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1989年のトミノ・キッズ まとめ [富野監督関係]

1回目

 ファンなら、富野の新作を見たがっていると思う。ぼくもそうだ。

 しかし、「見たい」気持ちと同じくらいに、「もういいかな」という気持ちもある。

 69歳と言えば、多くの人は現役を引退しているトシです。
 元気だから勘違いしそうだけど、富野ってオジイチャンなんだよね。

 そのオジイチャンに、肉体的にも精神的にも辛いだろうアニメ製作を望むってのは、どうもね。

 しかし、それでも、と富野ファンが思ってしまうのは。

 例えば手塚がそうであったように、「富野は体力が許すまで・いまわのきわまで、仕事をせずにはいられない人間だろうな」と感じていたからだと思う。

 もっと言えば、そんな「富野由悠季」を望んでいた、とすら思う。
 講演やイベント出演も仕事っていや、そうなんだけど。

 ぼくは「もう富野のアニメ作品は見られないかもな」と半ば諦めているけれども、それが余り寂しくないのは、もう20年も前に、「富野のテレビアニメシリーズを見ることは、もうないかもしれない」と思い込んでいたからだろう。

 今から振り返ればお笑い草だが、当時の様々な状況が、ぼくにそう思わせたのだ。

 だから、それ以降の作品、例えば『ターンエーガンダム』『オーバーマンキングゲイナー』なんかは、「予想もしなかった豪華なオマケをもらった!」って感じだった。

 ぼくにしてみれば現在の状況は、いよいよオマケが無くなった? であり、「もっとオマケを寄越せ!」とは言えないだろう。

 これから数回に分けて、「当時」――『逆襲のシャア』公開当時、なぜぼくが「もうテレビで富野アニメは見れないだろう」と思っていたか書きます。

 おっさんは懐かしみ、若い人は「へー、そんな状況もあったんだ。いや、そう思い込んでいたバカも1人いたんだ」くらいに思って読んで下さい。



 こんなことを長々と書こうと思ったのには、理由があります。

 作家の小林信彦さんが(このブログ、伊集院と小林信彦の出現率高いな)、単行本『本音を申せば』の中で、DVDの功罪について書いていて、

「(DVD)は記憶装置の一つと考えているので、あんなもので<映画を観た>ことにはならいと思っている」と記していました。
「ビデオによって、映画史は消え去り、平べったいものになる。その映画が封切られた時代のイメージも関係なくなる」とも。

 この文章の中では、川本三郎氏の「ビデオの時代になってから、(映画の)時系列がめちゃめちゃになってしまって…」というコメントも「至言」として紹介しています。

 しかし映画に興味を持って、昔の名作を見たいと思えば、DVDに頼るしかない。アニメだってそうです。

 だが同時にぼくは、小林さんの「その映画が封切られた時代のイメージも関係なくなる」という嘆きも、分かるのです。


 というのも随分と前になりますが、ニコニコ動画で作業用のロボットアニメ主題歌集を聞いていたら、『逆襲のシャア』の主題曲がかかり。

 そこに書き込まれている映画へのコメントが、みんな賛美だったのに、ビックリしたのです。

 コメントを付けている人は、多分若い世代なんだろう。

 それに今となっては、「宇宙世紀の一区切り」というガンダムシリーズの中での位置付けや、「惚れ込んだ庵野秀明が同人誌を作った」などのバリューが付きます。映画の評価なんて味覚と同じ曖昧なもので、様々な要因が作用することで変化するようです。


 ぼくだって『逆襲のシャア』は何回も見ていて、好きな映画。
 だが公開当時は、もうちょっと違う感じでした。

 面白いけれど、手放しで喜べない感じ。

 ぼくがニコニコ動画での賛美コメントに違和感を持った理由ははっきりしていて、それは当時の富野・及び外部の状況をまったく無視しているからです。
 無論、この姿勢を責めているわけではありません。

 ぼくだって、昔の白黒映画を見る時に、いちいち製作当時の監督・役者の状態や、時代状況を調べているわけではないです。だからここから先は、「当時、ぼくはこう思って見ていた」という話になります。

 ぼくが『逆襲のシャア』を好きなのにもかかわらず、手放しで褒めちぎれない理由の1つは、上にも書いて繰り返しになるけど、公開当初「これが富野最後の作品になるかも知れない」と思い、複雑な気持ちで見ていたからで、その気分が今も付いて回っているのです。
 もう1つの理由は、同時期に『機動警察パトレイバー』の映画が公開されたことです(1作目ね)。これも後で書きます。


