女はインド系の女性だが、当時は浅黒い肌をした女優がヒロインを演じるのは珍しかった。
本人の意思はどうあれ、周囲の連中は彼女を「フラナガン機関」と呼ばれる俳優養成所に入れて、女優になるべく特殊訓練を受けさせた。
ララァ・スンは元々貧しい生まれで、デビュー前は売春婦になってその日暮らしをしていた。
そんな彼女を見出だしてフラナガン機関に送ったのが、俳優であり、プロデューサーでもあるシャア・アズナブールだった。
シャア・アズナブールは俳優としては有能だったが、プロデューサーとしては1つ問題があった。
キャスティング・カウチ(長椅子=カウチでの起用。役を与える代わりにセックスを要求すること)ばかりしていたのだ。
当時17才だったララァ・スンも当然のようにアズナブールに抱かれ、そして役を得た。
彼女の演技力に注目が集まったのは、コメディ映画『コンスコン強襲』から。
相手役の俳優(当時ララァに入れ込んでいたアズナブールが務めた)とただテレビを見ながら酒を飲んでいるだけの登場シーンだが、エロティシズムを刺激する演技で評判を呼んだ。
代表作は、超能力少女を演じたSF映画『エルメスのララァ』と、続編の『光る宇宙』。
特に『エルメスのララァ』は、作品に自身の名前が冠されており、会社がどれだけ彼女を売り出そうとしていたのか伺える。
この作品は大ヒットし、作中のニックネーム「ソロモンの亡霊」はそのまま彼女の代名詞となった。
しかしやがて彼女は、スクリーン上よりプライベートな話題で世間を賑わせるようになる。
公私共にパートナーだったシャア・アズナブール。そして新進俳優だったアムロ・レイ。
彼女はこの2人と、泥沼の三角関係に陥ってしまうのである。
このスキャンダルに、マスコミはすぐに飛びついた。
映画界での立場が微妙になっていたシャアと、人気・実力とも飛躍的に伸びていたアムロの関係は、もともと微妙なものだった。
その2人と同時に恋愛関係に落ちたのだから、マスコミにとってはおいしい餌だった。
かつて家庭も仕事も捨ててロッセリーニの元へ走ったイングリッド・バーグマンが世間から激しい糾弾を浴びたように、彼女も批判と好奇の目にさらされた。
もっとも、後年ジャーナリストによって発表されたルポ『密会』によると、ララァとアムロの関係は精神的な交流のみで、肉体関係はなかったようである。
どちらにしろ、彼女は心身ともに傷つき、やがてスクリーンから遠ざかっていった。
傷ついて消えていった女優とは裏腹に、スキャンダルの一方の主役であったシャア・アズナブールとアムロ・レイは、その後も着々とキャリアを積み重ねていった(シャアは世間からの批判をかわすために、一度名前を変えている)。
そして大スキャンダルから約15年後。
奇跡が起きる。
SF大作『Char's Counterattack』(原題)で、シャアとアムロが競演し、しかも短い時間だが、ララァ・スンが出演したのだ。
そこに映し出されている彼女は、15年前と変わらず美しく、そして儚さも滲ませていた。
まさに名女優が見せた、最後の名演である。
思いもしなかったサプライズに、かつてのファンは惜しみない拍手を送った。
『Char's Counterattack』はいまだに多くの人が視聴し、そして議論の的になる「名作」の仲間入りを果たした。
しかし彼女の力なしで、「名作」になり得ていたかは、はなはだ疑わしい。
第5回 ミハル・ラトキエ
「スパイ映画の女優」。
あなたはどんな女優を連想するだろうか?
『間諜X27 』のマレーネ・ディートリッヒのような、美貌と悲劇を体現した女優だろうか?
