クリエイターの孤独 [富野監督関係]
パチンコ蒼穹のファフナーのCM、WBCの中継に入れてきたね。いいスポット狙ったなあ。中国戦が初オンエアじゃないの? またアクエリオンの時と同じように、シャングリラ~を何回もテレビで聞くことになるんでしょうな。
さて今日はもう眠いし、すぐに本題に入ります。現在午前2時半で、まあ午前2時半っつーのは、まともな社会人なら明日の仕事に備えて寝ている時間です。
えーと。そのー、「神の視点」で語るのはやめよう、リアルタイムで追ってみようってことです、何事も。
WBCの韓国第2戦を見ていて思ったんです。原監督がバントの指示を出したことにブツクサ言う輩が多いですが(「解説者」「専門家」にも多い!)、もしあれで得点に結びついていたら、「スモールベースボールを象徴する采配」とか言って褒めてたんでしょ。
まあアニメを語る上でも同じような錯覚はあって、そうだなー。富野アニメで言うと。えー。
そうだ、同じような性格のキャラクターがいるでしょう。
この前のアニメ夜話で、藤津さんが『トリトン』のヘプタポーダと『ガンダム』のランバ・ラルを繋いで見せたけど、この変遷は分かる。ぼくも鋭い指摘だなと思った。
でもそうね、例えば『イデオン』のコスモと『Z』のカミーユは、共に棘のある性格でカリカリしているから、この2人の主人公は繋がっているかと言えばそれは違うでしょう?
確かに「富野作品」というくくりで俯瞰的に見れば、一見共通項があるように見えます。けれども、リアルタイムで製作当時のことを追ってみると、この両者は全く違うと分かります。
コスモの性格に難があるのは、イデオンのテーマが「人間同士は分かり合えない」だからです。
ですからキャラクターはコスモに限らず、互いを受け入れられない、協調性のないキャラクターが創作されています。ドラマ作り故の性格設定です。
一番協調性のある「無害な」人間が異星人のカララで、カララをスケープゴートにすることで協調性のないソロシップのメンバーがなんとか集団を保つ、という構造がイデオンの妙の1つです。
一方カミーユは、当時のキレやすい若者気質(と富野は思っていた)を盛り込んだから、あのようなキャラクターになったのです。
結果は同じでも、全く違う発想から生まれていることが、分かっていただけると思います。
さて今日のメインは、富野監督本人についてです。
今でこそ富野監督は「ガンダムの生みの親」であり、まあアニメ界の重鎮や成功者として紹介されることが多いようです。
しかしこれは現在の結果のみを見ている、「神の視点」での意見です。
このブログを読んでくださっている富野監督ファンの方なら言うまでもないでしょうが、アニメ監督としての富野監督の歩みは、基本的に挫折の連続です。
ガンダムは低視聴率で打ち切り、本格的な人気は再放送からです。イデオンも打ち切り。その真価が分かるには、映画まで待たなければなりませんでした。
今でこそ評価されているZガンダムが、ファンから放映当時にどのような反応を受けていたかは、もしよろしければこちらを読んでください。
ターンエーは、ヒゲのモビルスーツにばかり話題が集まり、その豊かなストーリー性が指摘されたのは、いつからだったでしょうか。
こう書くと明白です。挫折の最大の要因、富野監督が持つクリエイターとしての悲劇(大げさ!)の根本は、作品評価が数年、ひょっとしたら10年単位で遅れている、ということです。
もちろん、「俺は放映当時から好きだった」「評価していた」という人もいるでしょう。
しかし富野監督に言わせれば、「ファンが好きと言ってくれるのは当たり前」です。
自分の狙いを、世間が評価してくれるのは数年後。
その間の期間、これは、クリエイターにとっては孤独です。
富野監督はおそらく、常に世間への孤独感を抱いているクリエイターです。
まあ、孤独感を持つクリエイターなんて、富野監督だけではないでしょうが。
『キングゲイナー』はガンダム以降、たぶん初めて、評価にタイムラグが生じなかった富野作品です。
富野監督の孤独感は、少し癒されたでしょうか。
さて今日はもう眠いし、すぐに本題に入ります。現在午前2時半で、まあ午前2時半っつーのは、まともな社会人なら明日の仕事に備えて寝ている時間です。
えーと。そのー、「神の視点」で語るのはやめよう、リアルタイムで追ってみようってことです、何事も。
WBCの韓国第2戦を見ていて思ったんです。原監督がバントの指示を出したことにブツクサ言う輩が多いですが(「解説者」「専門家」にも多い!)、もしあれで得点に結びついていたら、「スモールベースボールを象徴する采配」とか言って褒めてたんでしょ。
まあアニメを語る上でも同じような錯覚はあって、そうだなー。富野アニメで言うと。えー。
そうだ、同じような性格のキャラクターがいるでしょう。
この前のアニメ夜話で、藤津さんが『トリトン』のヘプタポーダと『ガンダム』のランバ・ラルを繋いで見せたけど、この変遷は分かる。ぼくも鋭い指摘だなと思った。
でもそうね、例えば『イデオン』のコスモと『Z』のカミーユは、共に棘のある性格でカリカリしているから、この2人の主人公は繋がっているかと言えばそれは違うでしょう?