 ちなみにこの記事のタイトルは「1989年のトミノ・キッズ」になっているけど、『逆襲のシャア』は1988年公開だろ、って指摘は重々承知しております。
 ただ、映画館のない田舎町に育ったぼくにとっては、『逆襲のシャア』は1989年、公民館で公開された作品なのです。


 最後にもう1つ。『逆襲のシャア』当時の富野について、1ファンの視点から書いておこうと思った動機を、またもや小林信彦さんの本から引用しておきます。

 

 その時代時代に、順を追って作品を見てきたぼくたちと、名画座やビデオで後からまとめて見た<映画ライター>たちと、見方が食いちがうのは当然で、映画というのは、作られた時代のムードがわからないと、理解できない、とぼくは思う。
 『映画が目にしみる 増補完全版』から「若者は自分たちの時代の映画を語るべきだ」より



 だったら『逆襲のシャア』時代の富野をとりまいていた「ムード」について、ぼくなりに感じていたことを書いちまおう、ってことです。


2回目

 ぼくにとって『逆襲のシャア』は、同時期に見た『機動警察パトレイバー THE MOVIE』と比較対象される作品です。

 「そんなのおかしいだろ!」という意見が出るのは重々承知ですが、以前にも書いたように映画の感想など所詮、個人的体験に拠るしかないのです。

 『逆襲のシャア』と『機動警察パトレイバー THE MOVIE』は公開時期が1年違いますが、ぼくは同じ年に見ています。

 『逆襲のシャア』公開当時のぼくは、富野の名前はもちろん知っていても、熱心なファンではありませんでした。
 チョイト好き、くらいです。

 ぼくは、富野熱は『逆襲のシャア』で火が付き、大学時代にやっとビデオレンタル店に並んだ『伝説巨神イデオン』が決定打、という感じでした。


 さて映画館もない田舎の高校生だったぼくは、公開してしばらく経ってから、町の公民館のようなところで『逆襲のシャア』を見ました。

 では、『機動警察パトレイバー THE MOVIE』をどこで見たのかと言えば、これが全く記憶にありません。
 ともかく、同時期に見ました。

 「チョイト好き」程度とは言っても、やっぱり押井よりは富野に肩入れして見ました。

 しかし、少なくとも当時の私にとっては、両作品の差は歴然でした。

 方や、まだ認知度が低かったOSという概念をロボットものに持ち込み、しかも物語の核になっています。さらにロボット(レイバー)の開発・採用それ自体にスポットを当てているのも斬新でした。

 それに引き換え『逆襲のシャア』と来たら、どこが開発元かも分からない「すごい技術=サイコフレーム」を、エース機に組み込む脳天気さです。
 ファンには概ね好意的に捉えられている(らしい)νガンダムとサザビーのプロレスシーンにも、ぼくは別な意味で涙が出そうになりました。ダサい。意図的なのかも知れませんが、それにしてもダサい。
 プロレスロボットを否定したガンダムの最新作で、殴り合いを見せられるとは。

 隕石のCGもセル絵から浮いていてこなれていない感じがしたし。当時の押井が言っていた、CGはCGを使用してもおかしくないシーンで使えばよい(例えば劇中のコンピューター画面とか)という方法論は、『逆襲のシャア』の富野や、宮崎『耳をすませば』のデジタル合成より、当時、明らかに優れていたと思います。

 『逆襲のシャア』はビデオになってから繰り返し見た、本当にお気に入りの作品で、良いところもたくさんあります。
 特にクェスの演技は・これは一昨年、劇場でリバイバル上映を見て改めて感じたんですが・とっっっても素晴らしいと思います。

 でも『機動警察パトレイバー THE MOVIE』と比べて、やっぱり旧態依然としているな、と高校生のぼくは感じていました。

 そして作品の出来だけではなく、当時の富野を取り巻く状況はどん詰まりになっているように、ぼくには思えていました。

 いや『逆襲のシャア』の前までは、ロボットものという縛りがあるとは言え、フリーなのに毎年オリジナルの作品を作っていたのだから「どん詰まり」どころか売れっ子だったと言っていいでしょう。

 しかし同時に、何作作ってもガンダム以上のヒット作を送り出せなかったのも、また事実だと思います。
 時間が経ち大人になった現在でも、この時期の富野の評価は大いに難しいし(エラソー!)、ファンの間でも意見が分かれるところではないでしょうか。

 田舎の高校生だったぼくにも、ガンダムの続編である『機動戦士Zガンダム』が最後の切り札だということは理解できたし、その切り札をもってしても、結果としてガンダム・あるいはガンプラブームが再燃しなかったのは、富野にとっては決定的に思えました。