あるいは歴代ボンドガールの中でも評判の高い、ダニエラ・ビアンキのようなクール・ビューティーだろうか。
同じくボンドガールのタニア・ロバーツのような肉感的な女性かも知れない。
若い人なら、『アベンジャーズ』に出てきたブラック・ウィドウ=スカーレット・ヨハンソンを思い浮かべるのだろうか。
しかしミハル・ラトキエは、これらのどのイメージともかけ離れた女優である。
素晴らしい美貌でもなく、ミステリアスでもなく、グラマーでもなく、インテリジェンスも感じさせない。
そんな彼女がスパイ映画に主演したからこそ、革新が起こった。
ミハル・ラトキエはベルファスト生まれ。
彼女を発掘し、映画に出演させた慧眼の持ち主はシャア・アズナブールである。
キャスティング・カウチで悪名高い彼が、ミハルには全く見向きもしなかった。
このエピソードからも、彼女の外見が魅力に乏しいものだったことが分かるだろう。
ただし彼女自身も、女優業に乗り気ではなかった。
それでもショービジネスの世界へ進出したのは、幼い弟・妹を養うためである。
父母がいなかった彼女は、若くして2人の肉親を食べさせなければならなかったのだ。
彼女は映画への出演を許諾する。
アカデミー作品賞に輝いた『マーティ』のような例外もあるが、映画の主演は美男・美女が飾るのが常。
関係者に与えれた次のミッションは、一言で言えば「華のない女性を、どのような映画のヒロインに据えるのか?」だった。
この難問に、名匠・富野由悠季は「スパイ映画」という解答を提示する。
ミハル・ラトキエはテストを兼ねて端役で1作出た後、『女スパイ潜入!』で主演する。
「家族と安心して一緒に暮らす」。
その小さな幸せのため、美貌も特殊技能もない少女が、不器用ながらも懸命に任務をこなそうとする。
日本発らしい、スパイ映画の新しい波〈ヌーヴェル・バーグ〉の誕生だった。
大島渚らによる松竹ヌーヴェル・バーグにも劣らぬ、確固たる個性を持った潮流が日本から生まれた瞬間だった。
家族のためスパイ活動に従事する役柄が、自身と重なったのかも知れない。
ミハル・ラトキエは素人とは思えない自然な演技を見せた。
映画はたちまち評判を呼び、すぐに続編が製作された。
それが現在でも名作との誉れ高い『大西洋、血に染めて』である。
特にこの映画のラスト、ノースタントで演じた戦闘用ヘリからの落下シーンは語り草になっている。
爆風に煽られながら、何かを訴えるようにこちらを見る表情。
そして何かを掴むように前に出される両手。
まさしく死をも覚悟した迫真の演技に、人々は拍手喝采を送った。
あまりの人気に、再編集した映画も製作された(細部が異なる)。
しかし直後に、彼女はきれいさっぱりとショービジネスの世界から足を洗ってしまう。
彼女にとって「女優」は、あくまでも妹と弟を食べさせていく手段に過ぎなかったのだ。
そして映画のギャランティと、製品化の際に発生するロイヤリティによって、家族3人が慎ましく生きていくだけの糧は得たのだった。
引退後の消息は一切不明だが、おそらく妹・弟と家族3人で、幸せに暮らしているのだろう。
第6回 カテジナ・ルース
マリリン・モンローや『スター誕生』のジュディ・ガーランドなど、ドラッグとセックスで身を滅ぼしていく女優は少なくない。
カテジナ・ルースが彼女達と同じ理由で壊れたのかは不明だが、女優デビュー後の彼女が「何か」に心身共に蝕まれていったのは確実だった。
その「何か」が薬なのか荒淫なのか、はたまた別な理由なのかは、研究者の間でも意見が分かれている。
ただ、当時付き合っていたタレントのクロノクル・アシャーに原因があることでは、意見が一致している。
彼女はもともと、片田舎のカサレリアで生まれ育った純朴な少女だった。
詳細は不明だが、クロノクルとの出会いからショービジネスの世界に進む。
演技に関心もなければ勉強もしてこなかった彼女は、やはりキャリア序盤は凡作での凡庸な演技が続いた。
しかし徐々に、エキセントリックな演技で注目を浴び始める。
おそらくそれは、彼女が元々内に秘めていた狂気が表出した結果であったろう。
だが言い方を変えれば、彼女がショービズ界に進みさえしなければ、その狂気は発露しなかったのも事実だろう。
この原稿を書くにあたり、取材のためカサレリア周辺を訪れた。
現地取材で分かった事実だが、デビュー前の彼女は、むしろショービズ界を嫌っていたと言う。
クロノクルとの出会い、そして環境が彼女を変えていった。
昔からの知人だったという少年は、デビュー前の彼女から「怖い人にだけはならないでね」と諭されたそうだ。
その後にカテジナ・ルースが辿った人生を思うと、何とも皮肉な言葉ではないか。
話を女優時代の彼女に戻そう。
狂気溢れる演技を続けた彼女は、徐々に悪女の代名詞となり、固定ファンを獲得していく。
劇中での行いのために、彼女を指すスラング「カテ公」も生まれた。
また熱心なファンの漫画家が、彼女を主人公にした漫画を描く程までの人気になった。
ファラ・グリフォン、ルペ・シノ、タシロ・ヴァゴといった一癖も二癖もある役者達と共演し、狂気に満ちた人物を次々と熱演。演技力を深めていく。