確かに「富野作品」というくくりで俯瞰的に見れば、一見共通項があるように見えます。けれども、リアルタイムで製作当時のことを追ってみると、この両者は全く違うと分かります。
コスモの性格に難があるのは、イデオンのテーマが「人間同士は分かり合えない」だからです。
ですからキャラクターはコスモに限らず、互いを受け入れられない、協調性のないキャラクターが創作されています。ドラマ作り故の性格設定です。
一番協調性のある「無害な」人間が異星人のカララで、カララをスケープゴートにすることで協調性のないソロシップのメンバーがなんとか集団を保つ、という構造がイデオンの妙の1つです。
一方カミーユは、当時のキレやすい若者気質(と富野は思っていた)を盛り込んだから、あのようなキャラクターになったのです。
結果は同じでも、全く違う発想から生まれていることが、分かっていただけると思います。
さて今日のメインは、富野監督本人についてです。
今でこそ富野監督は「ガンダムの生みの親」であり、まあアニメ界の重鎮や成功者として紹介されることが多いようです。
しかしこれは現在の結果のみを見ている、「神の視点」での意見です。
このブログを読んでくださっている富野監督ファンの方なら言うまでもないでしょうが、アニメ監督としての富野監督の歩みは、基本的に挫折の連続です。
ガンダムは低視聴率で打ち切り、本格的な人気は再放送からです。イデオンも打ち切り。その真価が分かるには、映画まで待たなければなりませんでした。
今でこそ評価されているZガンダムが、ファンから放映当時にどのような反応を受けていたかは、もしよろしければこちらを読んでください。
ターンエーは、ヒゲのモビルスーツにばかり話題が集まり、その豊かなストーリー性が指摘されたのは、いつからだったでしょうか。
こう書くと明白です。挫折の最大の要因、富野監督が持つクリエイターとしての悲劇(大げさ!)の根本は、作品評価が数年、ひょっとしたら10年単位で遅れている、ということです。
もちろん、「俺は放映当時から好きだった」「評価していた」という人もいるでしょう。
しかし富野監督に言わせれば、「ファンが好きと言ってくれるのは当たり前」です。
自分の狙いを、世間が評価してくれるのは数年後。
その間の期間、これは、クリエイターにとっては孤独です。
富野監督はおそらく、常に世間への孤独感を抱いているクリエイターです。
まあ、孤独感を持つクリエイターなんて、富野監督だけではないでしょうが。
『キングゲイナー』はガンダム以降、たぶん初めて、評価にタイムラグが生じなかった富野作品です。
富野監督の孤独感は、少し癒されたでしょうか。
坂井さん、こんばんは。お久しぶりにコメントさせていただきました。
トリトン話とコスモ、カミーユ比較については、私も同感です。主人公の位置と全体の関係性から見なければいけないものであって、一部だけ取って語ってもしょうがないと思います。もちろん、藤津氏のような比較もそれほど悪いものだと思いませんけど。
それから、確かに富野監督ご自身もこういった発言を何度口にしてたんですね。ていうか、こんなことまでご自分の口から言わねばいけないことから見て、やはり孤独ですなと思いますね。
by kaito2198 (2009-03-13 23:55)
kaito2198 さん、コメントありがとうございます。
まあずっと評価されないまま終るクリエイターも多いと思うので、富野の孤独感はそれに比べると全然癒されている、とは思うんですけど。年月はかかっても、結局は評価されるんですからね。
それはそうとkaito2198 さん、アレルギー改善するといいですね。
by 坂井哲也 (2009-03-15 01:45)
確かに、仰るとおりですね。ただ他の大御所監督と比べれば、どうしてもその現状に思わず不満を言いたくなりますよ、ファンとしては。
はは…恥ずかしいところが見られちゃったんですね。お気遣いありがとうございます。
by kaito2198 (2009-03-15 14:32)