 ここで、反論があるのも分かります。
 
 『機動戦士Zガンダム』はファンの反応は悪かったとはいえ、ビジネス的には失敗とは言えなかったのです。そもそもスポンサーは喜んだから、放映途中で続編『ZZ』の制作が決定した訳だし。
 例えば『ガンダム神話Zeta』には、


 『Zガンダム』は当時、ファンの間で賛否両論となったが、反面、マーチャンダイジング的には成功。


 とあります。


 でもぼくは、小学生の時に、ガンプラブームを体験しているのです。
 おもちゃ屋にたくさん子どもが並んでいた、男のクラスメートは皆ガンプラを買っていた、その状況を知っているのです。

 『Zガンダム』の時は、ブームと呼べるような要素はありませんでした。

 実際、『ガンダム神話』(Zetaじゃないよ)に掲載されているガンプラの売り上げのデータを見ると、82年のピークで約4300万個、『Zガンダム』放映時の86年で1200万個です。ま、単価違うだろうけど。


 だからぼくはビジネス的にも失敗、だと思っていました。
 富野はもうテレビシリーズを作らせてもらえないのではあるまいか、映画は花道なのではあるまいか、とぼくは映画の内容ともあいまって、懸念したのです。

 そしてバカな高校生のぼくがそう思うには、ロボットもの全体の流れ・そしてサンライズの方針転換もあったのでした。


3回目

 前回までは、富野自身の話を書きました。

 ガンダムの続編を作っても結局ブームの再来は起こらず、『逆襲のシャア』もぼくの感想としては好きだけど嫌い・嫌いだけど好きといった感じで、ただし古臭さだけは否めなかった、ということでした。

 ガンダムの主人公2人を「引き取る」内容でもあり、富野はこれから作品を作り続けられるのかな? と不安に思っていたのでした。


 今日からは、新しいタイプのロボットアニメの出現と、サンライズの方向転換について書いていきます。


 1987~88年は、リアル系ロボットアニメのファンにとって、節目の年です。

 『機動戦士ガンダム』以降、脈々と受け継がれてきたサンライズのリアルロボットの番組枠(『戦闘メカザブングル』からは土曜午後5時半の枠)が、『機甲戦記ドラグナー』をもって終焉を迎えました。

 富野は毎年この枠で作品を発表していましたから、足場を失った訳です。
 「富野はどこか、別な所で作品を発表できるのだろうか?」と当時のぼくは疑問を持っていました。

 視聴者の好みは移ろいます。
 脳天気なロボットアニメが多かった時代に、ガンダムは登場して喝采されました。

 その後シリアスな作品が続き、視聴者はまた新しいタイプの作品を求めていたのだと思います。
 それはおそらくユーモアとか、ライト感覚とか、そういったものでしょう。
 富野が『ザブングル』『エルガイム』でうまく描けなかったものです。

 当時はちょうどバブル時代が到来していたので、その雰囲気がアニメにも、などとしたり顔で書くつもりはありません。

 けれどもサンライズのリアルロボット枠で『ZZ』『ドラグナー』と、明るい作風が続いたのは偶然ではないでしょう。
 製作側は、視聴者の好みの変化を読み取っていたのです。

 『ドラグナー』は敵・味方に分かれる兄妹という、どこかで覚えのある設定を入れつつ、主人公3人の軽快な掛け合いを交えた作品でした。また当時の流行りをメカデザインに取り入れて「ギルガザムネ」なんか出しちゃう柔軟性というか・節操のなさもありました。

 それでも低調で終ったのは、やはりこの「リアルロボット枠」そのものが、限界に来ていたのだと思います。

 ちょっと考えると、ここでいわゆるスーパーロボット作品に時代の振り子が戻りそうなものですが、そうはならないのがアニメの奥深さです。

 リアルロボット枠の終焉、この流れを受けて1988年に生まれた2つのロボットアニメが、『PATLABOR MOBILE POLICE』と『魔神英雄伝ワタル』でした。

 『Z』を作った時点で、ぼくは「富野はもうガンダムを作り続けるしかないだろう」と思っていたので、この2作の登場はけっこうショックでした。
 「サンライズはもう、富野に作品を作らせる気はないのかしらん」と本気で思いました。

 『パトレイバー』と『ワタル』は、かたやリアリティを突き詰め、かたや2頭身キャラがファンタジー世界で活躍する、全くベクトルの違うロボット作品ですが、「脱ガンダム」という一点で、同じ方向を向いていたと思います。