しかし彼女の私生活は、やがて破綻し始める。
作中の登場人物に浸蝕されたように、あるいは同調したように、プライベートでも彼女は奇異な行動が目立つようになる。
この頃の彼女の表情と、デビュー当時のそれを比べれば、違いは歴然だ。
精神状態が険しい表情となって表れるほど、彼女は「何か」に追い詰められていた。
やがてカテジナ・ルースの行動は、看過出来ない事態にまで至る。
友達になろうと近付いてきた女優を、射撃したのだ。
また同時期に、自分を取り合っていたクロノクルともう1人の男性を、決闘させていたことも明るみになった。
しかも芸能界の後ろ盾でもあったクロノクルは、この決闘で後頭部を強打し死亡してしまった。
こうして「狂気の女優」カテジナ・ルースは、映画界から追放された。
その後の彼女は、クロノクルの決闘相手を刺殺したとも伝えられるが、真相は不明だ。
どのみち、幸せな人生は送っていないだろう。
彼女の半生が私達に教えてくれることは、1つしかない。
男によって人生を狂わされる女は、いつの時代にもいるということだ。
当たり前だが忘れがちな真実を、彼女は改めて見せてくれたのである。
蛇足だが、取材を終えてカサレリアを発とうとした時、カテジナ・ルースの面影を持つ少女を見掛けた。
しかし目が不自由だったようだし、何よりスクリーンで見る彼女とは人相が違い、穏やかな顔付きをしていた。別人だろう。
カテジナ・ルースにも、私が見掛けた少女のように、穏やかな表情をして過ごせる人生の選択肢は存在したのだろうか。
第7回(最終回) シーラ・ラパーナ
今では名作として知られる恋愛映画『赤い嵐の女王』だが、元の企画は全く違う内容で、主役も老いた男性が演じるはずだった。
しかし脚本家のスケヒロ・トミタが一人の少女と出会ったことから、『赤い嵐の女王』は現在の形となり、その少女――シーラ・ラパーナのシンデレラ・ストーリーは始まった。
映画の内容はかの名作『ローマの休日』のリメイクとなり、監督には名匠・富野由悠季を迎えた。
シーラ・ラパーナはまだ10代で演技経験もなかったが、新人らしい清廉さと、すでに大女優と呼ぶに相応しい存在感、相反する才能を兼ね備えていた。
共演することになったショウ・ザマは、『ローマの休日』のグレゴリー・ペックにならって、エンドロールでの彼女の名前を自分より上にするか、少なくとも並列にするよう会社に掛け合ったが認められなかった。
クレジットはショウ・ザマが上になっている。
『赤い嵐の女王』が上映されると、彼女はたちまちスターの仲間入りを果たした。
スクリーン上での高貴なイメージから、若いファンは彼女を「聖少女」と呼んだ。
また熱心なファンは白い服装に身を固めて彼女を応援したことから、「白き護り」とあだ名された。
ラブロマンス作品でデビューしたシーラ・ラパーナだが、その後は重厚な戦争映画に立て続けに出演する。
若くしてデビューしたスターが陥りがちなスキャンダルとは無縁で、社会的活動にも積極的に取り組んだ。
彼女は、自分に与えれた社会的地位や財産に伴い、義務も発生すると考えているようだった。
その生き方は多くの尊敬を集め、ついにはイギリス女王との面会も果たしている。
私生活では一生独身を通したが、何回か共演したショウ・ザマには淡い感情を抱いていたとする説もある。
だがかつて付き人だった少女の証言によると、シーラ・ラパーナはショウ・ザマとの関係について「情けは交わさぬが良い」と語ったそうだ。
彼女がどのような気持ちでこの言葉を言ったのかは、知る由もない。
本当に恋愛感情を持っていたとして、それを押し殺した理由は「女優」としての役割を果たすためだったとも、ショウの恋人だった米女優マーベル・フローズンを思ったためとも言われるが、真相は分からない。
どちらが真実だったにしろ、彼女の魅力を表すエピソードが1つ増えるだけだ。
最後の映画出演作は、連作の『クロス・ファイト』と『チャム・ファウ』。
両作とも当時のスター達を集めた大作映画だが、彼女はその中でも重要な役を担い、一際強い存在感を放っている。
torajirouさん、niceありがとうございます。
すごい久しぶりにブログを更新なさって、ちょっとビックリしてしまいました。
by 坂井哲也 (2014-02-27 17:59)
力作だと思います。久しぶりに読み直して自ずとniceボタンにカーソルが向かいました。
思うところあってブログ再開しました。独白の煮詰まった痛さ、見て見ぬふりをしていただけるとありがたいです。
ちなみに昨日?、坂井さん宛にメールを送信しました。hotmailなので弾かれてしまったかもしれません。お手隙の時に目を通していただけるとありがたいです。
by torajirou (2014-03-01 05:32)
torajirouさん、メール返信しました。
使っているフリメがサービス期間を終了したとかで、ちょっと不安なのですが無事届いたでしょうか。
届いていればお返事不要です。未着の場合はご連絡下さい。
by 坂井哲也 (2014-03-02 12:03)