 『ワタル』に関しては、サンライズのこの頃の方向展開と合わせて書きたいので、次回に譲ります。

 『PATLABOR MOBILE POLICE』は、OVA発の作品です(詳しくは、よろしければこちらをご覧下さい)。
 もう手元にないので引用ができませんが、最初のOVAシリーズのムックで、スタッフが「ガンダムの頃はまだモビルスーツを月の怪しげな工場で作っている、で良かった。でもこれからはそうはいかない」と、レイバーにナンバープレートを付けた理由を話していました。

 またOVA1話目だったと思うけど、アルフォンスの駆動系が壊れた瞬間に川が凍ってしまう演出にもビックリしました。
 この描写は、レイバーが超電導で動いているからです。『ガンダム』の1話で、アムロがザクを爆発させないように戦ったシーンを彷彿とさせるセンス・オブ・ワンダーでした。

 ガンダムに限ったことではないですが、ロボットアニメでリアリティを突き詰めていくと「動力」や「材質」ってのは、アキレスの腱みたいなところがありまして。
 触れないに越したことはないので。

 ただし『パトレイバー』が本当に優れていたところ、『パトレイバー』にあって『ガンダム』にないところは次の点です。

 『パトレイバー』はリアル志向をさらに強めながら、「戦争」を描くことを放棄したことによって、シリアスもコメディも描ける懐の深い作品世界を獲得できたこと、です。
 シリアスとコメディの両刀使い、これは魅力でした。埋立地という舞台も、コメディに向いていたと思います。

 『銀河漂流バイファム』も似ている作品世界を持っていて、コメディ的な要素をもっと全面に出していれば、ひょっとしたらサンライズのリアルロボット枠はまだ続いていたのでは、などと夢想してしまいます。
 ひょっとして・もっともっと富野作品を見ていられたかも。
 まあ『バイファム』は、土曜午後5時半枠じゃないけど。

 なんて妄想ですね。


 大分長くなってしまいました。次回は当時のサンライズのお話です。


4回目

 手元に現物が残っていないので正確に再現はできませんが、アニメ雑誌に「サンライズはガンダムを超えられるのか?」みたいな見出しが載ったのは、『逆襲のシャア』の1年前―1987年―だったと思います。

 サンライズは1987年、初めて漫画原作付きのアニメ、しかも非SFを手掛けました。
 4月に『シティーハンター』、10月には『ミスター味っ子』が放送スタートです。今川泰宏!

 インタビューイは失念してしまいましたが、上記の記事で「サンライズと言えばオリジナルだが、原作ものもサンライズと言われるようにしたい」といった旨の内容があったことを覚えています。
 今となっては信じられない話だなオイって感じですが、当時のサンライズはガンダムだけじゃ駄目だ、と新しい方向性を模索していたのだと思います。

 ぼくは『Z』が始まった時点で、「もう富野はガンダムしか作らせてもらえないのでは」と思っていたので(実際に非ガンダムのテレビ作品は『ブレンバワード』まで待たなければならない)、このサンライズの動きはますます富野を遠ざけているように思えました。

 さらに『ドラグナー』を終えたサンライズが、次に発表したロボットアニメ『魔神英雄伝ワタル』にもビックリでした。
 目がおっきくて可愛らしい芦田デザインのキャラクター、キャラもメカも2頭身、企画協力には広井王子のレッドカンパニーを迎えてゲーム要素がふんだんに盛り込まれていました。
 今までのサンライズロボット作品と全く違う!

 『サンライズアニメ大全史』には、この作品について

ファミコンソフト「ドラゴンクエスト」の大ヒットが生んだ数多くのファンタジーRPG風のアニメ作品中、最も成功したのが「ワタル」だろう。


 と書かれています。

 ぼくはこれまでの流れと随分と違うものを持ってきたな、でもサンライズはガンダムではないものを探し始めたのだろうな、と納得もしたのでした。

 
 どうでしょう。『逆襲のシャア』の当時、田舎のアホな高校生が「もう富野の作品は見られないかも知れない」と思っていた状況が、少しでもご理解いただけたでしょうか。

 富野本人、ロボットアニメの状況、サンライズの方針。

 今は、あんまり富野に不利な状況はないと思うのですが、1989年と同じくらい「もう富野の作品は見られないかも知れない」とぼくは感じています。

 正直、もう1作見たいな、とは思います。でも『イデオン』だけでも充分なのに、『ガンダム』『ダンバイン』『Z』『ターンエー』『キングゲイナー』とプレゼントをくれたのです。

 ありがとうございました。とお礼を言いつつ、寝たふりしてサンタが来るのを待ってみる?  来年くらいまで。




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